第11話 1582年6月 京 本能寺 永劫

京、本能寺。信長は朝廷筋の饗応も恙無く終わり、近習等の歌習いにそこそこ付き合っては、結局帰蝶との薄曇りに垣間見える名月見物で終わり心地良い就寝へと。

静まる深夜、信長と帰蝶の寝所に丁重に置かれた野風が自ら張り詰めた音色が駆け上がってゆく。信長と帰蝶が同時に臥所から起き上がっては互いに見合わせる。


信長、眦を上げては

「帰蝶にも、野風の警告に聞こえたとなると、さも一大事か、」

帰蝶、動揺しながらも

「夢では、無いのですね、」

信長、くしゃりと

「ああ、夢じゃ無い、公家筋にはそこそこ対応していたが、仕掛けられたか、手勢百余りは隠密行動の筈だが、抜かったな、」

帰蝶、舌打ちしては

「毛利水軍はここ迄上陸出来ません、細川藤孝、獅子身中の虫とはこれに至り、信長様、申し訳ございません」

信長、はきと

「言うな、藤孝の浮つきはそれも甲斐性だと思っていたが、伊賀と繋がれば気持ちも大きくなろう、来るか、雑魚どもは、」

帰蝶、ただ畳を強く叩いては

「抜かりました、超強弓美花壇を安土城より持ってくるべきでした、」

信長、爆笑しては

「帰蝶何言ってる、この京で長距離の弓使っても、近場ではてんで駄目だろ、武具に頼りすぎるな、」

帰蝶、ただくすりと

「それもそうですね、仰る通りですよ、」

信長、立ち上がって障子と引き戸を次々開き怒号省みず

「出会え、宿敵伊賀の連中がやってくる、明灯を隈なく配置し照らし出せ、武具も抜かるな、弓矢は根こそぎ持って来い、」


織田近習勢百名が着のみ着のまま、ただ配備に本能寺中を駆け抜けてゆく


帰蝶、仏頂面も

「青年諸氏、思ったより、きびきび動くので調子外れですよ、水桶片手に一人残らず起こそうと思ったに、何かですよね、」

信長、てらいもせず

「家臣のこれぞの坊主共は集めた、だが七分は死ぬだろう、短すぎる生き様が心残りだ、」

帰蝶、発奮のままに

「何を弱ごとを、私が入れば三分に抑えて見せます、それでもですか、」ただ肩を落とす

信長、憤懣遣る方無く

「伊賀のしつこい暗殺屋で、これまでに数えるもうんざりの近習は死してる、今日こそ終わりにしてみせる、帰蝶分かってるな」

帰蝶、ごくりとも

「立ち寄り所のからくりは確かに、見透かされない内に今日で終わらせましょう、」

信長、ただ帰蝶の腕を引き抱き寄せる

「そう言う事だ、俺は死なない、それは帰蝶が入ればこそだ、そうだろう、」

帰蝶、勢い余って腕力の限りに抱きしめ

「信長様、私はお別れしとうはございません、」

その激しさから信長がただ仰け反り、帰蝶から逃れようも悶絶に付し、堪らず手勢百名余りが仕事そっちのけで集っては微笑ましい笑いがこぼれて行く



雨上がりの京の夜陰に紛れ雪崩れ込む黒装束の夥しい数二千強。本能寺は前日の饗応に徹しておりの信長の手勢は近習等精鋭百余り。準要塞本能寺も籠城逼迫戦でこの数なら十分持ちこたえられるも、攻め手は黒装束の何れも身体が切れ上がった不逞の輩伊賀の忍び。本能寺の土居土塀を飛び跳ね忽ちを乗り越えて来るも、煌々燃え盛る明灯に照らし出され、そこは織田勢の与し易しの標的に過ぎず忽ち尽きぬ矢に射抜かれて行く。


信長、片半裸のまま弓を放っては怒号省みず叱咤激励のままに

「わっぱ供、射抜くは心の臓だ、心眼開け、奴らも小賢しい人間、流れを読むんだよ」

帰蝶、強弓の疲れ知らずぬに矢を次々放ちは、その射的は一際断末魔の響きに

「信長様、不逞の輩が多過ぎます、本能寺からお下がり下さい、」

信長、凛と

「帰蝶、師団ならいざ知れず、俺がお前らを置いていけると思うか、観念して善戦しろ、」

いつの間にか、信長の隣に控える女性探査方森羅

「信長様の判断が正しいかと思われます、洛中には伊賀の反逆者逆鉾の符牒を持った忍びが身を潜ませております、要所要所の不意打ちはとても回避出来ません、」

信長、箙から休みなく矢を引き抜いては応戦し

「流石は森羅、猿の見込んだ戸隠の者、殊勝である、今すぐ猿を引っ張って来い、さすがにの無作法者伊賀の残党狩りは目に物見せてやる、」

帰蝶、箙から次々と鉄矢を引き抜いては百発百中で終わりの無い絶叫が劈く

「信長様、ここは光秀です、京の近くにいる筈ですから、助成させるべきです、」

信長、凛と

「であるか、光秀の手勢は毛利最大の攻略方、瑣末なこいつ等逆鉾に捌けるなどと、だがそれも手順である、森羅、良いな、」

森羅、弓を引きながらも

「猿の師団も中国で疲弊しております、大返しでどこまでも戦力を読めるか分かりかねます、明智師団に号令を放ってきます、」

信長、一際と

「光秀に伝えよ、日々申しておる通り、織田家が傾いた際はいつでも日の本は切り取り次第、己の哲学を持って天下人となれと、それで十分である、」

森羅、かしづいては

「仰せのままに、」不意に姿が消えては放っていた弓矢がそこに残るのみ

信長、余裕綽々も

「帰蝶、ここからだ、もう遠慮はいらん、鉄矢で土塀毎打ち抜け、彼奴等骸を梯子がわりに乗り越えてきやがる、震え上がらせろ、」

帰蝶、息を整えては

「はい、」

帰蝶から次々放たれたより強力な鉄矢は土塀そのままに突き刺さり、更に確かに存在する忍びのその身体に突き刺さり、その衝撃のままに内臓が破裂しては身体の穴という穴からは内容物が凄まじい勢いで飛び散り、人の放つの断末魔とは思えぬ雄叫びに竦むしかない伊賀反逆者逆鉾の者一同。


そして世も末かの雄叫びを上げながら進みくるの、さも特攻兵の三人組。帰蝶、火薬の匂いを鋭敏に嗅ぎ取り、勢い放った鉄矢で懐の爆薬は勿論身体を真っ二つに折って特攻兵の三人組を撃破。しかし懐の火薬に着火し辺り一面が火炎に包まれ、迫り来る逆鉾の面々をも巻き込み断末魔が響き渡る。

しかし鼻がどうしても鋭敏な帰蝶、察するままに眥を上げると、上空に何れかの人影の軌道は信長憎しかと形振り構わず体当たりの様相。あまりにも過ぎる殺気へは、一際強く弾いた強弓から鉄矢が放たれ、描かれるは強力過ぎる鉄矢の軌道。

その上空の人影は、過去信長の手荒い叱責を受けては手討ちをかながら逃げ失せた、使い番藤林次満にして逆鉾の急先鋒の死に損ない。その顔面の左斜め下までに深く抉られ引き攣った刀痕の次満が唸りを上げて迫り来る鉄矢にただ恐怖するも、両手と腹できつく縛った炸薬鉄樽を離す事もままならず漆黒の宙で悶え苦しみ、野獣かの恐怖の断末魔が震え響く。

その足掻きで幾分狙いが外れた鉄矢の衝撃も、次満の下顎を確かに捉え、瞬時に顎を砕いては鼻骨を砕き、そのまま脳を突き刺しては衝撃に耐えられぬ頭蓋が血と脳漿が沸騰した如く暗い宙にむざむざと飛び散る。鉄矢の衝撃で無様に落ち行く次満の骸、さも仕留めたかと思いきや、炸薬鉄樽の導火線はもう臨界、その骸は帰蝶の右前方の庭園に、物騒な物体として転げ回ったと同時に避けられない爆発と大炎上と化す。

帰蝶咄嗟に両腕で顔を隠すも次満の自爆衝撃は凄まじく、吹き飛ぶ帰蝶は大広間の障子を豪快に破壊し転げ回る。そして炸薬鉄樽から飛び出たの延焼だけに非らず、鉄で出来た樽は原型すら微塵も無く爆散故に、帰蝶は間近で全身に破砕鉄を一身に受けてはもはや身動きすらならず、息をするのもやっとの忌の寸のままに。


信長、透かさず倒れた帰蝶に詰め寄っては抱き起こし

「帰蝶、傷は浅い、気を確かに持て、」

帰蝶、瀕死の笑顔のままも

「もう痛覚すら有りません。信長様、お別れです、」

信長、ただ声を張り

「蘭丸、医師を呼べ、帰蝶に突き刺さった鉄を全て抜くんだよ、」

帰蝶、はきと

「信長様、もう、お別れです、暖かい言葉を下さい、」

信長、切なるままに

「帰蝶、そう言うな、俺も逆鉾の鉄砲傷で右手の自由が利かない、帰蝶に是非は無し、そう、キリスト教なら、魔王と呼ばれた俺でも、あの世で帰蝶と会えるらしいから、付き合うよ、俺も帰蝶も愛し合ってる、そうだろう、」

帰蝶、ただ青ざめて行くも、震える唇で

「信長様、またお会いしとうございます、」全身の力がごそっり抜けては信長にしなだれる

信長、憚らずも一人涙が帰蝶の清らかの顔の頰に落ち、決心しては

「蘭丸、よく聞け、古今東西天下人が下賤で頓死したとあっては、戦国の世が終わらぬ、件の限りから本能寺の火薬庫を発火させて、襲撃の全証拠を消せ、是非に良きに計らえ、」

蘭丸、額ずくままに

「恐れながら、信長様は軽傷でございます、幾らでも再起は出来ます、」

信長、切に

「蘭丸、分かっているだろうが、帰蝶はアンドロギュヌスだ、俺が落ち延びては、伊賀残党供が帰蝶の亡骸を興味津々に存外に扱うだろ、ふん、俺は解せぬ、そんな神仏を恐れぬ輩がいるから、俺は今日まで戦い抜いてきた、ここで俺が逃げ失せたら、更に世に道徳が一切なくなる、分かったら、導火線に火をつけて、さっさと本能寺から逃げ失せろ、」

蘭丸、はきと

「いいえ、手負いの信長様を置いては、押し込みをされて首を奪われかねません、臨終を見届けてお付き合いさせて貰います、」

信長、神妙に

「で、あるか、それでは書斎迄帰蝶を連れて行く、蘭丸、五体を弾き飛ばされても気概で俺と帰蝶を守り抜け、最後の大義なるが、宜しく頼む、」

信長、大柄な帰蝶を背負っては、血糊を廊下に擦り付けたまま奥の書斎に進むも、そこに芳しきは連綿と続く戦国の流血のそれではなく、帰蝶の生まれ持った百合の鮮やかな香り。喧騒の中でも百合が咲き乱れたかの香りを残しては、信長と帰蝶の厳粛な二人の時間が再び流れる、


信長、執務室にて丁重に寝かせた帰蝶をまじまじと見つめながら、図らずも感傷に浸り、自ずと巻き起こった火の手の見つめながらも。

「さて、わっぱ共以外に奮戦してるのか、これで長く話せるな、この様、一介の武将らしからぬが、自害は等々出来ないとはな、カトリックの教えでは禁忌だから、まあこんがり焼けてからの御覧あれだぜ全く、帰蝶、ここは帰蝶に普段からきゃんきゃんと言われてるから、きっちり守ってるからな、後は本願寺顕如曰く、俺達亡き後も織田一党悉く逆さ磔の串刺しになるの予見だが、そんな事させるかって、未来はきっちり変えて見せる、この後は光秀次は猿だろうが、俺の意は汲んでいる、戦乱は大敵毛利を押し通せば観念する筈だ、なあ帰蝶、右近から聞いただろ、海の向こうでは婚姻旅行とかあるらしいからな、いつか気兼ねなく行きたかったな、天下布武でこの日本国中平定する筈がこの不始末だからな、つうか流石に熱くなってきたな、あれ、」右手が不意に伸ばされた帰蝶の左手と重なり微かな生命を機微に感じ「まあ、わかってるよ、この移り行く世界は何れ平和になり、俺達はまた巡り会える、きっとな、その時は、いや性別どうのこうのは言えないな、俺の女は帰蝶だけだからな、おっと先に天国に行っても触れ回るなよ、側女達と険悪になったら嫌だろ、」帰蝶の左手が一際硬さを増すも温もりが遠のいて行く「いや、そうだな、丁度の仕上げ時だ、共に死すれば、再び出会える、」

その刹那、本能寺の床下に満遍なく敷き詰められた爆薬が一斉に瞬き、その大火勢が夜明けの天に届こうかに、生きる者全てを漏れ無く連れ去る。


そして洛中界隈、暗闘する喧騒の京に日が白み始めた頃。京全域に轟音過ぎる程の火薬の爆発音が幾度となく劈き、忽ち町衆らは本能寺方面かと軒先に集っては、織田家いや、あの信長と帰蝶の一大事かと溜息しか出ず。自ずと降るは、帰蝶の放つ百合の香りのみが記憶から幾度も呼び起こされる。



その大爆発の透かさずの機会より、内裏より大仰に出でるは室町幕府足利歴代征夷大将軍を示す二つ引両家紋の旗頭とする五百名を引き連れた厳かな輿の一党がさも威風堂々に。

ただその行く手には、散々泣き腫らしたたった一人女性森羅が行く手を果敢に阻む。

若き細川忠興、手綱を引き然と前に進み出ては、森羅と見るや丁重に促す

「森羅さん、どうかご理解下さい、第六魔王織田信長が落ち去った今日、この日本国を弛まなく平定するには、室町再興幕府の威厳が必要です、ここは信長様付きであっても、平に願い申し上げる、」

森羅、やっと涙を拭い

「言わすか、小便小僧、私は信長様より帰蝶様が長いわ、良いかよく聞け、明智の超別嬪玉子様に散々懸想しては、帰蝶様の御下命で夫婦を添い遂げる御縁を忘れたか、無作法を上塗りするとは室町再興幕府は深い地の底に埋もれる命運である、除けろ、今すぐ除けろ、」

忠興、尚も

「それでも森羅さんに申す、信長様帰蝶様には生涯返せぬ恩義はあれど、信長様が無官位のままでは帝の権威を地に落とします、且つ残虐非道の進軍では、残党がこれでもかと湧いてきます、信長様帰蝶様の死は有り得ない謀ではなく、兎に角室町再興幕府が先です、御覧下さいこの帝の綸旨を、どうか穏便に室町幕府第十六代将軍足利藤孝をお通し下さい、」

森羅、ただ眦を上げ瞳をきりと結んでは

「解せぬ、ただ解せぬ、散れ、」


静かな曙に移れど、不意に一陣の旋風が小さきから大きくなり、瞬く間に大きな旋風の壁が森羅を包みこむ。森羅怒りの心技蹂躙疾風の舞が輿に共する列を恐怖の底にと軽く落とし込む。

旋風は果敢に進み、先頭忠興の掲げた綸旨を影形なく切り刻み胡散とする。尚も続くただの旋風では無い大旋風の壁は、退かぬ輩の着飾った衣装は勿論薄肉の表面を切り刻み鮮血が容赦なく飛び散って行く。

そして大きな旋風は列の真ん中に達し、絢爛な輿に豪快な音と共に膾切りにしてはその衝撃に耐えられず輿がいよいよ吹き飛び始め、辛うじて残った輿の柱にしがみ付いた恐怖に慄く礼装の細川藤孝を際限なく刻み上げ、筋も肉も骨も辛うじて繋がっていた右肘と身体が限界を越えて、藤孝の絶叫と共に右上腕がさも無残に宙に舞い上がり地に落ちたと同時に、あまりもの畏怖で輿を放り投げざる得ない列の輩の断末魔がついに劈く。

列が散っても消えぬは尚も発揮する森羅の蹂躙疾風の舞による無慈悲な旋風の壁。過ぎ去ったかと思いきや、見事に最後部から切り返し怒りに収まらぬ大旋風の壁がなんの衒いも無く迫り寄る。

また刹那、最前列より森羅の大旋風の壁とは風が逆向きの旋風の壁が現れ、小さきから大へと森羅の大旋風の壁と謎の大旋風の壁が同じ速度を持って進みよる。

心当たりも、さも天罰に与した輿の一党が必死に地面に額付く様相を余所に、共に速度が上がった大旋風の壁が、丁度輿の場所でぶつかり合い、巻き込まれた見るも無残な輿が天高く舞うも、木辺が細部に迄刻まれ原型がまるでとどめない程に鮮やかに舞い上がる。

徐々に大旋風の壁が薄れ行く中、姿を朧に映し出すは、小刀で鍔迫り合うその森羅と若き青年の姿。


森羅、未だ怒りを隠そうともせず

「一見で体得する忍びとなれば、噂に聞く伊賀の土豪百地丹波か、その若さで死闘を演じたとあれば生意気にも程がある、貴様死ぬぞ、」

ややあどけなさが残る百地丹波、神妙にも

「歴戦の森羅さんに申します、最上等の仇討ちは四肢の一部が相場、憐れ落ちぶれて行く様を見届けるのが主君信長様の餞になりましょう、どうかお引きを」

森羅、じりじりと刃を押し鋭利な音を立てながらも

「伊賀風情が抜かす、最大恩赦で信長様が二度の伊賀の乱で掃討するも、追撃措置を取らなかったのは分かっておろう、先に出で生き延びた子らの生命の重さは分かるお方なのだよ、根まで腐り果てた餓鬼連中は地獄へと正しく落とさねばなるまい、」

丹波、不意に潤み

「親族と仲間が、掟を守らぬ連中の為に死んで行きましたが、それも時代と伊賀残党首領矢代は厳命をしております、そしてこう矢代に送り出されました、綸旨が無残にも散った今では室町再興幕府はご破算、帝が丁重に差し上げた綸旨をもう一枚執筆するとお思いにならない、信とは疎かな一つの過ち無いからこそ生まれる、足利に次こそ無い、また伊賀も怨敵織田信長が入滅した現在、何らしがらみも微塵も無い、との事です、これは皆同意しています、」

森羅、尚も押しながら

「良くも言う、お前等伊賀一党は、帰蝶様信長様が入滅して清々しているだろうが、私の腹底は尚に煮え返ったままだ、似非征夷大将軍のありとあらゆる肉片に汚れた魂全てをこの世から消さねば、後に天下を取る御仁に食ってかかる、笑止、室町再興幕府が延々と続く限り、太平の世は終わらないのだよ、」

丹波、くすりと

「そこに身つくろいも無残に、右上腕は削ぎ落とされ、全身から発汗、口から泡、下半身は鼻をつまむ程の臭いの似非征夷大将軍に誰が平服します、この身姿を筆書きにして洛中にばら撒きたい程ですよ、」


不意に天空より、一枚二枚から無数の茶紙が舞い上がり初めては、森羅がいち早く掴み取る。茶紙に描かれる筆書きは、生々しい写実そのままに似非征夷大将軍細川藤孝が失笑するしか無い野垂れた姿。次々舞い降りる筆書きには更に失笑するしかない藤孝の数々の滑稽模様。尚も振り注ぐ筆書きを、主人そっちのけで従者等が慌てて回収するも一向に引きを切らず遂には疲れ果て地に伏せるのみ。夜明けの日差しでもその目覚めぬ姿は憐れ無残と形容し難く。

森羅、仏頂面のままに筆書きを放っては、何故か通りのど真ん中にある立て札の落首【地には似非征夷大将軍足利藤孝が平伏し、天には招かれたる荒天使織田信長と女神織田帰蝶が、この枯野を遍く照らすであろう】を読み取っては丁重に十字を切りながらも、張り裂けんばかりに「臨兵闘者 皆陣列前行」の九字の結ぶ。

ぱっと開かれる現世。そこには落首も散逸した茶髪も無く、そして百地丹波の姿も消えるも、長身の仏僧が晴れやかに微笑む。


長身の仏僧、朗らかにも

「やれでしょうか、高度な術者にもなると、私の手綱の甘さを思い知る加減にございます」

森羅、怒りもそのままに

「果心居士、何故、百地丹波を逃した、奴には余程言い聞かせねばなるまい、」

果心居士、はきと

「伊賀は伊賀で、信長様亡き時代の準備に入っております、何時迄も彷徨える民では、悪事にひた走る輩も出ますれば、主の御心も蔑ろになります、仲に立つ者として引き際は見届けねばなりません、ここはどうか御留意下さい、」

森羅、激しくも

「ふん、果心居士も帰蝶様に親しく恩義が有るならば、日和見など出来ぬ筈だ、長らく行き過ぎて惚けたが、」

果心居士、はきと

「恐れながら、本能寺に迫った逆鉾の無頼二千は、私が助太刀した伊賀の内部抗争で片付けた死に損ないの寡勢にございます、功が至らぬは、もはやこの身が生きる死者かとなって手綱が届かぬばかりで、平にご容赦願います、」

森羅、尚も

「ならば聞こう、何故この拍子に伊賀が内部抗争に活発になる、依頼者は誰だ、泡銭を持て余す上方か、関わった商人全て言え、」

果心居士、困り果てては

「森羅さんも困りますな、その勢いではこのまま上方に出向いて大火事を巻き起こす所存とお見受けします、それは如何なものでしょう、ですが伊賀も無事に職務を果たした以上、申さねばなりません、伊賀と密接しているのは徳川家康様です、ご存知の通り妻子は武田の調略に乗り上げ誅せられるました、その後の織田一党での肩身の狭さと言えば察するに余り有ります、今回の伊賀の変は名誉回復を願えど道筋をやや違えてしまった同盟者徳川家康の思いの溢れる大整理にございますれば、大いなる配慮を貰いたく願います、」

森羅、ただ項垂てもはきと

「これだから小者家康は、腑に落ちぬ、どう心の整理をすべきなのか、」

果心居士、凛と

「まつろわねば良いだけにございます、徳川家臣団の三河筋は、長らくの不遇故に夢想が尽きぬ傾向故にございます、実に脆すぎます、森羅さんとは決して相容れぬ事でしょう、瑣末な事で顔を曇らせてはその美形に影を落としますぞ、それは帰蝶様が望みますまい、」不意にぐるり見渡し「さて都人もそろそろ動き出す頃合いですかな、ここ迄で宜しいでしょう、拙僧はこれから隈なく筆書きをばら撒かねばなりませねばなりません、この評判で、細川様も武士を諦め剃髪せねばなりませぬので、ここはお任せ願えませぬか、」

森羅、ただ頭を掻き毟り

「一々、腑に落ちる、但し昼迄にしなさい、昼には明智軍団が入り見聞せねばなりません、程々が肝心ですからね、」

果心居士、くすりと

「承知しました、利害関係抜きで依頼されるのは、心が弾み実に良きことです、またじっくりお話しましょう、それではこれ迄に、」


果心居士、振り返る事なく歩むも、鳩の嬉し声と共に、人知れず鳩に変幻しては、確と見える近くて遠い朝の虹を目指しては優雅に跳びける。

森羅、白みゆく空に浮かぶ虹を眺めては、その虹の彼方に帰蝶と信長がいるのかと、ただ切なる思いを託し胸の十字架を長く握り占めては、新たな一歩を踏み出す。

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