第4話 晩飯は中華で決まり

 ウィーン、と年季の入った自動ドアを開けて入ると、少し時間が遅かったせいか、先客はまばらだった。どいつも腹がくちくなった幸せそうな顔で、俺たちとはすれ違いで出ていった。


 俺たちは席に着き、りんさんが運んできてくれた温かいおしぼりで手と顔を拭いた。スズキは、いつものようにおしぼりを両手で顔に当てたままじっとしている。こいつはおそらく、中国の仙人が霞を吸うように、おしぼりの蒸気を吸って何か光合成じみたことをしているに違いない。


 さて、何を食べようか、と俺が思った直後、スズキはおしぼりから顔を上げてりんさんを見た。


炒飯チャーハン蛋花湯タンホァータン青椒肉絲チンジャオロースー。」


いつもそれしか食べないのか、メニューにはそれしかないかのような確固たる口調でスズキは注文した。なお、りんさんの名誉のために言うと、メニューは他にも豊富にある。


 だが、そんなことより、俺には重要なことがあった。


「待ってくれ、スズキ。俺、チャーハンよりライスが良い!」


ライスはお代わり無料だ。それは夜でも変わらない。チャーハンが旨いことは想像に難くないし、想像すると本当によだれが出てくるところではあるが、それよりもなお、俺はこの叫び続ける胃袋を大量の米で鎮める必要があるのだ。ライス、ライスでなくては!


 だが、俺の魂の叫びはスズキにあっけなく無視された。スズキが俺の言うことを聞かないのはいつものことではある。しかし、ライスという夢の国へのチケットを奪われ、俺の胃が激しく抗議するように鳴き続ける。俺は空腹による脱力感と、スズキのおごりであるという引け目から、ただ黙って水を飲んだ。


 そんな俺の鼻腔を、かぐわしいごま油とニンニクの匂いがつんざく。やがて、ジャァァっというシャウトの合間にカンカンとリズミカルに中華鍋が歌いだし、俺は我知らず厨房を振り返った。中ははっきり見えないのだが、俺には視える。りんさんが大きく揺さぶり続ける、鉄の鍋の姿が。その中で軽やかに舞う米とネギと卵の共演が。はっきり、視えるのだ。


 俺は、いつの間にか垂れそうになっていたよだれをおしぼりで拭った。


 りんさんはできあがったチャーハンを皿に盛りつけ、とことこと厨房から姿を現した。皿の上に火山でもあるのかというほど、勢いよく湯気が上がっている。そして、完成された炒飯の妙なる香りも、すさまじい勢いで俺の周りにまとわりつく。見るだけでも旨い気がしてくるが、見るだけで我慢できるはずがない。


 俺はレンゲを握りしめ、りんさんの到着をじっと見守った。ああ、あと数秒で俺は天国に昇れるのだ。



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