第五節 敗戦処理

 転送座は私を魔界の魔王城から、人間界のアンテ城に送り返した。

 そして私が参謀部にある練兵場の庭に倒れ込むのと同時に、転送座は消滅して城下まで響く空間振動を発生させた。


 人間同盟の参加国が設けた多数の小屋掛けの中から、王太子ピーラリオが走ってくる。



 「兄上、申し訳ありません。侵攻部隊は……」



 「大丈夫か、リシャーリス、それは参謀会議で報告しろ。キア・ピアシントは?」


 何と答えれば良いのだろう。キアへのピーラリオの言及には私的な感情が交じる事がある。兄上が彼女の事を、勇者としてそして政治的な婚約者候補として以上に考えているのは確かだった。



 「キアは健在でしたが……魔王との決着は……」


 「無事なのか」


 「……無事です」焦燥したピーラリオの顔に光が差した。



 「そうか……リシャーリス怪我をしているのか、すまない。手当ての者をここに」


 「リシャーリス殿下、今ここに」


 「い! 痛い!」


 呼ぶまでも無く隣まで来ていた医師が左手の傷を触り、私は思わず叫び声を上げてしまった。

 

 「リシャーリス殿下の鎧には燭水晶の切片が埋め込まれています。それをこの様に斬る剣など」


 治療の場を仕切ったのは、医師では無くミレニアの魔法使いだった。いや医師には違いないのだが。


 「分かってるのでしょう。まがい物では水晶剣に太刀打ち出来ないわ」


 「では、これがまさに黄水晶の剣による傷! 新しい知見です」


 クソ医師は、水晶剣という言葉に目を輝かせる。確かに水晶剣を身に受けて生きている者など、ミレニアの記録にもヘリオトスの記録にも存在しない。

 だがその知的好奇心を本人の前でも遠慮しないのが魔法使いという人種だ。


 「私は魔法使いだけど、戦士よ。傷は治せるの?」


 「私は魔法使いで医師です。分かりません。確かな事は何一つ知らないのです……最善は尽くしますよ」


 クソ医師は私が巻いた包帯を剥ぎ取ると、傷を子細に検分し始めた。


 「霜剣リス・セシーランを籠手で受けたのですか。燭水晶に感謝するべきですな、殿下」


 「まあね、臓物肉には勝てたわ。あとシーランだけどね」


 「水晶剣の傷については、まず縫いましょう。まるで斬られた直後の様な新鮮な傷です」


 医師は水晶剣についてはそれ以上言及せずに、その浅いがひたすら痛くて血が止まらない傷を縫い始める。



◇◇◇



 「魔界侵攻部隊前線総指揮官リシャーリス・トノア(王位継承順位二位)・アン・テアノム・ハプタ・ヘリオトスよりの報告をします。人間同盟参加各国と我が国の戦士、九百九十八名が魔界から帰還出来ませんでした。全滅です」


 参謀会議に列席したハプタ王家と人間同盟の指揮官・参謀達は、沈んだ顔をして私の報告を聞いている。


 魔界侵攻を決定して以来、我々は何度か威力偵察を敢行したが、これ程までの損害を被ったのは初めてだ。


 毎回手ひどい被害を受けたが、半分の人員と多くの転送座基台は帰還出来ていた。


 ミレニアの軍監は人目もはばからず机に突っ伏して泣き始める一方、帝国の将軍達は先ほどから会議室の隅で秘密の話し合いをしている。


 人間同盟と言っても、すべての人間国家を網羅している訳では無い。むしろ聖剣と世界の運命に興味がある極一部の国家首脳の集まりであって、多くの人間はその事を知りもしないのだ。


 「私の脱出時点では魔王は健在で、勇者と魔王は剣を床に落として組み合っていました」


 魔王健在のまま、勇者を置き去りに全滅。

 これは事前に想定された最悪の作戦失敗ケースだ。


 「リシャーリス王女殿下、我々人間は滅ぶのですか?」


 「それは、聖剣の勇者であるキア・ピアシントの選択次第です」


 なおも血が滲む左腕と、キアを見捨てた心の傷がともに脈動を伴う痛みとなって私を苦しめる。


 「我々はなんという事をしてしまったのだ、世界の運命がただ一人の意志によって決まるなどと」

 隣国クピスのヘンリード王子が頭をかかえる。クピスはヘリオトスの保護国で、彼は重要な意志決定に参加した訳では無い。


 「……今からでも遅くありません、キア……勇者を救出する部隊を編成して魔界に送り込みましょう」


 私は絞り出すように声を出す。無茶だとは分かっているけれども、それでも私はキアに、助けに行くと約束したのだ。


 「王女殿下、我々には十分な兵力が残っていません。転送座基台てんそうざきだいも残り四基しかありませんし、先導して単独転送座で転移可能な魔法使いは、殿下を含めても数名しかいないのです」


 「閣下待ってください、無理を押してでもやりましょうよ、世界が滅びるかどうかの瀬戸際なんですよ。ただ…ただ…準備のために最低一日、いや半日必要です」


 「そもそも、なんで勇者に聖剣を背負わせてわざわざ魔王退治なんかに行かせたんだ。魔王に献上するようなものじゃないか」


 「なにをいまさら、勇者がこちらで魔王に説得されたり拉致されたりしたらどうするのですか?」


 監視していた偵察隊の報告では、魔王は聖剣が抜かれる前、何度か人間界に来訪しては城下で遊ぶキアと接触している。

 さらに臓物肉が語った事を信じるならば、キアと魔王の接触は城内でもあった事になる。


 「今まさに魔王は勇者を説得しているでしょうな。勇者が魔界に取り残されるのも、人間界で説得されるのも危惧の深刻さは変わらないという事です」


 「少し……伯爵閣下、勇者が負けたと決まった訳ではありませんぞ」

 アンテ城に残したもう一人の副官カーテルが、釘を刺す。


 私は会議が目の前の危機から目を逸らし、言葉遊びを始めた事に激怒した。

 机に両手を叩きつけると、左腕に激痛が走る。集まる視線に私は訴えかける。


 「いい加減にしなさい。今はキアを救う事だけを考えてください。既に済んだ事を蒸し返してどうするのです」


 アンテ城の会議室は重い雰囲気が立ちこめ、だんだんと発言する参加者は減っていった。

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