0の扉

 すぐに手を離して腕時計を見る。

「もうすぐ……」

 0時だ。

 そう言おうとした時、通りを歩く警察官の姿を目の端でとらえた。男と女の二人組。しかも僕たちが隠れている裏路地に向かってきている。ここにいるのを見られたらまずい。しかし、今のタイミングで通りに出たら絶対に見つかってしまう。それはもっとまずい。

「あの、大丈夫でしょうか」

 僕の動揺が西島にも伝わったのか、心配して声をかけてきた。

「大丈夫だよ。心配ない」

 嘘をついてしまった。正直大丈夫ではないと思うが、それなら嘘を本当にすればいい。

「もう少し奥に移動しよう。そうすれば警察に見つからないはずだ」

 西島といっしょに立ち上がる。そして明るい通りに背を向けて、暗い路地の奥へ進んでいく。時折、後ろを振り返ると警察官の男女二人組がこちらへ向かっているのが見えた。ゆっくりと、けれど着実に近づいている。大丈夫と心の中で自分に言い聞かせながらまた前を向いて歩く。

「あの、もうこれ以上は……」

 先に気づいたのは西島だった。彼女は立ち止まって前を指さす。

 その先にはなにもない。曲がることもできないし、超えることもできない。もう数歩進んだら壁にぶつかって行き止まりだ。

 しかし僕の目と鼻が教えてくれる。嘘の発生原因がその壁の先にあることを。おそらくそこがこの街の中で最も嘘の要素が濃くて強い場所だ。もしかしたら……。

「西島さん。僕のことを信じる?」

 彼女の横に立って問いかける。背後から客引きの呼び声や怒鳴り声が聞こえてきた。

「はい。騙り部さんの言葉なら信じます」

 西島は少しも迷うことなくハッキリと告げる。その声には真実しか含まれていなかった。

 どちらからともなく手を差し出してつなぎ、決して離れないように強く握り合う。ほのかな温もりが感じられて冷たい風や寒さは気にならない。そしてゆっくり前に向かって歩き出した。

「もうすぐ0時です。あと……十秒です」

 その声を聞くと同時に頭の中で時計が浮かんだ。そして秒針が少しずつ動いていく。頭の中で一秒ごとに時が流れるのを感じる。それから長い針と短い針が0の部分で重なり合った。

 その瞬間、僕らの目の前に数字の0が浮かび上がり、全身が嘘に包まれた。

「0の扉です!」

 西島が言うが早いか、僕が動くが早いか、次の瞬間には扉の取っ手をつかんで開けていた。扉の中に僕と彼女の体が全て入ったことを確認してすぐに閉める。しばらく戸から手を離さずに様子を見ていたが、消える気配はない。一抹の不安を抱えながら思いきって手を離してみると、扉はそこにあり続けた。

 よかった。0時0分0秒を過ぎても消えることはないらしい。

「西島さん大丈夫?」

 扉にばかり気を取られていて忘れていた。隣に座り込む彼女を心配する。思いきり手を引っ張って入ったからどこかぶつけていないか心配だ。

「私は大丈夫です。それよりも手が……」

「あ、ごめん。もう離しても問題ないよね」

 力強く握り合っていた手を別れさせた。すると彼女は、そうではない、と言いたげな視線を僕の左手に向ける。同じように視線を向けると爪が割れて血が流れていた。

「うわっ!」

 あまりの痛々しさに驚いた。幸い床や扉に血は付いていない。すぐに0の扉を開けて中に入らなければいけないという気持ちが先行するあまり、力加減を忘れてしまっていたようだ。そういえば思い切りドアノブに爪を当ててしまった気がする。

「大丈夫ですか? 見せてください」

 西島は心配そうな声でこちらに聞いてくる。さらに心配そうな顔を左手に近づけてくる。

「これくらいの傷なら大丈夫だよ。つばでもつけておけば……」

 今度は僕が言うが早いか、西島が動くが早いか、気づけば彼女が血の流れる爪をなめていた。鈍い痛みが指に走る。だが、それよりも恥ずかしいという感情で胸がいっぱいになる。

「ちょ、西島さん⁉」

 すぐに指を引き抜こうとすると、彼女の両手で押さえられてさらに口の奥でなめられた。

「ほほほほほへふははい」

 ダメだ。なにを言っているのかわからない。多分、離さないでください、と言いたいのだろう。恥ずかしすぎて死んでしまいそうだ。僕は真っ赤になった顔を見せないため、空いている右手で隠す。時折、聞こえてくる指をなめる音がさらに顔を熱くさせた。

「ん……。これでもう大丈夫です。しばらくハンカチで包んでおきましょうね。子どもの頃から使っている古いものですみません。でも、ちゃんと洗っているから汚くないです」

 なにが大丈夫なのかわからない。最初からハンカチだけ貸してくれれば良かったのではないか。

「ありがとう……。ちゃんと洗って返すから」

 それでも感謝の言葉を述べようと思い、右手で顔を隠したまま伝えた。彼女がどんな反応を見せたのかわからなかった。なんとなく、いつもより満足気な顔を浮かべていそうだ。

「ここが0の扉の中ですか」

 そうだ。0の扉を見つけて入ることができた驚きと喜びのあまり、中の様子をしっかり確認していなかった。僕は顔に当てていた右手を離し、最初に左手に目をやる。少し色あせた青いハンカチがしっかりと巻かれていた。それを見てまた顔が熱くなるのを感じた。

「誰もいませんね」

 西島の言葉を聞いて周囲を警戒しながら見るとたしかにその通り。ここには誰もいない。0の扉を開けて進んだ先にいるという0番街の怪人の姿がない。テレビゲームで遊んでいる時、ボスや宝箱、なにかあると信じて進んだ先になにもなかったような感覚になる。なんというか、拍子抜けした。いや、そもそも0番街の怪人なんて嘘みたいな存在いなくて当然か。

「ここはバー……なのかな?」

 正面には細長いバーカウンターとイスがあり、その奥の壁にはたくさんの種類の酒が並べられている。見たこと聞いたことがあるような名前の酒もある。ゆっくりとバーカウンターに近づいて中を覗き込もうとしたら背後で大きな声があがる。

「見てください!」

 振り返ると西島が興奮気味に扉を指さしている。いつの間にか眠気はなくなったらしい。近づいて見ると木製の扉の上部が0の形でくり抜かれ、そこに透明なガラスがはめこまれていた。ガラスから外をのぞくと、その先に人がたくさん歩く0番街の通りが見えた。

「なるほど。店内に明かりがつくと0の部分から外に光がもれるようになっていたんだね」

「残念です……」

 その言葉通りの表情を浮かべる西島。

「でも、凝ったデザインで綺麗じゃない? それにお店全体がおしゃれな雰囲気だよ」

 苦笑いを浮かべながら慰めにもならないことを言う僕。

「それはそうですけど」

「それに、まだ0番街の怪人がいないと決まったわけじゃないよね?」

 その言葉を聞いた西島の顔がパッと明るくなった。やはり彼女は0番街の怪人を本気で信じているらしい。慰めにもならないと思って言ったのに意外にも効果があった。

「そうです。そうですよね。おっしゃる通りです。きっとおしゃれなバーだと見せかけているだけです。ここは0番街の怪人が作り出した世界なのです。そうやって油断させてお酒を飲ませて酔ったお客さんをさらってしまうのです。そうに決まっています」

 それはつまり僕も西島も0番街の怪人に捕まっているということになる。いやいや、それはダメだろう。そうでなくても未成年の僕らがバーに入ったら店側に迷惑になる。幸い今この店の従業員はいない。戻ってくる前にすぐここを出よう。

「おしゃれなバーか。そう言ってもらえるのはうれしいねぇ」

 突然の声に心臓が止まるかと思った。僕も西島もすぐに振り返る。

「ごめんごめん。驚かせちゃったねぇ。こんばんは、若いカップルさん」

 その人は僕らの目の前に突然現れた。

 店内は狭く、どこにも人が隠れるような場所はない。出入りする場所も僕たちが入ってきた0の扉くらいしかなかったはず。しかし、どこからともなく音もなく急に姿を現したのだ。

「こ、こんばんは。勝手に入ってすみません」

 平静を装って答えるが、緊張のあまり声がうわずった。

「こんばんは。おじゃましています」

 僕よりも西島の方がよほど冷静だ。彼女に危険が及ばないようにするために来たのに、これではどちらが守られているのかわからない。

「店を留守にしてしまっていてごめんねぇ。氷を買いに行っていたんだよ」

 その人は申し訳なさそうな笑みを浮かべて言った。

 嘘だ。その人の手には氷なんてない。バーカウンターの下に冷凍庫があり、そこに入れたのかもしれない。

 しかし、それならどこから入ってきた。改めて店内を見まわしてみても出入りできるところは0の扉しかない。こんな誰にでもすぐわかる嘘をつくなんて……おかしい。

「そうだったのですか。あの、このお店について色々と聞かせていただけませんか?」

 西島は嘘に気づいていない? 

 そもそも違和感すら覚えていない? 

 それどころか信じてしまっている?

 ますますおかしい。この場にいてはいけない。この人と話してはいけない。今すぐ逃げなければいけない。本能がそう訴える。

「すみません。僕たち未成年なんです。ご迷惑になるからすぐに帰ります」

 すぐに店を出ようとするが、また一瞬で僕らの目の前に現れた。目にも止まらぬ速さで移動しているのか、一度姿を消してまた現れるかのような動きだ。

「気にしなくていいよ。今日は店の再開記念日だから特別。さあ、お好きな席にどうぞ」

 バーの店主は優しく柔らかな物腰で席へ案内する。僕らは言われるがまま席に座ってしまった。バーカウンターを挟んでその人が前に立つ。だが、頭のてっぺんしか見えていない。それから踏み台に乗ってようやく顔が見えた。それにしてもこの人は……。

「あの、いきなりこんなこと聞くのは失礼だと思いますが、年齢はおいくつですか?」

 西島が聞き辛そうに口を開く。ちょうど僕も同じことを質問しようと思っていた。

「大丈夫だよ。こんな見た目でもあんた達より年上だし、ちゃんと成人しているからねぇ」

 こんな見た目というのはその人が少女のような姿をしているからだ。いや、幼女と言い換えても違和感がない容姿をしている。世間の汚れを知らなそうなほど澄んだ目、ふにふにと柔らかそうな肌、さらさらとした髪、透き通るほど白い歯が印象的だ。

 その姿を見た時、突然現れて声をかけられたこと以上に驚いた。この人がここで働く姿が想像できない。風景と容姿があまりにも不釣り合いすぎる。公園や遊園地で遊んでいる姿の方がまだしっくりくる。その手の人には天使に見えるかもしれない。しかし僕には、得体えたいの知れない不気味な存在にしか見えない。西島は気づいていないのか。

「ここは、あなたが経営するバーですよね?」

「そうだよ。それ以外のなにに見えるっていうんだい?」

 化物の住処すみか、と言いかけてやめた。それは嘘にも冗談にもならないから。

 ここがどんな場所であれ、気を抜けないことには変わりない。それにしても、先ほど逃げる機会を失ってしまったのは痛い。だが、あそこで無視して出て行ったらそれはそれで痛い目を見ていた可能性がある。ある意味、店主の言うことに大人しく従ったのは正解かもしれない。

「おっと、お客さんに何も出さないのは失礼だねぇ。何が飲みたい? なんでもあるよ」

「ありがとうございます。でも、僕たち未成年ですから」

「安心しなよ。アルコールや変なものを飲ませるつもりはないから」

「いえ、お話を聞かせてもらうだけでありがたいです」

 この人と話をしているだけで胸がざわつく。言葉も態度も容姿も空気も全てが偽りのようだ。鼻が曲がりそうなほど嘘くさい。この店に入ってからずっと嫌な気分になっている。まるで店に騙されているようだ。いや違う。今日は0番街に足を踏み入れた時からおかしかった。昨日までは酒とゲロと香水が入り混じったようなひどい臭いがただよっていた。だが今日はそれ以上にひどい。街から嘘の臭いがするなんておかしいと思っていた。その臭いの発生原因はきっとこの店やこの人に関係があるはずだ。

「さっきから顔色が悪いけれど、大丈夫かい? 水でも飲んだ方がいいんじゃないか?」

 天使のような優しい笑みを浮かべているが、悪魔のように不気味な気配を放っている。

「いいえ。お気遣いなく」

 どんどん嘘が濃くなっていくように感じる。目や鼻、肌に至るまで全身で痛いほど伝わってくる。しっかり意識を保っていないと今にも倒れてしまいそうだ。

「このお店のことを聞きたいと言っていたよねぇ。なんでも聞いて。正直に答えるから」

 にっこりと笑って言っているが、すでに嘘をついている。正直に答える気などないだろう。

 今の僕には口を開く体力も気力もない。そのどちらもある西島は大きく口を開いた。

「ここ最近0番街に遊びにきているのですが、ここにお店があることを知りませんでした」

「昨日までずっと閉めていたからねぇ。あんた達が見つけられなかったのも無理ないよ」

 そういえば店主は今日が再開記念日と言っていた。

「おしゃれで落ち着いた雰囲気のお店ですよね。特にあの扉が素敵です」

 彼女はイスに座ったまま振り返ると、0の形、楕円形のガラスがはめこまれた扉を指さす。

「ありがとう。あたしの一番のお気に入りだ。あんた達が酒を飲める年になったらまたおいで。一杯サービスするからさ。まあ、その時まで店を続けられていたらいいんだけどねぇ」

 店主は急に悲しい表情をのぞかせる。見た目は幼女なのに色気のようなものを感じた。けれどそれもまた嘘くさい。

「0番街を訪れる客はどんどん減っているらしいですね」

 気分の悪さをこらえながら僕も話の輪に加わる。

「昔は鉄道会社の男たちがたくさん遊びに来てくれたけど、最近は顔も見せてくれなくなったねぇ。まあ、あたしも年を取ったからねぇ。こんなおばさんとは飲みたくないかー」

 店主は自嘲気味に言ってみせるが、それは嘘にも冗談にもなっていない。

「もしかして、お店を閉めていたのは0番街の怪人と何か関係がありますか?」

 西島が真剣な表情で尋ねる。とうとう本題を切り出した。

「0番街の怪人?」

「0時0分0秒ちょうどに0番街に現れるという怪人です。突然どこからともなく現れて、人間をさらっていってしまうのです。一時期、この街で何人もの人が行方不明になったという話を聞いたことはありませんか? そして怪人が現れる時、必ず扉が現れると聞いています。その扉とはこのお店の扉のことではありませんか? そしてあなたは……」

「0番街の怪人だと……そう言いたいのかな?」

 西島と店主の間に流れる空気が一瞬にして変わった。それが気分の悪さを一気に吹き飛ばしてくれた。このまま二人のやりとりを傍観しているわけにはいかない。

「連れが失礼なことを聞いてしまってすみません。僕たちはそろそろ帰りますから」

 席から立ち上がって西島を連れ出そうとする。しかし彼女はピクリとも動こうとしない。店主も表情一つ変えずに立っている。二人は真剣な目つきで視線を合わせたままだ。

「答えてください。あなたは0番街の怪人ですか?」

「あはは。最近の女子高生は、おもしろいことを聞くんだねぇ」

「私はまじめに聞いています」

「あたしもまじめに答えてるよ」

「それなら」

「あたしはこのバーの店主だよ」

「0番街の怪人ではないのですか?」

「あはは。違うよ。怪人なんているわけがないだろ」

 西島の顔色が次第に曇っていく一方で、店主はどんどん上機嫌になっていく。あれほど失礼なことを聞いたのに笑っている。それも不気味なほど楽しそうに。

「でも、人が行方不明になったこととお店を閉めていた理由が関係ないわけではないよ?」

「え、本当ですか? 詳しく聞かせてください」

 店主の一言のおかげで西島の顔色に一筋の光があてられて晴れ間が見える。

「ああ。その件はよく知っているよ。この街でずっと店をやっているんだからねぇ。それから悲しいことに行方不明者の多くは……ここの常連客だったんだよ」

 店主は昔を思い出すように話す。僕も西島も黙ってそれに耳を傾ける。

「あの頃は毎日のように警察官がこの店にやってきたよ。行方不明になったという人の写真を見せられて、この人を知らないか、この人との関係は、他にいっしょに来ていた人はいないのか、って嫌になるほど質問されたよ。あいつら営業時間なんてお構いなしでやってくるからねぇ。そのせいで楽しくお酒を飲みに来た人たちがどんどん寄りつかなくなったねぇ」

「それって営業妨害ではありませんか?」

 西島が店主を同情するように言う。僕は相変わらず黙っている。

「仕方ないよ。あいつらにとってはそれが仕事だから」

 店主は諦めたような口調で話を続ける。

「警察官が来るようになって周りの店からも苦情がくるようになった。ここは歓楽街だから。綺麗な商売よりも汚い商売をしている奴らの方が多い。そんな奴らにとっては警察なんて来てほしくないに決まっているからねぇ」

「同じ場所で商売をしているなら、助け合うことはできないのですか?」

「あんたは優しくていい子だねぇ。でもここには救いの手を差し伸べる優しい人はいないんだ」

 西島は身を乗り出して話を聞いている。

「そのうちあたしも疲れちゃったんだ。店を開けても来るのは事情聴取に来る警察官や不満を言いに来る商売人ばかり。いつの間にか酒を飲みに来る客は……一人もいなくなっていたよ」

「そうだったのですか……。私、事情も知らないのに……すみませんでした」

 西島はイスに座ったまま頭を深く下げた。同時に、長い黒髪がだらりと下がった。

 それを見た僕は学園のもみじの木の下でのことを思い出した。

「謝らなくていいよ。しばらく休んでいたら警察からの連絡もなくなったし、周りの店からの苦情もなくなった。それで、そろそろお店を再開しようと思って準備を進めていたんだ。そして今日、久しぶりにお店を開いたら本物のお客さんが来てくれたんだ。本当にうれしいよ」

 店主は満面の笑みを浮かべて僕らを見てくる。

「なにも注文していないので本物のお客さんと呼ばれると恐縮してしまいます。だけど、私もうれしいです。こうして再開記念日の最初のお客さんになることができて光栄です」

 西島の表情は硬いままだが、その顔色はとても明るい。0番街の怪人を見つけるために来たけれど、一片の悔いがないほどに晴れやかな表情をしている。

「それにしても、0番街の怪人ねぇ。そんな奴がいたなんて知らなかったよ。あたしの常連客をさらっていったのもそいつなのかな。だとしたらムカツクねぇ。それに、そいつが現れる時に『0の扉』が出てくるって? うちの扉のデザインを勝手にパクるんじゃないよ!」

 店主は怒っているように話しているが、実際はとても楽しそうだ。

 全身に嘘を塗りつけたような人間なら今までも見たことがある。そういった奴の大半は詐欺師で、そうでなくても悪人だと父親から教えられた。

 だがこの人は、そういった奴らとは次元が違う。まるで『嘘』を人間の形に整えて作られたような存在だ。姿を見ているだけで、話を聞いているだけで、どんどん嘘をつかれているようで不快になる。

「そうだ。あんた達の名前を聞いてもいいかな?」

 店主が唐突に尋ねてきた。

 いったい、どういう意図があるのだろう。

「言っただろ。成人してからもう一度来てくれた時、サービスしてあげたいってさ」

 ダメだ。絶対に答えてはいけない。考えるまでもなくすぐに僕の口が開いた。

「すみません。僕たちは失礼します」

 そう告げると、それ以上話をしないために席から立ち上がる。

「私は西島ふじみです」

 まだイスに座っていた西島が自分の名前を告げてしまう。やってしまった。先に名前を答えないように、彼女に声をかけておくべきだった。何をやっているのだ、僕は。

「西島ふじみ。綺麗でとてもいい名前だ」

「そうですか? 綺麗な名前ではないと思いますけど」

「そんなことないよ。いい。実にいいよ。奪ってしまいたくなるほどいいよ」

 その瞬間、店主が顔全体を歪ませるように笑った。

 気持ち悪い。怖い。恐ろしい。おぞましい。そんな言葉では形容できない顔をしている。

西

 店主が不気味な顔のまま名前を呼んだ。

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