第7話

 翌日――

 

害虫の死骸の周りにはガスマスクと防護服に身を包んだ隊員たちが群がっていた。

「チッ。派手にやってくれやがって。こっちの身にもなれってんだ。こんなにグチャグチャにされたら採取もロクに出来やしねぇ」


 そう呟くこの人物は研究部採取第4班班長「伊藤博也いとうひろや」である。博也はまだ辛うじて原形を留めている害虫の内臓を発見し、保存容器に入れる。


「おーい! こっちにまだ大丈夫そうなのがあったから、何人か来てくれ」


 隊員たちに声をかけ、催促をする。博也はその周りを歩き出し他に使えそうな部位がないかを探し始める。するとおもむろに、博也の足が止まった。


「な、なんだぁこれ⁉︎」


 思わず口からは声が漏れてしまう。それほどに歪な何かがそこには有った。


「おい。お前達、硏究第1班を連れてこい。今すぐだ!」


 博也は突然声を荒げた。それは、彼にそうさせてしまうほどの何かだったのだ。


 2日後―――


「これより定例会議を始める。今回の議題は資料にある通りだ。諸君目を通してもらえただろうか。適宜スクリーンにも映すが、円滑に進ませたいので全て記憶しておいてもらいたい」


 総督はそういうと一つ咳払いをした。


「ではまず一つ目、先の作戦中に出現したステージ4についてだ。状態が悪かったとは言え、初のステージ4の検体だ。なかなかに難航しているみたいだが、現時点での研究所の解剖結果によると脳部分に人間の胎児のような形をした何かがあったようだ」


 その画像がスクリーンに映し出されると会議室内にざわつきが巻き起こった。理由はさっき総督が言ったものが原因だった。


 それは人間の胎児にも見えなくはないが、顔部分には口以外に目鼻はなく、手指はまばらで足は途中まで癒着していて醜かった。


「研究所はこれをFrühchen《フルーシェン》と名付け保存ポッドにて保管している。呼吸、脈ともに無く生物としては分類できないらしい」


 総督がそういうと一人の女性が挙手をした。


「一ついいですか?」


 長い黒髪に毛先を大きく巻いた髪型。目鼻立ちは整い、いかにも京美人といった面持ちの彼女は京都支部部隊長務める「篠崎希しのざきのぞみ」だ。


「その胎児のようなものは置いておいて、先の戦闘で神代由依奈大佐の薬剤使用での強制開放によるステージ4の駆除とは誰の許可を得てのものでしょうか? 開放が正式に許可されたという記述はありませんが、その責任の所在はだれにあるのでしょうか?」


 その内容は今回の議題に全く関係ないものではあったが、非常に痛いところを突く質問だった。


「そのことについては私が説明しよう」


 口を開いたのは総督だった。


「今回の戦闘においては私に許された決定権を行使させてもらった。緊急性を伴うものだったからな。通常兵器では足止めにもならん。責任の所在も私だ。仕事が溜まっていてな。翌日にも報告書を提出する予定だ。大佐の方には別件で報告書を作成してもらっている。以上だが他に何か聞きたいことはあるかね?」


「そうですか。お手数おかけして申し訳ありません」


 彼女はそういうと大人しく引き下がった。


「いいようだな。では次の議題に移ろう。」


 それからは驚くほど興味のない事務的な報告が始まった。1時間くらいは退屈な問答が続き軽く眠気が襲ってきたところで私に取手が覚めるような単語が耳に入ってきた。


「それで? あの害虫『スコーピオン』は今どうなっている?」


 その場全員に緊張が走った。『スコーピオン』それはWAPAにも正式に認められているステージ5の害虫である。ステージ5に定められている害虫は6体いて、その全てが現在は休眠中である。その名前が出るということは、まさか動き出したのか。



「スコーピオンか。まだ休眠中だが、拍動が始まった。まだ1日に数回程度だが復活の兆候はあるな。早くて3ヶ月だろう。」


 まだ活動していない。その言葉に安堵した。ステージ5が活動を始めれば日本などすぐに壊滅するだろう。それほどまでに格が違うのだ。山に匹敵するほどの巨躯で皮膚は鉄よりも硬く、多くの害虫の特徴を持ち合わせている。そのくせ俊敏で関節はしなやかに動きあらゆる毒性を持つ物質に対し耐性を持つとさえ言われている。これほどに厄介な相手はいないだろう。


「3ヶ月か。短いな、どうにかして兵器の開発を急がねば。」


「それについては大丈夫だ。先日、神代大佐が制圧した警視庁本庁舎に保管されていた設計図に基づいて開発を始めている。再来月には試験段階までは行けそうだ。」


 各支部の代表たちは準備万端だと言わんばかりに言ってくる。準備なんていくらしても足りないというのに何を言っているのだろうか、この能無しどもは。


「うむ。では、今回の定期会議はこれにて終了とする」


 それを合図にその場の全員が立ち上がり敬礼をした。

 ようやく終わりか。初めての定例会議だったけどいつもこんなことをやっているのか。退屈だな。


「大佐、定例会議はどうだった? つまらないものだろう? 何もここに集まらなくても会議はできるのにな」


 総督はそう言って苦笑した。


「そうだ。大佐、今日はこの後新部隊の顔合わせがあったな。よろしく頼むぞ」


 総督が差し出した手を握り返し握手する。


「お任せください。先日の件で力量もわかったことでしょうし、何かあればその場で即刻処分しますので」


 手を離し敬礼をする。


「それでは失礼いたします」


 振り返り会議室から出ていく。携帯端末を確認すると現時刻は午前十一時。顔合わせは昼を超えての午後2時からを予定している。端末から目を離すと目の前に二人、会議室にいた人物がこちらを見ていた。


「由依奈はん。ご苦労さんやね」


 そう言ったのは篠宮希だった。その隣には190を超える身長とスポーツ選手を思わせる体格で髪を全て後ろにがした様相で壁にもたれかかる男がいた。彼は九州支部の部隊長を務める「金子和也かねこかずなり」だ。


「あれ。二人とも帰ったんじゃないの?」


 二人の所属支部はここから距離がある。専用地下通路を使っても3時間以上はかかるだろう。午後の業務に支障が出ないか?


「無粋やわぁ。せっかく人が気ぃ利かして待っとったのに」

「待ってて、なんて言ってないけど……。ま、いっか。私これから食堂行くから何かあるなら早くして」

「相変わらず失礼やなぁ。ま、ええか」


 希はそう言うと一歩近づいて小さな紙切れを差し出してきた。


「これ、うちの個別アドレスや。一応の先輩として困ったことがあれば相談乗るさかい、電話でもメッセージでもなんでもしてや」


 希は振り返り歩き去っていった。その次に和也近づいてきた。


「和也も何か用?」


 質問すると少し考えてから口を開いた。


「次の大きな任務には気を付けろ」


 それだけ言うと、和也も去っていってしまった。

 気を付けろ? 一体何にだろう。害虫なんて量が多いだけのクズじゃないか。ステージ5はわからないけれど。


 二人が去って行った方向とは逆に向かって歩き出す。この時間なら上の食堂が空いているはず。久しぶりに行ってみよう。一〇分ほど歩き無機質な壁からレトロな雰囲気の壁に変わったところで突き当たりを左に曲がる。


 そこをさらに進み、人気のない廊下を歩いていくと一際古めかしい雰囲気の扉が現れた。扉をあけて中に入ると、そこは一世代前に流行したバーと呼ばれるものに似た内装をしていた。


 オレンジ色のランプが照らす室内は仄暗く、食堂と呼ぶにはあまりにも風変わりだった。


「神代大佐ではないか」


 座る席を探そうと歩いていると、急に声をかけられた。声の方向に振り返るとそこには「市ヶ谷参謀長」が座っていた。


「市ヶ谷参謀長。ご無沙汰しています」


 敬礼をして挨拶をする。


「堅苦しいのはやめたまえ。ここには私と君以外いない。その証拠に……」


 参謀長は無言で指をさした。その方向には人間と見紛うほど精巧に作られた自立駆動人形ヒューマノイドが立っていた。


「凄いだろう? ここまで滑らかに人間の動きを再現できるアンドロイドはそう多くない。こいつはまだ試作段階だが、この技術が完成すれば兵士の、人の命を無駄にせず害虫と戦うことができる。能力は使えないがな。量産兵としては運用出来るだろう」


 アンドロイドの量産兵、たしかにこれが実現すれば死ぬ兵士も少なくなるだろう。実現されればね。


「まぁ、座りなさい」


 参謀長に促され、一つ空けた隣の席に座る。


「参謀長はどうしてここに?」


 いつも忙しい印象のある参謀長が、この食堂にいることが不思議だった。


「私はこの時間はいつもここにいる。シミュレーションが終われば私は暇なのだ。こんな老ぼれには肉体労働などできんからな」


 参謀長は微笑を浮かべながら話す。その顔にいつもの厳格な面影は無かった。


「大佐こそ、この食堂に来るのは珍しいのではないか?」


 確かに私がここにいる方が不思議か。


「私は業務が全て終わってすることがなかったので」


 参謀長はグラスに入った飲み物を飲みながら聞いていた。


「そうか。ところで、重松はどうだ? 存外使える人物だろう。」

「補佐官ですか?そういえば参謀本部の職員でしたね。先日も仕事の後処理をしてもらってかなり助かっています」


 事実、重松補佐官が来てからここ数日の作業効率は上がっているし、その分演習に割り当てることが出来ている。いい人だと思うしね。


「そうか、それなら良かった。君のことは信用しているが、補佐がいた方が自分のことにも集中できるだろう。それに君にはこれから独立部隊の隊長も務めてもらうからな。負担はないに越したことはない」


 確かに補佐官が来る前には恵莉に事務処理を手伝ってもらってたな。


「了解しました。感謝致します」


 立ち上がり敬礼をする。


「では、私はこれにて失礼致します」

「もう行くのか? 一杯くらい飲んで行かないか?」


 注文用の端末を差し出し、何か頼むように促してくる。


「お気遣い感謝します。しかし、今は一応勤務時間内ですし、なにより私はまだ未成年です。飲むわけにはいきません」


 折角の申し出だが、もしもの時があってはいけない。


「そうか、残念だ。いつか機会があれば、同じ席で飲みたいものだ」


 再び敬礼をして食堂を出る。参謀長がこの時間に食堂にいるのは予想外だった。


「時間余っちゃったなぁ。ここからだと他の食堂は遠いんだよな。もう行っちゃおうかな」


 端末を開き集合場所の確認をする。ここからそんなに離れていないことがわかった。


 うん。行っちゃおう。


 食堂に踵を返し、集合場所に足を向ける。今日から私の大佐としての本当の仕事が始まるんだな。少しの緊張と高揚が胸にあるのを感じた。集合場所に向かう足はいつもとは違い、少し軽かった。

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