第15話 那月さん登場

 土曜の朝。


 今日は学校も休みだから、昼の弁当を作ることもない。


 軽く手持ち無沙汰さを感じながらも、俺はリビングでソファに座りながら、ダイニングキッチンに立つひと花の後ろ姿を眺めていた。


「え、えっと。

 次はベーコンをフライパンに……。

 あ。

 そ、その前に、サラダを準備したほうがいいのかしら」


 ここ数日、ひと花に朝食の準備をしてもらって知ったのだが、彼女はかなり料理が下手だった。


 目玉焼きひとつ、満足には作れない。


 ひと花は勉強も運動もできるから、てっきりなんでもそつなくこなせる万能型の人間かと勝手な印象を持っていたが、どうやらやはり人には得手不得手があるみたいだ。


「あ⁉︎

 ベーコン、焦げ――

 あ、こっちはトーストが⁉︎

 ああ……」


 てんてこ舞いになる彼女をハラハラしながら眺める。


「……なぁ、ひと花。

 俺も手伝おうか?」


「だ、だだ、大丈夫だから!

 優希くんは、テレビでも観ながら待ってて」


 どうやらひとりで頑張りたいようだ。


 なら俺は、彼女の自主性を尊重するとしよう。


 ◇


 しばらく待っていると、朝の準備が整った。


 焦げて黒くなったトーストと、おそらく当初の予定ではベーコンエッグになるはずだったのであろうスクランブルエッグ。


「……ご、ごめんなさい。

 私ってばいつもいつも。

 ぅぅ……」


 ひと花はシュンとしている。


 実は昨日も一昨日も、彼女は朝食の準備をなにかしら失敗していた。


「いや、問題ないぞ。

 トーストは表面の焦げた部分を削れば食べられるし、俺はスクランブルエッグも好きだ。

 それにサラダとコーヒーにはなにも問題ない」


「次こそは、がんばります……」


「うーん。

 そんなに気負わなくてもいいんだけどなぁ」


 こういうのは、結果より気持ちが大切だと思う。


 だからひと花が朝食を作ってくれた、そのこと自体が俺は嬉しい。


「とにかくありがとう。

 それじゃあ、いただきます」


 手を合わせてから、食事を頂いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 今日の予定だが、このあと10時には従姉の那月さんが家に来ることになっている。


 その後、彼女と一緒に喫茶店にいって、今日1日かけてコーヒーの淹れかたなんかのレクチャーを受ける。


 そうすれば明日の日曜日から営業開始だ。


 喫茶店の開店閉店の作業や、なにをどこにしまってあるかなんかは、大体ひと花が知っていた。


 だが彼女はコーヒーや紅茶を淹れたり、軽食を作ったりについては経験がないらしい。


 まぁ予想の範疇だ。


 喫茶店での役割分担は、必然的に俺がカウンター内での調理等を担当し、ひと花がホールで接客をすることになった。


 ◇


「あ、優希くん。

 外で車の音がする」


「ああ。

 那月さんが来たみたいだな」


 ガーデンルームから家の前の道路を覗いてみると、見るからにラグジュアリーといった風情の高級セダンが止まっていた。


 そこから女性が颯爽と降りてきたが、ここからでははっきりと顔が見えない。


 その女性は前庭の柵を開け、玄関まで歩いてきてからチャイムを鳴らした。


「ちょっと待って下さい。

 いま行きますー」


 ドアを開けると懐かしい顔があった。


「はぁい、優希。

 久しぶり。

 元気にしてた?」


 意思の強そうな瞳に、余裕の微笑み。


 少しばかり感じられる気の強さに、なんだが気後れしそうになってしまう。


 それでも目が離せないような、強い存在感を放つ美人だ。


 背丈は俺より低いが、ひと花よりは高いだろう。


 170手前というところか。


 玄関で腰に片手を当てて立つ彼女は、肩を少しこえるくらいの明るいブラウンの髪を、後ろで結ってアップにしていて、全体的に活動的な印象を受ける。


 自信に満ち溢れた表情をした、太陽みたいな大人の女性。


 このひとが秋山あきやま那月なつきさんだ。


「なんだなんだ、優希。

 おっきくなったなぁ。

 前に見たときは、まだこぉんなに小さかったのに」


 那月さんが親指と人差し指の間に、1センチほどの隙間を作った。


「なに言ってるんですか。

 そんなに小さい人間なんていませんよ。

 それよりお久しぶりです、那月さん。

 那月さんは、あんまり変わってないですね」


「そっかぁ?

 あたしも結構変わったと思うんだけどなぁ。

 たしか最後に会ったのが5年くらい前か。

 あ、もしかして……」


 彼女がぽんと手を叩く。


「さては見た目が変わらないってことね?

 なんだ優希。

 お前、お世辞なんか言えるようになったのか。

 それにその呼び方と敬語。

 前までみたいに『那月おねえちゃあん』って、甘えてきてもいいんだぞ?」


 那月さんが悪戯っぽく笑った。


 時が流れても相変わらずの笑顔に、ドキッと胸が高鳴ってしまう。


「も、もう子どもじゃないんだから、そんなことしないですよ。

 からかわないでください」


 那月さんは俺より10歳ほど歳上だ。


 昔から俺のことを弟みたいに可愛がってくれるひとだったけれど、あれから5年経ったいまも、彼女にとって俺は変わらず弟のままらしい。


「あはは。

 悪い悪い。

 でもお前はまだ子どもだよ。

 だから叔父さんからお前たちのことは、しっかりと頼まれてある。

 これからは遠慮なくあたしを頼れ」


「なんかすみません。

 親父が色々迷惑かけちゃってるみたいで……」


「ん?

 ああ、優希それは違うぞ。

 いままで散々叔父さんに世話になって、迷惑を掛けてきたのはあたしのほうなんだ。

 だから今回のことは、ちょっとした恩返しだな」


 どうやら親父と那月さんの間には、これまで俺の知らないやり取りがあったようだ。


「それより優希。

 あたしには、そっちの美人の子を紹介してくれないの?

 隠して独り占めにしたいのはわかるけどさ」


「またそうやってからかう。

 じゃあ紹介しますね。

 ひと花、こちら秋山那月さん。

 俺の従姉で、フレンチの一流料理人だ」


 俺の後ろで那月さんとのやりとりを見ていた彼女が、前に歩みでる。


「冬月ひと花です。

 はじめまして。

 これから色々お世話になると思います。

 よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げたひと花に、那月さんが驚いた。


「はぁぁ……。

 これはまた、すごい美人じゃない。

 この歳でこれなら、将来はまさに傾国の美女って感じかしら。

 っと、秋山那月よ。

 叔父さんたちが不在の間、あたしが君たちの保護者代わりだから、困ったことがあれば、なんでも言ってくるといい」


 那月さんが差し出した手を、ひと花が握る。


「じゃあ早速お店のほうに向かおうか。

 準備は出来てるんだろ?

 場所は聞いてるから、ふたりとも車に乗りなさい」


「え?

 那月さん、上がって少しゆっくりしていけば……」


「いや、遠慮しておこう。

 時間は有意義に使いたい。

 なにせ有限なのに、お金を出しても買えないものだからな」


 そういえば彼女は昔からこんなひとで、慌ただしくあちらこちらを飛び回っている印象だった。


 自分の店を構えてからは、多少なり落ち着いたと親父から聞いたことがあるが、俺にはあんまり変わったようには見えない。


「ほら、なにをぼーっとしてる。

 いくぞ、ふたりとも」


 俺とひと花は那月さんの車に乗せてもらい、喫茶店へと向かった。

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