6月の雨

朝、家を出たら激しい雨が降っていた。

 傘をさしているというのに、通学路の半分も行かない頃に、セーラー服のスカートがすっかり濡れてしまった。それがずっしりと重く憂鬱で、今日はもう学校には行かないことに決めた。


「ただいま」

 昼間、父と母は仕事でいない。いるのは祖父だけだ。和室に入ると、祖父の小さな背中が見える。数年前からすっかりぼけてしまっていて、起きている間は和室の隅しか見ていない。いつもは話かけもしないのだが、今日は言葉が出た。

「…何よ、いつもそんなとこ見て、楽しいわけ?」

 突然、祖父がぐるりと首をこちらに向けた。両親の言葉にも反応なんてしないのに。彼はうれしそうに、にやりと笑った。

「…そうさなぁ、ちょいと飽きた。今日は散歩にでも行くかな」

 予想だにしていないことに、心臓が止まるかと思った。祖父の声なんて、もうずいぶんと久しぶりに聞いたのだ。

 驚いている私を尻目に、祖父は玄関に向かい、傘をとり靴を履くとすたすたと軽快に外に出て行った。私は思わず追いかける。


 たどりついたのは、近くにある市の美術館だった。平日だけあって、閑散としている館内をゆっくりと見てまわる祖父。絵の価値なんてわからない私は少し遅れてついていく。

 ふと、祖父は、1枚の大きな絵の前で立ちどまった。ただただ真っ青な絵の具で塗られただけの絵。どこがいいのか、さっぱりわからない。熱心に見つめる祖父を横目に見た。

「…じいちゃんは、毎日楽しいの?」

「楽しいさ」

「いつも壁しか見ていないのに? あれは演技ってこと?」

「…こいつは、いい絵だ」と言って、祖父は目を細めた。

 そうしてそのまま私の疑問には答えなかった。


 窓からしとしとと雨降る中庭が見える。6月の緑きらめく庭。その絵なんかよりこっちの方が、余程きれいだと私は思ったが口にはしなかった。

 スカートの裾は、空調の冷気でもうすっかり冷え切っていた。

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