第13話 着々

「ジャン!」


 布を外し、この前までは別の画が飾ってあったキャンバスに置かれた画を見て、僕はうおーっ、と声を出した。自慢げに腕を組む大塚先輩を挟んで向こう側にいる空本も、目を見張ってその画を見つめている。


 星の雨。

 夜空に溢れる一瞬の流星の煌めきを映した写真をモデルとした、線だけでも相当数ある白黒の一枚画。

 星が過ぎ去る疾走感まで表現されている。これを見てしまうと切り絵にすることで全く迫力のないものに仕上がってしまいそうで怖い。


 力入れ過ぎですよ……。


 思わずそう言いそうになった。二週間をかけて急ピッチで書いたにしてもクオリティの高さに驚愕する。──いやもう……寝てないんじゃないかと思うぐらい。


「昨日時間あるうちに仕上げと修正しておいたからな。ちょっと徹夜しちまった」


 ……やっぱり。


 ふあー、と欠伸をする大塚先輩に僕は言った。


「少しは休んでくださいよ。今年受験生なんですから」

「わーってるよ」


 大塚先輩は手を振って席についた。どかっ、と腰を下ろし頭をデスクにつけると一瞬にして眠りに落ちた。


「じゃあ始めましょうか」

「そうだね」


 袖を捲って作業の準備。買ってきた普通の折り紙はもちろん、彼女が買ってきた少しデザインの特殊なものも含めて十種類は軽く越える。

 ただ、ここまで大きな画用紙で作業するのはさすがにスペースがなく、持ち帰ることもできないため、何等分かに分けることになった。


 まずは作業しやすいように画用紙を移動させる。四つほど机を寄せて新聞を敷いた後、その上にそれを置いた。

 デスクの上に置かれた、大塚先輩の手元にあるモデルとなった写真からどの部分にどの色を貼ればいいのか大まかに鉛筆でメモし。適当な大きさに破った色紙いろがみをこれまた買うように指示されていたボックスに入れる。この作業がなかなかにキツい。


 先輩が目醒めた時には作業の半分が完了していて、二個ほど余りを出してボックスには全色紙の区分けが完了。一人につき二つ分の割り当てということで、色彩指示の済んだ画用紙を六等分にしたものが机の上、それを貼り付ける用のサイズの等しい画用紙の上にパズルのように置かれている。


「へえ、なかなかいいじゃねえか」


 まだ始まってもいないのに、大塚先輩は笑みを浮かべた。


「まだまだこれからですよ」

「ああ、そうだな。──とりあえずは普通の折り紙を全体的に貼っていって、そこから空本の買ってきたデザインの鮮やかなものを必要な箇所に貼っていこう」


 立ち上がってそう言う大塚先輩。


「「わかりました」」


 僕と彼女の声が重なる。けれど意識しているのは僕だけだった。


 切り絵作業が開始した。

 折り紙の欠片が入ったボックスを中心として三角形になり、新聞を下に敷いて正座しての作業。


 指の先ぐらいの大きさの折り紙の欠片を、なるべく白い部分がないように貼っていく。

 電気をつけるのはクーラーのこともありはばかられて、とりあえずはカーテンの日差しを利用して部屋の明るさを維持していた。


 ずっと黙って作業するのも退屈だと思ったのか、大塚先輩が話を振る。


「お前ら、クラスの方は大丈夫なのか?」


 誤って手についた海苔を指でこすって僕は答える。


「今のところは順調だと思います」


 といっても僕たちの担当する宣伝班は、というだけである。他のグループが今どうなっているのか、衣装班は何やら学校ではなく家で作ってきているようで、進捗はわからない。

 接客班はその本気が直に伝わってくるような、主に女子が男子に徹底的なまでの接客指導を行っている。同時に何やら、えるお皿を探そうなどという声を聞くこともあって。


「──という感じです」

「なるほどな。今年のメイド喫茶はお前らか」


 視線は画に向けたまま、大塚先輩は相槌をうつ。


「大塚さんは去年、何をなさったんですか」


 ずっと静かにしていた空本が訊ねた。


「うん? ……ああ、俺らもメイド喫茶だよ」

「えっ」

「本当なんですか」

「ああ、しかも接客。……あれはキツかったな」


 大塚先輩はため息をこぼした。


「お前らは何の担当なんだ」

「両方とも宣伝です」


 空本が答えた。


「へえ、それはそれは大変な」


 他人事のように言う。そこまで大変な気はしないけど。今のところはポスター作りとか、小物の製作をしているぐらいで。


「まあ、頑張れよ」

「はい」


 今度も空本。

 僕は少し集中しなければならない部分に直面し、あまり周りの声が聞こえなくなっていた。


 着々と進んでいるようで、まだ全工程の二割くらいしか進行してはいなかった。

 終盤は体勢からか腰にきて、首もなんだか痛くなってきて、そのまま作業初日は「今日はここまでにするか」という大塚先輩の疲れた一声に賛同した。


 ***


 あいつの白球を追いかける姿は、いつまでもがむしゃらだ。どこまでも追いかけようとする、迷いを振り払うようにして。

 だから見ていて、応援したくなるようでしたくない。


「次、サード!」

「あぁいっ!」


 飛んでくる白球をそのグラブに納めようと、あいつは腕を伸ばす。取れても別段嬉しそうではなく、当然というように叫ぶのだ。


「もう一球っ!」


 もっと、楽しそうにしろっての……。


 そう、ベンチからボール磨きをしながら見つめる私。秋大会の近づく最近は、彼らの気迫も高まったものだ。見ていてこっちが焼けそうになる。


 ただ今のところ、勝てそうな見込みはない。たぶん、いやおそらく──勝てはしないだろう。マネージャーが言ってはいけない一言ではあると思うけれど、やはり難しい気がする。


 秋大会の日程でもある十一月中旬は、ちょうど星崋祭の一ヶ月後にあたる。十分に期間があるようにも感じられて、実際は全然足りない。


 文化祭の重要度が極めて高いこの星合高校において、運動系部活動の重要性はそこまで高くない。専用の部活棟が与えられているのは、その種類の少なさと、後は公平を期すためだと私は思う。

 同様に、文化部にも特別棟という場所が用意されているためだ。


 だからこそ星崋祭の二週間前からは全部活動が活動禁止になる。その前に行われる中間試験との関係も相まって、およそ三週間は部活が行えない。


 だからこそ彼らは今こうして、死に物狂いで白球を追いかけている。三週間というブランクに絶望する前に、少しでもレベルアップしておこうという気持ちを胸に。


 ただこうして、見ているだけというのも変な感覚だ。久しぶりに入ってきたマネージャーということもあって、私に向けられる男子たちの視線はなかなかに気に障ることもある。それは太陽がうまく守ってくれているようだけれど。


 私は立ち上がり、クーラーボックスの紐を肩にかけた。

 マネージャーの仕事の一つだ。配慮をきかせ、部員たちの水筒に水を入れる。同時に保冷剤を中に入れて温度を下げるけれど、そこまで量はなく実際に飲んでみると思ったより冷えていないこともしばしば。


 それでも彼らは嬉しそうに飲んでくれるから、少しはやりがいを感じている。


 マネージャーは、高校に入って太陽に勧められた、というより頼まれた仕事だ。本気で野球に取り組みたいからと、を提示して引き受けた。


 クーラーボックスをベンチに持って帰っていると、ちょうど休憩に入るところだった。私は小走りでベンチに戻った。


 部員たちがクーラーボックスを開けて保冷剤に顔を押しつけたりしている中、独り、太陽だけはすぐさま自分の水筒を引っ張り出して中の水をがぶ飲みしている。


 顔は──あまりおいしそうじゃない。ぬるかったみたいだ。


「ぬるい?」


 聞くと、太陽は飲み口を少し離して答える。


「別に……」


 正直に言いなさいよ、バカ。


 飲み終わると、ん、と差し出してきた。まだ中身が少し残っている。

 傍らのペットボトルを手に持ち太陽は傾けた。普通の水じゃないのは確かだけど、あからさまにおいしそうに飲んでいるから複雑だ。


 やがて練習が終わり部員たちが全員帰り仕度をしている中でも、太陽は一人残ってバットを振っている。


「よくやるよなあ」

「ああ、俺だったら絶対無理だわ」


 同じクラスでもある男子たちかれらにも遠巻きにそんなことを言われているなんて、太陽あいつは気づいてるんだろうか。


「奈月も大変だよな。あいつが練習終わるまでいつも待っててやるんだろ」

「え、うん。まあね」


 まあ少し、放っておけないっていうのもあって。どこかやけくそしている、そう見えてしまう太陽あいつのバットを振る表情が。それが、少しだけ似てるように映って。


「あんまり付き合い過ぎるなよ。付き合ってるのは知ってっけどさ」

「うん、ありがと」


 色々と心配してくれている。星合カップルという誰が付けたのか私も知らないものに対して。


「じゃな」

「奈月お疲れー」

「うん、おつかれー」


 一、二年の部員たちが雪崩れるようにベンチから離れていく。そんなことも気にしないで、あいつはまだバットを振っている。


 やがて戻ってくると、素通りして部室に向かっていった。


 カップル、ね。


 独りごちるように、鼻で嗤って私は磨き終わったボールを篭に入れた。クーラーボックスや諸々の備品を所定の場所に戻し、体育館裏に設置されている女子更衣室でジャージを制服に着替えベンチに戻ってくる。

 そこには、タオルを頭に被った太陽が大きな野球カバンを肩にかけて夕日のあかに染まるグラウンドを眺める太陽の姿があった。


「ごめん、お待たせ」

「おう」


 帰るか、の一言もなく私たちは横に並んで歩き出した。カップルだから、通じ合っているとか。周りはそんな風に思っているのだろうけれど。


 校門を出ても、家は同じ方向にあるから分かれることはない。からずっとだ。それでも、ぎこちないカップルのそれよりも、やっぱり会話は全然ない。


 その時が来て、三本に別れた道を見つけると、いつも太陽の目は細くなる。惜しんでいる? ……そんなわけないけど。


「じゃな」

「うん」


 そんな短い挨拶を交わして、私と太陽は分かれる。お互いに背を向けて、振り返ることさえしなくて。


 でもそろそろという思いもあって。

 いつ言い出すべきか、考えながら私は家路を辿った。

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