第13話 自己肯定感の高低と愚痴れる友人の有無

おそらくもう10年以上、新しい友人というものができていない。前の職場の同期は友人と言えなくもないが、それでもどちらかと言えば同期という感覚の方が強い。最後にできた友人は、大学時代だろうか。


10年以上、新しい友人ができていない。


改めてその事実を前にすると、やはりだいぶ寂しい気持ちになる。そして、その事実について深く考えてしまうと少しばかり高まり始めた私の自己肯定感が再び大きく引き下げられてしまいそうな気がする。


そして、私はあまり友達づきあいに積極的な方ではない。特に結婚してからというもの、友人と会う機会はめっきり減った。最後に会ったのは、夏前だっただろうか?


性格だろうか、飲みに行くといった明確な目的がない限りLINEでやり取りをすることもない。改めて考えると、妻を別とすれば、日常における私の人間関係は会社を媒介とした相手に限定されている。上司や同僚、取引先、外注先。それが日常における私の人間関係のすべてだ。


何故このような形で自分の今ある状況を再認識することになったのか。


それは、妻との会話がきっかけだった。HSPについてや、自己肯定感について話をしている際に、私と妻との大きな違いに行き着いた。


それは、端的に言えば愚痴れる友人の有無。


妻には、妻曰くではあるが、愚痴れる友人がいるそうだ。普段の妻との会話からして、私もそうなのだろうと思う。そして、妻曰く愚痴れる友人というのは、愚痴に対して無条件に同意してくれるような存在なのだという。愚痴ったことに対して、ただ不安にさせるだけの懸念・不安の表明や、しみったれた説教は必要ない。ただ同意や共感を示してくれる、そんな友人。


自分の愚痴を無条件に受け入れてくれる友人。それは、まさしく自己肯定感を高めることにつながるのだとこの時感じた。現に、妻が「私は自己肯定感が高いと思う」と言えるのは、そんな友人の存在も関係しているのではないかと。


そして、私は妻に対してこんな風に言った。


「あぁ、じゃあ俺みたいなのは一番ダメなタイプの友人だね。君が愚痴ったことに対して、すぐにあぁだこうだ言ってしまう。俺みたいなのが、人の自己肯定感を引き下げてしまうんだ…」


少し間をおいて、「そうかもね」と苦笑しながら妻は答えた。そして、こんな風に続けた。


「けれど、だからこそ私はあなたを選んだのかもしれない。確かに愚痴を聞いてくれる友達は私の自己肯定感を高めてくれるかもしれないけれど、そういった人たちだけに囲まれているのは危険だなとも思っている。だから、トランプで言えば、すごく言い方は悪いけれどあなたのような人を手札に加えておきたいと思ったのかもしれない。私とは対極の人だからこそね」


手札か。その発想はなかった。でも、どこか腑に落ちた気がする。私も無意識に、自分自身とは対極にいるような存在を求めたのかもしれない。


そして、妻曰く、まさに手札的な発想で自分の状況に合わせてその時その時で付き合う友人を変えているそうだ。もちろん、長く手札に加わっている友人もいるらしいが、入れ替わりもあるらしい。つまり、妻はそれほど頻繁ではないにしても、今なお新たな友人を作り続けている。


一方で、私は10年以上、新たな友人ができていない。そして、愚痴れるような友人もいない。愚痴れるのは妻ぐらいなもので、友人に愚痴るといった行為をそもそもしてこなかった。


またひとつ、自己肯定感の高い人間と低い人間、あるいはHSPではない人間と”かもしれない”人間の違いを知った気がする。


とはいえ、友人に愚痴るのも、新たな友人を作るのも、なかなかハードルの高い行為だ。とはいえ、それが自己肯定感を高めるきっかけになるのなら…。

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