半年前:熾火 二


 力を渇望し、魔力の無さに蔑まれた、少年だった日々。

 拳より剣が強く、剣よりも魔法が強いと言うのは、ありふれた市井しせいの常識だった。

 名ばかりの騎士爵家だった事が、周りの悪意を増長させた。

 もし純粋な平民だったならば、あれ程に『魔法無し』とは貶されなかったかもしれない。


 かつて、【彼】は無力に圧し潰されて死を選んだ。


 だから俺は小さな体の許す限りに身体を鍛えた。

 危険な町の外へと抜け出し、短剣を片手に魔獣を狩った。

 時に大怪我を負いながらも続け、しかし俺の魔力は増えなかった。


 いつまでも続く周囲からの『魔法無し』という嘲笑。

 切れた事はあった。

 拳を振るった事もあった。

 けれど結局、何も変わらなかった。


 傷だらけで空虚を抱えて蹲った。


 力の価値を決めるのは社会だと。

 そこで意味の無い力には、価値など無いのだと、諦めた。


 だから、ヨハンもまた、普通の純粋な悪意の中で窒息した。


 しかし十歳のある時、俺に転機が訪れた。

 それは一人の魔人の男との出会いだった。


 母と弟に見送られ、父に想いを託されて、彼と共に旅に出た。


『お前ならいつかきっと、俺の行けなかった場所に届くだろう』


 * * *


「さて、と」

 

 空を見上げれば、魔獣達と戦う高位開拓者や上級騎士達の姿が見える。

 魔獣達が溢れるように空を埋めているが、この町の開拓者の実力なら、そう遅れを取る事はないだろう。


 時間は少し掛かるだろうが、魔獣達の駆除も終わるはずだ。

 

「早くマスター達の元へ行こうかね」


 もしかしたら、もう決着が付いているかもしれない。

 元S級開拓者の【峰舞の拳】と、A級開拓者の若手ではトップランカーのが一緒なのだ。


 そこにF級開拓者の、『魔法無し』の出番などありはしない。


(俺を送り出した彼女は、パニックになっていたからな。ま、それで出て来た俺も同様か)


 俺の魔力は平均的な人間の半分程しかない。

 魔力切れにはなっていないが、既に覚える疲労は強くなっており、これ以上の戦闘は明日の障りになりそうだった。

 

(おまけに剣の方は限界だ)


 元からボロかったが、いよいよもって剣の重心は狂い、魔導機構の動作に違和感を感じるまでになっている。


(マスター達の戦いの臭いは既に無い。一応用心棒として、戦いの決着を見届けてから帰るか)


 そして、魔導剣を鞘に納めた瞬間。


 鼻が麻痺する程の潮の匂いを嗅ぎ、背筋が凍るほどの魔力を感じた。

 

 近くに在った神殿の鐘楼へと昇り、そこから発生源の方へと目を向けた。

 

「な!?」


 空を沈香茶とのちゃ色の魔法陣が覆い、中から巨大な琥珀色の蜘蛛が、その姿を現わした。


 貴族の邸宅よりも遥かに巨大なそれは、頭をもたげ、前足の一つで空を薙いだ。

 

 凄まじい豪風が走り、星々を背にして戦っていた開拓者も騎士も魔獣も、肉片さえ残さずに消し飛んでしまった。

 

「体毛」


 蜘蛛が起こした豪風の中に、槍の如き大きさの体毛が、無数に混じっているのが見えた。

 それが標的を挽肉ミンチへと変えたのだ。


 有名な毒蜘蛛であるタランチュラは、その体毛を飛ばして敵を攻撃する。

 巨体の質量でさえも凄まじい脅威なのに、さらには圧倒的な遠距離攻撃も持ち合わせた、冗談にならない怪物。

 

 その蜘蛛が街の中央へと頭を向けて、地鳴りと共に進撃を開始した。


 進路上にある邸宅の敷地に備えられた警備装置が作動して、防御結界が次々と自動での展開を始める。

 しかしそれらは蜘蛛の驀進ばくしんを妨げられず、守るべき家屋諸ともに、木端微塵に踏み潰されていく。

 

 止まらぬ蜘蛛の進む先に、数多の魔法士達が、転移魔法でその姿を現わした。

 魔導杖が蜘蛛へと向けられ、輝く各々の錬玉核の先で魔法陣が回転する。


『撃て!!』


 拡声器から号令が放たれ、強力な攻性魔法の数々が、虚空を翔け蜘蛛へと向かって行く。


 ズドンという音が一つに課さなり、大気が震えた。


 着弾した瞬間に眩い光が弾け、無数の巨大な炎の柱が、空を突く様にして昇り立つ。


 それは巨大な劫火の壁であり、まさに戦略級と称されるべき威力であった。


 歓声を上げる魔法士達。

 そして次の瞬間、劫火の壁が割れた。


 空を焦がす紅蓮を越えて、琥珀色の蜘蛛が歩み出る。

 その五体は満足に有り、傷らしいものは全く見えない。

 

 魔法士達はすぐに追撃の魔法を放つが、風刃の嵐も、音速を超えて飛翔した鋼の槍の群れも、その全てが蜘蛛の表皮に弾かれてしまう。


『まだだ、まだ』


 蜘蛛の巨体が走り、逃げ遅れた魔法士達は踏み潰されてしまった。

 

(……)

 

 蜘蛛の体毛で死んだ者の中には、二人のS級開拓者がいて、同等の力を持つ騎士も一人いた。

 全滅した魔法士達の事も考えれば、この町には、もうあの怪物に立ち向かう余力はないだろう。

 

 一人だけあの怪物を超える化け物が存在するが、あいつは今、遥か遠い国に出張中だ。

 転移魔法を使えても、伝える手段が無ければ意味がない。

 

 ボロボロの魔導剣の柄に、右の掌を置く。

 その開閉を繰り返し、この町に暮らす少女と両親、弟の顔が脳裏に浮かんで、柄を握る手に力が籠る。


(マスター達の所へ……。それとも、あの蜘蛛を)


 向かうべき先が揺れ、それに心が惑ってしまう。


 次の瞬間、潮の匂いを嗅ぎ、鐘楼から地面へと飛び降りた。


 地面に着地した俺の目の前で、竜巻に呑まれた鐘楼が砕け散っていった。


「チッ、甘かったか」


 その声に振り向けば、バレル亭を襲った狼獣人の男が立っていた。

 身体を黒い体毛が覆い、狼の顔には禍々しい赤い眼が輝いている。


「お前、マスター達をどうした」

「ああ、あの雑魚共か。撫でてやったら、川の中に逃げて行ったぞ」


 狼は、実につまらなそうして喋る。


「あそこがバレル亭で間違い無かったが、あいつらの中にいた剣士は違っていた。で、だ」


 狼の指が俺を差す。


「お前がヨハンか?」

「……確かに、俺はヨハンだが」


 調べればすぐに分かる話に嘘を吐く理由は無い。

 それよりも、下手に暴れられるのを防ぐ為に、ここは俺が引き付けるべきだろう。


 全く以て分不相応だが、一応当てはあるので、時間を稼げれば何とかなるはずだ。

 

「チッ。見るからに覇気がえ。おまけに勝ちは考えず、時間を稼ごうってつらだ。こんなクソ野郎が、あの人の剣を継いだのか?」

 

 その狼の言葉に、引っかかるものがあった。


「お前、まさか……」


 狼の目が細まり、人の領域から遥かに隔絶した、莫大な量の魔力が噴き上がった。


 荒れ狂う嵐のようなその魔力は、あの蜘蛛さえも凌駕りょうがしており、その波動を受けた地面が裂け抉れ壊れていく。

 

「俺の名は【戦獣騎 バルコフ・ジュノーク】。手前の名は何だ。名乗れ!!」


 凄まじい闘気が圧力となって襲って来る。


「クソが」


 悪態を吐き、それで臆病を誤魔化し、辛うじて剣を構える事ができた。

 

「俺は、お前のような奴に名乗れる程の者じゃねえよ」


 狼は【戦獣騎】と、自らの異名を名乗った。

 

 そも異名とは、古くは上の者に対して名乗るものであり。現代においては自らの生きる道と、誇りを示すものとなった名前のことだ。


 故に、だからこそ俺は、自分に異名を付ける事ができなかった……。


「異名の無い、何処にでもいる、ただの剣士だ」

「!!」


 飛び掛かって来たクソ狼の右拳を、魔導剣で受け流そうとする。

 しかし剣身は、奴の拳が纏う風圧に触れただけで砕け、それによって俺の身体は弾け飛び、壁に強く打ち付けられてしまった。

 

「ガハッ、ガハッ」


 蹲り嘔吐えずく。

 顔を上げた俺と狼獣人の視線が合わさる。

 

 赤い眼にあったのは、腐り切ったゴミを見るような視線。

 それはいつも誰かが俺へと向けてきた視線ものであり。

 

 どうしようもなく、慣れてしまった視線ものだった。

 

『だからお前は駄目なんだ』


 魂の奥に残る、忌々しい声。


「うるせえ……」


 口の中の血を吐き捨てて、ふらつきながら立ち上がる。

 その隙だらけの俺に、クソ狼は何もしてこなかった。

 見下してやがるのだ、とんでもなくな。


 頭の中と視界の景色が重なる。

 ぼやけて見える『前世の父』の姿に、吐き気が込み上げ、それを口の中の血と一緒にペッと捨てる。


「クソが。本当に不愉快な目をしやがる。他人を見下せるほど、テメエは御立派なのかよ」 


 あの男も、お前も、ただのクソだろうが。


 腰に残った鞘を右手に握る。


 ふらつきながら、辛うじて立ち上がり、呼吸を繰り返し、体内を巡る気を調整する。


「ふうー」


 俺の心の奥から、先生の声が聞こえた。


―― 大丈夫だよ。ヨハンはきっと、誰よりも強くなる。


 俺なんかには余りにも過ぎた、師たる彼の言葉。

 だがそれはいつも俺に、最後のギリギリで踏ん張る力を与えてくれる。


―― 強くなれ。そして自由になれ。


 その言葉は、しがらみに囚われて下を向いて生きている俺に残った、たった一つの道標。


(五手乃剣)


 魔導学において、生物が体内に持つ魔力を『生体魔力』と言うのに対して、自然に満ちる魔力を『自然魔力』と呼ぶ。

 生物は、空気の呼吸のように自然魔力を体内に取り込むことで生体魔力を生成しており、それを用いることで、魔法を使う事ができる。


 この技は肉体の恒常性の枷を外し、生体魔力の生成機能を暴走の手前まで持って行く、自爆に近いもの。


「剣技・水袷みずあわせ


 呼吸と共に俺の中を熱が走る。

 これによって、常人の半分程しかなかった俺の魔力量は、凡そ一・五倍位にまで激増した。


「我に武勇を 我に祈りを」


 唱える呪文が魔力に形を与えていく。


いさおに灯す炎を我に」


 それらが組み合わって構造となり、この世に魔法となって奇跡を現わす。


「【武侠顕正ぶきょうけんせい】」


 展開した戦闘用強化魔法の効果が、俺の身体能力を引き上げる。


 左手を腰に回し、右半身を前に出した、右片手中段。

 構えるのはただの木製の鞘。


 クソ狼は蔑んだ視線を送って来るが、力を抜いて佇む姿に隙は無い。

 

「ふっ!」


 先手。


 右の踏み込みより、振り下ろした鞘はクソ狼の左拳に難なく砕かれる。

 そして音速を遥かに超えたクソ狼の右拳が、カウンターとなって俺の鳩尾みぞおちを打った。


「ハッ」


 笑う俺と、


「テメエ!?」


 叫ぶクソ狼。


 クソ狼の右拳は俺の服を粉砕し、しかし俺の薄皮の上で止まっている。


 細胞の一つ一つが。

 全身を流れる血と魔力が。

 俺を構成する全てが、クソ狼の拳打の力を流し去った。


「っ」


 クソ狼の拳と蹴りが嵐のように襲って来る。その一撃の余波だけで、貴族街の建物諸々が紙のように裂け、消し飛んで行く。


―― 避け得ない一撃は敢えて

―― 喰らった力を俺の中で循環させ、一つの場所へと収束させる。


 瓦礫の風の中に混じる剣を掴み取った時、眩い沈香茶色の炎を宿した、クソ狼の左拳が迫って来た。


 柄を両手に握り、刃を真っ向勝負の上段へと構える。

 俺の中で荒れ狂う、今までを剣の技へと乗せる。


―― 剣技、


 風に揺れる鐘は、その身に受ける全ての力を自らの音色に変える。

 故に、他を自として使うこの技の名は。


揺鐘ゆれかね!!」


 炎を斬り裂き刃が走る。

 剣と拳がぶつかり、爆発した力の奔流が、町の一角を吹き飛ばした。





 

//用語説明//


【人類種】

 

 人種には人間や亜人と呼ばれる獣人、エルフ、ドワーフやプレーリービー、そして魔人等が世に知られている。

 亜人達は人間よりも強靭な肉体あるいは特殊な能力を持っているが、スス同盟国のある西方では人間の数の方が多く、また支配する領域は広大である。

 

 その理由として、人間の方が他の人種よりも繁殖力が高く、また個々の環境に特化した亜人達に比べて、異なる環境への適応能力が高いという点が挙げられる。

 亜人達が魔力の属性適性を一つしか持てないのに対して、人間は複数の属性適性を持つことができる。

 それを駆使して厳しい状況を乗り越えられるのも、亜人達から脆弱と言われる人間の強みだろう。

 

逆に獣や精霊の特性を持つ亜人達の中には、あまりにも環境に適応し過ぎて、極めて限られた場所でしか生きる事ができなくなった者達もいる。

 戦える場所が限られる亜人達は多くの戦場で『戦えない場所』で人間に敗れていき、人間はその汎用性を武器にして、他の人種との生存競争に勝利を積み上げていった。

 

 ※ちなみに他の人種達からは、人間は『ゴブリン』という蔑称で呼ばれることもある。


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