ふたつの空

※もしも、過去の穹と今の穹が出会ったら……というIFストーリーです。










 よく晴れて、風も心地よく、空の青色もいつもより色鮮やかに映る。今日という日は穹にとって、実に好きな天気だった。なのでお気に入りの本を持って外に出て、川原沿いの芝生に腰掛けて読書をすることにした。


 ぽかぽかと温かな日差しに包まれながら、川のせせらぎの音を背景音楽に、春風を感じつつ本のページを捲る。


 そんな、いつもよりも心地よいと思える読書時間を味わっていたとき、背後から「こんにちは」と声をかけられた。


 内容に夢中になっていたため、その挨拶は意識の中に突然飛び込んで来たものだった。

 よって、不意打ちにうわあ、と情けなく声を上げてしまいながら後ろを向いた瞬間、体が硬直した。目を見開いたまま、瞬きすることができなくなった。


 そこには、少年が立っていた。自分と同じくらいの背丈、自分と同じくらいの年齢、自分と同じ癖のない黒い髪に黒い目。お世辞にも男前とは言えず穹はあまり気に入っていない、中性的な顔立ち。


 穹と全く同じ姿をした少年は、穹と全く同じ声で、言った。


「こんにちは。過去の僕、だよね?」


 鏡に映したように自分とそっくりな少年は、もうだいぶ暖かいというのに、青いアーガイル柄のセーターという、秋から冬の装いをしていた。

 どこか暑そうに苦笑いしながら、少年は、自分は未来から来た穹なのだと名乗った。


「ハルさんが時間転移装置を作ってね。でも、機能がまだ不完全で、一回しか往復できないって。誰が行くかってなって皆でじゃんけんして、僕が勝って。それで、この時代に来たんだ」


 穹と名乗った少年は、自分が最近知り合ったばかりの、宇宙から来た異形のロボットの名前を出した。だからこそ、の体は更に強ばった。


「それ以上近寄らないでっ!」

「え、ええっ?!」


 穹は立ち上がり、後ずさった。一気に距離を取ると、少年のほうはあわあわと両手を宙にさ迷わせ始めた。自分がよくやる癖もものにしているとは。本をしっかりと抱きしめ、きっと真正面から睨み付ける。


「待って待って違う違う! 僕はそんな、怪しい奴なんかじゃないよ!」

「悪いけど全然信じられないよ! さ、最近あれだもの、なんかわけのわからないことに巻き込まれたばかりだしさ! ダ、ダークマター、とか襲ってくるようになって……。……ダークマターって何……? 単語は凄い格好いいのに……」

「あー、この辺の時系列の僕か……。改めて見てみると、ずっと昔のことのように思うなあ……」


 どういうわけだか、ふいに少年は懐かしむように、柔らかく笑ってきた。一人笑う少年に拍子抜けしてしまうが、いやいやと気持ちを引き締め直す。


「とっ、とにかく!いきなり未来の自分って言われても信じないからね! なっ、何かの罠かもしれないじゃないか、っていうかそっちの可能性のほうが大きいじゃないか……!」

「う、うーん。さすが僕、頑なだなあ」


 困ったように眉を下げて肩を落とす少年は、依然として、自分は未来から来た穹だと主張している。また一歩後ずさると、何かを考え込むように少年は腕を組んだ。


「……わかった。じゃあ、君の悩みを当ててみせるよ」

「悩み……?」

「……“自分は、透明人間なんじゃないか”ってこと」


 一つの間が置かれた後、少年が一つ一つ、ゆっくり確かめるように言った言葉。


 穹の体が、少年と遭遇したときとは違った衝撃で、一気に固まった。


 両目も口も開かれる。開かれた箇所に向かって空気が流れ込んできて、体の中が乾いていく。なのに、目も口も閉じられない。かろうじて、「なんで」と掠れた声を絞り出す。


「それ、を……」

「うん、驚くよね。だって、今まで誰にも言ってこなかったんだから。父さんにも、母さんにも、じいちゃんにも……姉ちゃんにも。

中学に上がったばかりで、それまでと全然環境が変わっちゃって、小学校の時の友達とは皆クラス分かれちゃって、周りは皆知らない子ばかりで。ぼやぼやしているうちに、いつの間にか周り皆友達作っちゃってて。

クラスではグループがそこかしこに出来ちゃうし、分かれた友達も、皆会いに来ないし。でもだからといって、話しかけるのも会いに行くのも、怖いって思ってしまう」

「……どう、して」


 緊張は緩まなかった。むしろより一層、強まった。それ程、少年の言った事は、今の自分の状況に寸分狂い無く当て嵌まっていたからだ。

 中学に上がった穹は、明らかに出遅れてしまった。端的に言うなら、入学から二ヶ月弱経つのに、未だにクラスに馴染めていなかった。


 日常会話で話しかけられないのは当たり前のこと。事務的な連絡の時でさえも、「そこの人」や「そこの子」と呼ばれるか、よくて間違った名字で呼ばれる。挨拶されたことも数えるほどしかない。


 自分を置いて回る世界を、教室の隅から眺めていると、否が応でも、考えてしまう。自分は他の人に、見えない存在なのではないかと。


 ひとえに、自分に勇気が無いから、だから透明人間なのだと。ふとした拍子に、そう思うことがあるのだ。


 わかるよ、と少年は言った。寂しそうな瞳で笑っていた。穹の心の内を全て見通すように、頷く。


「だって僕自身のことだもの。ちゃんとわかる」

「……」


 穹は、また後ずさった。このまま駆けだして、この場から逃げ去ってしまおうかと考えていた。こんな、ただ自分にそっくりなだけの少年に、一体何がわかるのだろうかと思った。

 地面を蹴ろうと足に力を入れたとき、少年が真顔になった。


「……あのね。昔の僕はこんなこと言われても到底受け入れられないだろうし、そもそも君は僕のことを信じていないけど……それでも、これだけは伝えておきたいって思うから。聞いてくれるかな」


 少年の目が、こちらを捉える。自分と同じ形、同じ色をした目は、一つだけ自分と違う箇所があった。自分のものとは思えない程、真っ直ぐな瞳をしていた。

 自分はこんな、真っ直ぐな瞳を宿すことなど出来ない。射貫かれて縫い付けられるような瞳。だからだろうか。穹はそれ以上、動くことが出来なくなった。


 すう、と少年が息を飲む音が小さく聞こえてきた。


「君は、透明人間じゃない。君には……僕には、僕だけの色がある。その色は、他の人達には、もしかしたら見えないものかもしれない。けど、間違いなく、僕の色が見える人達は、存在する。その人達のことを、大切にして。自分の持つ色を、信じてね。自分の色は、ちゃんと見えるものだって」


 一音一音、はっきり聞こえてきたのは、少年が意識してそういう風に台詞を声に乗せたからだろうか。それとも、自分がその台詞に、耳を傾けたまま、じっと聞いてしまったからだろうか。


 何も返さず、ただ口を閉ざしていると、ふっと無表情だった少年の顔が緩んだ。困ったような、けれども穹の反応を半ば予想していたと言いたそうな、そんな笑み。


「ま、まあ、信じられないよね。でも、今は信じられなくても……。……ちゃんと、この事実に気づかせてくる人と出会うからさ。その時が来たら、嫌でも理解するよ。……いずれ、そう遠くない未来にね」


 少年の目線が、わずかに上がった。穹よりも後ろにあって、穹よりも上にあるもの。青空を眺める少年の目は、青空を眺めているにしては、とても遠い場所を見ているように思えた。


「……そうなんだ」


 何かを確かめるように胸の辺りを手で触る少年のことを、穹はどこか冷めた思いで眺めていた。


 どうしてわかるのだろうか、と思う。

 透明人間では無い。そう言えるのは、自分が透明人間だと感じたことのない人だけだろう。

 なのに、なぜわかるのだろうか。


「……ありがとう、ございます。……一応」


 とはいえ、少なくとも相手が穹のことを気遣ってくれたのは間違いない。そのお礼はちゃんと伝えなくてはならない。なので小さく謝意を述べて、浅く頭を下げた。


「あ、あはは、凄い警戒心剥き出しの目……。……でも、どういたしまして」

「……本当に、いるの。僕の色が見える人とか……」


 少年の言葉を信じたわけではない。けれども、気になったのだ。


 自分の色はちゃんとあるのだと、自分の色が見える存在はちゃんといるのだと。そんな、今の穹にとって、果てしなく高い場所にあるようなことを気づかせてくれる人が、本当にいるのだろうかと。


「いるよ」


 少年の眼差しは優しかった。


「僕にとって、とても大切なものだ。その大切だと思う心そのものも大切だと思えるほどには、僕はその人達のことが大好きなんだ。僕の色を知る人は、僕にとって、そう思える相手だよ」

「その、気づかせてくれるっていう人も?」

は屑だよ」

「へ」


 笑顔だった少年から笑みが消えた。というより感情そのものが消え失せた。


「なんか、視界に入れるだけで勝手にはらわたが煮えくりかえってくるし、辞書ぶつけたくてたまらなくなるし、言葉を交わしてるとああ僕今物凄く口悪くなってるなってわかるけどまっっったく罪悪感湧かないし、ぶん殴ってやろうかって本気で考えることがあるし、体の全細胞が拒絶してますって感じだし、なんかもう、平たく言うならそういう人間性持ってる人だからね、うん」

「え、え、え……?」

「あと気づかせてくれるなんてものじゃないから。そんな優しいことされなかったから。無理矢理気づかされたって感じだから。そこ間違わないでね」

「えええ……???」


 さらさら~と流れる水のように次々と少年の口から放たれた言葉は、聞き取れるものだったのに、全然理解が出来なかった。

 しかしふいに、少年の感情のかの字も見せない両目が伏せられた。


「けど、そんな相手でも……。いや、だからこそ……向き合わなきゃいけないんだ。だってあの人がいなかったら、僕は今頃……」

「えっ……?」

「……目を逸らしてたら、いつまで経っても超えられないから」


 目は下を向いている。なのではっきりとは見えない。それでもはっきりと、鋭い目をしていることがわかった。近寄りがたさを覚えるような、誰も寄せ付けないような鋭い目。


 穹は、浮かんだ言葉を、少年にかけるかどうか迷った。鋭い眼差しでやはりここではないどこかを見ているような少年を怖いと思ったからではない。

 今の状態の少年に声をかけるという行為が、前へと歩んでいる人の道を塞いで邪魔をするような、そんな妨害行為の類いに思えてならなかったのだ。


「……あの」


 それでも、言わないと後悔するのではないかと思った。言わなくてはいけないと思った。控えめに声をかけたら、どうしたの、と少年は穏やかに問いかけてきた。


「……頑張って、ね」


 ぱち、と少年が不思議そうに瞬きをした。


「なんだかよくわからないけど……君が、凄く頑張りたいことがあるんだなってことは、伝わった。だから、君の正体のことは置いておいて、応援したいなって、素直にそう思った。だから、頑張って」


 思っていたよりも、すんなりと自分の伝えたい事を口に出すことが出来た。普通なら初対面の相手、それも怪しいと感じる相手にここまでなど決して出来ないことだ。


 それはやはり、相手が「自分」だからなのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら少年の反応を見れば、少年はもう一度瞬きした後、大きく深く、頭を縦に振った。


「その応援、伝わったよ! ありがとう!」


 少年は──という少年は、心臓のある辺りを、片手で叩いた。


「もちろん君のことも、僕は応援しているよ。この先、どうしようもなく辛いことがあった時は……自分の心の声を、ちゃんと聞いてね」


 にっこりと、笑いかけられる。気がつけば、うん、と頷いていた。そして、笑っていた。


 つられてしまったのだろう。流されやすい自分らしい。けれど不思議と、悪い気持ちはしなかった。


 頭上を見上げると、春の顔をした蒼穹が、どこまでも高く続いていた。




 今日はとても、良い天気だ。二人のは、そう思った。

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