冤罪探偵-解決編 ~推理パート~

[注意]本小説は二次創作です。詳細は前ページをお読みください。

原作URL:https://www.magnet-novels.com/novels/64877/episodes/202927


**


 冤罪探偵とクソ警部に向かって、俺は三日くれと啖呵を切ってしまったわけだが、後から考えるとそれはあまりにも短い。しかし一週間くれと言っても許可はされなかっただろう。つまり三日というのは、短いは短いのだが俺に残された最大限の時間だ。


 考えろ、俺。だが焦るせいで頭は全く働かない。

 俺に残された最後の手段、それは非常に心の準備が必要な手段ではあるのだが、俺は覚悟を決めた。

 すべては俺の冤罪を晴らすためである。


「櫻木」

 俺は面会室のドアを開けた。そう、俺に残された手段とは、あの探偵が冤罪探偵であることを知っている唯一の人間であり、天海事件のことにも詳しい人間であり、俺の罪を被ってくれた男、櫻木だった。

 彼ならなんとかしてくれる。皮肉な話だが、俺はそのわずかな可能性に縋り付くしかなかった。


 透明なパネルの向こうに座っていた櫻木は逮捕された時と同じシャツを着て椅子に座っていた。着替えてすらいないのだろう。

「島村……」

 憔悴しきった様子の櫻木が、ゆっくりと顔を挙げてこちらを見る。


「島村、信じてくれ、俺は無実だ。俺はやってないんだ」

「ああ、信じるよ」

 櫻木が崩れ落ちるように机に手をついた。と思うやいなや、目を開けたままぼろぼろと涙を流す。

「お前が初めてだ、俺の無実を信じてくれたのは」

「当たり前じゃないか」

 だって、天海を殺したの、こいつじゃなくて俺だもん。


「櫻木、取り込んでいる中ですまないが、お前に協力してほしいんだ」

「……協力? 何を」

 この状況で俺の願いをとりあえず聞こうとする櫻木という男、根っからの善人だなぁと俺は思う。そして、そんな彼に罪を被せてしまったことに申し訳なさがつのる。


「俺も今、殺人事件の容疑者になってる。俺の勤め先で五人が刺殺された大量殺人事件の容疑者にな。もちろん冤罪だ」

 自分を容疑者にしたのはあの探偵だと言うと、櫻木はあっさり信じた。あの探偵に対する櫻木の不信感がうかがえる。

「俺の冤罪を晴らすには、お前の頭脳が必要なんだ。お前は大学一の天才だ。ろくに出席せずにギリギリで卒業した馬鹿な俺とは訳が違う。頼む、どうか俺を助けてくれ」

「……そりゃ俺だって冤罪仲間だ、お前に協力したい。だが、俺は留置場の中だよ。協力なんて無理だ」

 涙を拭いた櫻木はゆっくりと首を振る。だが俺には策があった。


「俺がお前を留置場から出してやる」

「……えっ、出す? どうやって?」

 櫻木は眼鏡の下で目を丸くした。不可能だと思っていたのだろう。

「あの事件があった日、俺は、お前がハンガーを壊してしまってこっそり捨てる現場を見たんだ。俺の証言は、あのヘボ探偵が並べ立てた密室トリックが使われなかった証拠になる。証拠不十分になって、お前は釈放だ」

 櫻木の表情が変わる。


「証言一つでそんなに変わるなんてことが……」

「変わるさ。唯一の物的証拠が無くなるんだから」

 俺は確信していた。物証がないだけで、俺はいま自由の身になっている。それは櫻木も同じはずだ。


「でもお前はあの場にいた容疑者だろ? 容疑者の証言なんか聞いてくれるか?」

「アリバイ証言なんて、どれもこれも容疑者同士で証言しあってるようなもんじゃないか。今更容疑者同士だから通りませんなんてのはおかしいだろ。それに、俺はお前の無実を晴らしたところでメリットは何もない」

 あの事件に限っては、こいつが捕まっていてくれていた方がむしろ有利だ。


「島村……」

 櫻木はまた涙を流し、何度も礼を言った。


「……ごめんな、証言しなくて」

「いや、俺を助けてくれただけで感謝してるよ」

「なにぶん、あの警部が怖くてさ」

 嘘は言っていない。俺が真犯人ではなかったとしても言い出せなかっただろう。あのクソ警部はヘボ探偵の言うことを妄信しているようにも見えた。あの探偵のトリックを否定するようなことを言ってもなかったことにされそうだったのは確かだ。


「しかし、お前の証言もあの警部に握りつぶされたりしないだろうか?」

「大丈夫だ、もっと上の立場の人間に言えばいいんだよ。俺は何としてでもお前を留置場から出す。じゃないと、俺は大量殺人事件の犯人として捕まっちまう。五人も死んでるんだ、死刑は確定さ」

 俺の冤罪が自分の冤罪の五倍の重さだと知ったからか、櫻木は絶句して困ったように俺の表情を窺う。


「冤罪での死刑を回避するためだ、俺は何だってやる。だから安心しろ、俺は櫻木を絶対にここから出してやる」

 俺がそう言ったところで面会時間は終わった。俺が面会室から出ようとする背中に、櫻木の嗚咽がぶつかった。


 俺はすぐに警察に電話をかけ、櫻木の無実について滔々と語った。一世一代の賭けだ。その答えは数時間後に出た。櫻木は釈放になった。


「まさか、本当にここに戻ってくることができるなんて思わなかったよ」

 翌朝、久しぶりに家に帰り、風呂に入った櫻木は、留置場にいた時の姿からは別人のようになっていた。顔は晴れやかになり、すっきりとした様子である。

「いいだろ?」

「もう一度この空気が吸えるとは思いもしなかった」

「俺はまだこの空気を吸っていたい」

「…………」

 櫻木は気まずそうに黙った。


「……とりあえず、しっかり作戦会議をしよう」

「……そうだな」

 俺たちの本拠地は俺の住んでいるマンションにすることになり、小声で話しながらそこへ向かう。


「なんでこんなことになってしまったんだろう」

 なんで俺は天海を殺してしまったんだろう。

「天海の誕生パーティーだろ。あれがすべての元凶だ。あんなパーティーにさえ行かなければ、俺たちに冤罪がかかることはなかったと思うんだ」

 そして、俺が天海を殺すこともなかった。俺は櫻木の言葉に何度も頷く。

「なあ、なんでお前は天海の誕生パーティーなんか行ったんだよ」

 櫻木は不思議そうにそう言った。


「春日商事の社員が、天海の頼みを断れるわけないだろ」

 五人殺人事件の起きた春日商事は、ヘボ探偵とポンコツ警部が言っていた通り、俺の勤めている会社だ。今は数日ほど無断欠勤しているが。

 普段はいたって普通の中規模商社で、関東ならばそこそこ知名度がある企業だと言える。はずだった。だが大量殺人事件が起こってしまった以上、俺の無断欠勤も有耶無耶にされるだろうし、それだけ会社が壊滅的ダメージを受けているということだ。春日商事には戻れないだろうし、早く就活しなければ。


 話がそれてしまったので戻ろう。その春日商事だが、天海は春日商事に対して非常に強い発言権を持っている。なぜなら、天海は春日商事の筆頭株主だからだ。そのため、天海から春日商事を通して誕生日パーティーに呼ばれてしまうと、いくら借金トラブルを抱えている相手とはいえ逆らえない。


「櫻木の方こそ、なんで天海の誕生パーティーなんか行ったんだよ」

「俺は大学関係だよ」


 俺と櫻木は大学の同級生であり、天海は大学のOBにあたる。俺たちが四年生だったころ、就活のOB訪問で天海と知り合った。

 天海のコネで春日商事に就職した俺と異なり、櫻木は卒業後も大学に残って研究に打ち込み、結果を出して着々と昇進しつつある。


 しかし俺の場合は順風満帆とはいかない。

 本来俺は、春日商事よりもっと上の商社の内定を持っていた。だが、天海に奨学金を肩代わりするからと春日商事を紹介され、内定を蹴った。

 だが春日商事に入社して数年、俺は天海から奨学金の返済を何故か求められた。奨学金云々は、俺を春日商事に呼ぶ口実だったというわけだ。当時の俺の喜びを返せ。まったく、ひどい話である。


 そして、その奨学金の額が利子を含め数百万に膨れ上がっていた俺は、ここ二年ほど、天海とトラブルになっていたというわけだ。

 天海がトラブルの相手である俺を指名してなぜ招待を出したのかはわからないが、櫻木の方は理由が明確だ。母校のホープだからに決まっている。


「最初はパーティーなんか行く予定はなかったよ。大学も忙しいしな。だけど天海はうちの大学出身の有名人だ。経済界の大物相手だから断るなんて失礼だぞって友人に言われて、パーティーに行くことにしたんだよ」


「……だが、俺の場合は、パーティーに行ったからこそ、大量殺人に巻き込まれるのを免れたのかもな」

 大量殺人事件の犯人を押し付けられるなんてとんでもないが、一方で、パーティーに行かずに定刻通りに出勤していれば、真犯人に殺されたのは俺の方だったのかもしれない。俺は六人目の被害者になっていたのかもしれないのだ。いや、かもしれないではなく、既に被害者か。


「しかしその大量殺人事件、証拠もないのにお前に疑いの目が向いた理由は何だ?」

「社員証だよ」

 春日商事のオフィスは、厳しく入室管理がなされている。社員証をタッチして入館記録をつけないと、誰もオフィスには入れないのだ。そしてあの日、被害者のほかに事件のあった階のオフィスに入ったのは俺だけだったというわけだ。もちろん、俺はオフィスに入っていない。俺を騙ってオフィスに入ったのは真犯人だ。


「社員証、お前持ってなかったのか?」

「そりゃ普段は持ってるよ。だが、最後に見たのは金曜日に退勤して鞄にしまった時だ。あの鞄はいつも持ち歩いているし、もちろん天海館にも持って行ったけど、まさか社員証があるかなんか確認しねぇよ。警察で、探偵に言われて社員証を探したけど、どこにも無かった。いつかはわからないけど、落としたか盗まれたか……」


 だが探偵は、俺が殺人を犯した後、盗まれたように見せるために社員証を捨てたのだと言い張った。俺がそれを認めるわけはないのだが、探偵は自論を曲げない。平行線である。


「あの探偵の推理、結構ガバガバだからなぁ。俺が逮捕された時もそうだ。俺が天海館に行ったのはあの日が初めてだから密室トリックに必要な館の構造は知らなかったといくら言っても聞きやしない」

「本当に自分の推理に自信があるんだろうな」

 俺はその推理が合っているのを見たことはないが。


「とにかく、金曜日の退勤後から俺が社員証を見ていないのは事実だ」

「じゃあ、いつ誰が盗んだかはわからないのか」

「ああ。金曜の退勤後は会社の飲み会があったし、あの場ならいくらでも盗める」

 俺の場合、酔っ払って落としたのかもしれず、盗まれたとは断言できないのがややこしい。


「大量殺人の犯人に殺されるか、冤罪を押し付けられて死刑になるか。嫌な二択だな。島村、生きてて良かったな」

 櫻木は苦笑した。

「……俺の命は風前の灯火ともしびだよ」

「そんな状況で、頼るのが俺で本当に良かったのか?」

「俺の一世一代の賭けだ」

 そして、櫻木に対する俺なりの贖罪なのかもしれない。


「俺はどうしたら生き延びられるんだ?」

「誰かに罪をなすりつける、とか」

「罪をなすりつける人間を誰にするか先に考えるか、罪をなすりつける方法を先に考えるか。どちらにせよ、無実の人間が一人死ぬことになる」

「あるいは、真犯人を見つけ出すか、だな」

 真犯人を見つけ出す、素人の俺たちにそんなことが可能なのだろうか。なにせ、警察が普通に捜査したら俺にたどり着くような事件である。


「俺に残された自由な時間は二日だ。そりゃ真犯人を見つけ出せるのがベストだが、見つけ出せなければ俺は死ぬ」

「じゃあ、誰か罪をかぶせる人間を探すか?」

 俺の部屋がしんと静まり返る。


「……なあ島村、お前って結婚したっけ?」

「いや、独身だけど……」

 なお、彼女もいない。あくまで今は、であると言い訳しておくが。

「家族は?」

「両親と妹が一人いるよ」

「春日商事大量殺人事件の罪、妹になすりつけられるか?」


 俺は黙った。そりゃ、俺だって冤罪で死刑になりたくはないが、俺がこれほどまでに苦しんでいる冤罪を、家族になすりつけることはできない。

「……櫻木は?」

 こいつは確か結婚していて子供もいるはずだ。昨日までは絶望の真っただ中だったであろう家族がいる。


「俺も無理だ。妻と子供に罪が行くくらいなら、冤罪なんかいくらでも被る。だが俺が冤罪を被ったら、妻と子供に迷惑がかかる。微妙なところだな」

 経験者は語る。言葉の重みが違う。俺は改めて、天海館事件で櫻木を見捨てたことを後悔した。まあ、俺に冤罪がかかっていなかったら平気で見捨てたままだっただろうけど。


「なら、赤の他人にならどうだ?」

「櫻木の時みたいに、誰かが勝手に逮捕して連れて行くなら罪なんかいくらでもなすりつけるけど、自分が罪をなすりつけるのはな……」

 だが、実際に目の前に好都合な人間がいたら、櫻木の時のように見捨てるかもしれない。俺は煩悩あふれる人間である。


「俺は人間としての良心を捨てなきゃいけないな。だって、絶対に死刑になる罪を背負わせられる人間なんて……」

「いや、いるよ」

 櫻木はすっと立ち上がってカーテンを閉め、腕を組んで壁にもたれる。

「天海事件の被害者、だよ」

 櫻木はそう言って指で眼鏡を押し上げ、また腕を組みなおして不敵に微笑んだ。


**


「天海に……罪を……?」

「だって、絶対に死刑になる大量殺人だぞ。死人に罪を着せるほかないじゃないか」

 眼鏡を光らせる櫻木は、しどろもどろな俺を諭すように冷静に言う。

「天海の奥さんからすれば、夫が死んだ上に大量殺人事件の犯人になるわけだ。かわいそうだが、しょうがない」


「櫻木、そんなことは本当に可能なのか? だって、春日商事大量殺人事件が起こった時間、俺は確かに天海を殺していたんだぞ!?」

 叫んだところでハッとした。櫻木が口を開けて固まっている。

「天海を……殺した……?」

 世紀の大失言だ。


「……櫻木、お前に一つ言わなければいけないことがある」

 櫻木は腕を組んだまま、黙って俺の方を見ていた。

「実は、天海を殺したのは俺だ」

 俺は矢継ぎ早に天海館殺人事件の真実を話す。天海と口論になったこと。天海を殺してしまったこと。トリックも仕掛けていないのに偶然密室になり、探偵がそれを解いて櫻木を連れて行ってしまったこと。探偵が櫻木のアリバイトリックを解いたときは、こちらが唖然としたこと。


「お前ッ……! お前のせいでなぁッ!」

 櫻木の目の色が変わり、俺のそばに駆け寄って胸倉を掴む。そして櫻木は拳を振り上げた。だが、その拳が俺に飛んでくることはなかった。震える拳はゆっくりと垂れ下がり、俺の服も解放された。俺は崩れ落ちるように床に座り込んだ。


「ごめん、お前に罪を被せて……」

「……いや、悪いのはあの探偵だから」

 櫻木は堅い口調でそう言った。自分を留置場から出した恩人であるところの俺のことを信じようとしているのが伝わってくる。そんな健気な櫻木に対して、申し訳ない気持ちが高まった。


「なあ、島村。お前が天海館の殺人を認めたら、春日商事の事件の容疑は晴れるんじゃないのか?」

 その通りである。俺は心の中で舌を出した。あの探偵なら、天海館の罪に加えて春日商事の事件の容疑も被せてきそうではあるが。


「ええい、もう自首しろ!」

 櫻木は腕を大きく振って叫ぶ。

「そこをなんとか」

 俺は櫻木の足にしがみつく。情けない姿だが、なりふり構ってはいられない。

「だって、これで俺があっさり逮捕されたら、お前の逮捕は無駄だったことになるんだぞ」


「俺の逮捕は元から無駄だ! 当たり前のことを言うな!」

「何の為に、俺が意を決してお前の冤罪を晴らしたんだよォ」

「うるせぇ、そんなもん晴らして……」

 晴らして当然だと櫻木が言いたいのは分かったが、彼はぐっと唇を噛んでこらえる。自分で言うのもなんだが、俺への恩が少なからずあるのだろう。そういう奴である。


「殺すつもりはなかったんだよ」

「それでも殺人は殺人だろ」

「まさか、投げたペン一本が首に刺さるなんて思わないだろ。しかもそれで天海が転んでペンが深く刺さるなんて予想外すぎる。まさか死ぬなんてさ……」

「延髄には呼吸中枢がある。そこを障害されたら人間はすぐに死ぬんだよ」

 しおれて我が家のテーブルに着いた櫻木は、呆れたようにそう言った。


「しかし島村、お前が警察にさっさと言えばすべて解決したのに……」

「じゃあ櫻木なら言うのか? 誰も俺が犯人だとは知らない状況で、だぞ。自分から名乗り出ようとは思わないだろ」

 そして黙っていたら探偵がやってきて櫻木を犯人に仕立て上げ、連れて行ってしまったというわけだ。


「……まあ、俺にも言いたいことは色々あるんだが、島村の証言のおかげで監獄にぶち込まれる可能性が低くなった俺と違って、島村は冤罪が成立してしまったら命の危機だ。その解決がまず先だな」

「すまん……」

 俺は頭を丁寧に下げる。


「お前の話を聞いていて、気になることが一つあるんだが」

 俺が櫻木に必死に謝ったところでいったん休憩だ。食事はもちろんマクドナルドである。俺の運転でドライブスルーで買ってきたハンバーガーにかぶりつきながらも、櫻木は冷静沈着に話を続ける。

「いくらアリバイがないとはいえ、天海館にいたお前が、どうやって春日商事に行って五人もの人間を殺せるってことになってるんだ?」


「お前は春日商事に詳しくないだろうけど、実は春日商事と天海館は近いんだ」

「そうなのか」

「ああ。ヘボ探偵とポンコツ警部が言うには、実は裏道があって、天海館と春日商事は走って片道十分の距離らしい。しかも人通りも少ないんだと」

 何年も勤めている俺は知らない裏道だったが、地図を見せられたら確かに行けそうだった。


「春日商事事件の場合、被害者は特に抵抗もなく殺されていたらしいから、天海館を出て一時間もあれば事件を終えて帰ってこれる、そういう計算なんだそうだ」

「……本当なのか?」

「試す時間はないが、一応警察の言うことだからな」

 俺の場合、天海を殺した十時の一時間前ごろから彼と口論になっていた。俺は天海との口論を隠しているから、九時から十時のアリバイはない。警察の見立てでは、俺は事件を起こせるということになってしまっている。しかも、被害者が抵抗していないので、顔見知りの犯行だと。つまり俺だ。


「島村、お前にはアリバイはないんだよな」

 だって本当に天海を殺していたんだ。アリバイなんてあるわけがないし、偽装だってしていない。

「アリバイがない時間は?」


 あの日は確か八時前に起きた。既に部屋の前に運ばれていた朝食を食べ、部屋を出たところで天海と出会った。そこから口論に発展して、十時には天海を殺していた。メイドが死体を発見したのは十一時半だ。


 なぜこんなに発見が早いのか。それは夫人から天海への伝言を頼まれたメイドが天海を探しに行ってしまったからである。死体発見までの時間が無さすぎて、アリバイ偽装工作は何も思いつかなかった。俺は黙ってメイドが天海を探すのを眺めているしかなかったのである。


「つまり、ずっとアリバイがないんだな……」

 櫻木は頭を抱えた。俺だって同じく頭を抱えたい。

 俺の唯一の希望は、証拠がないということだ。だが春日商事殺人事件の探偵と警部の姿を見るに、証拠がなくても俺を犯人と決めつけるのには間違いない。


「いや、あの館にアリバイがあるやつ、そうそういなかっただろ……」

 天海館殺人事件において、犯行時刻の午前十時に明確なアリバイがあったのは、夫人と櫻木、そしてメイドのうちの一人と料理長ぐらいのものだった。泊まっていた客のほとんどは、俺のようにアリバイはない。


 それなのに、あの探偵はわざわざ櫻木のアリバイを解いて犯人に仕立て上げた。俺は驚いた、内心では喜んでいたわけだけど。


「とにかく、俺にアリバイはないんだ。犯行後のアリバイなら完璧なんだけどな」

 なぜなら、天海夫人やメイドがいるリビングルームに積極的に顔を出すようにしていたからである。つまり犯行時刻からしばらく経った十時半ごろから死体発見の十一時半まで。それはせめてもの偽装工作のつもりであったが、

「全く意味ないだろそれ」

 切って捨てられた。


「でもそれ、逆に天海にもアリバイはないってことじゃないか?」

 櫻木は指を一本立てた。

「あ……」

「春日商事大量殺人事件の事件が起きたのは十時ごろ、お前が天海を殺したのも十時ごろ。一見矛盾だ。だが、死亡推定時刻には幅があるだろ。九時ごろに天海が事件を起こして、一時間で帰り、帰った直後にお前に殺されたと考えても、まあ筋は通る」

 俺に殺されたというのは余計だ。


「それに、警察はお前の十時半から十一時半までのアリバイを知っていながら島村に疑いをかけてきたんだろ? 十時ちょっと前に犯行を起こして慌てて館に帰ってきても矛盾はないと暗に認めてるんだ」

「それでいくとして、動機は大丈夫かなぁ」

「フン、死んだ人間が起こした事件の動機なんか、永遠に判明することはないんだ。国語の得意な警察官が頑張って考えてくれるさ、事件の作者の気持ちをな」

 櫻木に説得されて俺は渋々受け入れる。


「ただ、確かに、今お前にかかっている容疑を天海に押し付けるには、何か証拠のような強い根拠が必要なのも確かなんだよなぁ」

「残り二日、いやもう一日半か。一日半で、それを捏造しなきゃいけないわけだ」

「論文の捏造なら、俺は詳しいんだがな」

 まさかお前がやってるんじゃないだろうな?

「そんなわけないだろ。学生の話だよ」

 俺はしこたま怒られた。


「事件から時間も経ってるし、今更捏造なんてできるのかなぁ」

 じゃあもうダメだ。ここまできて、天海に罪をかぶせられないなんて。俺の命はあと一日半、いや、素直に俺が天海館で起こした殺人を認めたらいいのか。


 ……すまん櫻木、それは無理だ。いや、もうどうしようもなくなったらやるけど。あくまで最終手段である。


「ただ、全く道がないわけじゃない」

「え?」

「警察には言っていないんだが、天海の行動にはおかしな点がある。そこを突けばなんとかなるかもしれない」

 櫻木は俺の顔の前で指を二本立てた。


「一つ。あの日の朝食だ。大量に客が泊まっていたあの屋敷の場合、朝食の時間を決めて食堂に集めるのが合理的なはずだ。だがやらなかった。あの日、朝食はルームサービスかのように部屋にわざわざ運んできた。何故だ?」

「さぁ……」

 豪華な誕生パーティーなど経験のない俺は、それが普通だと思って受け入れていたが。


「二つ、そもそも誕生パーティーを二日間もやるのがおかしい。いくら盛大なパーティーをやりたいという気持ちがあろうが、俺たちを館に泊めて丸一日拘束するというプランは普通誰も立てねぇよ」

 これは、櫻木がパーティーへの参加を迷っていた理由なのだという。春日商事のオフィスで事件が起こったとおり、あの事件があった日は月曜の朝だ。


 言われてみれば確かに変だ。天海のパーティーのプランは、誕生日である日曜の夜から始まった。俺たちは深夜まで酒をたしなんだ後、館に泊まった。翌日である事件の起こった日は昼からゴルフをすることになっていたから朝は暇だった。

 翌日の朝という、パーティーがあったにしては奇妙な時間に事件が起こったのはそのせいである。


 平日までもが丸ごと一日潰されるのは、確かに大学教員の櫻木には痛いだろうし、行く気が起こらないのもわかる。合宿じゃあるまいし。


「天海は、仮にも経営者として成功した男だぞ。そんな部分に気が回らないわけがないんだ。お前を招待するのにわざわざ勤務先の春日商事を通したのも頷ける。企業を通した公式な招待じゃないと、平日を潰すパーティーに客なんか集まらないからだよ」

「な、なるほど……」

 つまり天海は、計画の異常さに気付きながらパーティーを開催したというわけか。


「櫻木、どうしてそれを警察に言わなかったんだ?」

「お前とあの探偵のせいで、俺の有罪はほぼ確定と言っていい。無罪をもぎ取るのを諦めた俺は、正当防衛を狙うことにしたんだ。もし、天海の行動の不審な点なんか警察に言ったら、正当防衛じゃなくなるかもしれないだろ。俺は自分の身を守るために黙ってたんだ」

 櫻木は不貞腐れる。その言葉は確かに正論だ。俺は恥じ入った。


「この二つだけじゃない。俺から言わせたら、違和感だらけの誕生パーティーだったよ。あーあ、行くんじゃなかった」

「……そうかな?」

 俺は何も考えずに参加していたわけだが。


「考えてもみろ。天海が今までに一度でも誕生会を開いたことがあったか? そして呼ばれたことがあったか? 無かったじゃないか。しかも、天海本人との間に金銭トラブルを抱えている島村が呼ばれるだなんて不自然過ぎる」

 そして、天海はせっかくの誕生日だというのに、パーティー中から事件の日の朝まで、やたら俺を挑発してきた。半分事故とはいえ、殺人に発展するほど俺が激昂した理由のひとつである。


「天海には何かがある。何かはわからないけどな。だが、わからなくても利用はできる。残る一日で、なんとかしようじゃないか」

 櫻木は口元に手を当て、真剣に考えていた。


*読者への挑戦状*

 ……を入れるわけではありませんが、とりあえずこの時点で全ての情報は既出でございます。結末、そして2人が取る手段、そして事件の真犯人を自らの頭で考えたいという方がいらっしゃいましたら、このタイミングで推理することをお勧めしております。

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