第11話 月隠れ

 

「はあ、もう、ダメですう……」

「お疲れ様です」

 

 彼女が再びとなりに腰を下ろしたのは真昼を過ぎた頃だった。

 集中力が切れそうになったら休憩を提案しようと考えていたのに、結局最後まで狩り切ってしまったのは驚きだった。次のエリアからは頃合を見計らってこちらから声を掛けたほうがよさそうだ。

 

「はあ、ふう」

「とりあえずお水、飲んでください」

「あい」

 

 ずいぶんと喉が渇いていたのだろう。一気に水筒を空にしてしまった彼女は、目をぎゅうと閉じて幼い吐息を吐いた。

 ただの水をなんともおいしそうに飲むものだ、と俺は思った。見る人が見れば、水筒に酒でも入れてきたのかと勘違いするかもしれない。

 

「んあ、はあ。負けちゃいました」

「勝負してたんですか」

 

 さきほどの二人組みの姿はすでにない。先に街の方へと引き返していった。

 それぞれがクリスタルを集めた袋を担いでいったところをみるに、協会に寄って技なり魔法なりを物色するつもりなのだろう。すでに目星がついているのか、それともライブラリを見てから決めようと思っているのか、いずれにせよなかなか賢い選択に思える。

 

 おそらくレフィは二人組みを遠くに意識しながら競争していたのだろう。

 

「もう、こんなにちっちゃいです」

 

 レフィが広げた手のひらには豆粒のようなクリスタルがいくつか転がっている。これだけ小さいと、探して拾い上げる方が大変かもしれない。

 後半に関しては、二人組みもレフィも武器こそ違えど、スピードはそれほど変わらないように見えた。さらに言ってしまえばあの二人組みはずっと近くで一緒に狩りをしていたので、おそらく一人当たりの討伐数はレフィほどではない、つまりクリスタルもここまで小さくはなっていないのではないかと思う。

 

 まあ、レフィも口では「負け」とは言いつつ、その表情は充実感に溢れているので特になにも言う必要はないのだろう。

 

「ひとつだけ残して、あとは使っちゃって大丈夫ですよ」

「ひとつは残すんですか?」

「それだけ小さくなったクリスタルなら、協会で見てもらえば十分にエリアの認定をもらえるはずですから」

「なるほど、にんてーのためですか」

「そうです」

 

 俺は彼女から空っぽになった水筒を受け取り、立ち上がって腰回りを軽くはたいた。

 レフィも立ち上がって似たような動作をする。

 

「もう戻るんです?」とレフィがこちらを見上げた。

「休憩がてら、いったん戻ってご飯にしようかと思います。そのあとで、夜にまたこの辺りに来る予定です」

「夜に、ですか?」

「ツキガクレをいくらか採っていきたいんですよ。次のエリアは予定通りランキョクさんの村の近くにしようと思っているんですが、泊めてもらったお礼もしてないですし、また泊めてもらうことにもなりそうなので薬草を多めに集めておきたいんですよね」

「なるほど、そういうことですか」

 

 納得した表情を見て俺が歩き出すと、レフィが後ろで「あの」と声を上げた。

 

「どうしました?」

「……その、ええと、わたし、ここに居ちゃダメですかね?」

 

 彼女のもじもじとした様子に、俺はぴんと来た。

 

「もしかして、まだ狩り足りないんですか?」

「え、や、だって、せっかく調子がいいので、あの」

「おなか空いてないですか?」

「空いてる気はするんですケド……、なんというか、楽しくなっちゃって」

「完全に集中力が食欲に勝ってますね……」

 

 俺が苦笑すると、レフィは恥ずかしそうに下を向いた。

 自分にも出来る。戦えているという感覚がきっと嬉しくて仕方がないのだろう。

 クリスタルに関しては最初のひとつほどの劇的な変化はないはずだ。けれど、武器に慣れ、体の動かし方がわかってきて、さらにクリスタルの獲得で少しずつ身軽になっていく感覚が全て合わさったとすれば、確かにその高揚感はレフィにとってはたまらないモノなのかもしれない。

 

「それなら僕は、パンか何か買ってきますよ」

「お、お願いします」

「でも休憩はしっかり取ってくださいね。あとは、万が一、ケンカ腰なパーティがきたらすぐ逃げてください」

「わかりました」

 

 俺は向き直り、街へ歩く。

 あの類まれな適正で、真面目で、俺の面倒まで見てくれて、なにより強くなることに真摯で。

 俺は彼女を元のパーティへ引き渡すとき、手放すとき、どれほどの喪失感に襲われるのだろうか。

 

 

 

 

 

「見てください」

 

 しんとした暗闇に、妖精は音もなく光りを散らす。

 花畑を濃紺に染める月は相変わらず夜空の片隅ででかい顔をしている。威張るのも結構だけれど、そんなことだから太陽に愛想を尽かされるのではないだろうか。いつまでも追いかけてないで、たまには小顔になる運動でもしたらいいと思う。

 

「こんなのもう、夜じゃないと、無理じゃないですか?」

「……確かに、そうですね」

 

 ようやく満足したらしいレフィの手には、小さな光りたちが瞬いている。

 クリスタルはもはや豆粒どころか、かろうじて砂とは呼ばない程度の大きさなのだろう。光りのほうが目立ってしまっていて、本体がよく見えない。この大きさでは、日が沈んでなければ魔物を倒すたびに地面を這いつくばる必要がありそうだ。

 

「これ以上は小さくならないみたいです」とレフィは言った。

 

 エリアとの繋がりが飽和したのだろうか。

 だとしたら、この大きさが下限とみておそらく間違いない。よくもまあ、ここまで頑張ったものだ。

 

「きっと妖精界の歴史に刻まれましたよ。レリフェトという名前が」

「わたしも英雄の仲間入りですかね」

「本気でそう思います?」

「……だったら黒幕の名前のほうを書いておいてください。わたしなんて下っ端ですから」

「実行犯のインパクトには敵わないですよ。レフィさんの像が建ちます」

「悪者の像なんか建ててどうするんですか」

「みんなで恨みを込めて、顔に落書きするんですよ」

「壊されはしないんですね……」

 

 実のない話をしながらレフィはクリスタルの粒をひとつだけ残し、残りを胸元に寄せた。

 わずかな耳鳴りのような高い音が連続し、消える。レフィは小さく息を吐いた。

 

 俺は街で買い足した照明石に手持ちの溶液を数滴垂らして、空いている試験管の中へ転がした。

 その片方をレフィに渡すと、昼の光りを目一杯に吸い込んだ石は透明な容器の中で明かりを灯し始める。それぞれ石の色の通り、レフィは淡い橙色に、俺のは濃い緑色に。明るさが一定になり足元までしっかり照らされるくらいになると、それを無言で見つめていたレフィが口を開いた。

 

「つきがくれ? を採るんですよね?」

「そうですね。ランキョクさんへのお礼と、あと街の依頼の分も一緒に採れたらいいかなと思っています」

「どんなお花なんですか? 薬草だから、はっぱです?」

「ああ、えーっとですね、ツキガクレって決まった形がないんですよ」

「はい?」

「だいたい薬草や草花が多い場所にツキガクレも生えているんですが、ほかの植物とまったく同じ姿をしているんですよ。花だったり、雑草だったり、そのとき一番近くに生えてるモノと同じ姿をして、何食わぬ顔で生え揃っていやがるわけです」

「なんですかそれ。そんなの、どうやって見つけるんですか?」

 

 戸惑うレフィに、俺は緑に光る試験管を軽く揺らし、そして空を指差す。

 

「コレと、月の光を使います。ちょっと見ててください」

「……?」

 

 俺は手近な雑草の茂みに試験管を近づける。光源の強く当たる場所は眩しい白色に照らされ、そこから外側へいくほどに、緑色への綺麗なグラデーションが描かれる。俺はその光景をしっかりと目に焼き付けてから、手で覆い隠すように光りを遮った。

 

「ありますね」

「え?」

「見てください」

 

 俺は照明石の光りをもう一度茂みに近づけ、また隠し、近づけ、それを繰り返す。

 なにがなんだか、といった様子のレフィはしばらくして「あっ」と声を上げた。

 

「あ、あれ、無い。無いのに、ある? あれ、あれえ?」

「新鮮な反応をありがとうございます」

 

 俺は光りを近づけながら、茂みに生えている雑草のうちの一本を根っこから引き抜き、それをレフィの目の前に差し出した。そして照明石を背中に隠した瞬間、雑草はふっとその姿を消した。そこにあるのは、なにかを握っている形の俺の手だけが残っている。

 二度、三度と光りを近づけ、離し、タダの雑草が鮮やかに消えてしまう瞬間を見せると、レフィは目をぱちくりさせた。

 

「触ってみてもいいですよ」

 

 俺はわざと光りを離し、消えたままのソレをレフィの眼前に近づけた。

 う、と息をつまらせたあと、彼女はおそるおそる指先を伸ばした。

 その細い指が、見えないはずのナニカに触れた瞬間、びくりとして体ごと半歩下がった。


「あ、ある! なんで、どうしてですか!? なんでこんなふうにきえちゃんです!?」

「どうしてだと思います?」

「わかるわけないじゃないですか!」

「や、レフィさんならわかると思いますよ。なぜこの草が消えてしまうのか」

「ええ? こんな不思議なことわたし何にもわからないですよ!」

「僕が何を言っていたかよく思い出してください」

 

 レフィは俺の手元と顔を何度か見比べ、そして左上の方へと視線を泳がせ、固まった。

 小さな口がわずかに動く。

 

「これと……、ひかり……、つきの、あっ、ああ」

 

 宙を彷徨っていた視線が真上を向き、ある一点を見つめた。

 

「月の光り。ああ。ああ、だから“ツキガクレ”なんですか」

「おー、さすがですね、その通りです。月の光りに隠れてしまうから、……つまりそういうことですね」

「なるほどですー……!」

 

 感動した様子のレフィにツキガクレを渡すと、彼女は俺を真似するように自分の試験管を何度か近づけて、顔をほころばせた。

 戦士として、そして立派な女性として気を張る姿も結構だけれど、こうした、なんとも歳相応な表情の方が素直に可愛いと俺には思えてしまう。

 

「雑草のうちの一部がツキガクレに変異するのか、それともツキガクレが近くの植物に化けるのか、いろいろ説はあるみたいですが、とりあえずはこれで探し方はわかったと思います。僕は何度か見比べないと見つけられないことがほとんどですが、レフィさんは目がいいので、暗闇に光りを近づけて突然見えるようになった草がないかを探すほうが早いかもしれないですね」

「やってみます!」

 

 橙色の光りに照らされるレフィの表情は生き生きとしていて、狩りの疲れなんて微塵も感じられない。

 これでは街まで往復しただけの俺の方が疲れているかもしれない。もう歳だろうか。そんなことを言ったらアライクンさんに怒られてしまうだろうけど。

 

 入れ物として調達した大きな袋を近くに放り、二人でツキガクレを集める。

 

 

 

 採集場所がよかったのかレフィが精力的に取り掛かってくれたからか、お互いに一息つく頃には袋の半分以上がさまざまな草や花で埋まっていた。光りを当てなければ見えないため、何も入っていないはずの袋が膨らんでいるというかなり奇妙な状態が出来上がっている。

 収穫が多いのはなによりだけれど、花畑の一角が丸刈りにされたり、妖精さんが大量虐殺されたり、挙句には薬草まで毟り取られたりと、昨日からの行動を全て列挙してみると、なかなかどうしていたたまれない。かくなる上は余さず残さず、最後の一滴まで生きる糧としてちゃんと消費させていただくということで、どうかここはひとつ。

 

「だいたいこれでいくらくらいなんですかね」

「お店で買い取ってもらうよりは高いでしょうけど、どうですかね。依頼の報酬額までは覚えてないですか?」

「うーん……」

 

 俺が訊ねるとレフィは首を捻った。

 

「いくつか数字が並んでたのは覚えてるんですけど……。上から下にいくほど大きかった気がします」

「量によって報酬が変わるってことですかね。それなら多ければ多いほど割り増しな報酬になっていそうな気がするので、もう一回依頼を確認してキリのいいところで依頼の分とランキョクさんの分にわけましょう」

「それがいいですね! たくさんお金がもらえるといいです」

「あんまり期待はできないですけどね。こういう、面倒だけど誰にでもできることってそんなにお金にはならないんですよ。少なくとも薬草のお店で売っている値段を越えることはないと思います。でなければ買ったツキガクレをそのまま依頼者に流すだけで得が出来てしまいますからね」

「あ、確かにそうですね」

「おみやげのついでなので、ご飯代くらいになれば十分です」

 

 業者というわけでもないのであれば、おそらく一定の量を早急に欲しがっている可能性が高い。レフィがその依頼を見つけたのが数日前だから、もう終わってしまっているかもしれないけれど、そのときは全部ランキョクさんにあげればいい。ツキガクレに関してはいくらあっても困らない。

 

 いつのまにか高いところにいる月に照らされながら、俺とレフィは街へ歩く。

 安物の照明石はもう効力が切れようとしているけれど、俺は何となしにそれを前方に向けて月明かりの足しにする。無言で歩く俺に、少し後ろをついてくるレフィも何も言わない。さすがに疲労が押し寄せてきたのだろうか。それとも眠いのだろうか。

 聴こえるのは控えめな虫の声と足音だけ。この静寂を心地よく感じるのは、程よい疲れからか、それとも小さな達成感からか。まるでこの場の空気自体が俺たちに気を遣っているかのような静けさだった。

 

「ニトさん、ニトさん」

 

 橙色の一筋が弧を描く。

 振り向いた先のレフィは、得意げな顔で試験管を振り回してみせる。もう切れかけの照明石は、その石の色だけを暗闇の中にぽつんと浮き上がらせている。それをレフィが振るたびに、橙色の残像は細い線を描いて試験管の先を追いかけていく。

 円を描いたり、うねうねと動かしてみたり、まるで光る鞭のような挙動は実に目に楽しい。

 

 いやはや、しかし。

 

「綺麗です!」

「……そうですね」

「え、あっ」

 

 俺の微妙な声色に気づいたのか、彼女は慌てたようにソレを背中に隠して、ぷいと他所を向いた。

 

「な、なんでもないです」

「あれ、もうやめちゃうんですか?」

「な、何をですか? わたし、別になにもしてないです」

「そうですか? なんだか楽しそうに見えましたけど」

「何もしてないです、もん」

「いいと思いますけどね。僕もソレ前はよくやってましたし。なんなら今でもやりたくなりますし」

「ニトさんが子供なだけです」

「それは否定しません」

 

 俺は前方に向けていた腕から力を抜き、ぶらぶらと緑色の線を作る。

 そうそう、こんな感じだ。

 

「レフィさんも、それ使わないなら僕にください」

「何に使うんですか?」

「両手に持つと最強になれるんですよ」

「何の最強ですか」

「最も強くなれます」

「言葉の意味を聞いてるんじゃないんですよ。こんなの両手に持って、何を倒せるって言うんですか」

「大抵の相手には勝てますよ」

「なんですかたいていって。誰に勝てるんですか」

「大抵の相手です。一般的には勝てると言われています」

「まったくわかりません。どの範囲のたいていですか? 虫の世界の話ですか?」

「だから、一般的にです。みんなそう言ってます」

「光る石を両手に持ったら一般的には勝てると思っているその“みんな”は誰ですか。その人たちをここに連れてきてください。問いただします」

「それはできません」

「なんでですか。ほら、嘘じゃないですか」

「いや、大所帯になっちゃうからですよ。呼んだら大抵の人が来てしまうので」

「だから! 何人くらいなんですか!? どれくらいの人が来るんですか、それは」

「大抵の人です」

「もういいです!!」

 

 レフィは癇癪を起こすように腕をぶんぶんと振り回し、そのまま橙色の光で遊び始めた。

 ときおり照らされるレフィの顔は見事に口を尖らせていて、ヤケになっているのがひしひしと伝わってくる。俺が声も抑えずに笑うと、「なんですかあ!?」と鋭い抗議の声が飛んできた。

 

「楽しいですね、これ」

「わたしは別に楽しくないです!」

「綺麗でいいじゃないですか」

「ふん!」

 

 大きく描く緑の円と、荒々しく暴れる稲妻のような橙色は、はたから見ればどう映るのだろう。

 まさか成人している二人組みが照明石で遊んでいるなどとは、やはり思われないのかもしれない。

 

「――――ニトさん」

「なんですかー?」

 

 そしてなにより、そんなくだらないことを考えていたのが一番の原因だったのだろう。

 彼女の声の変化に、すぐに気付けなかったのは。

 

「ニトさん、止まってください」

 

 

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