第21話 箱を置いたのは誰?

 一見ではたどり着けないような込み入った場所にある薄暗いバーにて。深いため息を吐きながら、濃いバーボンを傾けるひとりの老ドレイクがいた。

 キイと重たいドアが開く音がしたが、そのドレイクの視線はグラスの中に揺れる氷に注がれたままであった。


 だが、床をコツコツと叩く義足の音が耳に入ると、彼は慌ててそちらを振り向いた。


「随分と探しましたよ、ベンジャミン様……いや、ベンジャミン」


 そこに立っていたのは、全身黒ずくめの長身痩躯の陰気な男――アシュラッドの姿だった。


「ひっ!」


 ベンジャミンは椅子から転がり落ちそうになるのを何とかこらえる。


「教えてもらおうかベンジャミン。貴様のしでかした事全てを」


 アシュラッドは、鋭利にとがる牙をむき出しにしてそう言った。


 ★


「なんだと! それはまことかアシュラッド!」


 貧乏長屋を揺らすようなローランドの叫び声が鳴り響いた。


「ええ、ベンジャミン本人から聞きました。ガリウス様をハメたのは執事長であるベンジャミンです」


 アシュラッドは、ローランドから目をそらさずに、しっかりとそう言いきった。


「彼奴は何処にいる! 八つ裂きにしてくれるわ!」

「落ち着いて下さいお坊ちゃま。この都市の法では、魔族同士とは言え殺すのは罪になります!」

「ええい! そんな事はどうでもいい! 奴は父上の忠臣面をしていた裏切者なのだぞ!

 それをどうして見過ごせようか!」


 魔剣を取り出し、牙をむくローランドをアシュラッドは羽交い絞めにして無理矢理押さえつける。


「落ち着いて、落ち着いて下さいお坊ちゃま! 今その様な事をすれば全てが無に帰ってしまいます!」

「それがどうした! 父上の仇も取れずに何がお家再興か!」

「くっ、お坊ちゃま失礼いたします!」

「ええい! そこを――」


 アシュラッドが催眠魔法を唱えると、ローランドは気を失った様に脱力した。

 普段の精神状態ならば、それに抵抗することが可能だったかもしれない。だが、激昂した彼の不安定な精神状態では、それに抗う事など不可能だった。


「やはり、坊ちゃんにお伝えするのは、時期尚早だったのではないでしょうか?」


 ローランドをベッドに運んだアシュラッドへ、ミラはそう問いかけた。


「そうかもしれんな」


 アシュラッドは疲れを滲ませながら、そう答える。

 彼はずっと疑問に思っていたことがあり、極秘裏に調査を続けていたのだ。

 確かに、ローランドの父であるガリウスは、戦い一筋の武辺者だったが、経済と言う戦いにおいては素人そのものだった。

 だから、簡単に詐欺にあってしまったという事は理解できる。

 だが、かりにも侯爵位にあった人物だ、余人がおいそれと面会できる立場にはない。


(それを仲介したものがいる)


 そう思い調査を続けた先にいたのが執事長であるベンジャミンだった。彼は借金のかたに詐欺師の手引きをしたのだ。


「それで、ベンジャミン様はどうされたのですか?」


 ミラは何かを察した様にそう尋ねた。

 アシュラッドは、平静な口調でこうつぶやいた。


「お坊ちゃまに手を汚させる訳にはいかん、俺が奴の魔剣をへし折った」


 ドレイクとは魔剣と共に生まれ落ちる生物である、その半身とも言える魔剣を失ったドレイクがどうなるか?

 多くの者は激しいショックを受け、その大半の能力を失い心身ともに白紙に近い状態になってしまうという。


「そうですか……」


 ミラは詳しい事は聞かずに、それだけを口にした。


「奴が口にした中で、興味深いものがあった」


 アシュラッドは、ポツリとそう呟いた。


「例の噂、ラプラスの箱についてだ」

「ラプラスの箱について……ですか?」

「ああ、『人族と魔族の間に生まれた子には優先的に都市運営に参加させる』それはガリウス様が、酒に酔った勢いでよく言われていたそうだ」

「ガリウス様が!?」


 ミラは驚いて口に手を当てた。


「ああ、ガリウス様も300年大戦の武功を買われ、エシュタット設立時には議員で有らせられたお方だ。

 もしかしたら、そう言った案が実際にあったのかもしれん」

「けど、実際にはその案は……」

「ああ、そんなものは無かった。だが、議員であったガリウス様のご発言だ、それが酒の席であったとは言え、いや、酒の席であったからこそ、妙な真実味を帯びて広がって行ったのかもしれん」

「……お酒癖は……あまり良いお方ではあらせられませんでしたからね」


 ミラはそう言って冷や汗を流す。


「と……いう事は……」


 ミラは慎重に言葉を選び――


「全て父上が原因ではないかーーーーー!」

「うわっ! 坊ちゃまもうお目覚めに!?」

「ふん、余を誰だと思っておる!」


 そう言ってローランドはベッドから降りようとして――見事に滑り落ちた。


「むぅう、流石はアシュラッド。体の自由がきかんぞ」


 ローランドは逆さまになった状態のまま、どこか誇らしげにそう言った。


「お坊ちゃま済みません」

「いやいい、おかげで余も頭が冷えた」


 ローランドは腕組みしたまま、アシュラッドに起こされた。


「しかしなんだ、話を総合すると」

「ええ、ガリウス様が吹いたほら話を真に受けたどこかの誰かが、噂の出所であるガリウス様がラプラスの箱を持っていると勘違いして、ガリウス様を罠に嵌めたって事になっちゃいますねー」


 ミラは額から汗を流しつつ話をまとめた。


「父上……」


 ローランドはぐでんと机に体を預ける。


「けど坊ちゃん、今度の祭りでその噂も掻き消えてしまうんですよね?」

「さてな、あの場で口を挟む事は憚られたが、ここまで広がってしまった噂を一刀のもとに切り捨てるのは難儀な話だろう」


 アシュラッドは眉間にしわを寄せながらそう言った。


「評議会の公式発表でもそうなりますかー」

「ああ、魔族だろうが人族だろうが、信じたいもの以外から目をそらすのは知恵ある生物としてのさがだろう」

「あははー。まぁ陰謀論とか無くそうとしてもなくなるものじゃ無いですからねー」

「もちろん有効な手立てではあるのだろうが、ある程度の時間は必要だろうな」

「うぼぁー、もうそんな事はどうでもいいぞー、余は力が抜けてしまったー」


 話し合うふたりを他所に、机に突っ伏したままのローランドは、魂が抜けかけた様な声を出す。


「お気をしっかりしてくださいお坊ちゃま。ガリウス様のおっしゃられた言葉は、人魔共存の為の祈りの言葉であったはずです!」

「祈りの言葉も何もあるか! ただの酔っ払いの戯言ぞ!」


 ローランドは半泣き状態でそう雄叫びを上げたのだった。

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