第12話 コルセットが外れる

 高坂は眠れない理由にようやく見つけ出した。捜し物とは得てして一息ついたあとに見つかるものである。

 高坂は切羽詰まった状況に慣れすぎてしまっていたのだ。今の状況は言うなれば、固くコルセットを締め上品なドレスに身を包んできたお嬢様が、初めてジャージを着たような感覚だ。広義では最も気の抜ける格好とされているジャージだが、お嬢様からすれば硬く締め付けられたドレスの方が気が休まるのだ。

 数年の間、外されることも緩められることも無く締められていたコルセットが外された高坂は、その開放感のようなゆとりに戸惑っているようだった。


(今夜はもう寝れそうにない。幸いに明日は日曜日で予定もない。昼間にたっぷりと睡眠を取ればいい)


 高坂は自分にそう言い訳をして寝巻きから私服へと着替えた。


 ×××


 こんなにも暗く閑静な住宅街を高坂は初めて歩いた。もちろん黒いもやを纏っていない身体では、という意味だけれど。

 夜の住宅街というのは本当に静かなものだった。鳥の鳴き声も聞こえず、車の駆動音もコンクリートを駆る音も聞こえない。今夜は空気が凪いでいるため葉同士がぶつかる音や、風が家々の隙間を通る音すらも聞こえてこない。

 アスファルトを叩く高坂の靴音だけが静けさを助長していた。


 彼は24時間営業のコンビニへと向かっていた。近所にはコンビニが4店あったがそのうちの3店は00:00に閉店となる。そのため高坂は最も遠くにある(といっても徒歩12分程度)コンビニに向かっていた。

 夜空に点々と浮かぶ灰色の雲を眺めながら歩くとコンビニには直ぐに着いた。若干の名残惜しさを夜闇に置いて電灯が眩しく照らす店内に高坂は入った。

 店員は瞳を眠たそうに半分まで閉じていて、高坂が入店しても挨拶などは無く無言だった。チラリと高坂の方をむくだけで後はどこともつかない虚空を店員は見ていた。

 高坂の容姿は成人のようにも見えなければ高校生にも見えない。年相応の見た目をしていて、当然既に補導時間を超えてしまっている。もしこのコンビニに警官が入ってくればすぐに捕まって家へと返されることだろう。幸いと店内には高坂と店員以外に人はおらず、店員も高坂には特に関心を抱いていないようだった。


 特に何を買い求めるでもなく高坂は狭いコンビニ内を高坂は歩いて回る。すると、電子音が店内に鳴り響き新たな客がコンビニに入ってきた。それを高坂はちょうど入口の目の前、 おにぎりコーナーから見ていた。いや、見られてしまった。

 コンビニの入口には佐伯 智華が水色のスウェット姿で立っていた。


「──高坂くんっ!」


 そう言って佐伯が肩口程まで伸びた甘栗色の髪の毛を翻しながら高坂に詰め寄る。シャンプーだろうか、洋菓子のような甘い香りが詰め寄った佐伯からする。


「こんばんは。佐伯先生」と高坂は平然と言った。

「……こんばんは、じゃないよ。もう」手で目元を覆って呆れたように佐伯が言う。「君ね、今何時だか知ってる?」

「3時3分です」壁にかかっている時計を見て高坂が応えた。


 佐伯はその動揺のない高坂の様子を見て首を傾げた。もしかしたら自分が今叱ろうとしているのは間違いなのかもしれない、という風に。

 それを見て高坂は内心で意地悪く笑った。その笑みはもしかすると“死神”とよく似ていたかも知れない。

 安心してください、佐伯先生。今は補導時間で佐伯先生のやっていることは間違いではありませんよ。

 もしかしたらそう考えていたのが顔に出てしまっていたのかもしれない。佐伯先生は高坂を見て形の良い眉を歪めた。


「……と、とりあえず今日はもう遅いし、私が君を家まで送っていくから。いいね?」

 高坂はそれに肯いた。

「君、家はどこ?」と佐伯が訊いた。

「ここから10分くらいの所です」


 高坂がそう言うと佐伯は「そう」と素っ気ない返事をして買い物カゴを掴んだ。ああ、今すぐ返される訳では無いんだ、と高坂は思ったのと同時に少し佐伯に対して好感を持った。殺そうとしている相手に好感を持つなどおかしな話だが。


 高坂は常に何かに追われているように行動する人間があまり好きではなかった。そういう人は暇そうにしている人(高坂も例外ではない)を見つけると指示を出したがるし、指示を出さなかったとしても全身から周りを急かさせる雰囲気を出している。高坂はとりたてて行動を急ぐことはあまりない。どちらかと言えば長期的に事を運び、一つ一つを丁寧に対処をした。

 教師という職業についている人達には高坂が嫌う性質の人間が比較的多い。たくさんの生徒を相手取り、多くの仕事に追われているのだから仕方がない、それは高坂も理解していたが許容するまでには至らなかった。


 高坂はコンビニ内で特にやることもなかったため佐伯の後ろについて歩いた。佐伯はカゴの中にたくさんの商品を放り込んでいった。ビールを12缶と油っこいお菓子を6袋、お酒のおつまみを3袋、炭酸水を1本。

 高坂がカゴにタワーが作られていくのを不躾に見いると、佐伯がタワーを高坂の目の前に寄こした。


「あのさ、あんまジロジロと見ないでくれるかな」

「そんなに買って何をするんです?」

「え、何って……食べたり飲んだりだよ」

「お1人で?」そう言って高坂は佐伯を見つめた。

「バッ……そんなわけないじゃない!」


 その大声に店員の眠たそうな目が鋭く細められた。佐伯は店員に首だけで頭を下げ声の調節をするように咳払いをした。


「お父さんと、叔父さん達の分。今うちに来てきているの、四人兄弟が勢揃い」


 高坂はその光景を想像した。50歳を超えた、もしくはそれに近い年齢の男が4人集まってリビングのテーブルを囲っている。佐伯がカゴに入れている内容からして痩せ型という訳では無いだろう、年齢相当に腹の出た男達だ。仲の良いのだろう兄弟は酒が入ると楽しいのをとめられず声は大きくなり、笑い声はそれ以上だろう。佐伯の母も嫌な顔をしながらも体裁上同席している。佐伯は……こうして買い物に駆り出されていることから話に加わらない迄もリビングにいるのだろう。とても迷惑そうな顔をしながら。


「それはなんというか……賑やかそうですね」と高坂が言葉を選んでコメントする。

 すると佐伯ははにかんだ「そうなの。騒がしいったらないよ」言いながら佐伯はレジ台にカゴを置いて会計を始めた。


 その声はどこか嬉しそうで、もしかすると佐伯は楽しそうに会話に混ざっているかもしれない。と高坂は想像を少し修正した。佐伯の母もきっと笑っているだろう。

 その情景を頭に思い浮かべると高坂は胃の底に重たく黒い何かが沈んだのを感じた。


 2日前、もしも僕が佐伯先生を無事に殺していたのならその晩酌が行われることは無かっただろう。人が死んだあとに何をするのか、高坂はあまり知らない。お母さんとお父さんが死んだ時の記憶は曖昧で希薄で何があったのかは思い出せない。思い出せるのはそれが辛かったということだけだ。雰囲気も親戚の表情も遺影も何もかもが辛かった。

 僕はもしかしたら今日、佐伯先生の家で広がっている光景を荒寥こうりょうとしたものにしていたのかもしれないのだ。


 ──僕は本当に、このまま“死神”を続けていいのか?


 佐伯の会計がちょうど終わった時、高坂が糸切れたようにパタリと軽い音を立てて倒れた。

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