【叛 雨 伝】 はんうでん(青春歴史大河文芸ロマン・家康長女「亀姫」の愛と叛心)

嵯峨嶋 掌

序  章  (慈雨 Ⅰ)

 兄の凛々りりしい姿が忽然こつぜんと夢の中に浮かんだ翌朝は、たいてい雨になった。

 すぐにむ夕立のような雨のときもあったし、じめじめと降ることもある。たとえ降らずとも、ひたひたと忍び来る湿り気を含んだ雨足のけだるい気配だけが、いつまでもどこまでも、脳裡のうりに焼き付いて離れない。


 摩利支天まりしてんにも似たり・・・・などと、父たちは兄のことを評していたけれど、記憶の奥底に息づいている兄は、この乱世には珍しく、はにかんだみがよく似合うやさしい風貌かおのままであった。


『……茶屋ちゃやが、銀細工の手鏡を贈ってきたぞ!京では、このようなものが評判らしい!……この南蛮菓子なるものは、まことに甘い


 季節の変わり目ごとに届く京の商人、茶屋四郎次郎しろうじろうどのからの贈り物は珍しい品々ばかりで、紅小物、からくり時計や刺繍ししゅうが施された革手袋などを目をしばたいて眺めているわたしの姿を、兄は面白がっていたようだ。


、おまえ、もう女に、なったのか?』


 そんなことばが兄の口から飛び出たのは、いつのことだったろうか。最初、何を云われているのか、皆目わからなかった。たしか馬上であったはずだ。供奉ぐぶの者らを振り切り、兄の背にしがみついていた。ひずめの音が風に消され、耳朶じだになにかがねっとりとまとわりついたような気がした。


は、とつぎのわざを教わったか?』


 兄より一つ年下のわたしは、十三を過ぎて初潮を迎え、殿方とのがたとのねやごとの手順というものを、繰り返し侍女じじょから教え込まれていた。〈とつぎのわざ〉とは、交合まぐわいのことで、これが転じて〈嫁ぐ〉という意味になったのだろうか。

 それだけでなく、親元を離れ、嫁として敵陣に乗り込む覚悟というものを何度も云い聴かされた。たとえば、とついだのちも、わが目と耳で得た情報は、逐一ちくいちふみにてしらせるべし、といったようなもので、そのおりの言詞ことばの選び方や密偵とのの方法も事細かく教えられた。

 ひとかどの武家のもとに産まれた女人には当然のことで、兄嫁もまたきずなつなぎの名目として、はるばる尾張おわりの織田家から岡崎の城へやってきたのだ。兄嫁は、かの織田信長様のご息女である。


、来いや!』


 手綱たづなをしぼり馬をとめた兄は、ひょいと地に飛び降りた。突き出された兄の両の手にそのまま体をあずけた。

 このように供奉衆ぐぶしゅうの目を逃れ、二人きりで城の外へ逃れることはたびたびで、厳重なまでの護衛を極度に嫌う兄の悪戯心いたずらごころのようなものだった。周囲をことさらに驚かせてやろうという茶目っ気たっぷりの言動は、ときに傲岸不遜ごうがんふそんに映った者もいたに違いない。

 このような日頃の兄の挙措きょそには、なにかと誤解を招くことも多かったけれど、それは心の深奥しんおう吐露とろできない日々の緊張の裏返しのようなものであったろうか。


『三郎あにさまが、遠乗りに連れ出してくれるのは、とても嬉しいよ』


 これは兄への礼儀というもので、わたしなりの想いを添えたことばだ。

 三郎とは、兄の名で、岡崎三郎とばれていた。

 わたしたちの祖父も曾祖父も、三郎を名乗っていた。さぶらふ、ということばが元々の意味であることを教えてくれたのは、ほかでもない兄であった。〈侍ふ〉とは、貴人に仕える者という意味であるらしい。

 もっともその頃には、兄には新しい名があった。岡崎三郎信康のぶやす、徳川信康・・・

 わたしたち兄妹の父は、徳川家康である。

 

 兄、三郎は永禄二年に産まれた。翌年に産まれたわたしは、〈亀〉と名づけられた。

 わたしたちは物心つく前に、一度、父からてられたことがある。兄が二歳、わたしが一歳のときである。

 今川家で人質生活を過ごし、駿府すんぷ元服げんぷくした父(当時は松平元康という名であった)は、今川家の縁戚にあたる関口義広さまの姫、瀬名せなめとった。今川義元公の姪にあたる瀬名姫こそ、わたしたちの母である。

 もっともいまは、母は築山殿つきやまどのとよばれている。岡崎城内に土を盛りその庭園に屋敷を建ててんでいたからだ。


 わたしが産まれた年、永禄三年は天変地異とでも形容すべき事変が起こった。

 五月、桶狭間おけはざまの地で今川義元公が信長様の奇襲にい、斬殺されてしまったのだ。

 このとき父は、わたしたちがいた駿府すんぷには戻っては来なかった。そのまま父祖伝来の地、岡崎城へ入ったそうである。

 父が十九歳のときである。

 戦国の世のならわしでは、その行為は敵前逃亡であり、軍規違犯であり、今川家に対する裏切りである。そうして、わたしたちへの訣別けつべつを意味していたはずである。

 駿府に残されたわたしたちは、即時処刑されたとしても仕方なかったのだから。

 けれど父は、わたしたちを棄てることを迷うことなく決断したのだ。もっとも、のちに双方の人質交換によって、母とわたしたち兄妹三人は救出されたのだけれど、物心ついて一連の経緯いきさつを知ったとき、涙がとめどなくあふれ出た。耳の奥底でおそろしいむしどもが暴れ息巻いているようにも思われてきて、数日の間、激しい耳鳴りと頭痛にさいなまれた。


(・・・父は、わたしたちを、見殺しにする道を選んだ・・・)


 べつに父のことを怨むとかおそれるといった単純なことばで表されることではない。むしろ、兄三郎の胸裡きょうりに渦巻いているかもしれない黒いほのおを想像するにつけ居たたまれない歯痒はがゆさにかられた。

 黒い焔のことは、ただの妄想かもしれない。けれど嫡男として産まれた兄は、過去のこのような経緯をどのように見つめ、どのように処理してきたのだろう。そのことを察するたびに、兄のこころの奥底深く刻まれたにちがいない亀裂の大きさに思いをせずにはいられなかった。

 このような共通の体験が、兄の存在というものを、より特別で、そうしてより複雑にさせていたのかもしれない。


 今川家からの独立を果たした父は、信長様と盟約した。

 永禄九年十二月、従五位下じゅごいのげ徳川三河守みかわのかみの叙任を受けた父は、二十五歳になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る