第7話 泉からの帰り道

 

 

 

「あら、二ト様?」

「あれ、ランキョクさん、どうしたんですか?」

「泉の方にまた人影が向かったと聞いたもので……」

 

 行きでは通り過ぎた村に戻ってきたところで、柵が途切れているだけの簡素な出入り口の近くに、魔法の光りを手に浮かべた女性が立っていた。

 

 暗闇の中に揺れる長い髪がゆるやかに波打っている。光りに白く反射するその髪は、昼間に見れば薄い桃色をしているのを俺は知っている。垂れた目尻がとても優しく感じるその容姿は、彼女が未亡人だと知ったときに、大変、大変不謹慎ながら、積極的に会話をしたいなと思ってしまうほどの美人だった。

 年齢はおそらく少し上。すらっと伸びた身長も、いまの俺と同じか、むしろまだ少し高いくらいだろうか。なんとか追い抜かなければ、カッコつけてご飯にも誘えやしない。

 

「やー、こんな時間にお騒がせしました。少し泉の方に用事がありまして。……レフィさん、こちらの人はランキョクさんです。この村の治療所でお手伝いをしていて、僕もおばさんにお使いを頼まれて、よく聖水を分けてもらいにきてたんですよ」

「ランキョク・アペスティです。こんばんはぁ」

 

 ランキョクさんはレフィに向け、麗らかな花のように笑う。

 しとやかな所作に、俺はこれこそが大人の女性だ、と感動すら覚えてしまうのだが、語り合える仲間がいないことがなんとも残念である。

 

「れっ、レリフェトです! こんばんは!」

 

 緊張した面持ちのレフィが一生懸命に挨拶をする。

 健気でほっこりするような姿ではあるけれど、花弁の大きな一輪の花のようなランキョクさんに比べて、レフィが道端にぽこっと咲いた小ぶりな花に見えてしまうのは俺だけなのだろうか。俺だけなんだろうな。

 いや、現時点で将来の姿までもが決まるわけじゃない。小さいというよりは、まだツボミだと言った方が俺としてはしっくりくるのだが、もちろんそんなことは口が裂けても言えない。

 

 だいたい、ランキョクさんをお出かけに誘うこと自体がいろいろな意味で難しすぎる。

 そういえば、あの日に料理店で会った夫婦は元気にしているだろうか。

 

「よろしくお願いしますね。……失礼ですが、レリフェト様は、ニト様の……?」

「ぼっ、戦士、戦士ですっ! わたし!」

 

 口元を手で覆うランキョクさんが何を言い出しそうなのかはすぐに察せられて、レフィが焦ったように補足した。

 ランキョクさんがきょとんとした表情を見せた。かなり珍しい光景に、俺は内心沸き立つ。

 

「戦士の方、ですか? でしたら、ニト様はもしかして」

「ああ、そうです。ワケあって司令になったんです。まだ始めたばかりで僕に務まるかはわかりませんが、とりあえず今は」

「そ、そう、でしたか……。街に出るとは聞いていましたけど……」

 

 どうしたのだろうか。

 ランキョクさんがこれほどに取り乱している姿はほとんど記憶に無い。

 

「この時間帯ということは、ツキガクレを取りに?」

「いえ、本当に野暮用だったんです。このまま街に戻るつもりです」

「あらあら、でしたらどうぞ泊まって行ってください。そのような顔色の方がいらっしゃったら、ニト様でなくても引き止めてしまいますよ?」

「あはは、そんなに顔色悪いですかね、僕」

「ニトさん、自覚ないんですね……」

 

 二人から言われて、俺はため息を吐く。

 

 正直言って自覚はある。体が寝床を欲しがっている。あと、程よい頭を欲しがっている。抱いて撫でながら眠りたい。ランキョクさんに添い寝をお願いしようか。叶うわけがない。実現するはずもなければ、叶ったところで逆に眠れない。

 ランキョクさんの大きな耳は、確か何という種族だと言っていたか。クーシー種とケットシー種が大半を占めている世の中ではあるけれど、初めて聞いたときにピンとこなかった覚えがある。

 

 イノリか、イヌリか。もしくはイナリか、確かそこらへんだ。耳の大きさもさることながら、なにより尻尾の毛並みが良く毛量も凄まじい。かなり珍しい種だろう。

 

「それじゃあお言葉に甘えて」

「ええ、是非」

 

 それから家まで案内され、客間に通され、敷いてもらった柔らかい布団に力尽き、そこで記憶が途切れた。

 

 

 

 

 

 が。うから。ですか。

 

 んです。わ。いと。

 

 遠くから途切れ途切れに聴こえてくる声に、俺は目を覚ました。

 周囲が明るい。起こした体があまり肌寒さを感じない。もうお昼だろうか。

 

「ん……?」

 

 がしがしと頭をかきながら身の回りを見ると、すぐ近くで真ん丸な四つの瞳がこちらを見つめていた。

 

「あー……、スズちゃん、コチョウちゃん、おはよー」

「おはよーございます!」

「おはようございます……」

 

 姉のランキョクさんと同じ髪の色をした双子の姉妹は、それぞれの表情で挨拶を返してくれる。二人ともレフィよりはいくらか年上である。

 こうして寝起きを見られるのは初めてかもしれない。少し恥ずかしい。

 

「ごめんね、ちょっとお邪魔しちゃって」

「全然いいですよ! 兄様みたいなものですから!」

 

 俺の言葉に、スズちゃんが元気に笑った。

 

「ニト様……、司令になったと聞きましたが……」

「いきなり突っ込んでくるねコチョウちゃん。でもそう、ほんの数日前くらいから、一時的に司令をやることになったんだよ」

「一時的……、すぐにやめてしまうということですか……」

「まだわかんないかな。でもしばらくは続けると思うよ」

「治癒術師はいますか……?」

「え?」

「回復魔法の使える人は、間に合ってますか……?」

「コチョウちゃん?」

「うちの姉様なんかは……とてもオススメですよ……」

 

「ちょっとコチョウ、いきなり何を言い出すの? ニト様が困ってるでしょ?」

 

 スズちゃんがピシッと言い放つと、コチョウちゃんはのんびりとした様子で口を閉じた。声に抑揚のないコチョウちゃんの言葉は、本気なのか冗談なのかよくわからない。

 眉を吊り上げるスズちゃんに、俺は笑ってみせる。

 

「いやあ、困ってはいないけどね。むしろランキョクさんみたいな凄腕の人がパーティに来てくれたら光栄すぎていたたまれないよ。それに……」

「あっ、ニトさん! 起きてるなら早く準備してください、出発しますよ!」

 

 俺の言葉を遮って部屋に入ってきたのはレフィだった。

 

「あー! レフィちゃん!」

「レフィー……」

「あっ、あ、ニ、ニトさん! は、はやく行きますよ! はやく!」

 

 双子がぱっと顔を明るくして振り返ると、なぜかレフィは酷く怯えた様子で俺を急かす。

 なんだ。俺が泥みたいに眠っている間になにがあったのか。

 

「なんでぇ? もう少しここにいようよぉ」

「レフィはもっと私達の相手をするべき……」

「ひゃあ、や、やめ」

 

 俺に伸ばしたはずのレフィの腕は、一回り体の大きな双子に絡め取られ、ゆっくりと取り囲まれていく。そのままなすすべもなく体の自由を奪われたレフィは、顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を動かしている。

 

「ほんとに髪の毛柔らかーい!」

「これはとてもいいほっぺたですね……」

「ああ、あ、あ」

 

 さながら新しく出来た末っ子の妹が、上の姉妹に弄ばれているような様子に、俺は生暖かい目線を送る。仲が良さそうでなによりだ。

 

「ニッ、ニトしゃ、ニトしゃん、なに見てるんですかぁ! た、助けてくらはいい!」

「すごいねえ、耳の毛ふわふわだねえ」

「これは本当に、とてもいいほっぺたです……」

 

 ああ、助けるなんてとんでもない。

 俺のもふりの夢を別の誰かが叶えてくれているのだから、存分に鑑賞させてもらおう。助けは来ない。頑張れ戦士。

 

「こーら、あなたたち、いい加減にしなさい」

 

 最後に部屋に入ってきたのが、ランキョクさんだった。

 双子は慌ててレフィから離れて、部屋の片隅でびしっと並んだ。罰の悪そうな二人を顔を見てため息を吐いたランキョクさんは、申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

「ほんとにごめんなさいね、レフィ様。あの子達ずっと妹や弟を欲しがってたから」

「い、いへ、へつに、はいしょーふでふ」

 

 息も絶え絶えのレフィは、もう少し過熱したら溶けるんじゃないかと思うほどデロデロにやられてしまっている。今度からレフィが生意気なことを言ったら積極的にこの村に連れてこようと思う。うむ、それがいい。

 

「泊めてもらって、ありがとうございました。ランキョクさん、お仕事は大丈夫ですか?」

「ええ、いま少し手が空いたので一度戻ってきたのです。ゆっくりしていってくださって構わないのですが、ニト様達はすぐに出られるのですか?」

「そうですね、せっかくだからお言葉に甘えようかと……」

「なっ、なにお、ほ、いってるんでふか、いとしゃん。すぐに出るんです、いっこくもはやくう、出発するんでふ。へふ」

「……甘えようかと思ったんですが、まあうちの戦士がこう言ってるので、そろそろ失礼しようかと思います」

 

 レフィにぐいぐいと腕を引かれて、俺は立ち上がる。よほど余裕を失っているのか、無防備な頭が俺の腕や肩のあたりに押し付けられている。このまま羽交い絞めにして存分に手のひらを這わせたいところではあるけれど、そうもいくまい。

 

「残念ですね。是非また来て下さいね」

「はい、是非。ランキョクさんも、もしなにか困ったことがあったら言って下さい。僕にできることはそんなにないですけど」

「いえ、そんなことはありませんよ。そのときはお願いいたします」

 

 その場の後始末を軽くして、俺とレフィはランキョクさんの家を出る。

 外まで見送りに来てくれたランキョクさんに、俺は振り返って口を開く。

 

「そうだ、ランキョクさん。いつかうちのパーティに来ませんか?」

 

 ダメ元の誘いに、ランキョクさんが目を見開いた。

 その形の良い唇が何かをつぶやくように動いた。けれど、俺には何も聴こえなかった。

 大らかで、淀みない、撃てば響くようないつもの知的さが感じられない。呆けてしまったような様子に、俺はもう一度声を掛けようとした。

 

 しかし、彼女はふっと笑みを深めた。

 

「ありがとうございます。けれど、私には治療所と妹達がいますので、申し訳ありません」

 

 今の間はいったいなんだったのだろうか。

 昨日から、どうもランキョクさんの様子がおかしい。けれど、あまり詮索するべきことでもないのかもしれない。

 

「ですよね。変なことを言ってすいません」

「いえいえこちらこそ。街まで、どうぞ気をつけてくださいね」

 

 すこし後ろ髪を引かれる想いをしながら、俺はまた前を向く。

 

 


 

 

「今後の予定はどうするんです?」

「まずはアライクンさんのところですかね」

「ああ、例の件ですか」

「そう、例の。と言っても何なのかわからないですが」

 

 アライクンさんの真剣な表情からして、大切な用事に違いない。

 ならば最優先だ。

 

 俺は考えうる予定を列挙していく。

 

「アライクンさんのところへ行って、予定を済ませる。それからやっとレフィさんの修行に入ります。極悪非道のレフィさんに罪も無く漂うだけの妖精さんをその剣でバシバシと殺しまくってもらって、そのあと」

「ち、ちょっと、他の言い方はないんですか?」

「史上最低の凶悪鬼畜ケットシーであるレリフェトさんは、神の使いとも取れる姿をした儚い妖精さんをその鋭利な武器で真っ二つにして」

「余計に酷くなってないですかね!?」

「なんですか、何か文句ありますか」

「大アリです!」

 

 俺はわざとらしくため息を吐く。

 

「仕方ないですね……。とりえあず妖精さんが終わったら、次のエリアをどうするか考えますが。そうですね、さっきの村から泉まで、僕達香水を付けて歩いてたじゃないですか。次は香水を付けずに、そのあたりの魔物を狙うのが一番いいですかね。危険と見ればまた使えばいいですし、最悪怪我をしたとしても、村に戻ればランキョクさんがいるので」

「なるほど……、その後は?」

「その後? そうですね、街の周囲から順々に攻めていこうかと思います。あの香水も別に魔物避けというワケではなくて、あそこにいる魔物だけにしか効かない匂いなので、それ以降はかなり慎重にいくべきでしょうね。レフィさんの元のパーティがどれくらいの強さかは協会を通じて登録ギルドから調べてみましたけど、たぶん何とかなると思います」

「ええ? そんなことしてたんですか? 強さなんてわかるんです?」

「エリアとランクさえわかれば、だいたいは」

「…………その後は?」

「その、あと?」

 

 それ以上になにを聞くことがあるのだろうか。

 彼女の質問の意味がわからない。

 

「そのあとは、それで、レフィさんが強くなって、パーティに交渉して合流して、終わりじゃないですかね」

「その後です。それからニトさんはどうするんですか?」

「僕、ですか?」

「わたしは強くなりたいっていう気持ちがありますが、ニトさんが将来どうしたいのかって、聞いたことがないなと思ったんです」

「……なるほど」

「司令をしたことがないのに、なんだか詳しそうで、それだけいろいろ知っているのなら、そのあとも続けたりはしないんですか?」

 

 司令を続ける? 俺が?

 まさか、そんなつもりはない。だったらどうするつもりなのか。

 

「何か、夢とかはないのですか?」

「夢」

 

 久しく聞いてなかった言葉に、俺は思わず立ち止まった。

 将来の夢。そんなことを最後に考えたのはいつだったか。おばさんの店がもっと繁盛したらいいな、だとか、おばさんの作る香料がもっと世界で認められたらいいな、なんてことはよく思っていた気がする。だとすれば、俺はおばさんに夢を託していたのかもしれない。

 

 おばさんは、俺にどうなって欲しかったのだろうか。

 俺は何となくレフィを見下ろす。くりっとした瞳が、きょとんと俺を見上げている。彼女に聞いたところで答えなどあるはずもない。

 

「あ……」

 

 酷く懐かしい感触に、揺れていた気持ちがすーっと落ち着いていく。

 あまり深く考えるようなことではないのかもしれない。幸せであればそれでいい。俺の幸せはきっと、理想の自分になるだとか、立派な地位に付くだとか、そんな難しそうなことではおそらくない。

 

「な、な」

 

 もっと身近な。そう、例えば。

 こうして。こうして?

 

「な、なん、なあ」

「うん? ……あっ」

 

 思わず浮かした手のひらの下で、顔を赤くしたレフィが口をぱくぱくさせていた。

 少女はまるでよろけるように一歩退く。中途半端な高さでさまよっていた小さな手が、ゆっくりと上がっていき、その可愛らしい耳をもふっと押さえた。

 

「な、ななな、なんですかあ! なんですかあっ!?」

「い、いや、これはだな」

「いい、いきなり、ひとのっ、その、頭をそんなふうに触るとかですね!? どっ、なっ、なん、どういうつもりなんですかっ!?」

「すまん。すまんかった。全面的に俺が悪い。全面的にすまん」

「こっ、子ども扱いですね!? まっ、また、ニトさんはそうやって!!」

「違う。違うぞ。あっ、違います。僕はそういう、あの、アレではなかったです」

「もう、も、もー、信じられないですっ! な、なにを、いきなり……っ」

 

 なすすべも無く、言い訳もできず、ひたすら平謝りを続ける。レフィは耳を押さえたまま体ごとぷいっと他所を向いてしまう。

 たかが頭を撫でられたくらいでそこまで過敏に反応することはないだろう、などと、俺には口が裂けても言えない。俺にとっても、それはたかが頭ではないからだ。

 

 いやな静寂が訪れる。

 

 ううん、と俺は咳払いをする。無駄に自分の顔を指でいじりながら、さきほどの手の感触を思い出そうとする。するけれど、あまりに自然すぎた自分の行為を覚えているほど俺の脳は優秀ではなかった。

 ほんの直前の話だとしても、どれくらいのペースで、何回、どんな風に呼吸をしたかだなんて、人は覚えているはずもない。俺がそれを能動的に行えなかったことが酷く悔やまれた。

 いや、そもそも無意識だからこその話で。

 レフィはいまだにそっぽを向いたままで。

 俺も「行くぞ」と促すこともできなくて。

 

 直後の彼女のなんともいえない表情を頭に浮かべるけれど、それは嫌悪というよりは驚きに満ちていた。あまりにも突然で、唐突に過ぎて、怒る余裕すらなかったようにも見えた。

 そう、怒ってはいなかったのだ。あれは。言葉ほどには、彼女がそれを嫌がっているようには見えなかった。などという傲慢すぎる直感は、いま思い返しても、それでもそこまで間違っているようには思えなくて。思えない、が故に。

 

 故に、俺はしばらく、彼女に声を掛けることすら出来ないでいるのだった。

 

 

 

 

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