舞うが如く9話-4「雨後」

 地蔵峠に住む刀鍛冶、ゲンオウのもとに身を隠したミズチとシキョウ。そんな二人のもとを訪ねてきたのは、ナマズ顔の剣客であった。


「ご無沙汰しています、ナマズ公……いいえ、ダ権守様」

 シキョウは座したまま頭を下げた。ゲンオウ老人と、布団の中で不貞腐れていたミズチも、客人の名を聞いて反応を示した。


 ルル家・ダ権現守ごんのかみ・ヒョウネン。かつて大公家剣術指南役まで務めた十刀流の剣士で、ナマズに似た奇矯な魚面ゆえに「ナマズ公」とも呼ばれている男だった。


「ダ権守っておい、オイ、オイ! こいつぁ、たまげた。まさかこの男が、大公家の剣術指南役だってぇのかい」

 ゲンオウは驚きの余り身を乗り出し、ナマズ公の魚面を凝視する。

「確かにそのような肩書きを持っていたが。今はホラ、この通り、どこにでもいる素浪人さ」

 と、ナマズ公は気さくに笑う。

(どこにでもいる?)

 シキョウは激しく訝しんだが、敢えて口に出すのは止めた。その代わり、ナマズ公を中に招いて、静かに話を始めた。



「色々と積もる話はあるんですが、まずは、助太刀に感謝致します。あなたがいなければ、私もミズチさんも、追っ手を振り切れなかった」

「……ありがとうございました」

 ようやく布団から出たミズチも、おずおずと頭を下げた。

 昨晩、二人は刺客のネストが何者かに狙撃されている間に離脱。全速力で、ゲンオウの小屋まで逃げて来た。

 そして、肝心の狙撃手の正体こそ、ナマズ公ことダ権守であった。


「見知らぬ女に助太刀を請われた時は驚いたぞ。それが君たちの使いだと言うのだから、余計にな」

「実の所、あの情報屋の話を信じてくれるか、正直、不安でした」

 シキョウは苦笑いを作った。ミズチがマシュマロ伯の屋敷に乗り込むのと同時刻、シキョウと情報屋も行動を起こしていた。


 情報屋はシキョウがしたためた便りを手に、ダ権守の屋敷へ赴き、助力を求めた。そしてダ権守はすぐに事態の深刻さを見抜き、腰を上げたのである。

「しかし、ひと足遅かった。奴らの叛乱は、実行直前の段階まで来ている。加えて、ガボ師範も……誠に残念だ。名うての剣術つかいがまた一人、この世から去ってしまうとは」

 ダ権守はナマズ顔に沈痛な表情を作り、深いため息を吐く。

「彼の評判は昔からよく聞いているし、実力も知っている。並大抵の剣士では、彼の足元にも遠く及ばないのだが……」

「あのマシュマロとかいう公家。おそろしい敵でした。あの男の配下にいる者達も手強い。一体、何者なんでしょうか」

 ミズチは包帯の巻かれた手を固く握りしめた。


「剣客。それも、比類なき使い手だ」

 ダ権守は口を開いた。ミズチとシキョウは、返ってきた答えに半ば唖然とする。

 公家の剣客。そんな者がいるのか。


「武芸に秀でる公家というのは、何も珍しくはない。金があって時間があるのだから、自然と腕が磨かれる。あのマシュマロも、その一人だ」


「それ程の凄腕なら、ダ権守様のように、高い評判が耳に入ってくると思うのですが」

 シキョウは頭を掻き、疑問を呈する。ミズチも無言で頷いてみせた。


「それはだな」

 ダ権守は長い髭を弄りながら、視線をさ迷わせた。やがて彼は、重く低い声で話を再開する。

「こうなってしまった以上、正直に打ち明けるほかないか。あの男……マシュマロは、貴族の地位を隠れ蓑に、暗殺業を請け負ってきた。依頼主は時の為政者達。つまりは、国家公認の始末屋だ」

「なんと……」

 ミズチは驚愕して、腰を浮かせた。シキョウと黙っていたゲンオウも、あんぐり口を開け、茫然とする。


「旧政府の要人、反体制派、貴族、果ては外国の政治家たちが、ヤツの刃に掛かって命を落とした。よもや上流階級たる公家が、自らの手で暗殺を繰り返しているなど、誰も思うまい。おかげでヤツとこの国の悪行は、これまで気付かれずに済んだ」


 ズシリと場が静まり、重苦しい空気が漂う。

「やはり危険人物でしたか、あのマシュマロ子爵は」

 困り顔のシキョウが発言する。

「正直なところ、飼い犬が野良犬になって、飼主に噛み付こうが、知った事では無いんですがね。しかし、その厄介な野良犬が、よりにもよってこの町で悪だくみをしている。真っ先にとばっちりを受けるのは、住人達だ」

 彼は頭を掻き、冷ややかな顔で言葉を続けた。

「ですからまあ、連中を止めたい。柄にも無く、そう思っているんです」

「やい、マガツ。てめえいつからそんな、立派な人間になりやがった」

 静観を決め込んでいたゲンオウが茶々を入れて来た。


「シキョウだよ、オレは。とにかく、ダ権守様のお陰で、首魁の正体を知ることができた」

 ここでミズチが口を開いた。

「しかしどうして、奴らは今になって叛乱など起こす?」

「敵を一つに絞りたかった。油断させておきたかった。彼らなりに戦略があるんでしょう。凡人には予想がつきませんけれど」

 シキョウが、両手を軽く掲げた。お手上げとでも言いたいのだろう。


「動機は一先ず脇に置いといて。実はね、ミズチさんとは別に、私もこっそり警部の家に忍び込ませてもらいました。あの人はひと足先に、叛乱軍の武器の在り処を突き止めていたようです。これを」

 シキョウは羽織の広い袖口から、丸めた紙束を取り出し、床に広げた。線の引かれた地図や、殴り書きされた文書などであった。シキョウは地図を指で叩きながら話す。


「まず、武器は運河通って、港に揚げられます。その後、分散して市外に持ち出された。そして、こっそりまた港に戻って来たんです。追跡躱しの常套句ですね。つまり武器は港。おそらく、何処かの倉庫かな。警部が暗号を隠す為に使った薬きょうは、そこにあったモノだ」

 更にもう一枚、シキョウは皆に見せた。今度は書きかけの手紙。一度くしゃくしゃに丸められたようだ。


「宛先はガボ師範でした。手紙には、港で武器を受け取った集団を探った事や、調べる内にマシュマロ子爵に行き着いた事が書かれています。ガボ師範は、警部の家でこの手紙を読み、子爵の屋敷に乗り込んだんでしょう」

(そして、仇討ちに失敗した)

 ミズチは歯を食いしばった。

 重い沈黙が走るなか、どこかで雀が鳴いた。


 傾いた窓から差し込む眩い陽光が、一日の始まりを報せてくる。雨を吸った土の匂いが窓から入り込み、部屋を満たしていく。

「……いったい、あとどれだけの血が流れるのだろうな」

 ミズチは曇った顔を上げて、朝空を見上げた。


(つづく)


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