第7話 あの人に会う必要なんかない
♢♦♢ ――フィル――
侵入者たちの件についてフェリシーが兄に尋ねた。自分が来る前からの経緯もあるので、フィルも耳をかたむけた。
「そもそも、鉱山の経営については、王とニシュク家と南部の三つ
ロイの説明に、フェリシーもうなずいた。
「鉱山で採れる『
フィルは利権にも竜術にも興味はないが、リアナやデイとの会話のなかに出てくることがあるので、その希少な金属のことは知っていた。
「ああ。で、鉱山はニシュク家の管理下にあるとはいえ、とても貴重な資源だから王に決定権がある。それに、採掘にしても精錬にしても赤の古竜の力が必要だから、もともと南部との結びつきも強い。その三者のあいだで綱引きがあるわけだな」
ロイはエールを飲みつつ続けた。「給料を払ってくれてるのはニシュク家だ。だから当然、俺たちは彼らの指示に従うわけだけど……山で働くやつらは、南部の国境沿いからの流れ者も多い。俺たちの両親もそうだったしな」
「南部には、あたしらみたいな人間との混血が多く住む集落がいくつかあってね」
ロイの妻、アネットが補足した。「半端者にも働き口があるってんで、キーザインに移ってきたってわけさ。あたしももともとは南部生まれだよ」
「だから、内部に派閥があるわけね。ニシュク家につく人たちと、南部につく人たちと……」フェリシーが言った。
「俺たちだって、上のご意見に一から十まで賛成してるわけじゃねぇよ」ロイが不満そうに言った。「でも、山で働くってのは、そういうことなんだ。一枚岩でやらなきゃ、坑道になんか入れやしねぇ」
「それで……侵入者たちっていうのは、やっぱり南部からのスパイなの?」
フェリシーが尋ねた。
ロイは慎重に答えた。「そう推測するやつらもいる。短銃に、油の匂いがすると……フィル、あんたはどう思う?」
「まだなんとも」フィルは肩をすくめた。
だが、脳内では自分が得た情報を整理していた。
兵士たちはたしかに南部風の武器を所持していたが、そんなものは偽装の初歩だ。それに、あの兵士の弓扱い……ああいうふうに連射できるのは、竜族の正規の兵士ではない。兵士の正体について仮説はあったが、それを今、ロイに披露するつもりはなかった。
「ニシュク家の
フェリシーがまた尋ねた。
「キーザインはかなり広いし、警備の手は足りてない。おまけに
「例の、ニシュク家のお家騒動ってやつかい?」アネットが面白そうに口を挟んだ。「
「竜王リアナ陛下だ」ロイが訂正した。
彼女の名を聞いても、フィルは眉ひとつ動かさなかった。
「嫡子のアスラン卿は、そのリアナ陛下の暗殺計画にくわわったらしい。当時はまだ未成年だったんで温情をいただいたそうだが、廃嫡同然のあつかいだ。いまでも、領地にはほとんどご不在だしな」と、ロイ。
「アーシャが、ね……」
「え?」
「いや、なんでもないよ」フィルはうっすらと笑った。
「当主のエンガス公もご高齢。ニシュク家の分家やらなんやらのお家騒動もからんで、それどころじゃないのかもな」
ロイはさらに続けた。「ライダーたちの数には限りがあるし、山で働く男たちで自警団を作ってくれないかっていう要請もあるんだ」
「それで……フィルに、その指導を頼んでいるのね?」
「ああ」ロイがうなずいた。
「さすがに、俺の一存じゃ決められないよ」
フィルは淡白に答えた。「まずは、ニシュク家に今回の件を報告に行くついでに、情報を聞いてみる。それでいいか?」
「ああ。心強いよ」ロイはほっとしたようだった。
♢♦♢
「こんばんは」
帰り道の路上で、聞きおぼえのある声に呼びとめられた。街灯の近くにいた二人とは違い、男は黒い影のように立っていた。
「どうしたんだ、スタン」
男が明るい場所に姿をあらわす前から、フィルには相手がわかっていた。「なにか用か?」
「お友だち?」腕をからめていたフェリシーが、いぶかしげに尋ねた。
目の前に立つのは、中肉中背の目立たない男だ。癖のある黒髪をざっと結って背中側に流している。
「長年の部下に『なにか用か』とは、つれない」
スタニーはフェリシーにも笑顔を向けた。「失礼、美しいお嬢さん。すぐに終わりますよ」
せっかくの夜に、面白くない男に捕まってしまったものだ。フィルはため息をついて、かつての部下に告げた。
「彼女を家に送ってくる。……そこの食料品店を左に曲がって最初の角にパブがある、そこで待っていろ」
「了解」スタニーはすばやく立ち去った。
「ゆっくりしていらっしゃいよ。ひさしぶりに会うお友だちなんでしょう?」フェリシーはにこやかに言った。
「理解のある恋人をもって、俺は幸運な男だ」
フィルはフェリシーを抱き寄せ、頬に軽くキスをした。
「すぐに戻るつもりだけど、遅くなるようだったら先に寝ておいて」
♢♦♢
パブに入ると、スタニーがひらひらと手を振ってフィルを呼んだ。いかにも鉱山町らしい賑やかな酒場だ。
座席につき、場所代がわりのエールを注文する。
「こんな店じゃ、内密の話なんてできやしませんよ」
そう言いつつも、元部下の前にはちゃっかり夕食の皿が並んでいた。まさかこの代金、俺が払うのか?
「俺のほうには、内密の話はないからな」フィルはそっけなく返した。
「こんなにすぐに、居場所をつかまれるとは思わなかった」
「あんた、自分がどれほど目立つか知らないんです? 〈
「……」
「かわいい彼女じゃないですか、胸がデカくて。うらやましい」
「……そんなくだらない雑談のために、王都はおまえに給料を払ってるのか?」
スタニーは、プロの間諜だ。昨晩の兵士たちとは比較にならない場数を踏んでいる。もちろん、弓の扱いも熟練している。かつて領地貴族のなかには、そうしたハートレスの間諜を抱えている家も多かった。
今はどうだろうか?
フィルはいちおう考えてみたが、すぐに打ち消した。リアナはハートレス部隊に相応の給金を払い、竜騎手なみの待遇で城に取り立てている。部隊員たちからの信頼もあつく、裏切りは考えにくかった。
(リアナは――)
一瞬、彼女のことが頭をよぎったが、フィルは努めて想いを振り払った。こうして彼女のことを考えてしまうから、昔なじみに会うのは嫌だったのだ。
「用件ですけどね。両陛下が、フィルバート卿に面会したいと」
スタニーがあっさりと切りだした。煮込み料理が多い酒場で、高級品の串焼きを頼んで堪能している。
「……」フィルは沈黙したまま続きを待った。
「命令を出したのはデイミオン陛下ですが、実際に会いたがっているのはリアナ陛下です」
串から歯で肉をはずしながら、スタニーが尋ねた。「どうします?」
「どうって……リアナが俺に、なんの用なんだ?」
「俺のような一介の兵士が知らされているとでも? そりゃ、直接顔を見ないと言えないことでしょう」
「はあ……行きたくない」
フィルは頬づえをついて、憂うつな気分でつぶやいた。
「ずいぶん遠いところまで来たつもりだったけど、やっぱりあの二人から逃げられないのか」
「別に、逃げたっていいんじゃ?」スタニーは行儀悪く肉を咀嚼しながら言った。「行かなきゃいいんですよ」
「おまえに居場所を知られてるのにか?」
「なんとでもなるでしょ、『すぐに拝謁にうかがいます』とか返事を送っておいて、のらりくらりと逃げる手が」
「それじゃダメだ。俺が来ないとなったら、リアナは俺を探しに来る。そういうタイプなんだ。……彼女に、こんな政情不安定な場所に来てほしくない」
「そんじゃ、シグナイに行きますか?」スタニーは肩をすくめた。
「シグナイ?」フィルは問い返した。「なんでだ?」
「ご夫婦はいま、そこで水入らずの休暇中なんですよ」
「ふーん」フィルは面白くなかった。運ばれてきたエールにも口をつけず、イライラと机を指で叩く。
「リアナも
フィルは顔をそむけた。「あの人に会う必要なんかないのに」
テオあたりならあれこれ説教してきそうな場面だったが、スタニーは感情の読めないうすら笑いを浮かべるだけだった。
「俺は要件を伝えるだけですよ」
「とにかく……こちらから出向くから、来てもらう必要はない。そう伝えてくれ。すぐ、と確約はできないが……」
「お伝えしましょう」いつの間に食べ終わったのやら、スタニーは立ちあがった。
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