第45話 火と混乱と、一触即発

 ♢♦♢ ――リアナ――


「『フィルと行く』? どういうことだ?」

 デイミオンの表情がけわしさを増した。妻の肩をつかみ、顔が見えるようにと身体を離す。「発言を取り消すなら、今のうちだぞ」

 リアナはためらった。最善の道と思って別離を決めたはずだが、まだ、夫を説得する準備ができていなかった。自分の中でもいまだに、両の天秤が傾きかけるのを感じる。だが、あえて冷たく宣告した。

「言葉どおりよ、デイ」

「リア、それは――」

 肩をつかむ手に力がこもり、デイミオンが問いかけようとしたとき、森に異変が起きた。


「火が!」

 マドリガルの悲痛な声がした。「やつらが、森に火を放っている。余の臣民が! エルフたちが!」


「火が……」リアナは急いで首をめぐらした。体内に〈竜の心臓〉はあるのだが、レーデルルがいないのもあり、異変を感知することはできなかった。

 デイミオンには感知できるのだろうか?

 リアナの疑問を察したように、デイが「火は見えない」と言った。「が、逃げまわる動物の気配を、アーダルが感じている。火元の近くだろう」

 敗残兵たちが、追手を遅らせるために火をいたのだろう。フィルたちハートレスは無事だろうか? そして、森の住民は……

「……あの子にそれがわかるのなら、たぶん例のキノコは、なんらかの力で宿主とつながっているのかもしれないな」

「そうだとしても、おかしくないわ」

 あまり考えたくはないが、だとすれば、女王の恐慌に似た反応にも理由がつく。彼女にとって森は、文字どおり自身の一部なのかも。



「余は火を消しに行ってくる」

 女王はあわてた様子ながら、決然と宣言した。「黒竜の王、そなたの竜の力を貸してもらえまいか」


「いまは無理だ」デイミオンは即答した。

「妻の身体に、竜の心臓が戻っている。ここで強い力を使えば、悪影響があるかもしれん」

「デイ!」リアナは聞きとがめた。「じゃあ、わたしが――」

「もちろん、ロカナンの竜を妻が使うというのもダメだ」デイミオンがさえぎり、念を押す。


「まあまあ、せっかく再会なされたのですから。ここはお任せいただいて」

 見かねたというわけでもないだろうが、デイミオンに帯同していた竜騎手シメオンが申し出た。「私が行きましょう。どちらですか女王どの」


 夫婦はシメオンの発言など聞いていないように、まだやりあっている。

「心臓を取りだしておけば、影響は受けないのよ」

 夫の胸もとに手をあてたまま、リアナは主張した。「消火するまで、そうしておけば……」

「たとえ入れ替えができるとしても、持ち主をひんぱんに移動していいという知見はない。心臓のになる者もいない」

 デイミオンが固い口調で返す。「何度言わせればいいんだ? おまえは妊婦なんだぞ」

「そういうけど、今は――」



「再会してさっそくケンカとは、お熱いですなぁ」

 シメオンが気の利かない取りなしをして、二人の口論に水を差した。夫婦の気まずそうなムードには気づかず、早足でマドリガルのほうへ向かう。……

「では、いざ女王どの。……うおっ!?」

 大きな羽音が一度、バサッと耳を打った。シメオンは長衣ルクヴァをはためかせ、「おぉ」と頭上をあおぐ。


 鈍色の空に、夜を切り取ったような竜の巨体。雄竜アーダルのテリトリーが、一瞬、警戒と威嚇いかくの気配をおびた。……やってきたのは雄竜ブロークと、長い金髪の竜騎手だ。


「ロール!」リアナが上向いて叫ぶ。

「リアナさま! 遅くなって、申し訳ありません!」美貌の竜騎手が、竜の背から叫びかえす。「ようやく追いついた――」

 リアナがロールを置いていったのは二日前で、おとりのような役割を任せた以上、エクハリトスの城にとらわれているものと予想していた。だから、むしろ予想外の助けと言えた。

「ロール、わたしのことは今はいいから、森の炎を消して! そのまま、マドリガルとシメオンについていって!」

「?!」

 けげんな顔をしているだろうロールに、デイミオンが声をかけた。

「アーダルの眼を貸すぞ。命令を受け取れ、竜騎手ロール」

 そう告げたので、おそらく〈呼ばい〉をつかい、ロールに状況を送ったのだろう。ライダー同士は、そのようにイメージを共有することもできる。ロールは、リアナにもわかるように大きくうなずいてみせてから、竜の首をぐるりとめぐらせた。



 火を消せるのはライダーだけなので、マドリガルはシメオンと護衛のごく数名だけをともなって森の奥へ竜を走らせていった。その上空を、夜色の古竜が雲をさえぎりつつ動いていく。三人のライダーが連携を取りつつ消火にあたれば、これくらいの小火ぼやはすぐに消し止められるはずだ。


 いちおうはそう結論づけた国王夫婦は、おたがいの問題にもどった。顔をむきあわせ、

「だいたいおまえは――」

「いつもあなたが――」

 と口をそろえ、タイミングが揃ってしまったことに気まずくなって押し黙った。


 女王の兵士たち以外には、かれら二人しかいなかった。会話がないと、森の生物たちのざわめく気配が感じ取れた。アーダルの不愉快そうな〈呼ばい〉の気配も。力を振るえないことへのいらだちか、それともデイミオンの感情を共有しているのか。


「俺が……おまえの行動を制限するのが嫌なのか?」

 デイミオンはしぶしぶというように尋ねた。「それが理由なのか?」


「そうじゃないわ」リアナは答えた。「の行動を制限するのが嫌なのよ。あなたとアーダルの」

「そんなものが離婚の原因にならないことくらい、おまえもわかっているだろう」

「それは……」

「力を制限するかどうかを決めるのはおまえではなく俺だし、力を使いたければ、つがいを傷つけずにすむ方法を考える。あらゆる方法を試してうまくいかなかったとしても、つがいを守らないという選択肢はない」

 デイミオンは整然と言った。「そんな単純なことが、なぜわからないんだ」


「それは……わかってるわ」リアナはためらいがちに賛同した。


「本当に、それがおまえの本心なのか?」

 デイミオンは、さらにふみこんで尋ねた。「なぜ俺ではなく、フィルを選ぶ? 納得のいく理由を、おまえは持っているのか」


 デイミオンではなく、フィルを選ぶ……。

 自分で決めたことではあっても、夫から突きつけられると、おそろしい考えのように思えた。一年前の、デイの不在のあいだだけフィルと暮らすというような生活ではない。今度は、デイミオンとの結婚生活を永遠にうしなうことになるのだ。十二年のあいだに築きあげた関係も、王配としての特権も。


 リアナは観念して目を閉じ、小さく息を吐いてから口を開いた。「フィルはわたしの命を救ってくれた。それなのに、わたしのために破滅しようとしている。放っておけないわ」

緑狂笛グリーンフルートのことだろう。もちろん、家族として治療には協力するつもりだ」

なの」

 リアナは念を押す。「フィルに治療が必要になったのは、これが二度目。ずっと後悔してたの、最初の治療のとき、もっときちんとつきそってあげればよかった。だけどわたしはずっと、あなたのもとに戻ることばかり考えていて……もしフィルの依存症が、これ以上悪くなったら……」

 リアナの頭のなかで、さらなる恐れがふくらんだ。離婚、別離、生まれてくる子どものこと、デイミオンの二人目の妻のこと、フィルの治療……鼓動がはやくなり、喉からとびだしてきそうだ。

「本当に、そんなきれいごとが理由なのか? おまえがフィルを選ぶというなら、俺はおまえを――」

 暗い目で言いかけたデイミオンは、はっと我に返ったようだった。「アーダル!」


「え?」夫の大きな呼び声で、リアナのなかの恐怖が消えた。風船が破裂するように突然に。


「精神共鳴だ。アーダルがなにかを恐れ、威嚇している」

「これが……。じゃあ、さっきの感情を引っぱられるような感覚は……」

「俺の側の〈呼ばい〉に巻きこんだ。すまん。不測の事態だ」

 二人の口論は、ふたたび中断されることになった。「いったん、アーダルのそばに戻る。おまえも連れていく」

「ええ」

 リアナも対立は脇に置くことにした。デイミオンの立場では、アーダルの制御と妻の保護を両立させねばならないからだ。夫に抱きあげられ、やすやすと跳びあがる。すぐに樹冠をとびこえて、半分の星空の下にいた。のこりの半分は、アーダルの巨体だ。


 森はいまアーダルの支配下にあり、ひいては竜王デイミオンが、ニザランの森を全能でもって睥睨へいげいしていた。その圧倒的な力が、リアナの全身にもびりびりと伝わってきた。


「〈呼ばい〉はやむを得ないが、力は使わない」

 彼女を背中側から抱えこみながら、デイミオンが言った。

「ほかの方法はあるのかしら……」リアナは不安げに眼下を見下ろす。かつてケイエを燃やした大火とは比べるべくもないが、細くたなびく煙がいくつも、樹冠のあいまから上がっている。

「ドラゴンライダーが三人もいるんだぞ。この程度の小火ぼや、抑えられずにどうする」

「でも、あなたがいれば……」

「アーダルにも、俺にも寿命はある。替わりは必要だ」

「そんなこと言わないで」

「おまえは俺を、竜祖の化身だとでも思っているのか? ……だれも永遠には生きられないんだぞ」

「……」

 正直にいえば、リアナは夫を竜祖の化身のように感じることがあった。あの大祭での神がかった力と美しい舞は、かれを人ならざるものにまつりあげるに十分な説得力があった。それと比較して自分の力のなさに引け目を感じないといえば嘘になる。デイに言うべきだろうか? ……だが、この話は水かけ論になりそうだった。 


 二人とアーダルから目視できるほど離れた場所で、二柱の黒竜が消火にあたっていた。黒竜は空気を遮断できるので、消火じたいは難しくない。黒竜一柱で森全体の炎を消すこともできるはずだ。時間がかかっているのは、マドリガルが火元を確認し、住民たちがいれば避難させるという過程が入っているのだろう。それでも、しだいに煙が消えていくのが見えた。

「これで、なんとか……」

 リアナはほっとして、次になにをすべきか夫と相談しようと思った。だが、こちらに戻ってきつつある黒竜の一柱に、デイミオンが鋭い目をむけた。

「なんだ? ……」

 ロールの竜、ブロークナンクが、おかしな動きをしながら近づいてきている。両の翼を高く立てて身体をそらせ、大きく見えるように頭を上下させていた。見おぼえのある動きだ。


「あれは……威嚇しているように見えるわ。どうしたのかしら」

 リアナがつぶやくが、異変はアーダルにも起こっていた。デイミオンが「どうした、アーダル!?」と声をあげる。

「なぜ威嚇するんだ。あいつは、おまえの群れパックの子どもだぞ」

 夫の言葉どおりだった。アーダルはまだ、ブロークのように激しく動いてはいなかったが、首をもたげてシューッッと威嚇音を出すのが聞こえた。


 竜騎手の顔が目視できるくらいの距離になると、ロールがあわてて制止している様子もわかった。

『ブローク! 王の竜を威嚇するな!』


 いったい、なにが起こっているのか。リアナは不安をおぼえつつ、二柱の竜を見まもった。

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