第1話 オノゴロ島

 永遠ともいえるときが流れても、世界は未だ形をなさず、万物が混沌と溶け合っていた。しかし、あるときふっと虚空が裂けたかと思うと、上下が定まって天と地にわかれた。


 それからいくばくもせずに、はたと天界に生まれ出るものがあった。左から見れば男、右から見れば女。男でも女でもないそれは、名を天之御中主神あめのみなかぬしのかみといった。世界のはじまりに現れた最初の神だった。


 天之御中主神はあたりを見まわして呟いた。


「なんもないねえ、ここ……」


 かすみのようなおぼろげな大地が、遥か彼方まで広がっている。目に入るものはそれだけに限られた。あとはなにも見あたらない。


「……ていうか、ぼっちじゃん」


 世界はただただ広いばかりでなんの気配もなかった。天之御中主神はぽつんとひとりぼっちだ。しかし、瞬きをした次の瞬間に、ふたりの神が生まれ出た。


 ふたりは天之御中主を認めると、即座に片膝をついて低頭した。ひとりは高御産巣日神たかみむすびのかみといった。もうひとりは神産巣日神かみむすびのかみといった。どちらの名前も覚えにくいことこのうえない。天之御中主神はふたりを神A、神Bと呼ぶことにした。


 神Aが頭をさげたまま慇懃に口を開いた。


「天界を統治し天之御中主神さま、貴殿におかれましては、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。つきましては――」

「ちょっと待って」と天之御中主神は神Aを制した。「堅苦しい挨拶はなしにしようよ。うやまってくれるのは嬉しいけどさ、そういうの苦手なんだよね」


 口上に割って入られた神Aは、かしこまった態度を一転させた。くだけた口調で尋ねてくる。


「じゃあ、天之あめのちゃんって呼んでいいっすか? 天之御中主神って名前、なんか覚えにくいんで」


 すると、神Bが「おいっ」と神Aを睨めつけた。


「なんだその口の利き方は。不敬だぞ」


 不敬だろうがなんだろうが、堅苦しいよりはよっぽどいい。天之御中主神は神Aの提案を快諾した。


「いいよ、いいよ、天之ちゃんって呼んで。覚えにくい名前って、神さまあるあるだよね」


 ざっくばらんな関係を求めたおかげだろう。天之御中主神はすぐにふたりと打ち解けることができた。三人揃って根っからの酒好きというのも、意気投合を早めた一要因かもしれない。


 ところで、天界のもとに広がっている地上は、まだまだ未熟で固まってすらいなかった。そのさまは、水に浮かぶ油のようでもあり、大海に漂うクラゲのようでもあった。そこに、あしの芽が伸びるかのごとく現れ方で、またふたりの神がぬるるっと生まれ出た。


 ふたりは頭上を仰ぎ見ると、いっきに天界まで飛びあがった。天之御中主神はそのとき、神ABと酒をみ交わしていた。


「はじめまして、宇摩志阿斯訶備比古遲神うましあしかびひこじのかみです」

「どうも、どうも、天之常立神あめのとこたちのかみです」


 愛想よく挨拶してきたふたりの名前は、神Aと神Bに負けず劣らずの覚えにくさだ。天之御中主神はふたりを神C、神Dと呼ぶことにした。


「あ、お酒飲んでるんだ。いいなあ」

「美味しそう。仲間に入れてくれない?」


 神CとDのふたりも無類の酒好きで、天之御中主神たちとすぐに親しくなった。


 天之御中主神を含めたこの五人の神は、のちに『超絶大神五柱戦隊スーパーゴッドファイブレンジャー』の俗称で呼ばれるようになった。正式名は『別天津神ことあまつかみ』という。


 あるとき、天之御中主神は超絶大神五柱戦隊のメンバーを誘って、いつものように酒盛りを開いていた。すると、神Aが手酌しながらこんなことを言いだした。


「前々から思ってたんだけどさ、身体があるのって、ちょくちょく面倒だったりしない?」


 天之御中主神も以前からそう思っていた。神Aに同意する。


「確かに面倒だよね。毎日着物を着たり脱いだりしてるけど、そういう手間も身体がなければ必要ないし」


 他の神も身体に不満を抱いていたらしく、天之御中主神に追随した。


「あー、わかるわー。毎日の繰り返しだから、ほんとに面倒くさいよね」

「面倒くさいだけじゃないよ。身体があるだけでつらいことも増えるよ」

「そうそう、それなー。実害があるんだよなー。寒かったり暑かったり、痛かったり痒かったり。病気なんかもそうじゃん。身体さえなければ、ほとんどの苦痛を感じずに済むんだよ」


 身体への不平は尽きない。しばらくみなでぼやき合っていると、神Aが「そうだ」とひらめいた顔をした。


「ねえねえ、天之ちゃん」


 神Aは天之御中主神に訊いた。


「最初に生まれ出た神さまだけあってさ、天之ちゃんの神通力って半端ないじゃん。超絶大神五柱戦隊の中でもずば抜けて一番だし。その神通力をちょいちょいと使ったらさ、身体を捨てて魂だけになれたりしない?」

「あー、魂だけにね。それ、いいかもね。たぶん、できると思うよ。試しにみんなで身体を捨てちゃう?」


 他の四人が揃って頷いたのを確認した天之御中主神は、ちょいちょいと神通力を発動した。たちまち五人の身体は消えてなくなり、希望どおりに神霊だけの存在となった。


 そのときだった。突として神さまビッグバンが起きた。姿を消した天之御中主神たちとは裏腹に、新しい神が次から次へと生まれ出たのだ。


 まずはふたりの神が続けてポンポンと出現した。次に男女一対の神が五組誕生した。それらの神は天界に住まう天津神あまつかみではなく、地上に住まう国津神くにつかみだった。


 この国津神たちを合計すれば十二人だが、最初のふたりはひとりで一代いちだいとし、以後の神は男女一対で一代とした。ゆえに彼らは七代であり、『神代七代かみのよななよ』と呼ばれようになった。親しみをこめて『神セブン』と称されることもある。


 また、神セブンの最後に生まれた出た男女一対の神は兄と妹だった。兄の名はイザナギといい、妹の名はイザナミといった。


 イザナギはすらりとした長身の持ち主で、切れ長の目が精悍な印象を与えていた。イザナミは小柄でどこかあどけないが、白い肌には得も言われぬ美しさがあった。ふたりは魂を共有しているかのように仲が良く、いつも寄り添い合っている一心同体の兄妹きょうだい神だった。


     ◇


 淡い青空が広がる日の午後だった。イザナギはあめ浮橋うきはしの上に立った。すると、妹のイザナミもそれにならった。天界と地上に架け渡されている天の浮橋は、光の帯のように輝いている美しい橋で、ときおりそよ吹く風には潮の匂いがほんのりと混じる。


 さてと……


 イザナギは心の中でそう呟きつつ、天の浮橋から地上を見おろした。その手には槍にも似た天沼矛あめのぬぼこが握り締められている。天沼矛は天津神あまつかみとして最初に生まれ出た神、天之あめのちゃんこと天之御中主神あめのみなかぬしのかみに授かったありがたい神具だ。もっとも、授かったというのは恭しい表現であり、押しつけられたと言ったほうが正しいのだが。


 四半刻(三十分)ほど前のことになる。イザナギはイザナミと連れ立って天界まで足を運んだ。突如地上に現れた天之御中主神の御霊みたまに、「おふたりさん、ちょっときて」と呼びだされた。


 間もなくしてイザナギたちが天界に着くと、天之御中主神は大地にあぐらをかいて、徳利とっくりを片手にお酒ををちびちび飲んでいた。天之御中主神を含めた超絶大神五柱戦隊スーパーゴッドファイブレンジャーは、肉体を捨てて神霊だけの存在となったが、必要とあらば実体化して姿を見せるそうだ。


「お久しぶりっすね、天之あめの先輩」


 イザナギが片手をあげて挨拶すると、隣りにいるイザナミも挨拶をした。


「こんにちは……」


 しかし、いつになく声が低かった。イザナミは酔っ払いが苦手だ。酒臭い天之御中主神をよく思っていないのだろう。


 そんなこととは露知らずの天之御中主神は、赤い顔をにっこりと崩すと、イザナギたちに労いの言葉をかけた。


「お疲れさま。天界くんだりまで呼びつけちゃって申しわけなかったねえ」

「いえ、全然大丈夫っすよ。それより、俺たちになにか用っすか?」

「うん、そうなんだよ。君たちに折り入ってお願いしたいことがあってね」


 天之御中主神はお猪口ちょこに口をつけてから話をついだ。


「今ってさ、地上になんにもないじゃん? いかほど土地が余ってんのよって感じで、どこもかしこも空き地だらけなんだよね。だからね、超絶大神五柱戦隊のみなと話し合って、国を作ろうってことになったんだけど、その大役を君たちに任せようと思ってるわけ。万能神具ばんのうしんぐ天沼矛あめのぬぼこを無期限でレンタルするからさ、あめ浮橋うきはしあたりからはじめていってほしいいんだ」


 半ば押しつけるように天沼矛を差しだしてきた天之御中主神は、最後に「じゃあ、よろしくね」と言い残してさっさと姿を消した。重要な案件を託された言えば聞こえはいいが、面倒事を体よく押しつけられたにすぎない。


 しかし、天之御中主神は腐っても天界を統べる神だ。その最高神の言いつけを無下に断れば、恐ろしい神罰をくだされ兼ねない。


「自分はお酒ばっかり飲んでるくせに、私たちには無茶なことをさせるんだから。こんなのほとんどパワハラだよ」


 イザナミがそうぼやくのももっともではあるが、やはり最高神の命令を反故するのは憚れる。


 イザナギは改めて天の浮橋から見おろし、眼下に広がる地上を確認した。油のようなものがドロドロとうごめいているだけで、陸地のらしきものはどこにも見あたらなかった。


 イザナミが浮かない声で尋ねてきた。


「お兄ちゃん、どうするの?」


 地上の未熟さは話に聞いていた以上だ。そこに国を作れと命じられて、イザナミは困惑しているのだろう。しかし、イザナギにはある考えがあった。


「まあ、俺に任せとけ」


 イザナギはイザナミの頭をぽんぽんと叩くと、油じみた地上に天沼矛を突き刺した。どうやら、矛先から伝わってくる感触から察するに、脂の主成分は海水のようだ。だから、ときおり潮の匂いが漂ってくるのだろう。


 海水をコロコロとかきまわしたイザナギは、天沼矛をそっと慎重に引きあげた。やがて、天沼矛の先から滴り落ちた潮が、積もり積もって小さな島を形成した。のちにその島はオノゴロ島と呼ばれるようになった。現在の淡路島の南西に浮かぶ沼島ぬしまが、オノゴロ島ではないかという説がある。


 島を目にしたイザナミは、イザナギの腕に抱きつくと、甲高い声をあげてはしゃいだ。


「凄い、お兄ちゃん、島ができてるよ! もしかして、お兄ちゃんって天才なの?」

「そりゃあ、俺だからな。天才だろうよ。けど、国づくりはここからが本番だ。島におりるぞ」


 言いながらイザナミをお姫さま抱っこすると、耳もとで小さな悲鳴が「きゃっ」とあがった。見ればイザナミの頬が赤らんでいる。かわいいやつだ……。イザナギそう思いつつ、ひらりと島におり立った。


【第二話に続く】


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