第52話 くれてやる

 シオリ達の元を離れて一人で西の大陸に戻る決心をしたタカルハは、月明かりの下を走っていた。窓から気付かれずに抜け出せたはずだが、ずっと自分を見張っていた三人に追い掛けられている様な気がして、自然と足が速くなる。


「船はどこだったか…」

昼とは違う夜の風景に戸惑いながら、乗って来た船を目指す。海岸に出てしばらく進んだが、船を通り過ぎているのではと不安になり、足が重くなる。何度も後ろを振り返りながら、とうとう歩が止まりそうになった時、前方の地面に大きな影が現れると同時に、寒気に襲われた。


「な、何なのだ?」

 驚いて立ち止まったタカルハは、自身が背負っているカバンが光っていることに気が付いた。その光で、自分の影が見えたのだ。


「あぁ、そうか…西の領域に入ったのだな…はは、はははは」

魔法のカバンを抱えると、すーっと光が引いて行く。そっと開いてみると、そこには、ぎっしりと物が詰まっていた。手を入れれば、何が入っているのかが解る。出したい物に手が届く。


「魔法が戻った!」

それならば、ここが東と西の境界線だということだ。海沿いに進めば、間違いなく船がある。魔法のカバンを背負い直し、再び走り出したタカルハだったが……どこまで行っても船が見当たらない。予想していた場所を通り過ぎて、きっともうちょっと、もう見えるはずと進むうちに、見慣れない河口に行く手を阻まれてしまった。


「こんな所は通っていないのだ…きっともう船が、無いのだ」

船を当てにしていたタカルハは、がっくりと地面に膝を落とした。ぐずぐずしていたら、東の連中に見つかってしまうかもしれない。


「……とにかく、船が必要なのだ。西に行く船に乗せてもらえばいい。それには、えっと、そう、お金が必要なのだ」

魔法のカバンを降ろして、もどかし気に腕を突っ込む。


 お金の入った袋を取ろうと手を動かしたのだが……何やら柔らかい感触に行きあたり、好奇心からそれを掴んで引っ張り出した。


ポンヨンッ


スライムが現れた。


「な、何なのだ! なぜカバンにスライムがっ」

驚いて体を引いたタカルハの前で、タカルハのペット(枕)のマクランが、ポヨポヨと辺りを伺うような動作を見せる。言葉を失うタカルハに気付いたマクランは、主人を見上げて、無い首を傾げているようだった。


ポンヨン、ポンヨン、ポヨッ


タカルハは、何やら忙しく体を震わせるスライムをしばらく眺めていたが、悪意の無い様子におずおずと口を開いた。


「お前、もしかして…俺が飼っているのか? お友達のスライムなのか?」

ポンヨンと潰れるスライム。その姿を見て、タカルハの顔が和らいだ。

「ははっ、返事をしたのか。可愛いのだ」

手を伸ばして突っつくと、ポヨポヨと嬉しそうに揺れたように見える。


「あぁ、和んでいる場合では無いのだ! 俺は帰るのだ! きっとお前も連れ帰ってやるのだぞっ!」

タカルハは意気揚々とマクランを抱えて立ち上がったが、その手からマクランが地面へ飛び降りてしまう。慌てて手を伸ばしたが、マクランはそれを避けてポヨポヨと数歩離れた。


「何だ…帰りたくないのか? どうしたのだ?」

その場で数回跳びはねたマクランは、再び少し歩を進めてから止まり、その場で数回跳びはねる。

「…お前、俺に着いて来いと言っているのか?」

激しく変形したマクランの姿に、頷いていると予想出来るものの、スライムに何が出来るのか不安なところだ。今の状況を理解しているとも思えない。


 困り顔でマクランを見つめるタカルハ。マクランは大急ぎでタカルハの足元に戻り、ポヨポヨ体を擦りつけた後、再び同じ方向へ進み、必死で跳びはねる。

「解った、解ったのだ。どうせ当てなど無いのだ…お前についていってみるのだぞ」



 マクランに導かれて、河口から川沿いをさかのぼり始めるタカルハ。

「はははっ、何だか楽しいのだ。スライムでも、いてくれると嬉しいのだぞ。お前の事は思い出せんが、きっと俺と仲良しなのだな」


 海とは逆に導かれながらも、本当のお友達らしき連れが出来たタカルハの表情は明るい。海から遠ざかるのは不安ではあったが、マクランと離れる気にはなれなかった。


 やがて、ポヨポヨという心地良い音を聞きながら進むタカルハの目に、見慣れた物が飛び込んで来た。

「あれは……船だ、船なのだ!」

川岸に、見慣れた船が繋いである。駆け寄って目を凝らすと、確かにタカルハ達が乗って来た船に違いない。

「ははは、すごいスライムなのだっ! 船を見つけてくれたっ!」


ポンヨンッ


船に跳び乗ったマクランを見て、タカルハは船を繋いでいるロープに手を掛けた。さっさと解いて、自分も船に跳び乗って…海に出てしまえば、シオリ達も追ってはこれないだろう。


「おい!」

背後から声がして、タカルハは動きを止めた。恐る恐る振り返る。大きな人影……だが、シオリ達では無い。

 ほっと息を吐き出したタカルハだったが、仁王立ちした謎の人物の姿に、表情を強張らせた。


 がっしりとした体形の大女…腕組みをして、眉間に皺を寄せたその顔は、お婆さんだ。

「あんた、その船を盗む気かい?」

見るからにパワフルそうなお婆さんは、低い声を出してタカルハを睨みつけている。


タカルハは、取りあえず土下座した。


「違うのだ、ごめん、なのだぞ。これは俺が乗って来た船で……帰りたいから、また借りたいのだ。タカルハなのだ。返すのだ」

慌ててまくし立てると、パワフルお婆さんが歩み寄って来る。

「タカルハ…あんた、タカルハかい」

意外な言葉に、タカルハは驚いて顔を上げた。近くでパワフルお婆さんの顔を見ても、当然心当たりは無いのだが、相手は自分を知っているような口ぶりだった。


「お婆さんは、俺のことを知っているのか? 俺は記憶が無くて、何も解らないのだ…知り合いだったらごめん、なのだぞ」

「そうかい、やっぱり記憶が無いのかい。私はあんたの知り合いじゃないけど、西の友達からお手紙が来たんだ。タカルハという友達が攫われたから、力を貸してくれってね」

「さら、われた…友達…?」

困惑するタカルハを見て、お婆さんは気の毒そうに目を細め、タカルハの前にどっかりと腰を下ろした。


「記憶が無いんじゃ、何も解らないだろう。私は、この船の持ち主の友達でね、東の連中に貸した船をネーブル島で回収するように頼まれてたんだ。それが、その連中がタカルハという友人の記憶を奪って連れ去ってしまったから力を貸せと連絡が来て、今日船を見つけたもんだから、これから探りに出ようと思ってたところだ」

お婆さんの話に、タカルハの表情が険しくなる。


 自分を騙したシオリ達に、怒りが湧いて来る。記憶を奪って攫った挙句、恋人だなどと嘘を吐いて……騙して…こんな海の真ん中まで。騙されて…ついて来てしまった自分も情けない。くやしくて、目の端に涙が溜まる。


「泣くことは無いさ。あんたへの伝言があるんだ。『タカルハ、俺達は絶対にお前の事を諦めねぇ。メソメソすんじゃねぇぞ。必ず見つけてやる』だ、そうだ」

お婆さんの言葉に、タカルハの目から涙が零れ落ちた。


 しばらく座り込んで肩を震わせていたタカルハだったが、おもむろに袖口で涙を拭うと、勢いよく立ち上がった。

「メソメソしないのだ! やっぱり西には、俺の居場所があるのだな! 俺は、仲間の迎えなど待たないのだぞ。俺が自分で戻って、驚かせてやるのだ! ふふふ」

「いいじゃないか。よしっ、あたしが西の大陸まで連れていってやるよ! さぁ、船に乗りな」

お婆さんにバシッと背中を叩かれて、咳き込むタカルハ。それでも笑顔を浮かべて、マクランが待つ船へと一歩踏み出した。


「……そう都合よくは行かないようだ」

お婆さんの物騒な声音にタカルハが振り返ると、そこにはシオリと双子、その他に三人程知らない者が立っていた。

 恐れていた追っ手の出現に、体を強張らせるタカルハ。しかも三人は、助っ人まで引き連れて来たようだ。


「タカルハ様…どうなさったのです? そこの老女に、何かおかしなことでも吹き込まれたのですか?」

優し気な声を出すシオリの張り付いたような笑顔に、タカルハは体を震わせた。

「さぁ、帰りましょう。よく見て下さい。その老女は、タカルハ様とは人種が違うではないですか。あなたの肌の色は、私達と同じです。何を言われたとしても、本当の仲間は私達なのですよ?」

子供に言い聞かせるように続けたシオリに、タカルハは口を引き結んで眉間に皺を寄せた。


「下らない事を言うね。仲間の証明が肌の色かい?」

お婆さんが鼻を鳴らすと、シオリは呆れたように溜め息を吐いた。

「何を言っているのか解りませんわ。私達からタカルハ様を引き離そうなんて…良からぬことを企んでいるに違いありません。タカルハ様、騙されてはいけません」

「怖い女だねぇ。タカルハ…その女は、あんたの大切な友達にナイフを突き立てて、あんたを攫って来たんだよ。友達はまだ死んじゃいないらしいが……」

「お止めなさい! 嘘よっ! タカルハ様、聞いてはいけません!」

タカルハの元へ駆け寄ろうとしたシオリが足を止める。


 タカルハは、肩を怒らせてシオリを睨み付けていた。握られた拳が震えて、一目で激怒していることが伺える。穏やかなタカルハから向けられたことの無い厳しい表情に、シオリの体が凍り付く。


「シオリの言葉は信じないのだ……シオリは、何を聞いても答えなかった。魔法のカバンのことも知らなかった。食事も口に合わなかった……いつでも俺を監視していた」

低い声を出したタカルハに、お婆さんが「そうだ、言ってやりな」とやじを飛ばす。それに励まされるように、タカルハは再び口を開いた。


「記憶を失っても、馬鹿になったわけではないのだ。信用出来る人間ぐらい、自分で選べる。このお婆さんが、シオリが俺の友達を刺したというのならば、そうなのだろう」

「それはっ……違います! 理由があるのです、仕方なかったのです。あなたが西の者達に騙されていて、毒されていて…恐ろしい化け物からあたなをお助けしたのですよ! 退治しなければ、あの化け物はどこまでもあなたを追って来る」

叫ぶようにまくし立てるシオリに、タカルハが黙って冷たい視線を向ける。その様子に焦ったシオリは、すがるような表情をして続ける。


「タカルハ様が慕っていた化け物は、西の大陸でも恐れられているのですよ? あれを退治するという条件で、私は記憶を奪う玉を手に入れたのです。あなたをお救いするために、心を鬼にして人を手に掛け、穢されたあなたの記憶を消して差し上げたのです…どうか、解って下さい!」

シオリの目から涙が零れ落ちたが、タカルハの瞳から怒りが消えることは無かった。


「……俺の友達を刺して、俺の記憶を奪うような者など理解出来ないのだ。どんな理由があっても俺はお前を許さん!」

タカルハの怒鳴り声に、シオリの顔から表情が消える。


「仕方ありません。きちんとお話すれば、きっと理解できますわ。ヨサク、ゴサク、タカルハ様をお連れして。お怪我は最小限に」

シオリに言われた双子が動くと、お婆さんがタカルハを庇う様に前に出た。双子の後ろにいた三人も、タカルハの逃げ道を塞ぐように移動する。


 背水の陣のタカルハだが、後ろには船がある。だが、繋いでいる縄に手を掛ければ、すぐにヨサク達が跳びかかってきそうで動けない。


 ジリジリと間を詰める双子に、腰のムチのようなものに手を伸ばすお婆さん。戦うしか無いのだろうが……タカルハには自分がどうやって戦えば良いのかが解らない。魔法が使えるような気がするが、はっきりと思い出せない。


 一触即発の空気の中、それを切り裂く物体が一つ……


 船から飛び出す青い流星。


 マクランがもの凄いスピードで空を切る。

 シオリ、ヨサク、ゴサクにぶち当たり、三人が次々と尻餅をついた。


 マクランが船に戻り、タカルハを急かすように飛び跳ねる。


「行きなっ!」

お婆さんの大声を合図に、タカルハは縄を解いて船に跳び乗った。


「お婆さんも早くっ!」

「私はこいつらの足止めだ。派手に始めれば、すぐに自警団が飛んでくる。心配は無用だ」

「解った、ありがとう、なのだぞ!」

頷いたタカルハが、船の後部でレバーを『進む』に切り替えた。


 ゆっくりと岸を離れる船を見て、シオリが四つん這いで岸にすがる。

「待って! お待ちください! タカルハ様の記憶の玉は、私が持っているのです。このまま帰っても、記憶は戻りませんわよっ! 絶対に後悔します! あなたは東の人間なのですから。私と来れば、生い立ちだって解ります。本当の家族にだって会えるのです!」


シオリに冷たい目を向けて、タカルハは船を加速させて行く。


「それならば、記憶などお前にくれてやる。俺は、怪我をした友達の元に戻る。お前達と揉めている時間も惜しいのだ」


大きな水音と共に、川を走り出す船。叫びながら岸を追いすがるシオリ……。


 お婆さんの豪快な笑い声に背中を押され、タカルハは晴れやかな顔で前方を見据えた。

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