目覚め

 源吉は、布団のぬくもりを感じながら、目を覚ました。僕はベッドサイドにあった鈴を何も考えずに手に取り、いつものように二度鳴らした。


 チリンチリン


 音は部屋の中で反響し、すぐに静けさを取り戻した。すると、部屋のドアの奥から、軽い足音が耳に入ってきた。鈴を鳴らしてからいくらも経たずに、ドアが開き、失礼します、と女の子が部屋に入ってきた。手には衣類を持っていた。


 「ロッシュ様、おはようございます。今日は遅いお目覚めですね。これが本日の御召し物です」

 「おはよう、エリス。昨日は、遅くまで起きてしまってね。着替えはそこに置いておいてくれ」


 流暢に会話がつながる。僕は、この女の子を知っている。この屋敷のメイドとして雇っていて、名前はエリス。たしか16歳になったと記憶している。栗色の髪と目、背が160cmくらいで、スタイルが良い。特徴はなんといっても、頭に猫のような耳、細く長い尻尾だ……彼女は、亜人なのだ。


 「……す、すぐに朝食にご用意いたしますので、お着替えが済みましたら食堂の方においでください」


 僕の顔を見て、すこし驚いている様子だったが、すぐに何事もなかったような顔をして、エリスは、部屋を後にした。何かおかしなことでもあったかな?


 淀みのない仕草、淀みのない会話ができるのには、理由がある。それは、ロッシュという若者の記憶があるからだ。源吉とロッシュという若者が融合したような感じだろうか? 不思議と源吉がロッシュであることをすんなりと受け入れられるのはそのせいだろう。


 この瞬間から、源吉という爺は、もう存在しないのだ。


 確かなことがあるとすれば、婆さんからの頼み……この村の村長になって、村人食わしてやるということだけだ。そのためにも、僕の農業の知識が必要になるのだと、婆さんが言っていたな。


 やってやるぜ。ふつふつと農業への情熱が吹き上がってくる感覚に襲われた。これが若さというものだったな。


 自分の手を見て、ふと、自分の姿に興味が湧いた。僕はどんな姿に変わったのだろう。見える範囲では……あのシワとシミだらけの手が、子供のように小さく、きれいな肌になっている。背丈は、150cmくらいか。13歳にしては少し高いかな? 顔はどれどれ。


 ほお……黒い髪に、黒い目……鼻も高いな。こりゃあ、イケメンって言われるやつじゃないか? こんなに格好いいと、女も放って置かないだろうな。ぐふふ、こりゃあ、楽しみじゃな。

 おおっと、油断すると爺言葉が出てしまうな。気をつけないとな。婆さんにも言われたからな。


 さて、食堂に言ってみるか。この世界での最初の食事か。これで、僕はこの領地で一番偉い存在だったはず。ということは、領地でも一番いい食べ物を食べているということだから、大体の食糧事情がこの食事でわかるということだ。


 「ロッシュ様、すぐにご用意いたしますので、席にかけてお待ちください」


 「僕が寝坊したのが悪いのだから、構わない。焦らずにゆっくりでいいからな」


 なぜか、耳を少しピクリと動かし、エリスが驚いたような表情をしてから、嬉しそうに、はい、と返事をした。その笑顔に微笑ましさを感じながら僕は、これからのことを考えていた。


 まずは、何をおいても実地を見なくては始まらないな。農業に必要なのは、土、水、気象、そして、労働力。もちろん、細かく言えば、種やら肥料やらが出てくるが……。後者はあれば良いと言った類だ。


 ここの気候についても調べないとな。婆さんが言っていたが、日本と同じく四季があるというが、日本でも北と南では農業の形態が異なる。そこを見極めなければならない。それに、特殊な気象状況ということも発生しないとも限らない。残念なことに、ロッシュという若者は、あまり勉強が得意ではないのか、記憶の中に農業に役立つ知識がなさそうだ。一つ幸運なことがあって、この屋敷には書庫があって、過去の気象関連の書籍があるという記憶だけはあった。これは、役立ちそうだな。夜にでも、覗いてみるか。


 僕は周りを見渡し、エリスの方を見た。服装がどうしても気になってしまう。エリスの格好は一体なんなのだ? メイド服のような気もするが、それでも少し丈が短すぎる気がするな。ちょっと屈んだだけで下着が見えそうになるじゃないか。ロッシュの記憶を探ると、どうやら、こいつの仕業のようだ。まったく……グッジョブじゃ!! ロッシュの趣味だけは評価しようではないか。

 

 こんなのを朝から見せられたのでは……んん? 高ぶってきた気持ちが、急に冷めてしまったぞ? どうやら、僕の感情に体がついていっていない感じだな。楽しみは後に取っておけということか。


 テーブルに食事が並ばれていく。なるほどな、食欲をそそるような、うまそうな匂いをさせているな。早速頂こうか。僕は、いただきます、と小さく声を出し、手を合わせる。エリスが盆を落としそうになっていたが、腹が減っているから、気にはしていられないな。


 メニューは、パンにスープとサラダか。若者の体を維持するには少し物足りなさを感じるな。パンも触った感じでは硬そうだな。ここは、麦が主食なのかな? パンを口に運ぶが、やはりボソボソとしていて、旨いとは感じないな。スープは、根菜と肉片の質素なものだ。一口すすると、味が薄い。旨味がまったくないな。この肉片は硬くて筋っぽいし、食べられないことはないが、食べたいとも思わない。サラダは、ほうれん草のおひたしかな? これが一番食えるな。あっという間に、全部を食べてしまった。やはり、足りないな。


 「ごちそうさま。エリス。ありがとう。うまかったぞ」


 またも、エリスがびっくりした顔をした。


 「今日のロッシュ様はなにかおかしいです。いつも、そんなことはおっしゃらないのに」

 

 ん? オレは何か変なことを言ったかな? 僕は、首を傾げてみた。


 「やっぱり、おかしいです!! いつもなら、私から声を掛けただけで、怒鳴るのに」


 普通に接していたつもりなのに、おかしいとはどういうことだ? ロッシュの記憶を探ってみると……なるほどな。どうやら、この世界では、人類至上主義が盛んに唱えられていて、ロッシュもその信奉者だったようだ。エリスのような亜人は、そうとう肩身の狭い思いをさせられているようなんだな。


 エリスのこの服だって、ロッシュの嫌がらせだったのだろう。くそっ! ちょっとでも、ロッシュの趣味に共感したのが、悔やまれる。エリスが恐る恐るという様子でこちらをずっと見つめている。とにかく、説明だけはしておいたほうが良いだろう。


 「すまない。ちょっと考え事をしていた。エリスには、打ち明けておこう。そちらのほうが僕にとっては都合が良いだろう。それに君は信頼できそうだからね。君の言う通り、半分は正解だが、半分は間違いだ。僕はロッシュであって、ロッシュではない。何を言っているかわからないだろうが……僕は、異世界から来た源吉という者だ。ロッシュという若者に入り込んでいるのだ。おそらく、僕のせいでロッシュという若者はもう存在しないのだろう。この世界に来た目的は、婆さんに頼まれて、この村を餓えから救いに来たのだ。信じられるか? 」


 僕が言うのも何だが、とても受け入れられる気がしない。僕のほうが、言ってて嘘くさく感じてしまうからな。さすがに、その話、信じられます! なんて普通、言わないだろ。


 「信じられます! 異世界とか、婆さんとかよく分かりませんけど、さっき、ありがとうって言ってくれました。それだけでも、貴方を信じることができる人だと思います。私、亜人だから……そんな優しい言葉かけてもらったことなくて……」


 エリスが感極まって、泣いてしまった。この世界は、どれだけ亜人に冷たいのだ? この村では、亜人だろうがなんだろうが、村人である限り、僕は助けると心に誓った。しばらくするとエリスがようやく落ち着きを取り戻した。


 「さきほど、話に出てきましたが、この村とはどこのことなのでしょうか? ここはイルス辺境伯領の領都です。もしかして、場所が違うのでしょうか?」


 辺境伯領で間違いないよな? ここで良いはずだが……


 「ここで間違いないと思うぞ。僕が勝手に村と呼んでいるだけだ。勘違いをさせてしまったようだな。だが、これからも村と呼ばせてもらうぞ。なにせ、婆さんが村を守れと言っていたからな」


 エリスは嬉しそうな顔をしていたが、すこし分からないのか首を傾げていた。


 「ここにいてくださるということですよね。私、とても嬉しいです。それで、どうやって村を餓えから救うんですか?」


 「当然の疑問だな。救えと頼まれたが、この村について何も知らないのだ。だから、それを考えるためにこれから色々と情報を集めるつもりだ。エリスにもそれに協力してもらうから、頼むぞ」


 エリスは、喜色を浮かべ、はい、と返事をした。


 「あの……ロッシュ様のことは、これからもロッシュ様とお呼びしてもよろしいのでしょうか? それとも、源吉様と? 」


 「呼び名はロッシュで構わない。源吉は、この世界の人間ではないからな。その名前は前の世界においてきたよ」


 「わかりました。ロッシュ様」


 様、か……しばらく、僕は考えた。


 「立場もあることだから、みんなの前では、様付で頼むが、この屋敷の中では、ロッシュで構わないぞ」


 エリスは激しく顔を横に振った

 「滅相もございません。領主様であるロッシュ様に向かって、呼び捨てなど。それだけは勘弁してください」

 エリスが泣きそうな勢いだったので、僕は好きに呼ぶようと言うしかなかった。


 エリスが顔を赤く染め、小さく頷いた。これで、信頼できる人が一人増えたな。これからは、協力者をどんどん増やしていかなければな、村を救う事業など、とても一人では出来ないのだから。


 よし。とりあえず、村の実地調査だ! その前に、エリスに着替えをしてきてもらうことにした。ちょっと、目のやり場に困るからな。


 「ロッシュ様。その……この服は、屋敷の中だけなら着てもいいですか? これを着ていると、ロッシュ様が嬉しそうな顔をしてくださるから」


 そんな顔をしていたのか……まぁ、男の欲望を具現化したものだからな。美女がこの服を着て嬉しがらない男はいないだろう。それに、エリスの願いを無下には出来ないな。もちろん、YESだ!!

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