口上

 その日の夕飯は西島と母、そして僕もいっしょに作った。母にみそ汁の作り方を教えてもらってから彼女は他にもいろいろな料理を覚えていった。以前は一人でもそれなりの出来栄えの料理を作っていたが、最近は少し違う。卵を割るのに包丁を用意したりみそ汁をすくうのにフライ返しを使ったりとおかしな行動が目立ち始めた。これもまた新保の言うところの『危ない』というやつだろう。学園での僕達しか見ていないはずなのに、よく見ている友人だ。そのことには感謝するが、自宅に監視カメラや盗聴器が仕掛けられていないか心配になる。

「騙り部さん。どうか私を殺してください」

 気を抜いて考え事をしていたら喉元に包丁が突きつけられていた。西島が虚ろな目でこちらをじっと見つめている。どちらかがあと半歩でも前に動けば真っ赤な血が噴き出るだろう。

「ふじみちゃん。人に包丁を向けたらダメでしょ?」

 母が西島の両肩を押さえてゆっくりと後ろへ一歩引かせる。同時に包丁も喉元から離される。母のおかげで命拾いした。

「はい。楓さん。すみません」

「違うでしょ? お義母さんって呼んでね」

「はい。お義母さん」

 それから西島はまな板に置かれているキャベツを細かく切り始める。母が僕に目配せする。僕は大きくうなずいて返す。

 いつもより時間をかけて料理ができた。今日の夕飯はハンバーグ、サラダ、みそ汁である。いつもは父親の嘘や冗談が飛ぶ明るい食卓だが、〆切が近いため、今日は書斎にこもっている。そのため口数の少ない母と無口な西島、そして僕の三人だけの静かな食卓となっている。箸を動かす音と食べ物を噛む音ばかりが聞こえてくる。少し気まずい。話題になりそうなことを思い出してみるが、話せそうなことはなにもなかった。

「騙り部さん。これ、食べてください」

 唐突に隣の席の西島から呼ばれる。言われて横を向くと、小さく切り分けたハンバーグを箸でつかんでこちらに差し出してくる。これはいったいどういう状況だ。

「あーん、してください」

「え?」

 さらに状況が理解できなくなった。

 あーん、とは、あーんのことか?

「あーん、です。あーん、と口を開けてください」

 西島が手本を見せるように口を大きく開いた。虫歯一つなさそうな綺麗な白い歯が見える。そしてあーんとは、やはりそういう意味だったらしい。だが、親の前でそんなこと恥ずかしい。母親は顔をそらしてくれているが、横目でこちらの様子をうかがっているのは明らかだ。

「とてもおいしくできました。だから、騙り部さんに食べてもらいたいのです」

 そういえばここ最近、彼女の口から殺してほしい以外の言葉を聞いた覚えがなかった。あの日を境に口数は減り、口を開けば殺害依頼だったから。少し気を抜けば涙が出そうだった。なんとか泣きたくなる気持ちを抑え込んでから口を大きく開く。

「あ、あーん……」

「あーん」

 西島の箸がつかんだハンバーグが僕の口に入れられる。肉汁が一気に口から喉へ流れ込む。

 その瞬間、カメラのシャッター音が聞こえた。同時に、部屋の戸が開いて父親が入ってくる。

「やったね、ふじみちゃん!」

「はい。やりました」

 父親は殴りたくなるほどの笑顔を浮かべ、西島とハイタッチを交わしていた。

「これは……どういうことか……説明してくれるのかな?」

 ハンバーグをしっかり噛んで飲み込んでから尋ねる。

「そんなもの決まってるだろう。思い出作りだよ、思い出作り。次は楓さんとふじみちゃんの写真も撮るよー。ほら、笑って笑って! あはは!」

 父がカメラを構えながら答える。静かな食卓にシャッター音が響く。

「どういう意味だよ」

「正語。とうとうふじみちゃんを殺す決断をしたんだろ。だから、お別れする前に写真を撮って思い出として残そうと思ったんだよ。はーい、ふじみちゃんもう一枚撮るよー」

 殺す決断。ためらいなく、あまりにもはっきりと言うので面食らった。

 だが、その通りだ。僕は西島を殺すと約束した。それは嘘ではないし、本当に殺すつもりだ。けれど、本当に殺すことができるのかどうかという不安があるのも事実だ。どんなに傷ついても死ねない女の子を殺す方法など、この世に存在するのだろうか。

 今こうして家族と話しているだけでもせっかくの決意がゆらいでしまう。

 僕にはまだ、覚悟も勇気も足りない。

「写真なんて必要ない。西島さんは僕が騙り継ぐと決めたんだ。僕だけが覚えていればいい」

「おいおい正語。水臭いことを言うなよ。騙り継ぐのは一門のみんなでするのが規則だろ?」

「騙り継ぐのは文字や口頭での伝承が一門の習わしだろ? カメラを使っていいのかよ」

「今はハイテクの時代だぞ。写真でも動画でも音声でも残せるならその方がいいだろ」

 言われて気がつく。そういえば父は初めて文字や口頭以外の方法で騙り継いだ騙り部だ。すでにカメラもボイスレコーダーもある時代なのに、伝統や既存の方法に皆がとらわれていた。しかし、柔軟な発想とあの機転があったおかげで祖父の葬式は明るく楽しいものに変わった。そして最期の言葉を聞けなかった人たちにも聞かせることができた。

 騙り部の嘘が人を悲しませない嘘なら自分たちも悲しんではならない。騙り部はいつも笑っているくらいがちょうどいい、とは初代騙り部古津言語郎の言葉だ。

「写真でも動画でも好きに撮ればいい。だけど、ハイテクって言いまわしはじじ臭いよ」

 父親の意見には素直に感心したが、僕はまた素直に感謝の言葉を述べることができなかった。

「楓さーん。正語がいじめるよー。なぐさめてー」

 父が母の胸に飛び込む。母は微笑みながら頭を撫でてやっている。

 食卓でいちゃつくな。しまいにはぐれるぞ。

 ふと隣の西島が二人の様子をじっと眺めていることに気づいた。彼女も呆れているのかもしれない。だがそのうち思い出したように箸を持ってハンバーグをつかみ、そのまま僕に言った。

「あーん」

 相変わらずなにを考えているのかわからない表情だが、今ここで選択肢は一つしかない。

「……あーん」

 僕は顔を真っ赤にさせながらそれを食べる。その瞬間もしっかりと激写されてしまった。


 いつものように西島といっしょに洗い物をしていると彼女の手が止まる。どうしたのか尋ねると心臓が痛いと言った。不死身の体なのに体調不良になるのかと疑問に感じたが、それが嘘でないことはすぐにわかった。こちらは僕に任せてすぐ部屋で休むように伝える。

「すみません……」

 謝ってすぐに部屋を出ていく。本当は辛く苦しいのに無理やり隠しているように見えた。

 西島ふじみ。不死身のふじみ。その名の通り、どんなに傷がついても死ぬことができない不死の体の持ち主。しかし、たとえ体が傷つかないとしても心は傷つく。そしてその傷は癒(い)えることなく今も彼女の心を傷つけているのだろう。

「情けない……」

 最後に包丁を洗い終えた時、口から言葉がもれた。それは西島ではなく僕のことだ。

 僕が言う西島を殺すとは楽にしてやるという意味だ。

 この世に生まれてから十数年。短いと考えるか長いと考えるか。それは人それぞれだろう。しかし彼女にとっては辛く苦しい年月だろう。直接本人の口から聞いていないが、彼女は楽になりたいと思っている。両親から化物と呼ばれ、学校でも気味悪がられ、辛く苦しい環境に置かれ続けたら誰だってそう思うだろう。けれど、その楽にしてやる方法が全く思いつかない。

 洗い物を終えて自室に戻ろうとしたところに父親が行く手を阻(はば)んだ。横を通り抜けようとしたらまた阻まれた。いったいなにがしたいのかと思っていたら父は拳を振り上げた。

「正語! 歯を食いしばれ!」

「は?」

 固く握られた拳が向かってくる。避け、られない。

 瞬時に歯をかみしめて、痛みや衝撃に耐える。だが一向に殴られる気配はない。恐(おそ)る恐る目を開くとニヤッと笑う父のアホ面が見えた。

「隙あり!」

 そのかけ声と共に頭に手刀が振り下ろされる。強く歯をかみしめていたのが災いし、ガツンと音がするほどの衝撃が口内に走る。

「いってぇ! なにすんだよ!」

「時間差攻撃だ!」

 そういうことを聞いているのではない。ただでさえストレスがたまっているところに無意味な攻撃とつまらない冗談を受けて、さらにイライラしてしまう。僕は父親を無視して横を通り過ぎる。だがその先には無視して通り過ぎることができない人が立っていた。僕よりも小柄で細身の女性で威圧感とは皆無のはずだが、立っているだけで圧を感じる。

「正語。話があります。来なさい」

 口数の少ない母が口を開くときは大半が怒っている時である。つまり彼女は今怒っている。これ以上怒らせないために僕はその言葉通りに動く。

「謙語さんもです。それから、冗談でも子どもに無意味な暴力を振るわないでください」

「あ、はい……すみませんでした……」

 片づけられた食卓で両親と僕が席につく。ここに三人だけで集まるというのは久しぶりだ。西島がこの家に住み始めてからずっとこのような機会はなかったので懐かしさすら感じる。

「正語。新人賞の応募〆切は、大丈夫なのか?」

 唐突に父が話を切り出した。どうしてそのことを、と一瞬驚いたが、僕が小説を書いていることはすでにバレていたことを思い出す。ここ最近は読書も執筆も全くしていない。原稿は〆切ギリギリになって完成させた。だがその出来は少しもおもしろいと思えない駄作と言っていいだろう。いつもは選考結果が気になるけれど、今回は心底どうでもいい。

 それよりも今は西島のことをどうにかしなければならない。なにか良い策はないだろうか。

「正語。どうして騙り部一門は『一族』ではなく『一門』と言うのか知っているか?」

 また父が質問してくる。どうして今ここで騙り部の話になるのか。なにか意図があるのか。僕はいつも嘘や冗談ばかりの父が苦手で真面目に話をする機会がなかった。その弊害がこんなところで出てしまった。けれどその質問の答えは簡単だ。

「昔仕えていた秋葉一族に皮肉を込めて言われたからだろ。人の口に戸は立てられないが、騙り部の口には門でもいいから建てて静かにさせないとうるさくてかなわないって」

 それを聞いた初代騙り部、言語郎がおもしろいと思ってそれから騙り部一門を名乗り始めたと聞いている。ただ、これはいくつかある伝承の中の一説である。その他には……。

「もともと騙り部は古津家の屋号で、昔からずっと古津家の人間が代々頭領を務めている。だけど昔は、古津家以外の人間でも騙り部になりたいという人がいれば受け入れていた。だから『一族』ではなく『一門』になったんだろ」

 秋葉市の権力者である秋葉一族が血縁によるつながりを大切にするように、彼らに仕えていた騙り部一門は心情によるつながりを大切にしていたらしい。秋葉一族の長をご当主様と呼んでいたため、紛らわしくないように頭領と呼んでいるのも対照的な関係と言えるだろう。しかしそれはずっと昔の話で、今では古津家以外の人間で騙り部を名乗る人なんて見たことも聞いたこともない。祖父の葬式にも参列していなかったはずだ。

「それなら、騙り部一門の口上はなんのためにある?」

 先ほどから冗談も嘘もなく、父親がずっと真面目な話を続けている。夕飯に食べたもので頭でも壊してしまったのだろうか。普段は邪険に扱ってしまうが、今この時ばかりは心配になる。

「それは自分が騙り部だという証明。それから騙り部一門のみんなが家族という証明。血のつながりはないけど、自分たちは家族だという証明になるように口上ができたんだっけ」

 0番街で幼女の姿をした化物に会ったときにはこれのおかげで助かった。あいつは騙り部と何らかの関係があると思うけれど、未だに父親にそのことを聞いていなかった。今がそれを聞くいい機会だろうか。いや、それはまた別の機会にしよう。今はそれより……。

「親父。母さん。お願いがあるんだ。西島さんを救うためにどうか力を貸してください!」

 なぜ今になって騙り部一門の話を聞かされたのか、ようやくわかった。

 祖父や父から何度も聞かされたのに、すっかり忘れてしまっていた。

「よく言った正語。それでこそ騙り部だ。そしてふじみちゃんも騙り部一門の一人。家族の誰かが困っているなら家族みんなで助ける。それが騙り部一門のやり方だ」

 僕は一人でなんとかしてやると息巻いていたが、そんなことで西島ふじみを救えるわけがない。騙り部一門は血のつながりがなくても家族だ。騙り部一門には誰かに頼ってはいけないなんて規則はない。むしろみんなを巻き込んで問題解決するやり方の方が正しい。きっと僕が知らない時代の騙り部も昔からそうやって困難を乗り越えてきたはず。

「西島さんを殺す方法なんだけど、髪は女の命って言うよね? だから、彼女の長くて綺麗な黒髪をバッサリと切ってしまえば……殺したということにならないかな?」

「ダメだな」

「ダメね」

 チクショウ。どうしてそういうところまで息ピッタリなんだよ。オシドリ夫婦か!

 僕が何日もかけて考えた殺害計画は一瞬で却下されてしまった。新保にも相談しようかと思っていたが、二人の反応を見ると聞かなくて正解だったかもしれない。

「前から聞きたかったんだけど、西島さんのご両親はどうして秋葉山の旧家に来ていたの?」

 僕はずっと疑問に思っていたことを父に聞いてみる。

「それはふじみちゃんの特異体質を治す方法を探すためだ。西島夫妻がそれに気づいたのは、あの子が保育園に上がった頃らしい。今までもおかしいと思っていたが、派手に転んで大きな傷ができたのに、どんどん治っていくのを見て確信したらしい。この子は普通じゃないって」

 父はあっさりと教えてくれた。やはり協力してくれるという言葉に嘘はなかった。けれどその顔から明るさがなくなっている。無理もない。西島の両親は娘のことをあまり快く思っていなかったから。

「高校の同級生だった俺のとこに来たのは、偶然思い出したからだと言ってたな。化物に詳しい変人がいたということを。でも古い友人に対して失礼だと思わないか? そう思うだろ?」

「そういう冗談はいいから。知ってること、わかってることは全部教えてほしい」

 僕は真顔で注意する。父が嘘や冗談を言うのは場を和ませるため、というのは以前からなんとなくわかっている。だが今は、早く多くの情報を知りたい。西島を救うために。

 父親は小さくうなずいてまた話し始める。

「西島夫妻は会っていきなり、娘は化物だ、なんとかしてほしいと言ってきた。多分、普通の病院には連れて行けないから来たんだろうな。だけど、俺にもどうすればいいかなんてわからない。それでも頼ってきてくれた友人を無視するのは悪いから話を聞いていたんだ」

「最初から化物呼ばわりか……。春休み中に起きた事故って本当にただの事故なのかな……」

「確かに娘を化物呼ばわりするクズだったが、娘を殺すような人でなしではないぞ。さすがに人の道を外れるようなことはしないさ。そうでなければ俺はあいつと友達になっていない」

「ごめんなさい……」

 僕はすぐに謝った。父親は気にしていないと言って微笑んだ。

「だけど毎月何回も来ていたのに、突然来なくなったのはどういう理由?」

 これもずっと疑問に思っていたことだ。いくら相談しても解決法が見つからないからだと思っていたが、真相を聞いておきたい。すると父親は話しにくそうに母の方を見ている。その視線に気づいた母が口を開いた。

「それは私のせいね。娘のことを化物呼ばわりしているような人たちにあの子を救えるわけがないって言ってやったのよ。どんな理由があろうと子どもを傷つける親を私は認めません」

 当時の母の怒る姿と意気消沈する西島夫妻の姿が目に浮かぶようだ。しかし身内をかばうわけではないが、僕も母の意見に賛同だ。傷つかないという特異体質を持っているとはいえ、娘に対して化物呼ばわりはあまりにひどい。

 それは自分も似たような状況に立ったことがあるから余計にそう感じる。彼女と違うことがあるとすれば、僕の両親は決してバカにすることはなかった。それから新保という親友も隣にいてくれた。

「それでも西島夫妻がふじみちゃんのことを心配していたのは本当だ。どうにかしてあげたいと思っていた。だから俺以外のところにも相談の手紙を送っていると言っていたな」

 手紙……。それを聞いて、あいつのことが一瞬思い浮かんだ。だがすぐに記憶から消し去る。二度と思い出さないように別のことを質問する。

「そのことを西島さんは知ってるの? 彼女は両親から化物呼ばわりされているから自分は化物だと思ってる。だからこの世からいなくなりたいと思ってるんじゃないの?」

 両親に愛されていなかったという記憶が彼女の心を傷つけているのではないか。それを打ち消すことができれば殺されたいという願望を消すこともできるのではないか。

「それならあの子を引き取ると決めて、ふじみちゃんと会ったときから何度も言っている。でもダメだった……。長年の辛く苦しい過去が多すぎるんだろうな……」

 そうか。だから以前、ここで西島が僕に殺されたいと話した時もあっさりと受け入れたのか。それなのに僕は勝手に一人で怒ってしまっていた。父も母も彼女のことを想って色々としていてくれたことに全く考えが及んでいなかった。恥ずかしくなって頭を抱えてしまう。

「それでも、まだ希望は残っている。殺されたいという願望を消せなくても、この世に残りたいと少しでも思わせればいい。そしてそれは……正語。お前にしかできないことだ!」

 父の言葉が耳に全く入ってこない。僕は頭を抱えたままどんどん思考の闇に飲まれていく。

「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。

 舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり」

 突然、父が騙り部一門の口上を述べた。あまりに大きな声なのですぐに頭を上げる。

「いきなりなに? なんで口上を?」

 驚いた僕が尋ねると、父親はいつもの笑顔を浮かべて答える。

「場に流れていた嫌な空気を入れ替えるため、それから気持ちを切り替えるためだ。騙り部一門の口上は嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき、それからおいしいものを食べたときに言ってもいい。つまりは、どんな時に使おうがその人の自由ってことだ」

 そんなアホなと思ったけれど、それが嘘や冗談でないことはすぐにわかった。父の言葉から嘘の要素が見えず、嘘の臭いも一切しないからだ。

 そういえば、宴会の席で親戚の人が突然口上を述べ始めたことがあったけれど、あれは酒に酔った勢いでやったと思っていた。だがあれは、嬉しくて楽しくて述べたのかもしれない。しかし、騙り部一門の口上の本来の目的からどんどん離れている気がする。

「でも、その口上ってもともとは……」

 その瞬間、僕の全身に電流が走るような衝撃が起こる。そしてすぐに席を立って告げる。

「二人ともごめん。急だけど、明日の朝までに西島さんと最期のお別れを済ませておいて」

「おっ。選択肢が決まったのか?」

 父からの問いかけに対して大きくうなずいた。

 それから僕は西島の部屋へ向かう。だがすぐに振り返り、両親に長年言えなかったことがあると告げた。そしてゆっくりと頭を下げて感謝の言葉を述べる。

「騙り部として立派に成長していると言ってくれてありがとう」

 両親にとっては昔のことで何のことかわからないかもしれない。だが僕には昨日のことのように思い出せる。何度も通知表を見ながら大笑いする父と母を見て、この家に生まれて良かったと実感した。だから僕はこれからも生きていたいと思っている。

 頭を上げるとすぐに走り出す。やはり恥ずかしくて顔を合わせられないし、答えを求めていたわけではないから。けれど、背後から聞こえる騙り部一門の口上がなによりの答えだった。


 西島の部屋の前に立って深呼吸する。これでもう何度目だろう。覚悟を決めてきたはずが、勇気が足りていなかった。こんなことでは両親に笑われてしまいそうだ。

「西島さん」

 ようやく少しの勇気を出して戸を叩いて部屋の中の住人に呼びかける。

 だが返事はない。体調不良と言っていたからもう眠っているのか。もしくは返事ができないほど弱っているのか。そんな時に申し訳ないとは思うが、この機会を逃すともう二度と言えないかもしれない。

「……君を殺すよ。場所と時間、それから方法は僕が決める。それでもいい?」

 事前に用意していたわけではないが、それでも言葉が自然と口から出ていった。

 ああ、これがデートに誘う目的なら良かったのに。そういえば、西島といっしょに秋葉駅前にある喫茶店、蒸気亭へ行く約束をしていた。

 しかし、彼女を殺してしまうとそれが実現できなくなる。それはいけない。やはりここは予定を……。

「本当ですか……?」

 戸の向こう側から西島の声が聞こえてくる。ドア越しでも弱っているのがわかる。けれど、今は姿が見えない方がありがたい。本当はすぐにでも戸を開けたい。彼女の容態を確認したい。だがそれをやったら覚悟はゆらぎ、勇気は消えて、もう二度と殺すことができない気がした。

「本当だよ。僕は嘘が嫌いなんだ。それなのに、嘘をつくわけがないだろ?」

 返事はない。だが西島の荒い息遣いが聞こえてくる。それを聞いてドアノブに手を伸ばす。

「嘘しか言わない騙り部の言うことを信じたらいけないと言われました」

 彼女の落ち着いた声が聞こえてきた。それでもドアノブにかけた手はそのままだ。

「でも、あなたの言うことなら信じられます」

 悲しいことに、その言葉に嘘はなかった。僕は黙ってその場から離れる。

 一度騙り継ぐと決めたからには、最期まで騙るのが彼女への礼儀だ。たとえ嘘や冗談が下手で失格だという自覚があっても、

 彼女にとって僕は――たった一人の騙り部だから。

「今度こそ起こすよ、奇跡」

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