舞うが如く8話-2「暗転」

 それからミズチは一人、マシュマロ邸の裏門を飛び越え、音もなく着地した。それから彼女は、朽ちた小屋の陰へ走り、まず辺りを伺い始めた。


(公家の屋敷はどこも?)

 竜人の女剣士は、屋敷じゅうに漂う微細な気配に気づき、そっと眉をひそめた。裏口に近い中間屋敷は灯りがあるものの、さっぱり静まり返っている。

 だいたい、中間どものたまり場は賭場になり易く、夜遅くまで、やいのやいのと騒がしいのが常なのだ。


 さらに、おそろしい位に静かな屋敷なのに、凄まじい緊張が、あちらこちらから滲み出ていた。見張りがいる。それも、闇夜に溶け込むのが得意な手練れ達らしい。

 悠長にしていては、こちらの存在が察知されてしまう。

 そうなる前に、一刻も早く、屋敷に忍び込まなければ。

(こんな時に、シキョウがいれば)

 暗色の野良着を正しながら、ミズチは心の内で呟く。相棒の昼行燈は、屋敷とは別に印のあった港へ行ってしまった。普段は鬱陶しい筈の神出鬼没ぶりが一番輝く機会だというのに……。

 ミズチは嘆息の後、腰を上げた。


 

 ひゅうッと、冷たい風が吹き、庭園の枯草たちが夜闇の中に舞い上がる。

(……うまくいくかな?)

 ミズチは全ての意識を足元の一点に集中させる。

 風の動き、空気の流れを、持てる全ての感覚で追った。

 やがてミズチの目には、薄ぼんやりした「波」が見え始めるようになった。

 波はどれも不規則に入り乱れているように見える。しかし、よく目を凝らすと、まるで飛び石のように同じ向き、同じ速度で流れている波が、ちらほら点在していた。


 ミズチは竜の尾を振って浮遊。彼女の大きな体は、音もなく夜闇に漂い始めた。

 ゆらり、ゆらり。見当をつけた風の波に体を載せる。その内に、ミズチは音もなく上昇を続け、瓦屋根に辿り着いた。

(……今のが、風の波?)

 着地した瓦屋根を触りながら、ミズチは唖然とする。

 人でありながら「浮遊」という力を持つ竜人一族は、修行を経て、風の流れを「波」として知覚できるようになる。この術を身に着ければ、風に溶けて同化し、空に漂うことができるのだ……と、ミズチは幼少の頃に教わり、修行も行った。そして、実践したのは、これが初めてであった。


(こんな簡単にできて良いのか?)

 首を捻りたかったが、一先ずミズチは気持ちを切り替えて、天井裏へ続く進入路が無いかと探し始めた。

 すると、屋根のすぐ下の妻壁に、ぽっかり穴が開いていることに気づいた。

 通風口……にしては、いささか広すぎた。ヒトが一人、潜れる程に。振り返ると、屋敷の裏門はおろか、塀の外まで一望できる、絶好の位置だった。

 訝しんだものの、他の侵入路を探す暇を惜しんだミズチは、中に飛び込もうと、通風口の入り口に手をかけた。


 その時、瓦屋根の下に隠れていた四角い穴を見つけてしまい、思わず動きを止めた。

 おそるおそる瓦を手で引っ張る。力を込めると、瓦は容易に外れた。

「むう……」ミズチは声をあげそうになった。

 銃眼。射出が城内から外敵を狙撃する際に使われる、小さな隙間。それが、瓦の下に配置されているのである。

 なぜ屋根に銃眼が隠されているのか。それも、市街地の屋敷に。

(いよいよ、きな臭くなってきた)

 ミズチは呼吸を整え、通風口に体を滑りこませた。


 ……………


「……何てことだ」

 早々にミズチは屋敷の異様さを感じ取った。

 通風口から先は、背の低い通路になっていた。通路の左右には、それぞれ小部屋が一つずつ。


 例の銃眼が瓦で塞がれ、周囲に砂袋が積まれている。更に部屋の奥には、下の階を繋ぐ、小さな巻上げ機まで据え置かれている。

 やはり、ただの屋敷ではない。

 注意深く息を殺し、通路を通って、屋敷の中央へと向かった。


 まもなくして、柱の少ない広い空間に出た。おそらく、板一枚を隔てた下は、大部屋になっているらしい。

 そして、低いひそひそ声がひっきりなしに聞こえてくる。

(どこか、隙間や穴はないだろうか)

 下の密談者たちに悟られないよう、体を浮かせながら、ミズチは覗ける場所を探し回る。

 そして、ようやく見つけた隙間に顔を密着させ、下の様子を覗き見始めた。

 女剣士の片目が大きく開かれた。

 大部屋では大勢の男たちが規律正しく座り、秘密の会談を行っていた。


「……それでは、兵たちの装備の件は、問題が解決した、という認識でよろしいでしょうか」

 丸眼鏡の男が腹に力をこめて言う。列から外れ、得意げに話している様から推測するに、彼が密談の進行役のようであった。

「ゲンソンの武器が抑えられたと聞いた時は、どうなるかと思うたが。いやあ、良かった、よかった」

 と、別の列から声があがった。


 ゲンソンという名を聞いたミズチは、激しく動揺した。

 ひと月前、彼女は武器の密輸を企てるゲンソン一味と争い、彼を手討ちにした。

 あの事件は終わっていない。ゲンソンの商売相手を探っていた警部は、何者かに殺された。そして、彼の遺した暗号によって、ミズチはこの屋敷に辿り着いた。

 つまり、警部が追っていた、ゲンソンの取引相手は……。


 思案をしていると、不意にやせ細った老人が静かに口を動かし始めた。

「……にしても、警察の動きが気になる所。陣頭指揮をとっていた男を片付けはしましたが……」

「もしや、既に彼奴の仲間に勘づかれたやもしれぬ」

 ぞくぞくと背筋が冷えていく一方で、汗がじわじわと湧き上がる。

(奴らは賊で、反乱を企てている。では、この屋敷の主人も……)

 ミズチは進行役の横……上座へと目を動かす。

「如何ですかな、中将殿?」

 太鼓腹の大男が身を乗り出し、上座の男に伺った。


「捨て置け」

 上座の男は扇子を優雅に仰ぎながら、ゆったりした口調で答えた。

 烏帽子を被り、狩衣に身を包んだ丸顔の男。ミズチが「公家」と昔風に呼んだ男。


 華族のメレンゲ・マシュマロ子爵。

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