第四節 月の夜

 あの後僕は魔族の戦士に手伝って貰って、過度に装飾的だが意味の無い勇者の鎧を脱いだ。

 魔王もそうだったが長時間の一騎打ちの結果、疲労と負傷により自力では立てなかったのだ。


 その後魔王城の使用人達によって客間に運ばれ、浅いがひたすら数の多い切り傷に包帯を当てられた。


 聖剣、黄水晶の剣、紫水晶の剣、総称すると水晶剣とよばれる神授の剣は、剣の形をしているが全く別の存在だ。

 水晶剣は長く両手持ちで、透明で、硬いのではなく不可侵で、軽いのではなく重さが無く、斬るのではなく切れるのであり、切れてはいけないもの、例えば魔王も切れてしまう。


 実際にはつかに使われる金具の重さはあるが、それら水晶剣の特別な性質のために、特殊な剣裁きが必要とされる。

 僕と魔王の一騎打ちは、互いに剣で受けるかきわで避けるしか無く、それが無数の傷の原因になった。

 

 包帯まみれで塩の入ったレモン水を沢山飲むと、寝間着一枚でベッドに倒れ込んだ。



 ◇◇◇



 魔王城の客間で起き上がった時、窓から入る赤い月の光で僕の寝間着はローズマダーに染まっていた。

 世界の滅びを確定させる決意をしてから半日が経ち、深夜になっている。


 「包帯フェチはよろこぶだろうか」


 起き上がると包帯で動きにくかったが、痛みはそれほどでも無く血は止まっていた。


 すべて一撃で殺しているので知る者はいないだろうけれども、僕と魔王以外が水晶剣で斬られると傷の深さに関わらず命を落とす。

 三百億年後に生きる魔法使いマホガニ師に特に求められたので、聖剣で浅く傷を付けたが、彼はそれを緑柱石に入ったヒビと表現した。


 表出する傷が浅くとも存在の全きを毀損されており、故に苦痛であり、故に致命的なのだと。

 魔王はもちろん勇者である僕も神から祝福されていて、水晶剣の本来の作用から(完全では無いが)守られているのだ。


 僕が運び込まれた客間は館の最上階で、三方の窓から魔界の夜空が見渡せる。


 「そうだ、僕は人間界を破滅させる選択をした」


 平面に磨かれた窓のガラス越しに赤と緑の月に手を伸ばすと、見かけの大きさを比べた。

 赤い月が魔界、緑の月が人間界を示し、緑の月は赤い月に比べて直径が三倍はある。

 僕がやろうとしている事は、直接的には二つの月の状態を変える事だ。


 「セラシャリス、僕の動機は極めて不純だけど、これでいいのかい?」


 セラシャリスはリシャーリスの妹であり、ハプタ王が第五王女、真実の語り部だ。

 僕は彼女が正しい事を知っていたけれども、その目的を果たす事については最後まで決断出来なかった。


 物音を聞きつけ、包帯を巻いてくれた使用人が部屋の中に遠慮無く入ってくる。


 「お目覚めですか、勇者様。陛下が書院にてお待ちです」


 「おはよう……今晩はか、すぐに着替えるよ」


 血の染みた寝間着を脱ぐと、使用人が丹念に体を拭き包帯を巻き直してくれた。

 髪を拭いて貰っている間に、用意された薄物のワンピースに着替える。

 もう慣れたけども、この世界にはブラジャーもショーツも無いのでこれ一枚だ。


 使用人が三つ編みを解こうとして、顔を曇らせた。

 「美しい髪です。ですが傷みが激しいので、急ぎですが毛先だけは切りましょう」

 「いや、ばっさり切ってくれないかい。人間の勇者は辞めたんだ」

 「細い毛ですから、短いのも似合いましょう。よろしいのですか」

 僕は頷いた。

 「ではそのように」


 使用人がカミソリを当てると、血で傷み丸く絡んだピーチブラックの髪が床に散った。リシャーリスと僕、二人の女性の戦士を頂くにあたり、人間同盟とハプタ王家には女性のシンボルが必要とされた。長髪なのは、それだけの理由だ。残念ながら僕には胸が無かった。


 「勇者様は今は陛下の勇者様ですから、後は時間がある時に整えましょう」


 「頭が軽い。ありがとう」


 僕は髪に手櫛を入れると、うなじから毛先に指を走らせ、くしゃくしゃにしてばらす。細い毛質は長さだけで、自らを痛めつける。

 東京に暮らしていた頃、髪が一定の長さになると真島は僕を美容室に引きずっていった。



 「陛下は勇者様と軽い食事を共になさるとの事です。書院まで案内します」


 聖剣に下緒さげおを付けると、右肩に担いで客間を後にする。

 聖剣は僕の身長に比してかなり長いので持ち運びには苦労する。


 「魔王城には不案内だけど、ここはどこなんだい?」


 「左の院と、陛下の公的な場である中の院をつなぐ渡り廊下です」


 渡り廊下の両側に植わっている枯れ木の列を眺めながら歩く。


 「昼に見ていただければ分かると思いますが、花が咲いているのです」


 木を子細に見つめたけれども、花を見付ける事は出来なかった。

 それでも視線の先に列をなすアーチの柱が、二つの月の陰影を映してとても美しく感じられた。


 「勇者様、こちらになります。陛下がお待ちです」


 謁見の間のすぐ後ろに作られた書院は魔王の執務場所であり、その脇に休憩所がある。

 午睡の場であろう寝台が一つあり、数名座れるだけのテーブルが置かれていた。


 休憩所で外を眺めていた魔王も、包帯が痛々しいが簡素で薄いワンピース一枚の姿だった。

 中に差し込む赤い月の光が魔王の肢体を透かし、僕は胸が高鳴った。


 僕と魔王がテーブルに座ると、給仕が魔法の光を灯して粥の入った皿を供する。

 テーブルは狭く二人向きあう形なので、魔王の顔が近くまでせまり、僕は目線をずらした。


 「キアには食べ慣れないものかもしれないけど」


 魔王が夜食を勧めるのに言葉を選んでいるのは、燕麦えんばくの粥以外に魔界には食べるものが少ないからだ。

 彼女の包帯だらけの腕が差し出す、バターとチーズの入った瓶を受けとる。


 「好きでは無いけど、昭和天皇も食べていたものだから僕も食べる」


 燕麦えんばくの粥はご飯や白パンに比べて美味しく無いけれども、作物が育たない魔界では唯一の主食だ。

 ヘリオトスで勇者は騎士待遇であったけれども、理由があって僕は燕麦えんばく粥を一年ほど食べている。慣れていない訳でも無いし、もう飽きてしまった訳でも無いし。

 粥に魔界ではおそらく贅沢品のバターを落とし、砕いた羊乳チーズを振りかける。


 「キアの元の世界にも王様はいるんだ?」


 「魔界ほど歴史は無いけれども、千年以上続いたので天皇は王様より少し偉い」


 「その国はどこかの国に負けたの?」


 「確かに負けたけど、燕麦えんばくの粥は関係無いんじゃないかな」


 王冠を外して休憩所で夜食をとる魔王は、少女のように無邪気で遠慮が無い。

 赤い月が照らす中、包帯に巻かれた彼女の手が、器用に匙を操り粥を口元に運ぶ。

 僕も文句を言わずに、包帯で固められた手で、不器用に匙を使い粥を食べた。


 食後に魔界唯一の嗜好品であるバターを入れた温かい紅茶を飲む。



 「心変わりはしてない?」


 「思いつきでは無く、わがままだから決心は揺るがない」


 「じゃあ、世界を滅ぼそうか」


 魔王は席を立ち、僕もそれに続いた。

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