KAC5:有意差 (お題:どんでん返し)

 俺は大学を卒業だけすればいいのではない。

 俺は、卒論の合同発表会で最優秀を取り、賞金を取らねばならない。俺には金が必要だ。賞金は20万円、これはきっと教授陣には安い額なのだろうけど、俺には喉から手が出るほど欲しいものなのである。


 卒業だけするには教室内で発表して教授が判子を押せば卒業できるのだが、卒論発表会はそのあと、認定された卒論を学部全体の発表会で審査し、優秀論文には賞金が与えられる仕組みのことだ。


 端的に言えば、発表会に出せば賞金ゲットのチャンスが与えられる。俺が目指しているのはこの賞金だった。うちの教室にいる学生は偶然にも俺1人だ。俺が希望すれば確実に発表会に出られる。


 しかし、俺には一つ懸念があった。今までのデータでは、どうしても有意差が欲しいところで有意差が出ていない。

 それでは困るのだ。何か目覚ましい結果を出して、教授陣の興味を引かねば、山のような卒論の中で優勝などできないのだから。


 俺の学生時代の成績は散々だ。だが研究は好きだった。下手の横好きと言われようが、俺は熱心に研究をやってきた。

 どんでん返しを期待したっていいじゃないか。


 一発逆転、どんでん返し、その結果俺は賞金を得て有名大の大学院に進む。それしか道は残されていない。しかしこんな、まさか全く実験の結果が出ないという窮地に追い込まれるのは予想外だった。

 俺に求められているのは真のどんでん返しである。


 俺は有意差を錬成することにした。つまり、不正だ。

 教授陣を騙すのは至難の業だ。だが、検証しようのない不正ならさすがの教授陣も俺には勝てまい。しかし所属教室の教授を欺くのが最も難しい。


 俺の不正は多種多様を極めた。大量に取ったデータから都合のいいデータを選ぶ。恣意的に外れ値を選ぶ。有効数字の桁数を変える。t検定で結果が出なければχ二乗検定を行う。それでも駄目ならデータは捨てる。

 まあとにかく、統計の単位を剥奪されても文句の言えないようなことしかやらなかった。


 担当教員は忙しくしていた。それが俺には都合が良かった。なかなか相談に乗れなくてごめんと謝られたが、実験を一緒にやられたり口を出されたりするのが一番困る。教員の誠意を蹴っているようで心が痛んだが、良心など不正をすると決めた時に捨てている。


 夏が明けてから、教授が姿をとんと見せなくなったのも俺には都合が良かった。この分だと、教授が俺の卒論を通して見るのは単位認定直前になるだろう。そこまでいけば、教員にも教授にも俺の不正は暴かれない。


 だが、秋に入って、ふらりと教授がやってきた。俺は凍りついた。教授は実験の様子を一通りじっくり見る。実験には問題がないのだからと俺は心を落ち着かせた。実際には、都合のいいデータが足りないから追加で実験を行なっているわけで、この実験自体が不正の一環である。


「実験ノート見せて」

 この言葉が飛び出してきたからだ。ノートには実験の元データが載っている。つまり、不正を行う前のデータだ。いくら自分流のめちゃくちゃな書き方をしているとはいえ、しっかり見られたら不正がバレてしまう。


「君さ……」

 来た。

「いや、なんでもない。僕の間違いだ。頑張ってるね」

 教授は微笑んで俺にノートを返す。肩透かしを食らった気分になった。だが俺の勝ちだ。


 教員がいないことが仇となって、完成まで時間がかかったものの、なんとか不正まみれの論文が完成した。これが本物なら、目覚ましい結果である。学士論文にはもったいないと教員も褒めてくれたほどだ。


 だが俺の野望は鮮やかに打ち砕かれた。

 教授が突然消えたからである。失踪ではない。

 論文不正だった。


 ここ最近、教授がなかなか教室に姿を見せなかったのは、すでに不正を指摘されて対処に追われていたからだと気づくのに時間はかからなかった。そして、俺の担当教員がなかなかつかまらなかったのも、教授の不正の噂を聞いて新しい大学に移らんとすべく就活をしていたからだった。教授が俺の実験ノートを見て、何かに気づいたようなそぶりを見せたのに何も言わなかったのも、それは自分も不正をしていたからだ。


 俺は卒論発表会には参加できなかった。同じ研究室の先生の尽力によりなんとか卒業まではこぎつけたが、卒論発表会に推薦する者が消えてしまったからである。


 賞金の夢は潰えた。そして、俺の不正卒論は、世に出ることはなかった。俺が卒業できた以上、世に存在するにはするのだが。

 これは偶然なのだろうか。それともアカデミーの自浄作用だろうか。


 大学から逃げ出したかったが、院進希望で就活をしていない俺には行き先がない。俺は少なくともあと2年、大学に縛り付けられるのだ。それもまた、俺が不正をしようとした罰なのだろう。

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