第三節 臓物肉

 亜人房棟から石組みの螺旋階段を登ると、監獄塔の一階に達した。

 

 監獄でありながら監視するはずの魔族の獄吏ごくりはおらず、塔の門も開け放たれたままだ。

 大きな机に椅子が数脚置かれており、銅のコップが一つ乗っている。

 武器架に剣数本が刺さっている程度が、かろうじて監獄を思わせる要素だ。


 「昔使っていた人間の捕虜用の監獄なのかな」


 三万年前、人間が聖剣を持ち逃げして以来、見せしめのためか魔王は人間の捕虜を取っていない。


 「それで亜人の房に改造したという訳ね」


 ここに引きずられて来た人間の血痕をたどれば、魔王城の中にまで戻れるだろう。


 「キアは大丈夫かな? キアは確かに最強の勇者だけど、勇者と魔王が戦うのも十万年紀で初めてだから」


 その時、門の外側で魔族が喋っている事に気が付き、柱の後ろに隠れた。

 二名の男性だろうか、魔族の戦士だ。人間の言葉に由来する単語を使うので比較的若い世代に思える。



 「後は陛下と勇者様の一騎打ちを見守るしかない」


 「キア様は優れて強いので陛下が心配だ」


 「でも師長閣下は勇者様がお気に入りなんですよね」


 「まあね。でも陛下は勝利したらご自分のものになさると仰っていた」


 「陛下が? 勇者としての扱いでは無く?」


 「何かお考えがあるのだろう」



 彼らの思いもかけない発言に虚を突かれた。魔族に人気がある勇者なんて聞いた事がない。

 確かにキアは綺麗だし人間としては珍しい黒髪だけれども、それが魔族の好みだとは思わなかった。


 キアは女性なのでもちろん貞操の危険はあるが、負けても魔王が保護下に置くので問題ないと考えていた。

 魔王自身がキアに特別な感情を抱くのなら、その前提条件はもろくも崩れ去る。


 魔王は勝利を得たら、あの手この手でキアを口説くのだろうか? 世界の滅びの件で、そしてその心と身体を求めて。

 私達の不手際もあり、まだ聖剣を抜く前のキアと魔王は何回か会った事がある。二人は初対面では無いのだ。


 ヘリオトスで父王の稚児遊びはかろうじて許容されたが、魔王の戯れは魔界でどう扱われるのであろうか。

 いや、絶対的な王権を持つ魔王が勇者を手籠めにしても魔族は気にしないだろう。


 結婚を計画していた兄ピーラリオとの顔合わせでキアは素っ気なかったが、さすがに同性は無理に決まっている……。


 「兄上の言う通りに、先に結婚させておくべきだったかな」


 いや……それよりも大切な事は、彼らの会話を聞く限り人間の侵攻部隊は全滅している。


 「作戦目標二は完全失敗か、私達の作戦は失敗してキア以外を全滅させてしまった」


 今となってはキアが魔王に勝っても、支援する者が謁見の間に残っていない。

 だがキアがどうなろうとも、勇者を導いて世界を滅びにいざなう魔王がいなくなるので人間の勝ちとなる。誰かが最高神ネイトを呼んで干渉しない限り……。


 一方、魔王は世界の滅びのために勇者が必要なので、たとえ勝利してもキアを殺さない。

 キアが捕虜になれば、魔王は世界の滅びについて真実を教えるはずだ。


 聡明なキアは世界の滅びについて、誰が嘘つきで、誰が正直者か容易に気が付くであろう。

 世界を滅ぼすか否かの判断についてはキアを信じたいけれども、本当の事を知ったら嘘つきな私を軽蔑するだろうか。


 「とりあえず、監獄を抜けなくちゃ。奴らごと扉を吹き飛ばすかな」


 音を立てないように静かに監獄塔内部を移動すると、武器架に手を伸ばし剣を引き抜く。

 木枠を走る鋼の音に、魔族の戦士二人が無駄話をやめさやを鳴らした。その瞬間、衝撃の魔法を行使する。


 『破槌の衝撃波エタリソル・グラム


 魔法を行使した後急いで口を開け目と耳を塞いだが、反射した衝撃波は私をも襲って内臓を震わせた。

 蝶番がはじけて壊れ、扉を失った塔の入り口から真昼の眩しい太陽が差し込む。


 自殺行為だ。控えめに言ってもこの魔法は失敗だ。外は眩しくて見えず、耳鳴りで何も聞こえない。

 二人の魔族の動向がまるで掴めなくなったが、留まっている方が危険なので、剣を構えると外に飛び出した。


 監獄の中庭に出たが、幸い先ほどの二名以外敵はいなかった。

 「はぁ、もう何やってるんだろ、私は」


 監獄には監視塔が六基建っており、その間を高い石壁が繋いでいる。

 私が出てきたのは塔の一つであり、その他の塔の扉は閉まっていた。


 「亜人の絶滅には成功した訳ね」


 塔の地下が一つしか使われていないのならば、稼働していた亜人の房は私が焼いた五つだけだ。


 石壁の一つには大きな門が付いており、脇の通用門が開いたままである。

 魔族の戦士は二人とも無傷であり、彼らは門を塞ぐように剣を構えて私に詰め寄った。


 「人間の女魔法使いだ! 亜人房から脱走したんだ」


 「いやカイン、彼女こそがヘリオトス、ハプタ王が王女リシャーリス殿下にして人間の総指揮官だ」


 「確かに、ミレニアのマント、大きい女性用胸甲、王家の紋章、間違い無い」


 魔族の戦士のうちペイニーズグレイの髪を持つ指揮官は、やはり私の身分までお見通しのようだ。



 ならば全力を持ってあたるしかない。



 『火炎剣フラム・セシーラン ・ 弓弧の蒼色火矢フラム・イー・アナアム・クラン



 私は魔法を同時・二重詠唱する。剣には火炎が渦巻き、セルリアンブルーの鬼火が私の周りを回転する。


 『氷結塵リス・エンタル


 魔族の戦士カインが詠唱した氷の魔法を弓弧の蒼色火矢フラム・イー・アナアム・クランの火球で弾き飛ばすと、火炎剣フラム・セシーランを振りまわして切り込んだ。

 鋼の剣自体は弾かれたが、勢いのまま伸びた火炎がカインの腕を焼く。


 「キアがお気に入りだなんて、自惚れた事言ってんじゃ無いわよ」


 弾かれた火炎剣フラム・セシーランを円を描くように操り横の位置にすると、そのまま薙いでカインの腹を切り裂いた。

 二つに割れた腹から内臓と血があふれだし、炎と混ざって焼けた脂の臭いが立ちこめる。


 魔族の指揮官は後ろから間合いに走り込んでくると、剣を両手に持って突き出した。

 弓弧の蒼色火矢フラム・イー・アナアム・クランで牽制すると、腹を割いたカインを足蹴にして盾にする。


 「キア様の事は陛下がお決めになる。それでも彼女の事を美しいと思うのは自由でしょう。それもわがままですか? リシャーリス殿下」


 間合いが広がったのをいい事に、魔族の指揮官は私を挑発しながら剣を短槍に変形させた。魔族の変型剣シーランの使い手のようだ。


 「うるさいわね、そんなに焼き肉になりたいのかしら? この臓物肉ぞうもつにくが」


 魔族の男がキアの容姿を褒める事に逆上し、口が汚くなった。


 シーランは魔族の戦士でも、一部の者しか佩用はいようしていない高価な武器だ。

 使い手は技術に優れている上、人間は短い槍の間合いには慣れていないので一方的にやられてしまう。



 『霜槍リス・シーラン ・ 旋輪の結晶リス・イー・テアノム・クラン



 臓物肉ぞうもつにくは、私と同等の操作魔法を易々と同時・二重詠唱してみせた。シーランの刀身と、彼の周りを飛ぶ白い結晶からは光る雪が舞っている。

 ペイニーズグレイの髪にローシェンナの肌、トルキーズの瞳と無駄にイケメンなのも非常にむかつく。


 「一応、名前は聞いておこうかしら臓物肉ぞうもつにく


 「近衛第一師長 ハイム・第三卿トワ・トカルと申します、王女殿下」

 なるほど、私が亜人に食べられていなければ使者にするつもりで魔王は側近を寄越したのだ。


 ハイムが霜槍リス・シーランを突き出してくるのを、すんでのところで避けて火炎剣フラム・セシーランでいなす。

 火炎剣フラム・セシーラン霜槍リス・シーラン、相剋する二つ力が衝突して、熱い水蒸気が辺りを満たした。


 相反する力をこめた二つの得物は、互いに打ち合うほどにその力が減衰する。

 ハイムを一撃で倒すためには、少ない競り合いで相手に火炎剣フラム・セシーランを突き立てねばならない。


 「私はここで死ぬ訳にはいかないのよ、ハイム。悪いけどあなたを倒すわ」


 弓弧の蒼色火矢フラム・イー・アナアム・クランを加速して右側から霜槍リス・シーランにぶつけると、弾かれたシーランの間をかいくぐり水蒸気の中を突き進む。


 「王女殿下には投降していただければ、それで済むのですがね」


 ハイムは弾かれた霜槍リス・シーランを短めに持ち直すと、横に回転させて私を薙ごうとする。

 再び弓弧の蒼色火矢フラム・イー・アナアム・クランで弾こうとしたが旋輪の結晶リス・イー・テアノム・クランがそれを阻止し、鬼火は爆発して消滅した。


 辺りは水蒸気でほとんど見えなくなったが、火炎剣フラム・セシーランを身体の左側に構えて霜槍リス・シーランの斬撃を防ぐ。

 私の剣は勢いの付いたシーランに大きく弾かれて、挽回するのが難しい危険な隙を作った。

 ハイムは機を逃さず大きく踏み込むと、私の腹を狙って霜槍リス・シーランを突き出す。


 「死ねないと言ってるでしょうが」


 私は左腕を犠牲に霜槍リス・シーランを籠手で受けると、二歩踏み込んで上段から火炎剣フラム・セシーランを振り下ろした。

 火炎剣フラム・セシーランは彼の肩口に食い込んだが、炎の力は尽きてしまいハイムを一撃で倒す事はかなわなかった。


 ハイムは霜槍リス・シーランを取り落として膝から崩れ落ちる。旋輪の結晶リス・イー・テアノム・クランは空中で割れて大量の白い粒を振りまいた。


 「お見事です王女殿下、私は夢の中でキア様へのかなわぬ思いに浸りましょう」


 「この期に及んで、まだ戯言たわごとを」


 「ハプタ王への使者になっていただきたく、お迎えに上がったのですが、後は自力でなさるといい」


 「そうするわ、ハイム」


 「殿下、出来れば介錯を」


 「ええ。でも最後に聞いていい……キアとどこで会ったの?」


 「彼女が聖剣を抜く前ですが、陛下と共にアンテ城の中で会いました」


 アンテ城の警備はざるもいい所で、魔王から第三卿トワまで出入りしたい放題だったのだ。


 『葬送の火炎フラム・クラン


 私はハイムを介錯し二人の遺体を炎で包み込むと、魔王城を探して辺りを見渡す。

 ここは監獄内部の庭の様で、大扉を越えて断崖を登った先に城の建物が見える。

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