第14話 別れ

 その後、沙羅は涙を引っ込め、大叔母の言う通りすぐに必要最低限の荷物をまとめて館を出た。父にも継母にも弟にも、誰にも別れの挨拶は告げなかった。厩に走って水月の顔も見たくなかったが、それもやめた。余計名残惜しくなってしまう。


 多津瀬領の外れまでは、宮一郎と明彦が護衛してくれた。守り巫女へ疑惑の目を向けた領民たちが、何をしてくるかわからなかったからだ。さらに用心して、人目につかぬ山道を通り、人里を迂回した。


「俺たちは、ここまでしかご一緒できません」


 とうとう、隣の領との境に着いた。沙羅は気丈に振る舞い、ここまで護衛して

くれたことと、先ほど渡してくれた数日分の食糧と路銀への礼を述べる。


「路銀の方は御屋形様からです」


 思わず沙羅は路銀の入った袋を見下ろした。中身はまだ確認していなかったが、かなりの金額が入っていることは予想できていた。


「そう……父上から」


 沙羅は顔を上げて、宮一郎と明彦へ言伝を頼む。


「ありがとう。そう、父に伝えておいて」


「はい……」


 宮一郎は、先ほどからずっと浮かない顔をしていたが、「姫様」と、いよいよ決意したような顔でその場へひざまづいた。驚いた沙羅は「何をしているの」と目を丸くする。


「どうか俺を、連れて行ってください。ここなら止めるものは誰もいない」


 沙羅は、ハッとあたりを見回す。明彦は素知らぬ顔で、その辺の草をむしっている。だが、大叔母には一人で出て行けと言われた。それを破ることはできない。たとえここで止める者がいないとしてもだ。いや、止める者はいる。沙羅自身だ。


 沙羅は、断ろうと息を吸い込む。と、その時、宮一郎と明彦の後方から、「姫さまーっ」と叫びながら、一人の少女が着物の裾をたくし上げて走ってくるのが沙羅の視界に入った。


「若葉!?」


 何者か理解した沙羅は、仰天して目を丸くする。宮一郎も怪訝な顔をして、自分の背中越しに後ろを見遣った。


 白い素足が顕になっているのにも構わず、若葉ははあはあと肩で息をしながら、

沙羅の元までたどり着いた。


「ど、どうしたの?」


「お、お見送りに……」


 続きの言葉を飲み込んで、若葉はゼエゼエと肩を上下に揺らした。


「大丈夫?」


 いつの間にか草むしりをやめた明彦が、心配そうに眉を八の字に結ぶ。


 「だ、大丈夫です……」


 胸元に手を当てて息を整えたのち、若葉はようやく口を開いた。


「間に合ってよかった。姫様に、これを渡したくて」


 言いながら、若葉は懐から赤い勾玉が五つ連なった首飾りを取り出した。


「これ……」


「はい。鎮めの玉の御統です」


「でも、壊れたと聞いていたけれど」


 沙羅は戸惑った。九尾に操られていた沙羅が自らの手で破壊した、と宮一郎は

言っていたが、差し出された彼女の手の上に乗るそれは、ちゃんと首飾りの体をなしている。


 若葉は「余計なお世話だったかもしれませんが」と前置きしてから言葉を紡いだ。


「宮一郎さんから話を聞いて、祭壇の前に落ちていたこれを私が回収してきたんです。それから細工師の父に頼んで、ついさっきまで修復してもらっていました。綺麗な首飾りだったのに、壊れたままにしておくのが忍びなくて」


再び、若葉はずいと沙羅の前に御統を差し出す。


「御統は一度壊れてしまったから、見てくれだけ綺麗に直してももう神器としての役目は果たせないだろうと父は言っておりました。それでも、これは

私のような侍女が持つにふさわしくありません。どうか姫様に持っていてもらいたいんです」


 沙羅は若葉の手から御統を受け取り、それに視線を落とした。


 連なる五つの勾玉はどれも綺麗に磨かれ、傷一つない。勾玉を繋げる乳白色の数珠も同じだ。よく見れば修復のため溶接した痕跡が確認できたが、勾玉の美しさを損なうほどのものではない。


「本当に……」


 沙羅は言った。


「私が持っていていいのかしら。これを壊したのは私なのに」


「いいんですっ」


 あんまりにも若葉がはっきり言い切ったので、沙羅は顔を上げて彼女の顔を見

た。若葉が「あ……」と一瞬赤面する。


「すみません。大きな声だしちゃって……。と、とにかく、それは姫さまが持っていてください。その御統は、代々守り巫女に受け継がれてきたもの。封印石がなくなって、守り巫女がいなくなっても、最後の守り巫女である姫さまが持っているべきなんだと私は思うんです」


「私は……守り巫女の役目もろくに果たせなかったけどね。もう守り巫女でもないし……」


 沙羅が自嘲気味に笑うと、若葉はブンブン首を横に振った。


「いいえ。姫さまは立派な守り巫女です。私は知っています。姫さまが懸命に魂鎮めの祈りに取り組んでいたことを。多津瀬を愛し、民を愛し、彼らの平和のために祈ってきたことを」


 若葉はキュッと胸の前で拳を握り締める。


「みんなが姫さまのことをなんと言おうと、私は信じません。姫さまは守り巫女の役目を果たした。だって、そうでなければ今頃多津瀬は九尾の妖狐に滅ぼされていたはずです。でもそうはならなかった。姫さまが、復活した九尾の妖狐をお鎮めになったのでしょう。今こうして多津瀬が平和なのは、姫さまのお力あってのこと。本当なら、感謝こそされど追放なんてありえないはずなのに……」


 若葉は言葉を止め、目元を手の甲で擦った。


「若葉?」


「すみません。涙が」


 手が離れた若葉の目元は赤くなり、涙が滲んでいる。


「姫さま、やっぱり姫さまを一人で行かせるなんて無理です。私も共に着いてまいります。身の回りのお世話をさせてください」


時折しゃくりあげながら、若葉は沙羅に訴えるように言う。


「私を連れて行ってください。姫さま」


「それはダメよ。若葉」


 沙羅はきっぱりと若葉の申し出を断った。


「あなたが出て行ってしまえば、あなたのお父上やお母上が悲しむわ。あなたを

父母から取り上げるようなこと、私はできない。宮一郎、あなたもよ」


 しばらく返答を保留にされていた宮一郎は、「しかし」と食い下がる。若葉も同様で、「でも……」と涙目で沙羅を見上げてくる。


「二人の気持ちだけで、十分嬉しいわ。すごく元気が出た」


 沙羅は、受け取った御統を首にかけた。


「それからこの御統、確かに受け取ったわ。見事な腕だって、細工師のお父上に伝えて欲しい」


「そんな……姫さま」


 伸ばされた若葉の手から逃れるように、沙羅はつっと一歩身を引いた。


「いい。これから私が言うことは命令よ。領主の娘としての、最後の命令。お願いだから、聞き入れてちょうだい」


 沙羅は、ついてこようとする若葉と宮一郎、それを見逃そうとしている明彦に向かって、堂々とした口ぶりで告げた。


「私に、誰一人としてついてくることは許さない。あなたたちにはこの多津瀬に留まることを命じます。宮一郎、明彦、二人には、弓月彦の面倒を頼みます。わんぱくなところがあるから手をやくでしょうけど、いずれあの子は父の跡を継いで領主になる。どうか良い側近として、そばで支えやって。若葉、あなたには、大叔母様と母上のことを頼みます。若葉は気配りができて、とても思いやりのある子だから、きっと大叔母様も母上も気にいると思う。私の代わりに話し相手になってあげて。だからこれからも、多津瀬のことを頼みます」


「姫様……」


 沙羅は、皆に背を向けて歩き出す。踏み出したそこは、もう多津瀬の土地ではな

い。


「いやです、いやです、どうか私も」


 なおも追い縋ろうとする若葉の体を、明彦が掴んで引き止める。


「姫様が言ったろ。ついてくるな、多津瀬を頼むと」


「でもっ!!離してください」


「姫様の命令に従え。従うんだ」


 泣きじゃくる若葉、それを諌める明彦の声、頭を垂れて沙羅を見送る宮一郎。だが沙羅は振り返らない。これ以上彼らと共にいては離れがたくなってしまうから。多津瀬の外で生きていくという覚悟が鈍ってしまうから。


 沙羅は、どこへ続くとも知れぬ道へ、その身を委ねた。



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