第19話 エシュタット憲章
「ラプラスの箱?」
「ええ、エシュタット宣言がなされた当日、大規模なテロが起こった事は貴方も聞いたことがあるでしょう?」
夫人はそう語り始める。
それは、純血派と呼ばれる集団が起こした事件に端を発している。
純血派とは『人族は人族、魔族は魔族としてかつてのように別れて暮らすことが正しい』と主張する過激派だ。
彼らはエシュタットの歴史が幕を開いた時に大規模なテロを起こした。
両族の重鎮が集まる壇上に極大爆裂魔法を撃ちこんだのだ。
だが、そこに集まっていたのが両族の実力者という事が幸いした、彼らは瞬時に反応し何とか人的被害を出すことなく乗り越えた。
だが、両族共栄の道しるべとなるエシュタット憲章を刻まれた石碑は木端微塵に砕け散ったのである。
「そのテロが、どうかしたのか?」
それは彼が生まれる前の話だったが、その事については父親から聞き及んでいる。
「ええ、その時に破壊されたエシュタット憲章のオリジナルが何処かに残存しているというのよ」
「それが、ラプラスの箱?」
「そう、根も葉もない噂と言うしかないのだけれどね」
と、夫人は苦笑いを浮かべつつ、ローランドにこう質問した。
「ねぇローランド君、エシュタット憲章は第何条まであるかご存じ?」
「17条であろう、それがどうかしたか?」
ローランドは何時か似たような質問を受けたなと考えつつそう答えた。
「そう正解」
夫人は、ニコニコと笑いながらそう言った後、顔を曇らせながらこう続けた。
「ところがね、ローランド君。オリジナルの憲章が刻まれた石碑には、幻の18条が書かれてあったという人が居るのよ」
「幻の……18条?」
それを聞いたアシュラッドは、陰気な顔をさらに曇らせながらこう言った。
「ですが奥様。
そのテロで全員が亡くなってしまい、誰も事の真相を知らないという訳ではないのだ、そんな事は存命者に聞けばいい、極々単純な話だった。
だが、夫人は緩やかに首を振る。
「それはもちろん正論ですわ。けど、その存在を信じたい、あるいは信じたくない人にとっては他人の言葉なんてどうでもいいことなの」
「そんな、無茶苦茶な」
「そう無茶苦茶ね、けど、それが追い詰められた者たちの心情ということなのよね」
苦虫を噛み潰したような顔をするふたりに、ローランドは疑問を投げかける。
「そう言った戯けた者たちが居るのは分かった。それで? その幻の18条とやらには一体何が書かれてあったというのだ?」
「それは……ですね……」と言い辛そうに、口を閉じるアシュラッドの代わりに、夫人が口を開いた。
「エシュタット憲章第18条。『人族と魔族の間に生まれた子には優先的に都市運営に参加させる』という文面よ」
「……ん?」
「要するに、ローランド君のようなハーフの子には、生まれながらにして、議員の席が与えられるって事」
「はぁあ?」
ローランドは、そう言って大口を開く。
そんな馬鹿げた話は無いだろう。確かに人族と魔族の間に子供は生まれにくいとは言え、たかだかハーフが生まれたからと言ってホイホイ議会に投げ込んでいけば、あっという間に議会はパンクしてしまう。
「ねっ。だから根も葉もない噂話って言ったでしょう?」
夫人は困ったような笑みを浮かべてそう言った。
「まっ、待てよ!? では、お父上が標的になったのは!?」
「ええ、その話を真に受けたどこかの誰かが、『貴族の子でありハーフの子である、あらゆる意味でこのエシュタットという都市を象徴するローランド君を狙った』という考えも出来るわね」
夫人は、笑顔を消して、真剣な面持ちでそう言った。
★
「しかし、どうなんでげしょう。ラプラスの箱なんてものは本当に存在するのでしょうか?」
何処をどう探しても、手がかりひとつ出てこないその箱に、下っ端はそうぼやいた。
「うふふふ。ここまで来ちゃったら、実在するしないはどうでもいいことなのよ」
その声にこたえたのは、妖艶な女性の声だった。
「それは、どういう事でげすか? 姐さん」
「単純な事よ、ラプラスの箱はそれを信じるその人の心の中に存在しているの」
そう言って彼女は、下っ端の胸を指さした。
「『人族と魔族の間に生まれた子には優先的に都市運営に参加させる』、ええ、この共存都市には、これ以上ないほど相応しい文言だわ。貴方はそう思わない?」
「まっ……まぁ、思わない事も無いでげすが」
「まったくよね、誰が言い出したのかは知らないけれど、両族融和の為には、素晴らしい誘い文句だとは思うわ。
だからこそ、この噂話は力を持つ。広く人々の間で信じ込まれた噂というのは。もはや一個の生物として、この街に存在し続けるのよ」
★
「そんな、父上が余のために……」
ローランドは顔を青ざめながらそう呟く。
「落ち着いて下さいお坊ちゃま、ただの根も葉もない噂です。ご婦人もあまり滅多な事はおっしゃらないでください」
「そうね、悪かったわローランド君、いまのはただの私の妄想。気にすることはないわ。
それに、そんな噂も今度の祭りで消滅するわ」
「消滅? それはどういう事だ? 実体のない噂話など余の魔剣でも切り捨てる事は困難だぞ?」
その話を聞いたローランドはいぶかしげにそう言った。
「そうね、実体のないものを剣で切り伏せるのは厄介だわ。けどそれならば実体を与えてやればいい」
「実体を?」
「ええ、今度の祭りで、うちの夫がエシュタット憲章・新18条を発表することが決まってるのよ」
夫人は、「これは内緒ね」と唇に人差し指を当てながらそう言った。
「マコの父親が?」
彼女の家が何をやっているのか、彼女から聞いたことはない、こんな豪勢な家に住んでいるのだから、貴族なのは間違いないだろうが。
首を傾げるローランドに、夫人は驚いたような、困ったような顔をしてこう言った。
「あの子から聞いていなかったみたいね、ウチの主人はこの街の議長をやってるの」
「なんと!」
ローランドは驚きの声を上げる。エシュタット評議会の議長と言えば、この街のトップに当る人物だ。まぁ、その娘に当る人物があのような自由奔放な事に対しての驚きの声だったのかもしれないが。
「主人も、自分はそんなガラじゃないって密かにぼやいているけどね。先代議長であるベルカ公爵の後押しがあって、その椅子に座っているの」
夫人は、どこか寂しげな表情を浮かべてそう言った。
「ご婦人、差し支えなければ、その新18条がどのようなものか、触りだけでも教えて頂けることは可能でしょうか?」
アシュラッドは、慎重にそう尋ねた。
夫人はその様子に苦笑いを浮かべながらこう言った。
「そんなに警戒する事じゃないわ。要約すると『ハーフの子には優しくしましょう』ってだけの文言よ」
「うむ? 余の事か? 余は情けをかけらる程落ちぶれてはいないぞ?」
と、借金まみれで人生どん底のローランドは胸を張ってそう言った。
夫人はそれを暖かい眼差しで見つめると、少年を諭すようにこう言ったのだった。
「それは、貴方が強いからよローランド君。けど世の中にはハーフと言うだけであらぬ差別を受けたり、やもすれば両親の祝福を受ける事なくハーフに生まれ落ちてしまった人たちも居るわ」
「むぅ……」
夫人の悲しげな物言いに、ローランドは口をつぐませる。ほんの20年前まで、両族は戦火を交えていたのだ。そこに在るのは綺麗ごとだけじゃすまされないだろう。
「新18条は、くだらない噂話を押し飛ばすついでに、ハーフの子にとって少しでも暮らしやすい世界になる、そんな祈りが込められているの」
夫人は少年を包み込む様な笑みを浮かべてそう言ったのだった。
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