第10話

思わず両手で両耳を押さえてしまうほどの大音量だった。

声の振動が辺りを揺り動かし、まるで地震でも起こっているように感じた。

高音域と低音域が同時に聴こえ、空気が震えている。

遠くから地響きがどんどん迫ってくる気がした。

リースは片方の目をつぶりながら、その振動に耐えていた。

耳を塞いでも、脳を直接揺さぶるような振動だった。

(夢とはいえ感覚は現実世界とそう大差ないことをこの時、初めて知った。)

このままこの崖の先端に居れば、崩れるかもしれないと思った彼女は、一旦その場を離れようと、足を後ろに引いた。

すると、今まで漆黒の闇だった谷底が、その叫び声に呼応するかのように色が薄れ始めた。

叫び声は何度聴こえた。

何度か聴こえるたびに、まるでヴェールが剥がれるように闇の色が一枚、また一枚を剥がされるように薄くなっていく。

真っ黒だった闇がとても美しい艶を持ったヴェールに変化していった。

彼女は目を奪われた。

黒をこんなに美しいと思ったことはなかった。

黒い光が彼女の目に飛び込んできた。

白い光ではなく、黒い光を放つ何かだった。

太陽の光を吸い込み、そして発光する「光」だ。

彼女の住む世界この世界でこの「光」を表現する言葉はおそらくないだろう。

その「光」が谷底を照らし始めた。

谷底に何かが見えた気がした。

何かが動いていた。

(? 何?)

彼女は逃げることを忘れて、思わず見入ってしまった。

だが、叫び声は止まらない。

地震も収まるどころか、激しくなる一方だ。

(人が…いる? 誰かが立っている?)

白い布と緑の布を体に巻き付けた男性がそこに立っていた。

顔は見えず広く大きな背中だけが見えた。

彼の目の前にはランプが揺れ動いていた。

光を放っているが、彼の周りに渦巻く闇がその光が進むのを阻止しているため、光っているようには見えなかった。

「天使…?」

そう彼女が呟いた瞬間。彼女のいた崖が跡形もなく砕け散った。

「あっ!」

リースは両手を前に差し出しながら、真っ逆さまに彼のいる場所へ落ちていった。

落ちる?

いや、違う。あまりの闇の濃さに落下しているのか、飛んでいるのかすらわからない。

上も下もわからない。

さっきはあれほど美しいと思えた闇が、また墨に戻ったようだった。

粘着質の闇に周りを取り囲まれ、何も見えなくなった。

ふっ…と、急に叫び声が途絶えた。

辺りは風の音も聞こえなくなり、突然静寂に満たされた。

彼女は両足につけたグングルーを鳴らそうとするが、足を動かしても不思議なことに音は鳴らなかった。

無重力のなかにいるように長い髪の毛も重力に逆らって、ふわふわしていた。

目の前に星が1つ現れた。

彼女はいつの間にか男性の正面に立っていた。

光り輝く星が見えた。

その星は、さっき崖の上から見えた男性の額に輝く星だった。

だが、彼の顔は全く見えなかった。

顔らしきものを見ることはできなかった。

目や口はないようにも見えた。

額の星だけが輝きを放ち、彼女の顔に陰影を生み出していた。

その星の下方、彼の胸のあたりにさっき見たランプが中に浮いていた。

『立ち去れ!…汝は私ではない。私は私を召喚する者のみに語る』

「偉大なる天使よ。私は古き地、エァルに住まいし妖精リャナン・シー。名を明かしてはいただけまいか?」

「我が名は14の神秘にして、光に飢えて魂を食い尽くす蛇。私は寂寥で世界を包み込む先の見えない夜の嵐。混沌こそが私の名前。漆黒の闇に変わりし者」

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