半年前:熾火 一

 微睡まどろみに過去の景色が浮かぶ。


 半年が過ぎてなお、定まらぬ間隔の中で夢となって現れ、心を焦がす。


 俺の歩む道のかたわらに置いたはずの剣が、剣戟けんげきの音と共に訴えて来る。


―― おオレが本当に生きるべき道は……。


 * * * 


「痛って……」


 棚に突っ込んで酒瓶の洗礼を浴びた。

 身体中を襲う鈍い痛みを通り越して、溢れんばかりの酒精の臭いが鼻を突き、一呼吸ごとに噎せ返りそうになった。


「おい生きてるか!?」


 店の中の照明は壊れ、暗闇の中には無数の人影が突っ伏している。


「おお~」

「危機、一髪」

「死ぬかと思った……」


 死屍累々の有様ながら、死んでいる者はいないようだった。

 時にならず者の同類と呼ばれる開拓者だけあって、流石はタフだなと感心する。


「げほっ」


 立ち上がり見渡せば、惨憺たる店内の有様。

 夜目が効くので不自由しないが、これはむしろ見ない方がよかったかもしれない。


 ついさっきまでは酒場だった場所が、今や廃墟と化している。


 この片付けが、用心棒という名の雑用たる俺に掛かって来るのは、火を見るよりも明らかだった。


「あの、クソ狼が」


 襲撃犯たる狼獣人の顔が頭に浮かび、深く重く、怨嗟の声が口から洩れる。

 

 手に握っていた包丁を置く。

 作り掛けだったサンドイッチは、もうどこにもない。

 

「デリバリー一件キャンセルだ、クソッたれ」


 腰に吊った魔導剣を抜き、安全装置を外す。

 魔導機構が呼吸を始め、剣身に魔力が流れ始めた。


――潮の匂いの残滓が脳裏を掠める。


 であんな死に方をしたせいか、今世の俺は『自分の死の気配』というものが分かるようになった。


 それは俺の知覚に『潮の匂い』という形で現れ、俺の死が在る場所を教えてくれる。


 そしてあの狼獣人から匂った潮の匂いは、これまでの記憶にない程、強いものだった。


「っ」


 踏み出そうとした足が震えているのに気付いた。

 剣を持つ右手が、柄を固く握っている事に気付いた。


 俺は、自分が怯えている事に、気付いてしまった。


(死んで、生まれ変わって、結局何も変わらない)


 あの男の声が耳を打つ。

『だからお前は駄目なんだ』、と。


 特にここ最近は本当にそれが酷い。


 視界が揺れ、呼吸の回数が増えて行く……。


 がしりと肩を掴まれた感触が、俺を呪縛の中から引き戻した。


「おい大丈夫か?」


 心配そうに俺の顔を覗き込んで来た、竜人の男。

 その常連の開拓者の男に「大丈夫だ」と告げ、パンッと自分の額を叩いた。


「すまん」


 竜人は気にするなと手を振った。


「無理はするなよ」

「ああ」


 左手を開閉し、緩んだ右手で剣をクルリと回転させた。


「今から瓦礫を片付ける! 騒ぐと間違えて斬るからな、注意しろ!!」


 左足を前に。

 右手に握る剣を振り上げ、左手を添える。

 

 そこら中の瓦礫の中から「「おう!!」」と言う声上がり、暗闇の中に響いて行く。


 彼らは防性魔法の障壁や結界で身を守れたが、瓦礫が邪魔で出れなくなっているのだ。


(D級開拓者でも、魔法を使えば楽に撤去できるものだが……)


 魔力が満ち、普通に人々が魔法を使うこの世界で、俺は殆ど魔力を持たずに生まれた。


 故に、俺はまともに魔法を使う事ができない。

 

――だが、剣だけは。


 俺の魔力を受けた魔導剣の火錬玉が淡い光を灯し、剣身を薄っすらと魔力刃が覆う。


 踏み込み、縦横無尽に刃を走らせる。


 粉微塵になった瓦礫が、ばらばらと床に落ちて行った。



 * * *



 俺の名は【ヨハン・パノス】。


 ある大陸の西方に位置するスス同盟国、その王都ペシエに住む灰色の髪と青い眼を持った十八歳の男である。

 家はこの国では珍しくもない名ばかりの騎士爵家であり、実態はもはや大衆市民と何も変わらない。


 だから使い捨ての砲弾のように空を跳び、襲い来る魔獣に中古品の魔導剣を握り立ち向かっても、そこに誇りなど感じはしない。

 

『ガアアッ!』


 熱烈な咆哮を上げた黒い大鷲おおわしが、その巨大なくちばしの先を俺へと向けた。


 跳躍が描く放物線の頂点に至り、宙に止まる俺へと、鋼の塊たるゴーレムを噛み砕いた、魔獣のくちばしが迫って来る。

 

「くそ、底なしに湧いて出やがる」


 俺と大鷲の一瞬の交差。

 虚空に在る俺と、街灯りの中へと進み去る大鷲。

 

 ピッと俺が右手の魔導剣を払うのと同時、大鷲の身体が細切れへと変わる。


 風が血生臭くなり、ばらばらとなった肉片が地上へと降って行った。


 夜の闇には果てが無く、遥かな天上には星の瞬きが広がり、足元には高位貴族共の、無駄に大きな邸宅が連なっている。


 もしそれの一つを壊せば、例え過失によるものであったとしても、後でかなり面倒なことになる。


 おかげで両断すれば済むものを、無駄な体力を使って、態々細切れにまでしなければならない。

 

「ったくあのクソ狼が。よりにもよって貴族街に行くんじゃねえよ」


 バレル亭を襲った狼獣人。

 そのクソ狼を迎え撃ったのは、元S級開拓者のマスターと、常連のA級開拓者達だった。

 

 一通り救助が終わった俺は、バレル亭の同僚達から『マスターを頼む』と言われ、加勢へと送り出された。


 そしてバレル亭を出た俺は、町中に溢れ返った魔獣を斬りながら、マスター達の元へと急いでいた。


(そう言えば、昔見た賞金首のリストに、あいつの顔を見たような……)


 ここしばらくは協会の本部はおろか、出張所にさえ行っていないので、全く思い出す事ができない。

 

 ズドンッ!!

 

 眼下で爆風が吹き荒れ、炎が燃え上がり、地上でうごめく巨大な魔獣達の影が照らし出された。

 

「誰か助けて!!」

「俺を誰だと思ってやがる! えある……家の当主だぞ!!」


 叫び狂乱する大人達と、怯え、彼らに縋る子供達の集団。

 

「ま、これも名ばかりだが、開拓者である者としての役割か」


 風を捉え、下降する位置を調整。

 

 地上の姿が急速に迫って来る。


 その視界の中で、瘴気を纏う大熊が、剣の様な爪を生やした右手を振り上げた。

 

「助けて」


 俺の地獄耳に少年の声が聞こえ、大熊の右手が振るわれる。


 そして、空気を抉り取る音が響き、狂笑を浮かべた大熊の右手が明後日の方へ飛んで行った。

 

『グワ?』


 笑みのままに、呆けた声を出した大熊。


 周囲の魔獣達の騒めきも止まった。

 

「五手乃剣」


 彼らへの手向けとして、殺した技を言の葉に乗せる。

 

「剣技・纏放てんほう


 剣の一振りが纏った力を解き、多をほうむる縦横無尽の不可視の刃として放つ技。

 首が落ち、身体を裂かれ、縦に割れて、魔獣達がその巨躯を地面へと落とす。

 

 その最後に大熊の首が滑り落ち、身体は後ろへと倒れていった。

 

 それらを見届け、俺は残心を解いた。

 

「お前は開拓者か?」

 

 後ろから声を掛けられ、そちらへと振り向く。


 集団の先頭に立つ、土とすすに汚れた高そうな衣服を纏う、髭を生やした男が俺を見ていた。

 

 いかにも貴族然とした顔付きであり、強い光を宿した目をしているが、しかしその瞳の奥には、まだ恐怖の色が残っている。


「はい。F級開拓者をしている者です」

「「な!?」」


 男の問いに答えた俺の言葉に、集団の中から騒めきの声が上がっていく。

 

「F級って、開拓者の一番下だよな?」

「見習いが今の魔獣を倒したのか?」

「私が護衛に雇ったB級開拓者共は、歯が立たずに殺されたわよ?」


 そして男の目も、俺を凝視するものへと変わった。

 

「危ない所を助けてもらい感謝する。聞くが、君の持つその剣は何か特殊なかね?」

「いいえ。ただの中古の魔導剣ですよ」


 セールで見つけた物で、相場よりもかなり安く買えた物だ。


 型は古く、魔導機構にはガタが来ており、錬玉核の反応もかなり良くない。

 これを百本積んでも、魔剣一本の値段には届かないだろうという品。


 見えやすいように掲げた剣を、男がじっと凝視する。

 

「……。行くぞ」


 男は俺への興味を失ったようで、踵を返して集団の方へと去って行く。

 

「この先に救助に来た騎士団が待機していますよ」


 上空で見た光景、そこから得た情報を男に教えたやった。

 不快な奴等だが、助けておいて死なれるのも癪に障る。


 何より子供達も一緒なのだ。

 

「……」


 男は俺を一瞥し、俺の指した方へと進路を変えた。

 彼に続く者達も、俺を見る事は無い。

 

 一人だけ、俺が助けた少年が、ペコリと頭を下げた。

 

 それが嬉しくなり、空いている左手を少年へと振った。

 彼も嬉しそうに笑い、もう一度頭を下げてから、男達に付いて去って行った。


//用語説明//


【神殿】


 世界各地に在る神殿は神の栄光と聖霊の恩寵恩寵を語り、異界に潜む悪邪あくじゃの脅威を解いている。


 聖霊は世界の管理者であり、悪邪は異なる空間や次元から現れる超存在の一つである。

 悪邪と対になる概念として聖威があるが、その分類は『聖霊に認められているか否か』による。


//

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