三、青年期の終り

 ユリカの故郷は海沿いにあるため、毎年新鮮な魚介類が打ち上げられ、その中から選別された高級品だけが都会に送られる。

地元の人が見るのも嫌なぐらい食べ飽きたものを、なぜ都会の人は食べたくて食べたくて仕方がないのか。上京したばかりの頃は不思議で仕方がなかった。

 夢原にウニ丼の話を振った時も、「結構です。都会の方が良いウニが食べられるから」と言われることを想定していた。しかし、当の夢原は現在、道の駅の食堂でウニ丼を食べ進めるごとに、恍惚の表情を浮かべていた。

「んふふ~。確かに高級ウニもいいですけど、やっぱり地元のウニを食べなきゃ駄目かなって」

 きっと都会人特有の使命感なのだろう。幼い顔立ちを最大限に活かした無邪気な笑顔に、「ああ、そうなんだ……」と曖昧に返したユリカは、紙コップに注いだコーヒーを飲み干した。

「ところで、バスの時間大丈夫ですか?」

「あと三時間くらいかな」

「さすが田舎」

「それ褒めてないでしょ」

 歯を剥き出してみせると、ウニ丼を完食した夢原が「バレました?」と笑いながら、ナプキンで口元を拭いた。

 夢原とは随分打ち解けた気はするものの、未だに謎が多い。どちらかというとがさつなユリカでも分かるくらい所作が綺麗なため、故郷へ向かう新幹線の中で夢原に尋ねてみた。

『夢原さんって、どこかのいいとこ育ちなの?』

『いえ。ごくごく普通ですよ。母が礼儀作法にうるさい方でしたけど』

『へえ。あたしはおじいちゃんが厳しくてさ――』

 そこまで話は進んだものの、途中から、夢原の表情が少し曇った気がした。触れたくない話だったのだろう。ユリカの謝罪にも笑顔で受けてくれたが、笑顔も普段より引きつっていた。

「ここは贅沢に、タクシーで移動しますか」

 ユリカが席を離れて紙コップをゴミ箱に投げ入れると、夢原はどんぶりを乗せたトレーを返却口に入れ、小走りでユリカの後に付いた。

 千鳥格子のブラウスとスカートの上に白い毛糸で編んだポンチョを被り、下は黒いニーハイソックスとキャメル色のレースアップブーツ。

お団子頭もいいが、ゆるく束ねたおさげの夢原も可愛いな、とユリカは思った。

 二人は外で待機していたタクシーに乗り込むと、アーケード商店街へ行くよう運転手に伝えた。車内はローカルのラジオ番組が流す軽快な音楽で満たされていた。

『それではここでゲストをご紹介いたします。シンガーソングライターとして活動中のクサカベ・トモさんです』

『みなさんはじめまして。クサカベ・トモさんといいます』

 タクシーが走るのと同時に、ふにゃっとした柔らかい声がラジオから聞こえた。海沿いの田舎の風景を眺める夢原から視線を外し、ユリカも反対側の窓から景色を眺めた。

『主にストリートライブを中心にギターの弾き語りを行っているクサカベさんですが、いつ頃から音楽の世界に入ろうと思ったんですか?』

『実は思ったことないんですよ。そもそも両親はこの世界に入ることに大反対してましたし』

『そうだったんですか。やはり辞めようとか思ったりも?』

『そうですね。実家暮らしだったのも大きかったと思います。当時は昼間働いて、深夜にアーケード商店街で一人ライブとかしてましたから』

 深夜にアーケード商店街で、一人ライブ。

 ユリカはふと夢原の方を見ると、夢原もユリカを顔を見た。夢原の顔の半分は驚きで、もう半分は真顔でできていた。

『二足のわらじは大変だったでしょうね』

『はい。しかも両親から、お前の顔は芸能人の誰かに似ているから絶対売れないとか、そもそも歌下手だし、みたいなことも言われてて……』

「すみません運転手さんこのラジオ局ってどこにありますかこのゲストが出てる時間までにラジオ局に着くことってできますかできなくても軽く車ぶっ飛ばしてほしいんですけど」

 確証もないもないまま、ユリカは反射的に運転席に身を乗り出し、運転手にまくし立てていた。淡々とした口調に対し、運転手は気が弱い性格なのか「えっと、アーケード商店街の向こう側なので、今から飛ばしても間に合わないと……」と返した。

『自分で曲を作って、それを歌うのが怖くて仕方がなかったんですね。だから代わりにCMの曲ばっか歌ってました』

「いいからとっとと飛ばせよこら! やってもいねえのに諦めるとかマジありえないんですけど! あんたそれでも男かよ!」

「ハヤマさんっ、ハヤマさん落ち着いてください!」

 夢原は確証を得てから動くつもりだったのか。ユリカの剣幕に押されながら、ユリカを言葉で制しようとした。

しかし、ユリカは聞く耳を失っていた。構うことなく運転手に喰ってかかる。

「客が困ってんだからそれなりの対応しろよおらあ!」

「ハヤマさんお気持ちはわかりますがその流れは恐喝罪で負けるパターンです!」

『そのとき知り合った女子高生の子がいなかったら、今のわたしはいなかったと思います。わたしが両親から言われたこと話したら、自分のことのように怒ってくれて。今もはっきり覚えてます』

 私も覚えています、とユリカは頭の中で返した。

『自分がいいと思ったことをやればいい。やるのは親じゃなくてあんたなんだから、胸張ってやるべきだ。あんたにだってプライドはあるでしょって』

 胸を張って生きるべきなのは自分の方なのに、世の中のことを何も知らない学生がなんて口を利いていたのだろう。

『なかなか強気な子ですね。それからその子とは?』

『春の少し前から会えなくなってしまって……名前を聞いていなかったので、自分から調べることもできませんでしたし。元気だったらいいなあって思ってます』

 元気です。あなたのような目標も夢もないけど、元気でやってます。今あなたを探してこっちに来てるんです。声が聴けて、名前も知れて、本当によかったです。

『ありがとうございました。最後に曲紹介もお願いします』

『はい。それではお聴きください。クサカベ・トモで、夜の蝶』

「ハヤマさん!?」

 曲名が聞こえた瞬間、ユリカは夢原の制止を振り切り、タクシーのドアを開けて駆け出した。

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