第四十一話 「Are You Ready?」

「おいおいおい、なんか流れで乗っちまったけどよ……本当に勝算があんのか、センセ?」


 保の問いかけに、自分は首肯する。

 女菟もまた、半端にではあったが頷いてくれた。


「田所所在。お前は確か、嘉嶋禮子のノートPCを持ち出していたな」

「へ? 確かに持ってきたッスけど……」

「その内部にあるAR技術のコントロールを、お前は出来るか」

「はは、ヤだなぁ」


 はじめは冗談でも言われたのだろうと頭を掻き愛想笑いをする所在だったが、女菟が本気だと理解すると、表情をあらためた。

 PCを立ち上げ、内部のデータを一瞥し、


「一時間ください。なぁに、こんなのは保さんのムチャブリで慣れっこッスよ!」


 ブツブツと呟きながらPCとのにらめっこを始める。

 その様子を見届けて、保が、


「当然、俺にもなんかやらせるつもりなんだろ」

「もちろんさ。お前たちには、世界を救って貰わなきゃいけないからな」

「俺たちが?」

「そうだ、加藤班が世界を救うんだ。加藤保、お前は以前、永崎の夜景にプロジェクションマッピングを行い、一攫千金を夢見た。そうだな?」


 確かに、そんな話を聞いた覚えがあるし、メモにも書き留めてある。

 もっとも、その所為で彼のチームは火の車になったらしいが。


「なんでいま、そんな話をしやがる」

「その設備とコネクションは生きているか」

「まあ、作っちまったもんはそんままだし、発注元はこの街の外だから、人員は無事だろうが……」

「今すぐ連絡を取れよ。それで、動かせるようにしろ」

「どういうことだよ! せめて説明をしろ!」


 じれったそうに怒鳴る保に。

 女菟は、これ以上ないほど真剣な表情で答えた。


「この永崎の街すべてを、ARで鹿島神宮に置換する。街そのものを神域、祭壇へと変えて──これで、〝泥〟と〝水〟を堰き止めるのさ」


§§


 バンの後部座席では所在が資料と機器を総動員して、AR鹿島神宮の解析に当たっている。

 運転席では保が怒鳴り散らしながら、なんとか頓挫した企画を動かそうと尽力している。


 残されたのは、自分と希歌。

 しがない道化師と、水の聖杯になりかけの幼馴染み。

 そして、女菟が告げる。


「はっきり言えば、今すぐ黛希歌の腕を切り落とすのが最善だ。けれど、お前たちはそれを良しとしない。人類七十億どころか、地球生命すべての未来が双肩にかかっているのに、だ」

「そんな壮大な話なんだね。あたし、いまいちピンとこないや」


 安心してほしい、自分だってそこまで気負えている訳じゃない。

 それでも。


「ぼくは、希歌さんも、結巳ちゃんも、見捨てたくない」

「……だったら次善の策だ。湖上結巳に黛希歌をぶつける。お互いが聖杯として覚醒する危険性も当然孕むが、一時的なら相克が起こる。聖杯化を押しとどめることが出来るはずだ。そして」


 その間に、結巳を奪還する。


「ただ奪うだけではダメだぞ、お前様。あれは産まれた瞬間から聖杯になるべく呪詛を施され、そして自ら世界に絶望して人間であることを放棄している。連れ戻すのなら、人間に戻さなけりゃいけない」


 その辺の考えはあるのかと問われて、自分は胸を押さえる。

 ここに眠る泥。

 あの施設で飲み込んだ泥の力で、願いを叶えることが出来ないだろうか?


「度の外れた楽観主義者か、お前様は? それはお前様の願いじゃない。多少は制御もきくだろうが、奇跡を起こすことは出来ない」

「だったら、やっぱりこれです」


 言って、卓上プラネタリウムを、自分は取り出す。

 星を視る。

 それが、彼女との約束だ。

 人間としての、約束だ。


「なるほど……約束も呪詛のひとつだ。或いは、万にひとつ、億にひとつ程度の可能性があるとも言えなくもない」

「頼りないなぁ……女菟さん、なんとかならないですか? 風太くんをもうちょっとアシストする感じの──」

「それは、お前の仕事だ、黛希歌」


 女菟が、希歌の言葉を遮る形で言った。


「オレは祭壇の構築都合上、加藤保たちを守る必要があるんだ。ネクスト永崎タワー。天と地の階に向かえるのは、現状お前と橘風太だけ。だが……そうだな、次善の次善。お前が世界の果てまで逃げ続けるなら、最悪を回避することも──」

「バカ言わないで」


 今度は、希歌が女菟の言葉を遮った。

 彼女の口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。


「あたしは、風太くんと行く。もう決めたの。結巳ちゃんには忘れていたことを思い出させて貰ったし、あのロクデナシのユアチューバーには発破をかけられた。そうだ、風太くん。諏訪大二郎が言ってた──花を咲かせて見せろって」


 花。

 花、か。

 思わず、包帯の上から左手を握りしめる。


「希歌さん。本当なら、ぼくも希歌さんには逃げてほしい」

「…………」

「でも、いまはどんな力添えより、希歌さんが傍にいてくれることが、頼もしいんだ。お願いするよ。ぼくと一緒に、結巳ちゃんを助けてほしい」

「────」


 彼女は少し目を瞠り、それから取り澄ましたような表情を作って。

 拳を突き出して、勝ち気に笑った。


「もちろん! こんな巫山戯たこと、ぶっ潰してやろうじゃない!」


§§


「おい、話の途中わりぃが、朽酒──」

「女菟でいい」

「じゃあ、女菟さんよ。あの泥について、調査を頼んどいた会社から連絡が来たぜ。地球上には存在しない成分だと慌ててやがった」

「そうだろうな。こちらからもひとつ教えておこう。TAKASHIを名乗っていた男だが、あれは古い時代から神への接触を夢見て作られた家系の完成形だ。神に願うための器だ。とくに〝水〟への接触を得意としている」


 保が鼻で笑う。


「なんでぇ。つまるところ、十年とか二十年とかのちんけな話じゃなく、もっと大昔からこの馬鹿げた芝居は計画されてたわけか」

「臆したかい?」

「まさか! 反骨精神が滾ってきたところさ。ぜってぇ台無しにしてやるってよ」


 ニヤニヤ笑いながら、彼はバンをスタートさせる。

 それぞれの準備のためだ。


 プロダクションビルに着くと、全員が矢のようにバンを飛び出していった。

 一刻一秒を争うのだから、仕方がない。

 車には女菟と、そして自分だけが残っている。


「用意することはないのか?」

「ありますよ」


 言いながら自分は着替えを始める。

 これから行うのは、患者との対面だ。だったら衣装はひとつきり、ホスピタル・クラウンとして相対するしかない。


 小道具の準備を始めたところで、女菟が口を開いた。


「左手」


 彼女は、こちらの左手を指差す。


「痛むだろう?」

「……女菟さんだって、傷だらけじゃないですか」


 彼女は苦笑したようだったが、マスクの上からなのでよくわからなかった。


「泥の腕も蛇の霊も〝神〟の一部だ。触れて砕けば、この身を祟る。傷を負わずに恐怖を殺すことは出来ないさ」

「……ひとつ、訊いてもいいですか」

「お前様になら答えてやろう」


 じゃあ。


「その口の傷は」

「──。かつて、水の聖杯になりかけた少女がいた。それを防ぐためには、こちらもそれなりの代償を覚悟しなければならなかった」

「その所為で、傷を?」

「いいや、こいつは自分で引き裂いたんだ」


 なんだって?


「いいか、お前様。よく聞くんだ」


 彼女が、虚ろな眼差しで。

 けれど矛盾するように真っ直ぐに、こちらの眼を覗き込み、告げる。


「笑え」

「……?」

「涙を流せば、水の力は増す。オレは心底悲しみを憎んでいる。悲しみを打ち消せるのは、笑うことだけだ。自分と相手がこころから笑えなきゃダメだ。憎悪ではダメなんだ。だから、お前様は」

「はい」


 頷く、これ以上なくはっきりと。

 必ず、その忠告を守ると。

 自分のそんな様子を見て、彼女はどうしてか目を伏せた。


 そうしてまた、「左手」と口にする。


「見せてみろ」

「…………」

「いまは……他に誰もみていない」


 彼女に促され、覚悟を決める。

 そっと包帯をほどき、左手を空気にさらす。


 それは、異形の何かと化した腕だった。

 肘までの部分に、びっしりと緑色の血管──根が張り。

 腕自体は全体が真珠色に染まり、硬質化している。

 種子を餓えられた手の甲は最も変化が顕著で、そこから双葉を思わせる突起物が、ぐにゃりと鎌首をもたげていた。


「その腕で、奇術は出来るのか」

「痛みはもうないですからね、調整すれば動きます」

「それを、花屋敷統司郎は地獄花の種子と言ったな。正しくは〝非時香菓ときじくのかぐのこのみ〟と呼ばれるものだ」


 ときじくの……なんだって?


「ときじくのかぐのこのみ。本来なら神代にのみあり得るもの。お前様の中の〝泥〟をこれが吸い上げ、奇跡的に現状を維持している。禁后小鳥の功績だな、お前様が死ねば詰むと悟っていたのさ。言い換えれば、願いによってこの芽は育っている。もし、これが花開き結実したのなら、どんな願いでも叶えられるだろう」

「…………」


 わかっている。

 もちろん都合がいいだけではないはずだ。


 痛みはないと言ったが、違和感がない訳じゃない。

 確実にこの種子は、自分から大切ななにかを吸い出している。

 このまま放置すれば、死に至ることは言われなくても理解できた。

 それでも、自分は。


「橘風太。湖上結巳を正気に戻すのに、プラネタリウムを使うと言ったな。その次善策も、用意したな?」


 保と所在と話し合い、確かにセカンドプランは用意した。

 けれど、女菟の視線には諦めの色が強い。これでも足りないと、彼女は言いたいのだろう。案の定、そんな言葉が飛んでくる。


「勝算は低い。お前様の体内の泥は、諏訪大二郎の願いだ。どうにも上手くは行かないだろう。だが──」


 意外だったのは、あとに言葉が続いたこと。


「もし、最悪の場合、万策が尽きたとき。お前様は、この手で黛希歌を掴まえろ。そして、ぜったいに離すな」

「どういう意味ですか?」

「解る必要はないし、説明しても解らないさ。ただ、希望を一度でも掴んだのなら、絶対に放すべきじゃないってことさ」


 それは、もとよりそうだろうけれど。


「お前様には、死よりもつらい末路が用意されている。だからこそ、死ぬな。生きてくれよと、オレは切実に思う」


 なにを考えている人か、正直解らないと思っていた。

 けれど、このときの朽酒女菟は、ただ一心に自分を案じてくれているように、そう見えたから。


 だから。


「大丈夫ですよ」


 自分は、笑ったんだ。


「きっと、みんな生きて帰れます」


 彼女は。

 女菟は。


「……ああ、そんなこと、わかりきっているのにな」


 どうしてだか、酷く悲しそうな顔で、諦観を呟いたのだった。

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