第15話二人、計画

「……はかられたな」

「謀られたわねぇ」


 酒場の二階、旅人向けの客室。

 壊れかけのテーブルを挟んで向かい合ったホルンとミザロッソは、鏡合わせのように同じ表情を向け合っていた。

 頼りなく揺れるカンテラの灯りに照らされて、二人は揃って困惑顔だ。


「あのメイド、忠犬面してやってくれた。を予想していたってわけだ」


 汚い言葉を吐き捨てると、ホルンはジンの瓶を勢い良く呷る。


「どちらかと言うなら【期待】でしょうね」

 骨董めいたデザインの帽子をくるくると回しながら、ミザロッソはワイングラスを口に運んだ。「幾つかピースをばらまいて、どれかが填まればお慰みってところでしょう」


 ご愁傷さま、と気軽な言葉にホルンは大きなため息を吐いた。

 その身に纏っているのは、先代伯爵が好んで着用していたという時代がかった夜会服である。ジャケットも、ベストも、ステッキも帽子もブーツさえもが彼の物。

 上から下までぴっしりと先代の衣装で決めたホルンの姿は、村人たちに三年ぶりの再来を思わせるのに充分過ぎる演出効果を示した――恐らくは、ケテルの狙い通りに。


 そしてその結果、ホルンたちは城に戻る事も出来なくなった。既に日は落ちて久しく、森を抜けるには危険な刻限だったのだ。


 その間二人が何をしていたかというと、これがまたひどい時間だった。


「畑のもぐら退治に、逃げ出した猫の捜索。小麦粉の運搬に酒樽の整備……」

「単純な力仕事じゃない、楽なものでしょ。私なんか、まるで興味の無い刺繍やら庭弄りやら教わらされたのよ、それも三人!」

 赤ワインを豪快に呷ると、ミザロッソは盛大なため息を吐き出す。「……あぁ! がどれほど恋しかったか、アンタには解らないでしょうね!」

「そうらしいな」


 ホルンの手を遮り手酌で飲み始めた相方にため息を返しつつ、自身もジンをグラスに注ぐ。


 酒場の店主から連絡を受けたのだろう、殺到した村人たち。

 彼らが手土産代わりに持ち込んできたのは、切迫さの欠片もない日常的な問題の山だ――彼ら自身にとってもそれほど、重要な問題とも言えないくらいの些事、些事、些事。

 柔らかなクッションに身を埋めながら、ワインとキッシュをお供に据えられるのであればまあ、耐えられないこともないだろうが。


 あいにく、田舎の老人が出してくるのは精々が庭から摘んだハーブティーで、運が良ければレモネード。当然ながらクッキーなんてものは、出てこない。

 その上で延々と語られるのは、話しての気分次第で二転三転する些細ながらも根強い愚痴。全く、流し込むには酷く角張っている。


「……どうしてこう、老人って同じ話を何回も繰り返すのかしら?」

「わざとじゃあないってのがまた、迷惑だよな」

「自覚がない方が最悪でしょう? 自分の行動を精神が制御できないようでは、文化的な人間とは言い難いわ」

「辛辣だねぇ。俺もお前も、結局最後にはそうなるんだぜ」


 深刻さの欠片もない軽口の応酬は、余裕の現れでもある。

 ケテルが何を考えてホルンたちに村人お悩み相談を敢行させたかは知らないが、少なくとも対処可能な内容に過ぎない以上、こうして晩酌の肴にするくらいの精神的体力は残っていた。

 だが逆にいえば、彼女の考えは何一つとして理解できないということでもある。そのことだけは二人の喉に深々と刺さる小骨であった。


「……彼女は、味方だと思うか?」

「今のところはね」


 重大な根本条件に対する問い掛けに、ミザロッソは重々しく頷いた。


「少なくともあの子には、『嘘を吐く』機能は搭載されていないと思うわ。でなければ、こんな回りくどい真似はしないでしょう」


 それに関しては、ホルンとしても同意見だ。

 もしもケテルが何らかの、悪意をもってホルンたちを妨害するつもりならば、このやり方は迂遠に過ぎる。

 魔術師の作品に有りがちな安全機構を考慮すれば直接的に主人を、詰まりはミザロッソを害するような行動はとれないだろう。だから寝床を狙わず、自分達を村に送り出すのは大いに理に敵う。

 だが、その際に先代の衣服を着させる必要はないし、その結果ホルンたちが受けたのは危害ではなく、田舎らしい歓待と通過儀礼の機会だ――余所者から話せる隣人になるには、都会では考えられないほどの壮大な努力が必要になるのである。

 そして上手く共同体に入り込めれば、あの暗号めいた最終試験も目処がついてくる。


 詰まり現状、ケテルの些細な気配りはホルンたちの邪魔にはなっていない。援護射撃と呼べるかどうかは、微妙なところであるが。


「ケテルにも制約があるかもしれないわね、あまり積極的に後継者を手伝ってはいけないとか、そういうの」

「試験の公平性か、ま、あり得る話だな」


 そもそも試験の目的は、後継者がケテルをするにたる人格者かどうかを見極めることにある。それをケテルが手伝っては本末転倒だろう。

 いや、手伝うくらいに信頼関係が育まれていれば、試験など行う必要もないだろうけれど。


「とはいえ悪印象は持たれていない、と思うから……これは、精一杯の手伝いと思って間違いないでしょうね」

「村人の悩み相談が、証の獲得に繋がるってわけか」


 相変わらず暗号は意味不明だが、該当する相手が何か証となるものを持っていると想像はできる。

 そして暗号にするということは、逆説的にそうしなければ簡単に解ってしまうということでもある。

 単純に名前を知らせれば、恐らく試験にもならないくらい速やかに証を獲得することができてしまうのだろう。

 だとするなら、それほどまでに安易に接触できる相手といえば、この片田舎においては村人以外には思い当たらない。

 到着初日の歓迎振りを思い出せば、彼らと先代の関係性は極めて友好的だったのだろうと想像がつくというものだ。


「村人の中に多分、伯爵から言い含められたがいるんだろう。細かな相談をこなしつつ、ある程度信頼が得られたら彼らが難題を持ち込んでくるって訳だ」

「大人しく従うつもり?」


 長期戦だなと嘯いたホルンに、ミザロッソが呆れ声を上げる。

 それにまさかと首を振りながら、ホルンはにやりと悪役の笑みを浮かべる。


「老人からのお小遣いで城を買うつもりはないさ、それほど悠長な真似はできない」


 時間を掛けすぎて首都から調査が入っても困る。そもそも、伯爵の財産相続には時間制限がついているのだし。


「だから先ずは、を潰していこう」

「……どういうこと? アンタまさか、あれだけ回りくどいこと言いながら、暗号がもう解けてる訳じゃあないでしょうね?」

「いやいや。だが、気になるワードはあるさ――【神罰の担い手】ってとこだ」


 ある意味で、これほど判りやすい文言も珍しいだろう――いみじくも神の名を冠するのだから、神の家を探さない手はない。取っ掛かりとしては充分だ。


「教会に行ってみよう。神罰だなんて大層な言葉使う連中に、心当たりが他にあるんなら別だけどな?」

「……そうね、領主の後継としては、地域の教会に顔を出すのは不自然でもないわね」


 宗教と政治とは正しく腐れ縁、切っても切れない間柄だ。

 統治者にとって何よりも重要なことは、民衆の不満をコントロールすることだ。

 正しい政策をどれだけ打ち出したとしても、文句を言う奴は絶対に現れる。その文句を抑制することが、優れた政治家の条件である。

 適度なガス抜きと、目を逸らす餌。

 来世への希望はその中でも安易に用いられやすい、鼻先のニンジンだろう。だから貴族、わけてもこうした田舎の領主ほど教会とは、懇意であろうとするものである。

 寄付や祭事の出資と引き替えに、彼らは領主のことを神を信じる同胞、かつ最も熱心な信徒として村人たちに紹介するのである。


「出来れば向こうの挨拶を待ちたいところだけど……この際、贅沢は言ってられないわね」

「そういうこと。呼べるほど家も片付いてないしな」

 ホルンは皮肉げに笑った。「あんな状況で呼び込んだら、無断で寄付を持ち出されそうだ」

「あら、彼らの行動に無断なんて言葉はないわよ。すべからく、神の御意志に従っているんだから」


 ホルンに負けず劣らずの口振りだった。

 ミザロッソも、さすがに魔女と呼ばれるだけあってか、教会には思うところがあるようだ。


 だがこの際、個人的な好き嫌いは無視しておくべきだろう。先にも言ったが彼らは厄介な点もあるが、基本的には円滑な統治に欠かせないシステムの一つなのだから。

 そして何より、今回の件では文字通り鍵を握っているだろう。


 大まかに予定を決めると、ミザロッソは立ち上がった。ワイン瓶の残った量を考えれば驚くほど確りとした足取りで、彼女は真っ直ぐ部屋の出口に向かう。


「何だ、寝ないのか?」

「寝るわよ。隣の部屋でね」

「別に気を使わなくてもここで寝れば良いだろ? ベッドは一つだが、俺たちはその、婚約者なんだし」

「…………」

「そんな目で見るなよ……」


 ただの冗談さ、と。

 さんざん飲ませた相手がだった時みたいな、ゴミを見るようなミザロッソの視線に、ホルンは直ぐに降参した。

 言われるまでもなく二人の婚約は偽装だし、そもそも貴族同士の婚約で有る限りは、正式な結婚前のそうした『営み』はけして歓迎されないものである。


「お楽しみは無し、野暮な想像される真似も無し、だろ?」

「そういうこと。頭だけでも理解してくれているようで嬉しいわ」


 暗に、全く信頼していないと告げながら、ミザロッソは部屋を出る。

 そのドアが閉まる寸前。


「もしも馬鹿な真似をしたら一生不能にしてやるわよ」

「……最悪なおやすみグッドナイトだな」


 驚くほど無慈悲に閉じたドアを呆然と眺めながら、ホルンは深々とため息をついた。無理だとは思っていたが、少し、ほんの少し位は期待していたのだが。


 まあ、仕方がない。


 夜這いなどかけようものなら、宣言通りの結末が待っているだろう。それに後々のことを思えば、後ろ指を指される可能性は摘んでおくに越したことはない。

 貴族の真似をするからには、貴族らしくしなくてはならない。ジンの力を借りながら、瓶を抱いて寂しい夜を過ごすことになるだろう――少なくとも、今夜のところは。

 まだ時間はある。

 全てが上手くいく頃にはもう、ミザロッソだって少しは絆されているに違いない。いや、そうさせて見せるとも。


「とにかく、明日は教会からだな」


 教会へ向かい、証とあわよくば他の三つの言葉に関する情報を入手する。

 まだ見ぬ幸せな未来のためには、それしかないだろう。一先ずはできる男であらねばならない、それも、紳士的な態度で。


 謎めいた厄介の行く末に光明を見出だして、ホルンは間も無く、酷く安らかな眠りに落ちていった。


 だが。

 その未来への第一歩は、踏み出す前から狂わされる事になる――酒を飲んだ次の日にしては早すぎる時間、ドアが何度も何度も騒々しく叩かれる音に起こされた瞬間に。

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