第5話 辺土 その三



 レラジェは喰われた。

 このままでは、おれたちも喰われる。


 そう考えて、龍郎はあせった。

 ヘカトンケイルのすばやさは、すでに確認ずみだ。

 わずかに十メートルしか離れていない。

 ヘカトンケイルなら、長い腕を伸ばせば簡単に届く。完全に攻撃圏内だ。今から逃げだせる距離ではない。


 龍郎は青蘭を背後にかばい、退魔の剣を両手でにぎりしめた。

 こうなれば、やるしかない。

 ヘカトンケイルも大地の神の末裔ならば、悪魔と同様の存在だ。悪魔退治の要領でやれるはず。


 緊張しながら、龍郎はヘカトンケイルをにらみつけた。と言っても、ヘカトンケイルには龍郎の目の表情なんて、小さすぎて見えなかっただろう。


 しかし、切りかかるタイミングをはかる龍郎とは裏腹に、ヘカトンケイルの態度は妙に神妙だ。腰をかがめてしゃがみこむと、やけに慎重に腕を伸ばしてくる。襲ってくるようではない。


 その指は龍郎をとびこして、青蘭をつまみあげようとした。

 青蘭が龍郎の腰にしがみついて離れようとしないので、龍郎もいっしょに持ちあげられる。しばし、クレーンゲームでつりあげられるオモチャの気分を味わう。


 最初に捕まったとき、龍郎はなげすてられた。今度も、すてられるだろう。

 だが、とりあえず、顔面の近くへ運ばれれば、大ダメージを与えるチャンスにはなる。


 首ねっこをつかまれる子猫みたいに、抵抗もできずに手の平の上に乗せられた。まるで一寸法師だ。でも、今度はにぎりこまれていないので、どうにか戦える。


 やはり、やるなら目だろうか?

 首が三つもあるから、そのうちの一つの視力を奪っても、失明させられるわけじゃない。それでも痛手にはなる。ひるんだすきに逃げだそう。


 頭のなかで作戦を練りながら、巨人が頭を近づけてくる瞬間を待った。


 ヘカトンケイルは青蘭を背中にかばう龍郎をうとましそうに指でよけようとした。

 その指に龍郎は剣をつきたてる。

 ヘカトンケイルがうめいて指を遠ざける。


 すると、今度はもっとたくさんの腕が八方から押しよせてきた。それぞれに龍郎と青蘭をつかんで引き離そうとするのだが、青蘭が両手でしっかり龍郎の腰をかかえて離せない。今回の青蘭はかなり、がんばった。華奢なくせに、けっこう腕力は強いから、十分以上もその状態で持ちこたえた。


 ふうっと、急に大きな息がヘカトンケイルの口から吐きだされる。くさい呼気が突風のように吹きぬけた。

 ため息をついたのだ。

 ヘカトンケイルはあきらめたようだ。

 そのまま、龍郎と青蘭を手のひらに乗せて歩きだす。


「僕たちをどうするつもりなんだろう?」

「アスモデウスみたいに、飾っとくんだろうな。おれのことはいらないみたいだけど、とりあえず害意はないらしい」

「飾るって言っても、ヘカトンケイルの部屋はくずれたよ」

「そうだな。まずはタルタロスに帰らなくちゃいけないんだけど、こいつ、帰り道を知ってるのかな?」

「どうだろう」


 ヘカトンケイルは牢番だ。もしかしたら知っているのではないかと期待する。このまま、おとなしくつれられていこうと思った。


 あたりはあいかわらず暗いが、ヘカトンケイルの体がぼんやり薄明るいので、さっきより視界がきいた。ヘカトンケイルが明るいのは、全身にあの発光する虫がついているせいだ。崩壊のとき、いっしょに落下してきたやつらがひっついているようだ。


 そのわずかの光で、周囲が見てとれた。

 龍郎がひっこぬいた草のようなものは、人間の首だった。いや、魔物の首かもしれない。頭から髪のかわりに草が生えていて、肌色もグリーンだ。

 それが、あたり一帯にビッシリ絨毯のように敷きつめられているのだ。


「亡者じゃなかったのか」

「亡者だよ。ここに閉じこめられて生まれ変わることのできない魂だ。魔法学的に言うと、マンドラゴラみたいだけど、たぶん、もとは人間や魔物の魂だった」

「なんでこんなところに人間の魂が?」

「地獄の底だから、いろいろ迷いこんでくるんだろうね。アスモデウスの体があったのも、そのせいかも。サルガッソーみたいに流れついたもののたまり場になってるんだ」


 こそこそ話しているところへ、どこかから獣の咆哮が聞こえてきた。何度か聞いた遠吠えだ。

 いったい何がいるというのだろう?


 そればかりではない。

 別の音もする。

 地鳴りのような底ごもるとどろき。


「なんの音だろう?」

「波音みたいだけど」

「うん」


 波というより、奔流だろうか?

 しだいに地面もゆれてくる。

 キイキイと地面の亡者が泣きさわぐ。


 遠くに赤い光が見えた。

 最初は線香の火のように、小さな点にすぎなかった。

 それが見ているうちに刻々と大きくなる。近づいてきているのだ。

 生き物なのだろうかと龍郎は考えた。


 いや、違う。

 線香の火が懐中電灯の光になり、車のヘッドライトになり、やがてサーチライトなみになると、その正体がわかった。


 煌々こうこうと赤いそれは、マグマだ。マグマが波のように押しよせてきている。

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