第8話 ワームホール?

 録音はそこで終わっていた。その後は基地中が大騒ぎとなった。各国の基地が競って新洞窟に隊員を送りこみ、ドームを探し回ったのだ。山崎まで、帰還を延期して洞窟探検に加わった。しかし、ロボットの持ってきたマップはほぼ正確だったが、いくら探してもドームはどこにもなかった。ドームに続いているはずの洞窟は落盤で塞がっていて入ることができないのだ。地中レーダーで探しても、そこにドームらしい構造物は、まったく見付からなかった。

「父は、幻覚を見たのでしょうか?」

 小太刀珠が呟くように言ったのは、シャトル発着場での事。一週間前、彼女はここでシャトルから降りて僕の操縦する月面車に乗り込んだ。

 今度は彼女が操縦してきたのだ。一週間で操縦を覚え、今日が初当番という事だ。後の客室にいるのは一週間遅れで帰還する山崎。で、僕は見送りについてきたというわけだ。

 今回は他に客もいないし。

 それはいいのだが、どうもシャトルが遅れているようだ。そんなわけで、さっきから僕達は発着場に止まった月面車の中で待ちぼうけを食らっている。

 小太刀珠はポケットからあのボイスレコーダーを取り出した。結局、ドームどころか小太刀徹隊員の遺体さえ見つからなくて、彼の形見はこれしかなかったのだ。

「佐竹さん。これ、兄には聞かせても大丈夫でしょうか?」

「うーむ」

 正直、こんなのを小太刀昇に聞かせたら、また妄想が酷くなるかもしれない。しかし、このまま渡さないのも……

「ドームの話は、死の寸前に見た幻だと言っても、あいつは納得しないだろうな」

「ですよね」

「幻じゃないかもしれんぞ」

 山崎が客室から顔を出す。

「幻だよ。だいたい、小太刀隊員が見たドーム内の映像はどこある? ロボットのコンピューターにマップは入っていたが、肝心の映像はなかったぞ」

「ロボットは二台あっただろ。もう一台の方に映像が入っていたんだ」

「その一台はどこへ行ったというんだ?」

「小太刀隊員と一緒に、向こうへ行ったんだよ」

「向こうって? ドームか?」

「いや、もっと遠くだ」

「どこだよ?」

「それはだな……」

 山崎はしばし口ごもる。

 その時、窓の外でシャトルが降りてくるのが見えた。そろそろお別れだな。

 小太刀珠は月面車を発進させた。ゆっくりとシャトルに近づいていく。

「これを言うと、俺も妄想狂と言われそうだから、言わなかったんだが……」 

「何だよ?」

「ワームホールだ」

「は?」

 だめだ。山崎もおかしくなったんだろうか? そう言えば月の洞窟にはワームホールがあるなんていうヨタ話もあったな。

「ボイスレコーダーの中で、小太刀隊員は『光る穴』って言ってただろう」

「それがワームホールだとでも?」

「だから、俺も妄想だと思ってるよ。思ってるけどな」

 山崎はポケットからビンを取り出した。

「これを見てくれ。月を離れる前に、おまえにこれを渡そうか迷ったんだが……」

 山崎はビンをひっくり返す。ビンの蓋に張り付いていた小石が浮き上がりビンの底にぶつかる。また、ひっくり返すと小石は浮き上がりビンの蓋に張り付いた。

 エキゾチック物質? また作ったのか。

 しかし、いつの間に?

「エキゾチック物質か? 地球に持ち帰らなくていいのか?」

「地球に持ち帰る分はトランクに入れてある。これはおまえの手で調べてもらいたいんだ」

「調べるって、なにを?」

「今から俺が話すことが、妄想かどうかを。そいつを調べれば、何か分かるかもしれないと思ってな」

 奥歯に物の挟まったような言い方だな。  

「まあ、俺の妄想だと思って聞いてくれ。光る穴がワームホールだとするなら、いったいそれは何処へ消えてしまったのかと考えたんだ」

 山崎はビンを僕に差し出す。

「で?」

 僕はビンを何気に受け取る。

「本来、ワームホールというのはブラックホールとホワイトホールをつなぐ時空の穴をいうのだがそれだけじゃない。もっと身近なところにもある」

「身近なところ?」

「十のマイナス三十五乗メートル以下の量子力学的領域では、ワームホールが一瞬開いては消えるという現象が常に起きている」

 月面車の動きが止まった。シャトルとのドッキング作業が始まる。

「小太刀隊員が見たのは、その量子ワームホールを人の通れる大きさに無理やり押し広げて、閉じないようにつっかえ棒を入れてあったものじゃないかと思ったんだ」

「で、それがどうしてなくなったんだ?」

「つっかえ棒が折れて、ワームホールが閉じたんだ」

「面白くない妄想だな」

「まったくだ。それでな、月震計の記録を調べたんだ。すると十年前にドームのあった辺りを震源とする月震が起きてる」

 シャトルの連絡口が開いた。

「つっかえ棒が折れたとしたら、おそらくその時だろう」

 山崎はトランクを持って立ち上がる。

「なるほど。しかし、ワームホールが閉じる力はそうとうなもんだぞ。その力に対抗できるつっかえ棒って何でできているんだ?」

「それだよ」

 山崎は僕が持っているビンを指差す。

「エキゾチック物質さ」

 山崎は連絡口に入っていく。

 と、いきなり山崎は振り向いた。

「そのエキゾック物資な。俺達が集めた試料じゃないんだよ」

「なんだって?」

「昨日、ドームがあった辺りの洞窟で見つけたんだ。洞窟の天井にへばりついていたのを剥がしてきたんだ」

 連絡口が完全に閉じた。

 シャトルはそのまま発進し、天空へ消えて行く。

「あの佐竹さん。山崎さんはさっき何を言ってたんですか?」

「ただの妄想だよ。気にしなくていい」

 そうだ妄想に決まっている。

 僕は手にしたビンを見つめた。

 こんな物でワームホールを支えられるものか。仮にできたとしても、その中を人が安全に通れるはずがない。

「それじゃあ、基地へ帰還しますね」

 彼女が月面車を発進させようとしたとき。

「ちょっと待った」

 僕は彼女を制止した。

「どうしたんです?」

「あれが通り過ぎるのを待つんだ」

 僕は車外カメラの映像が映っているディスプレイを指差す。輝く霧のようなものが、壁のように立ちはだかっていた。

 シャトルを待ってる間に、日没がきてしまったようだ。

「これが月噴水ムーンファンテンなんですか?」

 小太刀珠はディスプレイを不思議そうに見つめる。

「ああ」

 月噴水ムーンファンテンは急速に近づいてきた。その光景は、もはや噴水というよりは巨大な光の帯だ。

 やがて月面車は輝く霧に包まれる。

「きれい!!」

 幻想的な光景に、しばし彼女は見とれていた。

「でも、父はこれのために命を落としたんですね」

「そうだね」

 僕は山崎の残していったビンを見つめた。

 帰ったら、調べてみるか。

 まあ、どうせこんな物でワームホールが支えられるわけないが。

 だがもし、山崎の言っていた事が正しければ、小太刀兄妹の父はワームホールを抜けて今も宇宙のどこかに……


                   了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る