第6話 出立前夜、みんなで晩餐

 親父たちは明日の早朝に、ドバイへと出立する。


 親父、巴さん、冬月、あと俺の4人全員が揃う機会は、もうしばらくないだろう。


 というわけで、俺たちは自宅のダイニングテーブルで俺が作ったご馳走を囲み、晩餐していた。


「優希、これうまいな!

 アスパラとベーコンのこれ」


 親父が料理に舌鼓したつづみを打っている。


 それは、先日弁当に入れていたアスパラベーコン巻きとは、また違ったものだ。


 グラタン皿に程よい長さにカットしたアスパラとベーコン、とろけるチーズに黒胡椒を重ねていき、オーブントースターで焼いた料理なのである。


 こうすると、ビールなんかにぴったりの肴に仕上がるのだ。


「んく、んく、んく、……ぷはぁ!

 酒がうまい!

 優希ぃ、もう1本ビールくれー」


「へいへい」


「寛さん。

 明日は朝早いんだから、お酒はほどほどにしておいて下さいね」


「ははは。

 大丈夫ですよ、巴さん!

 俺はこのくらいで酔ったりしませんから。

 ……おっと」


 ほろ酔い気分で顔を赤くした親父が、豪語したそばからビールをこぼした。


「あらあら、まぁまぁ」


 巴さんは苦笑いをしながら、テーブルの酒を拭き、甲斐甲斐しく親父の世話をし始める。


「あ、いいですよ。

 俺が拭いておくんで、巴さんは食べていて下さい。

 あと親父。

 ちょっと酒のペースはやいんじゃないか?」


「ん?

 ああ、そうみたいだ。

 そろそろ酒はやめておこう。

 こんな賑やかな食卓は久しぶりなもんだから、ちょっとはしゃぎ過ぎたなぁ」


「うふふ。

 楽しいことはいいことよ。

 なんでしたら、もう少し飲んだら?」


「いや、もうやめとこう。

 巴さんは、俺のことは気にせず飲んで下さい」


「えっと……。

 じゃあ私は日本酒を少しだけ頂こうかしら。

 この小さなたけのこの酒蒸しが、すごく美味しくて日本酒に合いそうですから」


 料理を褒められて、俺は少し嬉しくなる。


「ああ、それは『姫たけのこ』ですよ。

 ちょうどいまが旬なんです。

 歯応えがシャキシャキしていて、美味しいでしょう?

 ……っと。

 はい、巴さん。

 日本酒どうぞ」


 一合徳利いちごうとっくりにパック酒をそそぎ、お猪口ちょこと一緒に手渡してから、酌をする。


 巴さんはにこにこの笑顔で、なみなみと酒の満ちたお猪口に唇を添えると、ぐいっと飲み干した。


 ◇


 和気藹々わきあいあいとした賑やかな時間が流れていく。


 けれどもさっきからひとりだけ、団欒だんらんに加わっていない者がいた。


 冬月ひと花だ。


 彼女は親父が話題を振る度にぎこちない愛想笑いを返しては、巴さんを困らせていた。


 これはおかしい。


 俺の知っている学校での冬月は、級友たちに話しかけられても朗らかな笑顔を返すし、いつも周囲に人集りのたえないクラスの人気者である。


 こんな風におどおどした風ではなく、いつも大人びた余裕の物腰のはずなのだ。


「……なぁ、冬月」


 不思議に思った俺はタイミングを見計らって、なんとなく話しかけてみた。


「――んぐっ⁉︎」


 ちょうどご飯を口に運んでいた彼女は、喉を詰まらせてむせ始める。


「け、けほっ!

 ……こほっ。

 ん、んん……。

 んんんっ!

 な、なな、何かしら春乃くん⁉︎」


 冬月がキョドりだした。


 少し吊り目がちだが、ぱっちりと開いた左右の目が、キョロキョロと部屋中をさ迷いだす。


 顔を赤くして、なにかを喋ろうとしているのか口をパクパクと開き、結局はなにもはなさずに唇をキュッと閉じる。


 お茶碗と箸を持つ両手が震えていた。


「い、いや。

 大したことじゃないんだけど、料理どうだ?

 口に合えばいいんだが」


「お、おい、美味……しい、わよ?

 でもそれがどうしたの。

 よ、用がそれだけなら、気安く話しかけないでくれる?」


「あ、ああ。

 す、すまん……」


 賑やかだった晩餐の席に、沈黙が流れた。


 親父はポケーッとしながら、巴さんは眉を顰めながら、彼女を見ている。


「あっ⁉︎

 い、いまのは……」


 冬月があわあわと両手を顔の前で振って、結局またなにも言葉にできず、顔を真っ赤にしてうつむいた。


「ちょっと、ひと花。

 その態度はなに?

 いくらこれから先、家族になる相手だからって、礼儀はわきまえなきゃダメでしょう」


「……は、春乃くんは。

 か、家族なんかじゃないもん」


「ひと花!」


 巴さんがテーブルを、ばんっと叩いた。


「優希くんに謝りなさい!」


「い、いやっ!

 いやよ!

 だ、だって家族じゃないもん!

 家族になっちゃったら、私たち付き合え――は⁉︎」


「なに?

 ちゃんとはっきり喋りなさい!」


「な、なんでもない!

 お母さんのバカっ!」


 荒い口調で冬月が席を立つ。


「ご、ご馳走さまでした!」


 そのまま乱暴にリビングの扉を開き、大きな足音を鳴らして、二階への階段を上がっていってしまった。


 バタンッと、彼女の部室のドアがしまる音が聞こえてくる。


 俺は呆気にとられながら、彼女を見送った。


「え、えっと……」


 なんというか、いつもの冬月と全然違う。


 というかなんだいまのは、語尾に『もん』ってつけてたぞ?


 いったいさっきのあいつは誰なんだよ!


 困惑していると、巴さんのため息が聞こえてきた。


「はぁぁ……。

 ごめんなさいね、優希くん。

 気を悪くしないで。

 どうもあの子、優希くんが一緒にいるとおかしくなっちゃうみたいねぇ」


「あ、いや、全然気にしてないです。

 冬月のやつも、急な生活環境の変化に戸惑ってるだけだと思いますし……」


「そうですよ、巴さん。

 どうせこいつが、学校か何処かでひと花ちゃんを怒らせるような真似をしたに決まってるんだから。

 まったく悪いやつめ」


「してねぇし!

 ……た、たぶん……」


「そんな、寛さん……。

 優希くんはとっても良い子じゃないですか。

 問題があるのは、ひと花のほうよ」


 なんだか晩餐を続けるという雰囲気でもなくなってしまった。


 こうして旅立ち前最後の親父たちとの食事は、微妙な歯切れの悪さを残しての幕引きとなった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その日の夜。


 出発の準備をすっかり終えた寛と巴が、寝室で話し合っていた。


「さっきは娘がごめんなさい。

 優希くん、嫌な気持ちになってないかしら」


「ははは。

 気にせずとも大丈夫ですよ。

 あいつは存外、神経が図太いんです」


 気に病む巴を安心させるように、寛が笑いかける。


 巴もぎこちなく微笑み返した。


「いやぁしかし、喫茶店の話をするタイミングを逃してしまったなぁ。

 夕食の席が落ち着いたら、ふたりに話すつもりだったんだが……」


 巴が昔から営んできた小さな喫茶店。


 実は寛と巴のふたりは、海外赴任中のそのお店の経営を優希とひと花に任せようと考えていた。


「そんな話を切り出す空気でも、なかったですもんねぇ。

 仕方ないわ。

 明日、うちを出る前に話しましょうか。

 ……あ、そうだわ」


 巴がパンッと手を合わせる。


「私、いいこと思いついちゃった!

 んふ♡

 ねぇ寛さん。

 ちょっと耳を貸して下さいな」


「なんだい、なんだい」


 もともと誰の聞く耳もない室内だというのに、ふたりは肩を寄せ合って、ごにょごにょと内緒話をする。


「……でしょう?

 だから、ふたりを仲良くさせるためには、……して、……して、……こうしたら、どうかしら?」


「ええ⁉︎

 だ、大丈夫ですかねぇ?

 優希はともかく、ひと花ちゃんが可哀想なんじゃあ……」


「……うふっ。

 あの子も大丈夫ですよぉ。

 これは帰国の楽しみが出来たわぁ。

 きっと帰ってきたら、優希くんとひと花、びっくりするくらい仲が良くなってるに違いないわね!」


「そ、そうですかねぇ……?」


 お茶目な笑顔をみせる巴と、ちょっと不安そうな寛。


 怪しげな相談をする親たちの出立前夜は、密やかに更けていった。

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