第10話 伊藤博文の仲間たちと福澤諭吉
「きっと大隈さんが伊藤さんを裏切ったのは、福澤諭吉が大隈さんをそそのかしたせいですよ」
明治十四年の政変で、福澤諭吉と慶應義塾閥が官界から追い出されるのは、伊藤博文の部下である
世間的には、急進的にイギリス議会制を導入しようとした大隈と、プロイセン型の政治を目指した伊藤が対立して……となっているが、伊藤は大隈が自分に内緒で憲法意見書を出したことに一番怒っていた。
「僕は大隈にいろいろ相談したし、正月に熱海で会った時は、提出前に必ず見せるって大隈は僕に約束したのに……」
伊藤は女好きと言われるが、女に執着がない。
愛妾と言われた人でも、すぐに手放してしまう。
手元に置く期間も短く、2年もてば長いと言われた。
しかし、男だと伊藤は意外に粘着質である。
親友の
大隈とも明治初期には『
だから、伊藤は大隈が自分を裏切ったと言うことを信じたくはなかった。
毅が排除したいのは大隈ではなく、福澤諭吉なので、毅は上司である伊藤に耳障りのいい言葉を吹き込んだ。
「ご覧ください。大隈さんの意見書は、まさに福澤の唱えている論そのものです。大隈さんは福澤の代弁者をさせられているのですよ」
徹底的な証拠はない。
しかし、大隈重信は福澤諭吉と非常に仲が良く、大隈は福澤の思想に敬意を払っていて、大隈は部下に慶応出身者を多数迎えていた。
そのような状況証拠が揃いすぎている中、大隈の意見書と福沢の書物の類似点を毅はとくとくと上司である伊藤に説いたのである。
この論を伊藤がどれくらい信じたかは、大隈が伊藤のところに謝りに来た時に判明する。
「君は参議の重職にありながら、福澤の如き者の代理を務めるのか」
伊藤は謝りに来た大隈に怒った。
「いや、今回の件は本当に我輩が悪かった。繰り返し繰り返し謝るしかないのである」
大隈は自信家であるが、柔軟さを大いに持ち合わせた男でもある。
伊藤が年下であろうと、えらそうな態度には出ず、ひたすら謝った。
「英国議会制度の導入がどうとか、早期国会開設とかはさておいて、どうして、僕に一言も話さなかったの」
背の高い大隈を睨みながら、伊藤は昔のことを掘り返した。
「大隈は三年前に大久保さんが暗殺された後、僕に対して『僕は優れた君に従って事を成し遂げるため、一緒に死ぬまで尽力しよう』って誓ったよね」
「申し訳ない。弁解の余地がまったくないのである」
大隈は下手な言い訳はせず、ひたすら謝った。
「大隈は福澤の口車に乗ったってことか」
「いや、そう勘違いするのは仕方がないが、でも、福澤と相談したことはまったくないのである」
機嫌が直らない伊藤に、大隈は一生懸命謝り続けた。
井上毅からすれば、大隈の心からの謝罪は非常に都合のいいことだった。
伊藤は大隈が裏切ったと信じたくない。
大隈はひたすら伊藤に平謝りする。
すると、伊藤は大隈が悪くないのではと思い、原因を考える。
そうなればますます福澤が悪いという毅の言葉を信じる。
さらに都合のいいことに、福澤は協力予定だった公報新聞の発行を破棄される形になったことを怒り、伊藤を責める長文の手紙を何度も送った。
伊藤はその手紙に返事することはなく、伊藤博文と福澤諭吉の関係は徹底的に壊れた。
大隈と伊藤はなんだかんだとくっついたり離れたりを続け、後年にはお互いを評価しているが、福澤との関係は壊れたまま終わっている。
明治十四年の政変で、慶応義塾の官吏たちは一掃された。
さらには徴兵令改正で、それまで官立学校と同じく兵役が免除されていた慶応義塾は、その恩恵から外される。
慶応義塾の価値はどんどん下がっていった。
毅は福澤の思想を危険視していた。
詳しくは『明治十四年の政変と井上毅』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054893696373)に譲るが、福澤の政官界への影響を払拭できて、毅はなかなかの成果を得たのではと思われる。
井上毅に比べて、伊藤の若い腹心二人は、それほど福澤諭吉に敵意はなかったのでは考えられる。
伊東巳代治は英語を中心とした官僚であり、十代の頃は外国人新聞で働くなど、明らかに欧米的なタイプである。
そして、巳代治を息子のように大事に世話してくれた神田孝平が、福澤の古くからの友人だった。
金子堅太郎はハーバード大学を卒業後、慶應義塾の夜間法律科講師をしており、元々は慶応側に近い関係だ。
もっとも金子も明治十四年の政変には違う形で関わっているので、そのあたりから慶応とは離れた位置にいるとも言えなくない。
後は年齢の差である。
巳代治にとっては、福澤は27歳も年上なのだ。
明治十四年の政変に関わってはいるものの、さすがに巳代治が福澤という人間を敵視するには、年が離れすぎている。
とはいえ、井上毅がお膳立てして、明治十四年の政変では福澤諭吉と慶応閥が綺麗に一掃されているため、伊藤博文の仲間たちと福澤諭吉は縁遠い関係であったことだろう。
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