第15話 変貌

 昨日早く寝れたのがよかったのか、気分よく起床できた。

 居間に下りると母さんがソファに座ってコーヒーを飲んでいる。喉が弱いから、飲む時はいつもちびちびと時間をかけて飲む癖がある。


「おはよ」


 背後から声をかけると、母さんは振り向いていう。


「今日も早いのね、何かあったの」

「ううん、別に。……いただきます」


 そっけなく答えて卓につく。目の前に置かれた目玉焼きをパンに挟み、かぶりついた。

 横目に見たテレビでは、天気予報のニュースがやっていた。見覚えのあるキャスターの女性が映っている。


『本日は一部を除き全国的に晴れとなるでしょう。最高気温は東北から関東にかけて30度以上となる所が多く、近畿、中国四国地方ともに例年の今頃より気温が高いことが予想されます。水分をこまめにとって、体調管理に努めましょう』


 最後、控えめにそう言う。天気が良いのはありがたいけど、ここも相当暑くなるということだからそこまで喜べる情報じゃない。


「そういえば今日文化祭だっけ」


 視線はテレビに向けたまま訊いてきた。


「うん、だから弁当はいらないよ」


 了解、と母さんは肩を下げる。コーヒーを置いたみたいだ。

 外を見て言った。


「暑くなりそうね。水分補給しっかりしなさいよ」

「うん、母さんもね」

「もちろん」


 そんな会話をした。最近は朝ちゃんと起きられることも増えたから、よく会話をする。夜は疲れてお互いそれどころじゃなかったから、晩御飯を呼びに来てくれるときの短い会話だけだった。


 ゆっくりと朝の空気を感じながら身支度をして家を出た。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 通学路。

 この日ばかりはわりと人通りが多く、おそらくは朝のリハーサルとか準備などに急ぐ学生達だろう。追い抜いていく彼らの格好は制服だったり体操服だったり、衣装に身を包むひともいた。


 交差点を過ぎた後の広く長い道。あと数時間後にはここも人で埋め尽くされるのだと思うと込み上げてくるものを感じた。 きっと、アドレナリンか何かだ。


 正門前に着くと昨日立てられていた花飾りのアーチが目に入った。『星崋祭』と墨字のようなダイナミックさで大きく書かれたその文字が、気持ちを高揚させる。


 階段を二段飛ばしで駆け上がり右に曲がると、教室のある廊下に躍り出た。

 進んでいき、見える人影に声をかける。


「おはよ」


 びくっとこっちを向いたのは空本だ。


「お、おはよう」


 少し様子が変だと思った。


「どうしたの?」

「……別に」

「そう……」


 僕が一歩踏み出すと空本は一歩引いて道を開けた。不思議に思いながら扉を開ける。


「お、よっす星野。……と空本」

「おはよう」


 教室の中は随分と人がいた。奥では昨日机を寄せて作ったテーブルの一卓にメイド服の女子たちが腰掛け、タキシードを着た男子にガミガミ言っている。両方ともレベルが高い。


「……ん?」


 窓際奥。手前にばっ、とカーテンが引かれたその間から委員長の磯村さんが手を招いていた。口の動きから、たぶん空本のことを呼んでいると思い僕は彼女に声をかけた。


「空本、あれ」


 指を向けると空本はなんだか嫌な顔をして中に入っていった。カーテンの前には、タキシードを着た赤場がガードマンのように立っている。覗き防止ということだろう。


 やがて出てきたその格好に、僕を含め男子全員が釘付けになった。

 メイド服の空本。

 うおおおおお、と歓声があがる。ため息をつく本人を放って。


 なぜか磯村さんがピースを僕に向けた。──いや確かに似合ってるけど、本人すごい不機嫌な顔してるんだけど。


 ──開始三十分前。


 ***


 解錠して入ってくるのは、高校ここのOBや近所に住む人たちの他にも、祭を楽しみに来た家族連れなども見られた。


 正門から程近い中庭に陣取り、僕たちは来る人にビラ配りをしている。


「よろしくお願いしまーす。二年三組でーす」


 受け取ってくれる人くれない人。走ってきて、どけ、と言って少しよろめいて後ろを見ると、振り返ることなく走り続けてる人。色んな人がいる。


 今は少し落ち着いて、祭りを満喫している人達を眺めながら少し慣れたビラ配りを続けていた。


「よろしくお願いします。──あ、はい。二年三組です。………ありがとうございます」


 話しかけられて対応しているのは空本。目当てはビラより話しかけることだとは思うけれど。

 空本の周りにいる人は僕より断然多い。そのほとんどが男性で、なぜかカメラを首にかけていたりする。


 ああ……そういえば、コスプレ撮影会するクラスもあったっけ。


 昨日のしおりの項目にそんな感じの出し物があったことを思い出した。確か同学年のクラスで、ジャンルが似ている。


 手持ちのビラが少なくなってきて、僕は空本に話しかけた。


「あと何枚?」

「十枚ちょっと」


 パラパラと捲って確かめる。僕も残り三十枚くらいだからもう少しだ。


 少し疲れたのか、僕は空本の息が荒いことに気づいた。


「少し休む?」


 そう訊くと、空本は頭を押さえて頷いた。


 この大勢の人だかりの中を、今の空本とはぐれないように移動するには方法が一つしかなかった。

 僕は、ごめん、と一言断って彼女の空いている手を掴んだ。


「えっ」


 驚いたような顔をした後の空本の顔はなるべく見ないようにして前を向き、ぐいぐいと引っ張る。


「ちょ、ちょっと……」


 こっちだって恥ずかしいんだよ。


 そんなことを内心叫んだ。人目に付くのだから当たり前だ。噂でもされたら弁明の仕様もない。


 何とか中庭を抜けて人通りの少ない校舎付近に避難した。日陰の下、壁に手をついた空本が視界に映る。


「夏バテ、みたいな感じ」


 熱中症とかなら大変だ。保健室に向かう経路を考えていると空本が答えた。


「……ちょっと、人混みに酔っただけ。そんなに深刻にならなくていい」


 息を切らしながらそう言う。全然そんな風には見えない。色々と考え僕は提案した。


「じゃあ、ひとまず部室ぶしつに行こう。あそこなら人もいないだろうし、冷房も効いてるだろうから」

「……っ、わかった」


 ***


 この星合高校は、職員室や事務室などが中にある本棟の他に、学年の教室を内包する三階建ての棟が三つ隣接されている構造をしている。


 決して敷地が小さいわけではないけれど、その四棟が集中する範囲エリアから僕らの部室がある特別棟はかなり離れている。運動部の部活棟も似たような感じだけど、グラウンド付近に設置されているからこっちより不自由はないんじゃないだろうか。


 だからこそ人が来ない。あるいは辺境とも呼べるかも知れないこの場所のことを知っていても、今この祭で熱気が沸いているのはクラスの出し物をやっている一般棟の方だけだ。

 そんな非情な現実。目の前に広がる受け入れ難い事実を目の当たりにしながら、僕は空本を連れて階段を登った。


 誰の気配も、足音もない特別棟二階。奥に天文部と札の下げられた部室ぶしつがひっそりと見えた。


「あともう少しだから」

「……っ、ええ……」


 一向に良くならない空本を心配しながらも、なんとか此処まで連れて来れたことに安堵する。


 大塚先輩はクラスの出し物に参加する気がないのか、大抵部室に引きこもっていると言っていた。だから鍵は常に開いていて、僕はたてつけの悪い扉をこじ開けた。


 目の前の光景。陽光をきらってカーテンの閉ざされた部室のデスクに寝伏せる大塚先輩に、僕は呆然と声をかけた。


「何やってるんですか……」


 てっきり、もっと何かやっているとかと思っていたら……昼寝とか。


 扉の開閉音に気づいたのか、眠りが浅かったのか大塚先輩の首が持ちあがった。半開きの目で僕たちを見る。


「ん、何やってんだお前」

「こっちの台詞ですよ」


 呆れてそう言うと大塚先輩は後ろの空本に気づいて立ち上がった。すっかり目が醒めたように目を見開いて。


 僕はなぜか手を離した。近づいてくる大塚先輩、空本に駆け寄り声をかけた。


「おい大丈夫か」

「……はい」


 顔をしかめた大塚先輩は立ち上がって訊ねる。


「保健室にはいかなかったのか?」

「……い、いや。空本がそんなに深刻にならなくていいって」

「馬鹿野郎。これを見て行かせない選択はねえんだよ。……まあ説教は後だ。とりあえず水買ってくるからそこに寝かしとけ」


 大塚先輩はそこに視線を向けて、部室を後にした。


 僕はますますひどくなる空本の体を支えながら、予備の長椅子のところに連れていく。結局は千切り絵しか展示できなかった、一階の展示会場もとい予備教室の椅子が足りなくなった場合に備えて用意してあったものだ。お年寄りの人用の予備の座布団を、奥の箱から引っ張り出して枕代わりに置いた。


 空本は静かに座り込む。ぎい、と体重をかけた音が鈍く響いた。

 頭がなるべく沈まないように座布団の中心より手前に頭を置かせて、横にして寝かせた。


「……ごめん、なさい」


 空本が消え入るような声でそんな言葉を発した。


「いいよ、別にこれくらい」


 謝るべきは僕の方だ。楽観的に考え過ぎた。あの時すぐに保健室に連れていくべきだったんだ。万が一の時のためにずっと開けてくれているのだから。


 けど謝ると空本は逆に責任を感じるだろうと思い心の中だけに留めた。


 すぐに寝入った空本の頭側に僕も腰を下ろした。眠りたいと思う微かな欲求を押し込んで背筋を伸ばす。


 すると、またぎい、という鈍い音が響いた。僕は全く動いていないから空本の方だと思い目線を向けると、体を起こした空本が僕の方に体を向けてきた。


「えっ、何……」


 四つん這いになって寄ってくる空本がまるで幽霊みたいに不気味に感じた。

 身を乗り出し、すぐ側まで顔を寄せてくる。押し倒すような体勢になった所で、耳もとで彼女は囁いた。


「久しぶり」


 少しだけ声色のやわらかくなったその声。思い出して僕はずくに察する。それが以前感じていた違和感の正体だと気づいたからか、思わず口からこぼれた。


「あ……雨女」



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