犬ズ空挺団

「イリーナ!」


 セティの声で我に返ったあたしは、迷うことなく猟銃を引っ込め、横っ飛びに跳躍した。あたしが地面に肩から転がって受け身を取り、すぐさま立ち上がったのと、ほんの一瞬前まであたしがいた場所に、『世界獣』が身を捻って振り上げた太い尻尾の一撃を叩き付けたのは、ほぼ同時だった。溶岩洞の軽い岩肌が脆く崩れて、粉塵が盛大に舞い上がる。崩れた山肌から差し込む陽光に反射して、辺りがきらきらと輝いた。

 あたしは改めて『世界獣』の頭の上を見た。巨大な二本の角の影になってはっきり見えないが『世界獣』の動きに振り回されても落ちないように、あのポメラニアンが必死にしがみついている様が見てとれる。


「あのこ、なんであんなところに……!」


 再びの発砲音。『世界獣』があたしに背を向けて、セティの方へ向き直る。どの射撃も傷を負わせてはいない様子だが、『世界獣』は酷く苛立っているように喉を鳴らした。勢いよく首を振ると、突然、溶岩洞内が差し込む陽光とは別の、赤い光に照らし出された。竜の姿をした『世界獣』が、口から炎を吐いたのだ。真っ赤な火球がひとつ、ふたつと、セティのいた側へ飛んでいく。


「セティ!」


 あたしは思わず叫んだが、聞こえはしなかっただろう。燃え盛る炎の音が、真逆の位置にいるあたしにも聞こえるほどの火量だった。

 くっ、と奥歯を噛み締めて、あたしは猟銃を構え直す。セティの安否はわからないが、いずれにしても、こいつはどうにかしてやらなければならない。あたし自身の目的のために。こいつに詫びの入れ方を教えるために。


「そのときは、セティの分も謝ってもらうわっ!」

「死んでませんよっ!」


 意外に元気そうな声が聞こえ、あたしは構えた猟銃を下げた。送った視線の先で『世界獣』が首を持ち上げ、さらにその向こうで

 もういちいち驚きようもないあたしの前で、セティが壁を蹴って跳躍すると、『世界獣』の翼を踏みつけてさらに跳び、巨体の左手に回る。


「イリーナ、犬だ!」


 息ひとつ切らさないセティが、大声で叫んだ。彼も『世界獣』の頭の上を見たのだろうか。


「犬が、教えてくれる!」


 犬が教えてくれる……?


 全く意味の分からないセティの言葉を反芻はんすうし、あたしはセティとは真逆に位置するように、『世界獣』の右手へ移動する。『世界獣』もそれがわかっているように、その場で足踏みと翼を振るいながら、あたしではなくセティと向かい合うように向きを変える。その『世界獣』の背中に、あたしはまたしても信じられないもの見た。

 今度は黒い毛のポメラニアンだった。小さな身体で、がしっ、としがみついたポメラニアンが、『世界獣』の動きが止まるのを待って、その背の上を走り出した。忙しく鼻を動かし、匂いを嗅いでいるように見える。いったい、何を……


「そこから見えるかっ!」


 セティは、また一発、引き金を引いた。どうやら彼の射撃は完全な威嚇いかくで、それは彼自身わかっていて、彼は何かを待っているようだった。しかし、それにしても、彼は何を待っているというのか。あたしが見ているものが、彼が待っているものなのだろうか。


「『世界獣』の背中に、犬がいるわっ!」

「犬ズだっ!」


 彼が声を張り上げる。そうか、確かにあの黒いポメラニアンは、川魚をかすめていったたくさんのポメラニアンたちの先頭にいた犬だ。そのことに気づいた時、あたしは何かの気配を感じて、溶岩洞の天井を振り仰いだ。

 そこは、もしかしたら何千年か前は、この山の噴火口だったのかもしれない。天井の一部、一番高くなったところに、丸く、ぽっかりと開いた穴が見えた。いま、その穴から、明るい陽の光を背にして、丸い輪郭の影が、次々と降ってくる。

 

「犬だ!」


 あたしは思わず叫ぶ。音もなく、いや、なんか、足裏の肉球の柔らかな音が聞こえた気がしたけど、とにかく十匹ほどの毛玉犬が『世界獣』の背に降りると、先にいた黒いポメラニアンと同じく、何かを嗅ぎ取るような動きをしながら、各々ばらばらに『世界獣』の背中を走り始めた。

 いかにポメラニアンが小さく、いかに『世界獣』が強靭きょうじんな皮膚に被われ、巨体だとはいえ、身体の上を十匹以上の毛玉犬が走り回れば、さすがに気になるのだろう。『世界獣』が背中に首を回し、振り落とそうとしているのか、その場でぐるぐると回り始めた。長い尻尾が岩の壁面を打ち砕き、巨大な翼が天井近くにぶつかって、崩れた溶岩石が降り注ぐ。あたしは頭を押さえて落石から身を守りながら、『世界獣』から距離を取る。

 七色に輝く『世界獣』の鱗が、波打つように色を変える。光の加減で色を変えるそれは、『世界獣』がそれだけ激しく身を動かしている証拠だった。右に左に、身体を回して、背中のポメラニアンを落とそうとする。実際、しがみつく瞬間を見謝った犬が数匹、『世界獣』から振り落とされて、飛んでいってしまう。


「犬っ!」


 あたしは叫んだが、どうしようもない。だが仲間が飛ばされても、背中の犬ズは走り回るのをやめない。逃げ出しもしない。なぜだ。危険なのに、敵うはずがないのに、なぜ……

 その疑問は、次の瞬間、強烈な輝きと共に、あたしの目の前で解かれた。

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