Le 18 juin 1284

オーガと少女

 数日、放浪した。

 従者さえいないたった独りの旅だった。

 危険ではあったが、クロードには奥の手があるので気にしなかった。やがて、孤独にも厭きてきた頃だ。

 パリに帰るか。故郷に帰るか。新たな仲間でも探すか。

 どういうわけかフランス王国からは東に離れるばかりで、無意識に三番目の選択肢へ進み始めていたときだ。


「嘘ッ!? ウソでしょウソでしょ~! こんなでっかいおっさん、ホントにいたのぉーッ!?」

 間抜けな悲鳴が耳に飛び込んできたのである。


 二日前の夜だった。火打金で起こした焚き火のそばで目が覚め、柱のような巨石たちに囲まれていたことを思い出す。

 神聖ローマ帝国中部の小規模な遺跡。学者たちによれば、古代人か巨人辺りが築いたのだろうとの見解だ。

 用途は忘れられているが、こういう場はなぜか魔力が溜まりやすく、これら石柱を結んでできる図形が天然の魔法陣にもなる。土に線を描き足すなどして手を加えれば悪い妖精アンシリーコートなどから身を護る結界を張る手間が省けるため、ここで寝たのだ。あるいは、親友ピエールと王都パリにいた頃の思い出の地形に似ていたせいもあったかもしれない。

 ひとまず寝ぼけた頭だったので夢かと思案して、また目蓋を閉じかけた。


「いやぁー! 来ないでよぉー!!」


 女の悲鳴だ。――近い。

 クロードは毛皮の布団を跳ね除けて、片手で剣を、片手で焚き火から薪を拾い、松明代わりに周囲を確認した。

「ペダソス、どこだかわかるか?」

 傍らの愛馬も起きていたので訊くと、彼は一方向に首を振って怯えの嘶きを発した。

 すかさず、そちらを注視する。

 幸いここは草原。それも、丘陵の上だ。

 下に位置する景色は夜だがそれなりに窺える。雲海から露出した星月の明かりも強い。


 すぐに、大小二つの影を数十歩ほど離れた位置に捉えた。

 奇妙に洗練された服装で荷物袋を背負い、長髪を振り乱して逃げ惑う人間の少女。その三倍はある影に襲われている。

 後者は獣の皮を纏い、一本の木から削りだしただろう棍棒を持つ毛むくじゃらの巨人。


 ――オーガだ。


「なにをやってるんだ、あの娘は!?」

 こうした古代遺跡は結界にもなるが、どういうわけか妖精が住み着きやすくもある。なのに夜中にこんな場で、丸腰の少女が一人うろつくなど自殺行為だ。

 クロードは光源を確保するように、松明を二人の方に放った。

 愛剣ジョフロアの大牙を抜き、鞘を捨てて丘を駆け下りる。

「こっちだオーガ! おまえは女子供しか襲えない腰抜けか?」


「なんだと小僧!」

 挑発すると乗ってきた。オーガは知能が低い。

「だったら貴様を晩飯にしてやる、縄張りに踏み込んだからにはこの小娘と同罪だしな。掛かってこい!」

 すっかりクロードに吼えるオーガへと突進する。

 棍棒が振り下ろされたときには懐に入っていた。背後の地面を木材が抉る音を置き去りに、脇腹へ一撃を叩き込む。

「ぐぬっ、ガキが!」

 唸るオーガは動作も鈍い。巨人なので歩幅が広いぶん走るのは速く錯覚するが、小さな的である人間との接近戦も得意ではない。

 いったん距離を置く。

 投石機の岩石みたいな打撃を避けながら、隙を窺う。旅行中の基本武装として着ていた布製鎧クロスアーマーは打撃に耐性があるが、オーガの馬鹿力を防ぐのは困難だ。

 それでも昼で一対一なら楽勝だが、この晦冥はきつい。


 まして――。


 足手まといになりかねない存在をちらと観察するつもりが、少女はそばでぼけーっと突っ立っていた。

「バカなのか!」思わずクロードは視線を奪われた。「なんで逃げない!?」

 こいつが悪かった。

 攻撃が当たらないためか、オーガがやけくそのように薙いだ腕が直撃。クロードは十数フィートも吹っ飛んだ。

「……くっ」

 胸から腹にかけてが痛んだ。それでもどうにか身を起こし、

「は、早く逃げろ!」


「ちょっと、どでかいおっさん!」

 警告すると同時、少女もほざいていた。なんと、クロードを追撃しようとするオーガの進路に立ちはだかっている。

 ありえない行動に騎士は目を点にした。

 さっきまで奴の注意は彼へと逸れていた。なのに護った当人は、再び自らを想起させたのである。

「ん?」案の定、鈍いオーガも標的を定め直した。「そうだ。おめェがもともとの獲物だったな!」

 棍棒が振り上げられる。――やばい!

 どうにかクロードが立ったときには、もう。巨人は武器を少女の頭上に打ち下ろしていた。


 ――間に合わない!

 初めて人を殺めたあの日以来、なるべく使用を避けてきた手段を覚悟したとき、


「ぐおおおおぉ!」

 オーガは、武器を跳ね上げられて悲鳴を上げた。

「え?」

 あまりのことに、クロードは頓狂な声を出してしまう。

 怪物の巨体は後方に転倒したのだ。

 娘はただ直立しているだけ。なにもしていない。

 なのに、棍棒が彼女の頭上で光の壁のようなものに弾かれたのだった。

 騎士の驚愕をよそに、少女は心配そうな顔で振り返る。

「ねえ、あなた。大丈夫だった?」


 こっちの台詞だ。


「おまえ」半ば呆れつつ、クロードは少女の傍らに寄ろうとした。「魔法ができるなら、なぜもっと早く使用しなかった?」

「魔法? ううん、魔法じゃなくて科学。まさかあんな化け物がマジで実在するなんて想定しなかったからパニクっちゃってさ」

「なにをわけのわからんことを。オーガに初めて会ったのか?」

「じゃなくて、歴史じゃいるはずなかったから」

「現時点で対面してるだろ」

「でもいなかったのよ、記録がないもの」

「子供の頃からおとぎ話で狼と一緒に警告されるくらい馴染みの怪物だろ!」

 騎士による本気のツッコみも無理はない。

 オーガといえば、聖ゲオルギウスが討伐したようなドラゴンと並んで、未開の地を支配する悪質な妖精の定番だ。現在進行形で相手にしているのも大方近辺の主だろう。

「言い伝えにしかいないはずだったの!」

 なのに力説する少女に、騎士は溜め息混じりに訊く。

「現に目撃してるくせに、なにを根拠に断言するんだ?」

「あたしが、未来から来たからよ!」

「はい?」

 大真面目な変人少女に、クロードは首を傾げるしかなかった。

 ときだった――。


 オーガが起き上がりつつ、棍棒を振るって喚いたのだ。

「貴様らぁあ! 無視すんなぁーーーーーーッ!!」

 少女は察知したようだが、まだクロードの方を向いたままだ。たとえ魔法使いでも、状況を把握していなければ対処しきれまい。

 飛ばされたままの騎士と、彼女たちとの間には距離がありすぎる。

 ――もう他に手立てはない。彼は剣を握りつつ念じ、詠唱した。


「〝リュジニャン――エアリアルאֲרִיאֵל〟!」


 後半は、大気を司る精霊の名だ。

 騎士に重なり、その幻が現れる。高貴な身なりで風の頭髪とヴェールを纏う半透明の半裸美女が、呼応するように刹那的な具現化をした。

 同時にくうを斬る。――棍棒は真っ二つの輪切りになった。

 すでにクロードは、襲われる少女の後背でオーガの一撃を受け止めていた。


「き、貴様。どうやって!?」

 オーガが困惑する。

 一瞬前まで、騎士と十数フィートは離れていたからだ。

「認識できるものを想起させる妖精の名称を混ぜ唱えれば、おれの剣はそれを斬れるんだよ」

 クロードは明答してやった。

「〝間合い〟を切断したんだ」

 少女が今頃驚き、こちらに向き直るのを感じた。

「……リュジニャン。そうか、貴様がメリュジーヌの!」

 オーガが表情になにか悟った色を浮かべる。

 間髪を容れずに、騎士は剣を薙ぐ。

 巨体に違わず、オーガがどうにか仰け反って交わす。片方の肩から斜めに掛けていた獣皮の衣服が切れ、胸にもごく僅かな傷ができた。


 そこまでだった。

 やはり初撃のダメージが大きく、クロードは膝をついてしまう。対して、巨大なオーガに与えた裂傷は最初のものと合わせても人間にすれば猫に引っ掻かれた程度だろう。

「……ふう」

 オーガが荒々しい息を吐き、にやける。

「びっくりさせやがって。リュジニャンの末裔といやあ妖精界じゃ噂の強敵だ、まずは優先的に潰さねえとな!」

「無理だな」

 どうにか騎士は指摘した。

「はったりはよせ!」

 オーガは、折れた棍棒を振りかぶりつつ凄む。――まだ、充分人を殺せる凶器だ。

 しかし、そこで巨体は静止した。


「〝リュジニャン――カロンΧάρων〟だ」

 小舟に乗ってオールを握るローブの骸骨を幻影として背に浮かべ、クロードは宣告してやった。

「切っ先に触れた刹那に、おまえの命は絶ってある」

 カロンは、冥界の渡し守である。

 その姿が空気に溶けると、持ち上げた棍棒の重さに引っ張られるように轟音を伴い、オーガは背後へ最期の転倒をした。

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