第7話 訪問

 夜、ベッドに寝転がって考えた。行ってどうするのか。謝る? 何を、どうやって謝る。思い付かない時点で、それは無理な選択だ。それに、ただ謝るだけじゃ、彼らは、特に赤場は僕を赦しはしないだろう。


「行きたくない」


 枕に顔を埋めて無意識に出てしまった言葉は、さらにマイナスな方向に拍車をかけた。もうどうにでもなれだ。怒られたっていいじゃないか。それだけで済むのなら。


「寝よう」


 当分学校には行かない。そんな変な決心を固め、僕は寝た。


 翌朝、いつも通り制服を着て家を出た。鞄も持っているけれど、軽い。でもそりゃそうだ。のだから。

 適当に外で時間を潰して、親が仕事に行ってから帰って来れば、バレることはない。


 適当に周辺を歩いて、時間が過ぎるのを待った。父親は出張で家にいることが少なく、母親も九時過ぎには家を出るから、そのタイミングを見計らって家に戻った。


 鍵を閉め中を見ると、静かな空気が僕を出迎えた。ひとのいない空間だ。踏みしめて歩くと、普段は感じない、床が軋む音が微かに聞こえた。


 休みの日というわけじゃないから、やけにそわそわする。もし鍵が開けられるようなことがあれば、僕は万事休すだ。明日から必ず学校に行かなければならなくなってしまう。だから二階の自室で、じっと息を潜めておくべきだ。

 その前に、風邪で休むと学校に連絡を入れておく。

 応答してくれたのは岡村先生だった。休むことを伝えると電話越しに、わかった、と一言。


「明日は来れるのか?」

「いや、ちょっと体調が悪くて。……もしかしたら明日も休むかもしれないです」


 まったく風を引いてなどいない口調でそんなことを言った。


「そうか。……まあ体は大事にしろよ。皆待ってるからな」


 嘘だ。そんなわけないじゃないか。


「ありがとうございます。……失礼します」


 早めに話を切り上げたくなり、僕は電話を切った。


 自室に戻ると、僕は布団にくるまった。下からの音に耳をすまし、まだ帰ってくるな、とわけのわからないことを念じ続けた。

 張り詰めていた緊張が、眠けを誘う。昨日の夜あまりちゃんと寝られなかったからか、目を閉じるとすぐに意識が無くなった。



 夢というのは、その時自分が一番欲しているものが現れるのだと聞いたことがある。テストで百点を取った夢などが、定番だろうか。

 けれど僕の夢はそれとは違って、 失ってしまった過去を見る。子供の頃の思い出だ。やっぱりまだ探している・・・・・んだと、たまに見て起きると頭を抱えることがあるくらいに鮮明な。


 そこはやっぱり山の中で、僕は笑顔で走り回っていた。付いてくる誰かに顔を振り向けながら、早く来なよ、と声をかけている。

 僕はそれを眺めている。


「待って。早いよー」


 女の子の声だった。僕の意識はその時、子供の頃の僕に乗り移った。

 僕は反射的に振り向いた。その姿は少しぼやけていて、口許が笑顔なことだけしかわからなかった。でもたぶん、その子は僕が初めて遊んだ女の子だ。記憶には残っていない、忘れてしまった過去の中にいる誰か。


 ふいに手を伸ばすと、その子はその場に立ったまま、遠くへいってしまった。地面が黒く、何もない足場になり、僕とその子を遠ざける。


 ふざけないで。


 そんなどこかで聞いた声に僕は目を醒ました。起き上がるとなぜか目尻から涙が零れているのに気づいて、右手の人差し指でそれを拾い拭った。


 ピンポン、と突然インターホンが鳴ったので狼狽えてしまった。恐る恐る一階したに下りて、扉の穴越しに誰かを確認した。

 空本だった。

 きょろきょろと視線を左右に動かしている。まったく可愛くない。また、インターホンが鳴った。二回、三回……躊躇なく。


「いるんでしょ。出てきなさい」


 エスパーか! なんてツッコミを内心してしまった。嘘だ。嘘に決まっている。借金取りがよく使う手だ。でも、何時間もそこにいられるのはさすがに気が滅入るので、僕は扉を開けた。

 意外にも、彼女は中に入ろうとはしなかった。静かに僕に視線を向け、腕を組んで口を開いた。


「やっぱりいるんじゃない」

「ごめん……」


 少し汗ばんだ格好が、わりと長い間そこにいたことを示しているようだった。もしかすると僕を起こしたのは、彼女のインターホンの音だったのかもしれない。


「それより、今日学校来なかったわよね」


 問い質されて言えることは、僕には一つしかなかった。


「ごめん」

「謝ってほしいわけじゃない。来なかったのか訊いてるの」


 強い口調で言われ、僕は頷いた。


「なんでか教えてくれる」

「……」


 言い淀んでいると、彼女は言った。


「あの人には、まだ言ってないから」


 その言葉に、僕の警戒が少しだけ緩んだ。それを先輩に言われてしまうことも覚悟の上で、僕は彼女に伝えた。


「文化祭が終わるまで、学校に行きたくないんだ。文化祭が終われば今まで通り、ちゃんと学校に行くよ」

「駄目よ」


 その一言に、僕は訊ねた。


「なんで駄目なんだよ。そんなの僕の勝手だろ」

「そうやって逃げてばかりじゃ、あなたは終わってからもきっと学校を休み続ける」

「なんでそんな言いきれるんだよ」

「決まってるじゃない。私がそうだったからよ」


 その言葉に、僕は返す言葉を見つけられなかった。言われた言葉ことは全て正論で、ただ正論なだけじゃなく説得力があった。終わってからも僕は学校を休み続けるという言葉に、僕は内心どきりとしていた。


「けど、学校に行っても僕はクラスの空気を悪くするだけだよ。空本さんも知ってるんでしょ、僕のこと」


 きっと噂になってる筈だ。それも恥ずかしいんだ。行きたくないんだよ、本当に。


 彼女は頷いた。微かに嘲笑うような笑みを浮かべて。


「ええ知ってるわ。けど話題になんて上がらなかったわよ。みんなあなたのことなんかより、文化祭の方が大事みたいだから」


 それで僕の気が変わると思ってるなら大間違いだ。


「なら余計に行くべきじゃないだろ。そのまま忘れてくれるなら、その方がいい」


 僕の言葉に、少しの間を持って彼女は訊ねる。


「気持ちは変わらないのね」

「……」


 察してくれ、という無言のメッセージだった。唇をぐっ、と閉じて、親に怒られた時の子供みたいに次の言葉を待つ。


「わかった」


 言われて安心した所だった。彼女は僕の腕の下をするりと抜け、家の中に入った。


「なっ、何考えてるんだよ不法侵入だぞ!」


 強く言った言葉に、彼女は向き合ってどこかやけっぱちな様子で言う。


「そんなことわかってるわよ。通報したいならすればいいじゃない」


 余裕も何もない、衝動から動いたような後先を考えない行動。らしくない。

 そもそも通報なんてする気はなかった。ただ驚いて、声が出ただけだ。


 僕は扉を閉めた。このまま誰かに見られるのは避けたかった。

 呆れて訊ねる。


「……何がしたいんだよ」

「わたしは……だだあなたに学校に来てもらいたいだけ」

「だから無理だって」


 床に落とした言葉に、僕は続ける。


「そもそも何でなんだよ、僕がどうするかなんて、空本さんには関係ないだろ」


 吐き捨てた言葉に反応して、逆上したように彼女は声を張り上げた。


「かっ、関係ないわけな……」


 言いかけて、止めた。ぐっ、と口を閉じて。飲み込んでいるように見えた。


 僕はそっぽを向いて、言った。


「何もないなら、もういいだろ」


 ──早く帰ってくれよ。


 言わなくても、顔で伝わっていた。

 彼女は無言で身を翻した。背中が震えていて、ノブを回す時彼女は言った。


「明日、また来るわ。……あなたに、いえ……」


 続きが気になった僕は、視線を前に向けた。その時はちょうど、バタン、と扉が閉まった時だった。


 ──何が、言いたかったんだよ。


 微かな苛立ちを右手に感じて、僕は玄関の鍵をしめた。




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