9 燃え落ちた橋

第42話 遅いと言ったんだ


 女王マドリガルとその部隊は、夜の森のなかで小規模な戦闘に巻きこまれ、劣勢のなかにあった。自分が放った火箭かせん(火の矢)には、本物の弓矢のような殺傷能力はない。一方、敵方には無限と言えるほどの矢の供給があるようだった。

 降りそそぐ矢の雨を、炎の一閃いっせんで焼きおとす。……そのはずが、ふわりと空気が動く気配だけがあって、炎が出現しなかった。女王はいそいで剣をかまえ、矢をふせぐ。術のさまたげになるので盾は構えていなかった。


「力のが切れた!」

 走り竜ストライダー鞍上あんじょうから、女王が叫ぶ。「ぞ、黒竜の術具の予備をもたぬか?!」


「申し訳ありません、こちらもたった今――」

 兵士からの報告に、失望の舌打ちをした直後。ゴオオッという音とともに、勢いよく炎が噴きだし、敵兵に襲いかかった。


「な、なんだ?!」

 あまりの勢いに、危地を救われたという安堵よりも驚きのほうがさきに立った。幼少期から森に暮らすマドリガルは、自分以外の黒竜の術者をほとんど見たことがない。術の制御はクローナンとイニに教わった。

 炎は視界の一面をオレンジに染めあげたかと思うと、イノシシのように森の奥へ走っていった。燃え広がらずに生き物のように動くことができるのが、黒竜の炎だ。実際には、周囲の空気を遮断することで炎を消しながら形を制御している、はずだ。もちろん火箭同様、殺傷能力はそれほどでもないだろうが、敵方を驚かせて蹴散らせる効果は十分だった。


「なんたる火」女王は感嘆の声をあげた。そして首をめぐらし、夜そのもののように黒く大きな竜をみとめた。煌々こうこうとかがやく満月かと思ったものは、竜の目。そのまばゆさに、女王はおもわず目をつむりそうになった。



 ♢♦♢ ――デイミオン――



「王国でもっともおおきく、みごとな雄竜。その持ち主となれば、黒竜の王であらせられるか」

 白銀の甲冑を見につけた小柄な人物が、どうやら女性らしい声でしゃべった。そのまま、竜の背から降りてくる。「助太刀、いたみいる」


「そうだ」

 デイミオンも応答する。アーダルを連れてはいるが、その背にはおらず、森には徒歩で入ってきていた。そして、戦闘を目撃したわけだ。竜術を使用しての戦いとなれば、竜騎手の無事を確認しないわけにもいかず、黒竜の力を放出して彼女を助けた。「貴殿は? なぜ攻撃されていた?」


は当地をあずかる竜騎手で、同時に先住民エルフの王でもある。余の名は妖精女王マドリガル」

 青と金のオッドアイが目立つ、威厳ある少女だった。時代がかった奇妙なしゃべり方を、リアナから聞いたことがある……。

「あれなる者たちは、余の森にしのびこんだる敵兵。ならずものどもの寄せ集めと思うていたが、どうやら、人間国の間者らしいと。追っていたつもりが逆に囲まれ、難儀しておった」


 デイミオンは首をめぐらした。「黒竜はいないんだな? 術具で戦っていたのか?」

「いかにも」

 女王はため息をついた。「当地にいま、黒竜はいないのでな。術具に溜めた力を、今ので使いきってしまった」

 古竜はニザランの森を嫌がると聞く。アーダルもまた、森を掌握しょうあくしながらも不快そうな様子を隠さなかった。


「〈呼ばい〉をあけてやろう。黒竜アーダルから力をうつせるだろう。貯蔵の術は使えるのか?」

「……ああ。助かる」

 女王は、デイミオンの命令下にするりと入り、うまい具合に術具に力を溜めた。両目が自分の術使用時とおなじ金色になるので、そうとわかる。

 デイミオン自身は、貯蔵の術は苦手としている。コーラーが使う術のほとんどがそうだが、竜の力が大きいほど、巨大なかめから盃に水をうつすような細かな制御が必要となるのだ。


「……砂漠で井戸にめぐりあった気分だ。恩に着る」

 目の色が戻ると、女王はデイミオンを見あげた。「ところで黒竜の王よ、貴殿にお伝えせねばならぬことがある。貴殿の妃のことで」

「リアナのことで? ……」


 二人は上に立つ者らしく手短に情報交換をし、リアナの所在やイニの蛮行についてもおよそ明らかになった。


「先ほど受けとった、王配殿下からの伝令だ。『イノセンティウス王の招きのもと、森の城に滞在している。フィルバート卿、ゼンデンの息女もともに。妖精王の招きは強引であったが、王配としては国王には寛大な処置を願うつもりでいるので、安心されたし』と」


「返信をしたためているところで、探していた賊どもに出くわしてな。こちらからの返信で、王配殿には援軍をたのんだ。貴殿がやってこられるのであれば、必要なかったのだが、許されよ」


「いや、それでいい」

 むしろ、こちらから出向く必要がなくなるのであれば助かる。ライダーたちにとってニザランの森は鬼門と言えたので、デイミオンはほっとした。ここなら、森の入口からさほど離れていない。

「もう、こちらに向かっているのか? ……アーダルの網にかかりそうなものだが」


 ニザランの森は、王国の西の辺境だ。交通の要所というわけでもなく、土地自体の有用性が高くないこともあって、自治領という形で管理を投げだされてきた場所である。

 だが、竜族たちが足を踏みいれたがらないのには、もうひとつ大きな理由がある。ニザランの森では、なぜか竜のグリッドがうまく作動しないのだ。森に入ったライダーが迷って出られなくなる事例は多く、そのためひとをまどわす『妖精の森』の異名がついた。今では、おそらく先住民エルフの影響ではないかと推測されている。


「これほど大きな黒竜でも、やはり網は使いづらいのか?」

 女王は興味深そうに尋ねた。「余は慣れておるのだろうか、術具のみの力でもある程度、森にあるの動きはわかる。……白竜の心臓がひとつ、こちらに向かっているようだ。安心めされるがよい」


「無事か」デイミオンはなかば安堵あんどして、言った。「だが、結局フィルのやつが先に着いたな」


 フィルが側にいるとなればリアナの安全は保証されたようなものだが、自分が後れを取ったという事実に直面するのは愉快なことではなかった。

 おまけに、エリサの拉致らち竜騎手ライダー二人への傷害行為となれば、弟には相応の処罰を受けさせる必要がある。が、それをリアナが許すかどうか。


「やっかいな部分は、まだこれからということか」



 ♢♦♢


 ほどなくして、森の奥からのしのしと駆けてくる走り竜ストライダーの姿が見えた。ひらけた場所だったが、頭上にはアーダルの巨大な頭部があり、走り竜は捕食者の気配にそわそわしながら停止した。

 先に降りてきたのはフィルバートで、抱え下ろされるようにしてリアナの姿があった。伝令にはエリサと妖精王の名前もあったが、かれらの姿はない。城で待機しているのだろう。


「デイミオン」

 ほっとしたような顔で妻が近づいてくるので、デイミオンはどう反応すればいいか、とっさに決められなかった。夫の威厳をもって、しかつめらしく迎えるつもりだったが、無事に再会できてもちろん嬉しい。

 この状況なら、苦言はあとにして抱擁しても不自然ではないだろう。そう思ったが、リアナはいつものように夫の胸に飛びこんでくることはなかった。途中にいた女王マドリガルになにやら話しかけ、二人はたがいの無事を喜びあっているようだった。

 ほんの二、三歩も脚をのばせば触れられる距離だ。こちらから歩み寄るべきかためらっている間に、フィルバートのほうが兄に近づいてきた。

「来る途中で、追加の伝令を受けたよ。たぶん、森に潜伏しているのはアエディクラの兵だと思う」

 いかにもこの男らしく、なんでもないように軽く報告してくる。「兵と装備を貸してくれ。俺が行って、捕まえてくるよ」


「おまえのやったことは……まあいい」

 竜騎手を襲って白竜を奪った件については、ひとまず後回しにすることにした。「侵入者の件がさきだ。では、追跡を頼む」


「うん」

 フィルはうなずき、リアナのほうをふり返った。「リア。心臓を返すよ」


「返すって……いま? 待って」

 リアナはためらう様子だった。「侵入者たちの詳細もわからないのに」

 フィルは安心させるように微笑んでみせた。「この状況なら、ハートレスのほうが有利だ。心配しないで」


 そして、自分の手を胸にあててから、おなじ手をリアナの鎖骨あたりにかざした。竜の心臓はまばゆく輝きながら、吸いこまれるようにリアナの胸に消えた。『ゼンデンの目』と俗に言われるスミレ色の瞳が、夜のなかでぼうっと輝き、また戻る。

 ……いつ見ても、不思議な光景だ。竜騎手の、いやすべての竜族の魂といってもいいはずの機能が、たやすく受けわたせてしまうのだから。この現象が確認されてから、あきらかに竜騎手の神聖性は輝きをうしないつつある。


「朝まで症状が出てたのよ。まだそんなに動いては……」

「大丈夫だよ」

 フィルは彼女の髪をなで、つむじの上に口づけた。そのなれなれしいしぐさに、デイミオンは夫としていら立ちをおぼえた。



 彼女のそばを離れ、フィルがまた戻ってきた。さっと周囲を確認し、かつての部下たちの姿をみとめる。

「ここにいるハートレスは……俺とヴェスと、シジュンの三人か。あとはニエミにも案内を頼みたい」


「よかろう」

 デイは許可をあたえた。「竜の心臓をリアナに返したことは、褒めてやろう」

 一度手にした力をやすやすと手放したのに、デイミオンは拍子抜けした。かれの知るフィルバートは、そういうタイプの男ではないからだ。用心深く、あらゆる戦力を確保しておくタイプの男だ。


「ロカナンとサンディを傷つけたことの責任は逃れられないが……それほど重い罰にはしないから、心配するな」

 以前、王たる自分に剣をつきつけ、王城からリアナをさらったこともある弟だ。そのときも、彼女の機知で助かった。ああいう追いつめかたをすると、結局はリアナが、この男の処遇で奔走ほんそうするはめになる。彼女が自分のもとに戻ってこれなくなるのは困る。それを踏まえての発言だった。「リアナにもは必要だからな」


 なにが面白いのか、フィルはくっくっと笑った。


「後からやってきて、口だけは立派な指揮官だな。あなたはいつもそうだ」

「なんだと?」

 挑発にのったわけではなかったが、デイミオンはぎろりと弟をねめつけた。竜騎手たちなら、ひるんで声も出なくなるような目線で。

 だが、フィルバートはもちろん、ひるんだりはしなかった。笑顔のままさらに近づいて、親しげにデイの肩をたたく。遠目に見れば、気やすい兄弟のしぐさにしか見えないだろう。


 そして通りざま、デイミオンにしか聞こえない声でささやいた。

「遅いと言ったんだよ。……彼女の心は、もう俺のものだ」



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