取材

「どうして……」

 どうして西島ふじみがどんな傷も受けつけない不死身だと知っている。

 僕はそう聞きたがったが、それをここで聞くのはまずいと判断した。西島の方を横目で見ると、心ここにあらずといった印象を受ける。どこを見てなにを考えているのか全くわからない。

「すみませんすみません。質問は受けつけてないんですよ。私が質問するのでそれに答えてくれるだけでいいです。それでは不死身の化物。あなたのことを教えてください」

 小須戸は腰の低い態度はそのままに、西島のことを『化物』呼ばわりする。

 こいつは彼女のことを人間と思っていない。人間として接していない。

 珍しい取材対象。言葉通り『化物』としか思っていないのだ。初めて会った時と先ほどと今との態度のあまりの変わりように恐怖さえ覚える。

「聞こえていますか? なんでもいいんですよ? 知ってることすべて話してください」

 小須戸はなにも答えようとしないので催促する。

 それでも西島は口を閉ざしたままだ。

 当然だ。話したいことなんてあるわけがない。もし仮にあったとしてもこんな取材では話す気が失せてしまうだろう。僕が取材を受けたとしても同じように全く話さないか、不快な気持ちを隠さずに適当なことを話しているだろう。

「化物はなにを食べるんですか? まさか人間を食べるってことはないですよね? 傷つかないことはわかりましたが、心臓を突き刺してもすぐに治してしまうんですか? どうなんです?」

 それにしても、こいつは本当にライターなのかと疑うほど下手な取材だ。少しの事実が得られたら、あとは大量の嘘で塗り固めてしまうからこんな方法が許されるのか。いや、こんなやり方では怒ってしまう人もいるはずだ。きっとこれは取材対象が人間ではなく化物だと思っているからだろう。人間なら少しは敬意を払うが、化物には必要ないと考えているのだろう。

「はぁ……仕方ありませんね……。古津……。えーと、えーと、古津……」

 面倒くさいという感情が声や顔に表れているが、彼女はそれを一切隠すつもりがないらしい。

「正語です。あなたが担当している作家、古津謙語の息子の古津正語です」

「そうでした、そうでした。すみません、すみません」

 名前を忘れるのは仕方ない。彼女自身も人の名前を覚えられないと言っていたから仕方ない。けれど、こちらになんの興味もなさそうな態度や言動は仕方ないことなのだろうか。本人は謝っているつもりかもしれないが、そんな心のこもっていない謝罪ではこちらの耳には届かない。きっとこいつは自分に利益をもたらす人間の名前しか覚えないのだろう。

「あなたはなにか知りませんか? この化物といっしょに住んでいるのですよね?」

 取材対象が話そうとしないからその関係者に仕方なく聞いているといった話し方だ。この人から見たら僕はただの高校生でいっしょに仕事をする人間ではない。今こうして話を聞いているのは仕事のためではなく、少しの事実を得るためだ。なにか一つでも西島に関することを伝えてしまったら大量の嘘で塗り固めて記事にされてしまうだろう。

「なにも知りません。知っていたとしてもあなたに話すことはありません」

「すみませんすみません。だけど、これも私の仕事なんですよ。わかってください」

 小須戸は自分の都合を押しつけるばかりで、西島の都合というものは一切考えないらしい。そちらがそのような態度をとるならこちらにも考えがある。

「仕事のためなら、取材のためなら……相手を傷つけても許されると思っているんですか? 警察に通報します。いえ、すぐに学園の警備員と教師を呼んできます。それが嫌なら……」

「いえいえ、そんな無駄なことをするくらいなら取材に協力してください。私は確かに化物の指を傷つけましたが、それも一瞬で治ってしまいました。傷つけられた被害者もいないのに警察を呼んでも無駄に終わってしまいますよ? それなら話す方が楽ではありませんか?」

 こちらからの願いは最後まで伝えられず、無駄という一言で片づけられてしまった。それを無視して押し通すこともできたが、それこそ無駄だという事実がわかっているだけにできない。小須戸の態度や言動に思わず舌打ちしてしまいそうになる。だがこちらの怒りが相手に伝わったら余計に弱みに付け込まれそうなので黙っておく。

 校門前から移動したのは失敗だった。思えば小須戸は、僕らが移動した瞬間を見計らったように刃を忍ばせた名刺を渡してきた。きっとこいつも教員や警備員の視線に気づいていたのだ。距離があるとはいえ、彼らの視線が注がれている校門前に留まっていればこんなことにはならなかった。本当に失敗した。だが今さら悔やんでも仕方ない。それなら、と僕はまた口を開く。

「確かに傷痕が治ってしまえば被害にあった証拠にはなりません。しかし、学園の防犯カメラを確認すればあなたが西島さんを刃物で切りつけた犯行が映っているかもしれませんよ?」

 本当に防犯カメラに犯行が映っているかどうかはわからない。けれど、映っている可能性が少しでもあるのならこれは嘘ではない。実際この学園の敷地内には生徒たちが把握できないほどの数の防犯カメラが設置されている。そのおかげか、校舎裏でタバコを吸っていたり他人を暴行していたりした生徒は、すぐに停学もしくは退学処分にあっている。常に監視されているような恐怖や不安も生まれるが、今この時ばかりは感謝の気持ちが生まれた。

「すみませんすみません。そんなことをされたら私も困ってしまいます」

 小須戸はカバンの中をひっかきまわすように何かを探している。中身は紙や本でぐちゃぐちゃで乱雑なのでなにを取り出そうとしているのかわからない。

「それならすぐに取材をやめて帰ってください。そしてもう二度と現れないでください」

 僕は語気を強めて言い放つ。すぐにでも西島を早く家に帰してあげたい。

「いえいえ、それでも帰るわけにはいかないんです。ああ、ありましたありました」

 彼女が取り出したのは小型のビデオカメラだった。本体の上部の赤いランプが点灯している。それはカメラが撮影していることを表している。カバンをよく見ると人の手によって開けられたらしい大きな穴がある。きっとそこからレンズだけを出して今までの様子を撮影していたのだろう。その中には西島の傷が治る様子も収められているはずだ。

「あなたは本当に……雑誌を売るためならなんでもするんですね」

 僕は怒る気にもなれず、嫌味を込めた言葉を独り言のようにもらした。

「すみませんすみません」

 小須戸は気持ちのこもっていない口ばかりの謝罪を返してきた。

 西島の指を傷つけた瞬間から治るまでを捉えた映像。これは大量の嘘で塗り固める必要もない事実だ。本来ならこれ以上取材をする必要もないといっていいだろう。けれど、今もここに残って取材を続けているということは、さらに雑誌を売るためのネタを求めているということか。その仕事への熱意はもっと別の形で見せてほしいとまた嫌味を言いたくなる。

「その映像を破棄すること、今後一切西島さんを取材しないこと、そして記事にもしないこと。そのためにはなにをすればいいですか。教えてください」

 僕は苦々しい気持ちをなんとか抑えて相手の要求を聞く。

「ああ、よかったよかった。話が早くて助かります」

 この瞬間、小須戸は初めて心の底から笑った気がする。だがその笑顔は、汚くて醜いものだ。

「0番街の怪人がいるバーは寂れた歓楽街の一角だからあまり人目につかずに行けます。さつき野めい子さんは不審者だからなにをやっても許されます。その二つは読者が気軽に真偽を確かめられることがウケたと思うんですよ」

 口を開いたらそれ以上に汚くて醜い言葉を吐き出す。そしてそれは本心からの言葉だった。この世には嘘よりも醜いものはないと思っていたが、今この時からその認識を改めよう。

「不死身の化物も気軽に真偽を試せるという点では売れると思うんです。どんなに傷つけても不死身なら問題ないですからね。しかし、高校生はまずいです。ええ、まずいです。以前にも高校生のことを記事にしたんですが、教員や保護者にバレてしまった時はもう大変で……」

 僕はこれ以上こいつの言葉を聞きたくない。西島にもこれ以上聞かせたくない。

「つまりあなたは、不死身の化物以上のネタを出せ、と言いたいのですか?」

 こいつが要求することのおよその検討はついたので先にこちらから提案した。

 すると彼女は、また汚くて醜い笑顔を浮かべて何度も頭を下げた。

「そうですそうです。そうなんです。本当に話が早くて助かります。秋功学園は校則が厳しいみたいですが、マスコミに対してもなかなか厳しいところなんですよ。別の出版社のカメラマンがここの生徒さんの写真を撮って販売したら学園から訴えられたって話もあるんですから。雑誌が売れるためならなんでもしますが、訴えられるのは面倒ですからね。あはは」

 話を聞く限り、それは盗撮にあたるのではないか。それなら訴えられて当然だ。彼女が言っていることは本心らしいが、僕にはこいつの常識の無さの方が怖い。

「必ず雑誌の記事のネタになるものを探して提供します。それまで絶対に西島さんのことを記事にしたりビデオカメラの映像を誰かに見せたりしないでください。いいですね?」

 僕はにらみつけながら何度も念押しして約束させる。

「取材へのご協力ありがとうございます。それではご依頼の件、よろしくお願いします」

 小須戸は腰を低くして何度も頭を下げてから帰っていく。

 初めて見た時の印象と今の印象は全く違う。彼女の本性を知った今となっては、いい人そうとはとても思えない。いや違う。小須戸は本性を隠していたわけではない。あれが彼女にとっての常識で、本人はいたって普通に過ごしているつもりなのだろう。化物のように化けの皮を被っているわけでもなく、詐欺師のように人が良いふりをしているわけでもなく、人でありながら人でなしなのだ。

 小須戸文哉がゴーストライターと呼ばれる理由がよくわかった。幽霊のように突然現れ、いつまでも付きまとってくる。迷惑で不気味で人から怖がられる存在。嫌というほどよくわかった。人は見た目で判断できない、

 父親の言っていたことが僕の頭に重くのしかかった。頭を抱えて髪をかきむしりたくなるが、そんなことをしても良い知恵は出てこない。

「西島さんはどうしたらいいと思う?」

 隣で呆然ぼうぜんと立ちつくしている西島に尋ねてみたが、返事はおろか反応すら見せなかった。

「このままだとあることないことを雑誌で書かれるかもしれないんだよ。それでもいいの?」

 今度は少し脅かすように尋ねてみた。そこでようやくこちらに顔を向けてくれた。そして口を小さく開けて答える。

「私は化物ですから。すでに不死身の化物と恐れられている存在ですから」

 問題ないとか大差ない、そう言いたいのか。だがそれは違う。今は学園内でその名前と存在が一部の人に知られているだけで済んでいる。また、西島が本当に不死身であるとは誰も思っていないだろう。

 しかし、雑誌の読者が真相を確かめるためにこの町へ訪れないとは限らない。0番街の怪人もさつき野めい子さんも、物好きな読者がわざわざ来ているのだから。そして本当に不死身かどうか確かめるため、西島に石を投げつけたり刃物で傷つけたりする奴が出てきてもおかしくない。いや、絶対に出てくる。そんな彼らもまた、人でなしと言えるだろう。

「もう一度聞くよ。西島さんは本当にそれでいいの? 殺してくれるなら誰でもいいの?」

 僕は真剣な表情で聞く。以前、西島は食卓でこんなことを言っていた。僕が殺してくれないから化物探しを始めた、自分を殺せるなら同じ化物だろう、と。

 あの時は場の空気に飲まれて言えなかったけれど、今なら言える。あれは嘘だ。今でも彼女は騙り部の僕に殺されたいと願っている。これは自惚(うぬぼ)れでも嘘でもなく事実だ。

「雑誌に不死身の化物がこの町にいると書かれたら、もしかしたら誰かが殺しに来てくれるかもしれない。でも西島さんはそれでいいの? どこの誰かもわからない人に殺されていいの?   

 不死身のふじみが……そんな簡単に殺されていいのか? 答えてくれ」

 長い沈黙が流れた後、西島が顔を上げて重い口を開いた。

「それは……嫌です。どこの誰かわからない人に殺されるのは嫌です。あなたでなければダメです。なぜなら私にとって騙り部は……あなただけですから」

 今、笑った……? 

 一瞬微笑んだように見えたけれど、気のせいだろうか。

「騙り部さん?」

 西島が首をかしげながらこちらに問いかけてきた。そこにはいつも通りの顔があった。

「ううん。なんでもない」

 どうやら気のせいだったらしい。それでも顔色は良くなり、目にも少し輝きが戻っている。少しでも元気を取り戻してくれたならよかった。

「それより、その呼び方はやめてって何度も言っているよね。西島さん」

 僕が苦笑しながら言うと、彼女は少し残念そうな顔をしたような。あれ、どうしたのだろう。何度もやっているやりとりのはずなのに。

「……不死身の化物以上のネタを考えようか」

 取材に来たという発言に嘘はなかった。けれど取材対象は学園ではなく西島ふじみだった。そこに気づかなかったのは僕の落ち度だ。父なら、祖父なら、すぐに気づいていただろう。

 人の言葉の裏に隠れているものに気づけたら騙り部として一人前になれるだろうか。0番街で会った化物に『半人前』と言われたことは今でも忘れていない。そして今日のことも決して忘れてはいけない。僕が未熟だったせいで西島に傷を負わせてしまい、彼女の秘密を知られてしまったのだから。

 僕がオカルト雑誌の記事のネタを提供することで、西島ふじみの取材と雑誌の記事に今後一切しないとあいつに約束させた。逆にそれが用意できなければ平気で記事にして、ビデオカメラの映像を公開するだろう。あいつは仕事のためと考えてなんの罪悪感もなくやってしまうだろう。人間の姿で化物のように思考する。ある意味、化物よりたちが悪くて厄介だ。

 しかし、あいつはどうして西島の不死身の力を知っているのだろう。いつ、どこで、誰から聞いたのか。学園の生徒がネットに書いたのか、それとも出版社に連絡でもあったのか。そのどちらも違う気がした。そもそも生徒たちは西島のことをまるでわかっていないのだから。

「そういえば、傷はもう大丈夫?」

 西島の体についた傷はすぐに治ってしまう。そのことは十分理解している。それでもつい、心配になって聞く。

「はい。大丈夫です」

 思えば指を刃物で切られたことも僕の責任だ。あの時確かに違和感を覚えた。けれど、名刺を渡すという行為の裏にある真実と刃物を見抜けなかった。気づけなかったから傷つけられた。クソ。最悪だ。どんどん気分が落ち込んでいく。

「秋功学園七不思議の一つ、幸福のもみじはどうでしょうか」

 西島の提案が思考の闇に沈んでいく僕を救い出してくれた。

「【幸福のもみじ】か。確かにいいかもしれない。そういえば知っている? あのもみじの木の下で結ばれた初めてのカップルはうちの両親なんだよ」

「え!?」

 今度は見逃さなかった。西島がとても驚いた表情を見せてくれたところを。化物を自称して殺されたいと言っているが、やはり感情は死んでいない。それを見てホッとする。だがこちらの表情を見て気づいたのか、すぐにまたいつもの硬い表情に戻ってしまった。しかし今となっては見慣れているし、愛嬌(あいきょう)があってかわいらしい。そう思うのは……。

「惚れた弱みかな……」

「お義父さんとお義母さんのことですか?」

 西島がきょとんとした顔を見せながら聞いてくる。まずい。言葉に出してしまっていた。

「え……ああ、うん。そうだよ」

 彼女は首をかしげたままだったが、そういうことにしておいた。

「ただ、あいつは幸福のもみじのことをもう知っているかもしれない」

 あいつは0番街の怪人さつき野めい子さんなど、秋葉市内で取材したものを記事にしている。それらは少しの事実に大量の嘘で作られたものだが、どこかで知っていてもおかしくない。幸福のもみじは、秋功学園と縁もゆかりもない人にさえ知れ渡っているから。

「あそこは有名な告白スポットですものね。特に秋になると、他校の生徒さんも来ますし」

「ドラマや映画の告白シーンとして使われたこともあるらしいからね」

 それからお互いに相談してその案はやめることにした。それからまた別の案を考え始める。だが、いくら考えても案は浮かばない。また一人で思考の闇に沈んでいきそうだった。

「昔から秋葉市を治めてきた権力者、秋葉一族の秘密っていうのはどうかな?」

「なにか知っているのですか?」

「同じ学年の生徒に秋葉家の奴がいたはず。そいつから何か聞き出そうかと思って」

「それだと私の代わりにその人が辛い目にあってしまうかもしれません」

「ごめん。今のなし。できれば聞かなかったことにしてください」

 僕が深く頭を下げてお願いすると、小さな笑い声が聞こえた気がした。

「私は騙り部さんの、そんな優しいところが好きです」

 西島が言ったことに嘘はなかった。だから恥ずかしくて頭があげられない。

「騙り部さん? どうかしましたか?」

 どうかしたのか聞きたいのはこちらの方だ。今、自分が何を言ったのかわかっていないのか。それからその名前で……。そこでハッと気がついて頭を上げた。

「そうだよ。騙り部だ」

 僕はそうつぶやくと、すぐに西島の手をつかんで走り出した。

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