四 死の欲動←→生の欲動

第33話

 公彦は愕然としていた。目の前にいる男は本当に共に戦った同志なのか、と。

 かつて程は安息日が重要視されていないからか、日曜日でも構わずアノミアは決まった時間に訪れる。

 その直前、昨日アノミアに何故か現れなかった宗則の様子を見るため、公彦は彼の家に押し入った。

 そこで見たのは、アノミアに連なる記憶を全て失い、数年前まで派遣社員として働いていた記憶を利用され、アフェシス派によって用意された環境に飼い殺されようとしていた彼の姿だった。

 だから公彦は、記憶が改竄され、自分を単なる知り合いとしか見ていない彼をアノミアに引きずり込んだ。全てを思い出させるために。

 果たして彼は、使徒の力こそ失ったままだったが、記憶は取り戻せたようだった。

 公彦は、全てを忘れていた事実に少しの間自失していた彼を促して教会に向かい、その聖堂でユダを前に疑似アノミアでの戦いの一部始終を語らせた。

 彼からその力を消し去った使徒に至るまで逐一。


「成程、それは厄介な力ですね」


 しかし、言葉とは裏腹にユダはさして興味なさそうに、力なく項垂れる宗則を冷たく見下ろしていた。

 何故、そんなにも冷静でいられるのか。

 公彦は強い疑問を抱いた。

 厄介どころの話ではない。クリストイ派の計画に対する大きな障害になる可能性が高いだろうに。


「ユダ様。宗則が力を失った今、奴等はその力を頼みにして攻めてくる可能性が――」

「その程度で『熾天』の使徒たる私に敵うとでも?」

「それは……ですが――」


 その情報に動じていないのは己の強さ故か。

 しかし、公彦はユダの力を一度も見たことがなかった。

 ただ『熾天』に属する、という事実があるだけだ。

 今更ながらに、その強さに不審を抱いてしまう。


「分かりました。私の力、見せて差し上げましょう」


 そんな公彦の心を見抜いたように冷酷な響きを持った言葉が発せられ、それと同時に彼の右手が掲げられる。その掌が向けられた先には宗則の姿。


「聖槍、肉の檻を破壊せよ」


 その言葉の意味を理解するよりも早く、彼の腕から禍々しいまでの黒で塗り固められた槍が生じ飛翔する。それは一直線に宗則の胸部に吸い込まれ、彼は一瞬にして砕け散ってしまった。

 砕ける直前に見えた彼の顔には、ただ驚愕だけが浮かんでいた。


「私の力は魂の破壊。かの救い主を肉の檻から解放したとされる槍を模したる力。それに僅かでも触れれば、魂は粉々に砕かれます」


 淡々と何事もなかったかのように語るユダに、得体の知れない畏れを抱く。

 位階が違うとは、何も力のことだけではないのかもしれない。


「な、何故、こんな……」

「役に立たない者を残しておいても意味がありません。一足早く、救いを与えただけのことです」


 確かにクリストイ派の最終的な目標は全存在に、そして、世界そのものに死を与えることであるし、それを救いと捉えるのは教義として正しくない訳ではない。

 だが、ほとんどの使徒はその救いを実現するために尽力し、最後の審判の場に立ち会うことを望んでいる。特に宗則はそれを強く願っていた。

 仲間意識、という程の強い感情を公彦は彼に対して持っていなかった。

 が、短くない時間を共に戦ってきた仲だ。

 さすがにこんな形で無意味に殺されては納得できない。

 死を受け入れる気持ちはあるが、それは目的の礎になるという前提があってのことだ。

 それにユダの主張も正直疑わしい。

 確かに彼の力は公彦が知るどの使徒よりも遥かに強力そうではあったが、そもそも力を無効化してしまうらしい、かの使徒にはその力でも通用しないのではないか。


 話は終わったとばかりに司祭室に戻るユダ。

 その背中を呆然と見送りながら、公彦は床に転がる宗則の魂の欠片を手に取った。

 本来、タナトス以外の要因で魂を砕かれた場合、それは即座に世界へと還元される。

 だが、デュナミスを保管するための機能を備えた教会の中ではこれも保たれるようだ。

 デュナミスとはクリストイ派の目的に必要不可欠なもの。

 これによって世界を死へと転倒させ、世界自体のデストルドーを現実化させるのだ。

 この状態を反定立宇宙と言う。擬似アノミアを人間の手で生み出すようなものだ。


 それを単に生じさせるだけなら方法は簡単だ。

 デュナミスを使徒が自らの胸に突き刺すこと。それによって自分自身のデストルドーと世界のデストルドーが共鳴し、それが現実化した存在、エネルゲイアが生じる。

 ただし、その場にあるデュナミスの量によってその強度は異なる。

 かつて何度か反定立宇宙は世界に顕現したが、デュナミスが絶対的に少なかったためにアフェシス派に阻止されたらしい。それでも多くの損害を与えたそうだが。


「もしかしたら――」


 この欠片でも同じことができるのではないだろうか。公彦は虹色の輝きを放つそれを眺めながら、そんなことを考えていた。

 これまでクリストイ派の教会の中で処刑が行われた例は数少ないし、何よりそれによって生じた魂の欠片がデュナミスとして機能するかを実験した者はいない。

 いや、いたのかもしれないが、少なくとも記録に残ってはいない。

 デュナミスを使用した者は世界のデストルドーと一体になってエネルゲイアと化し、自我を失う。

 そしてエネルゲイアは己の力を増すために周囲の存在を取り込み続ける。

 つまり、実験をしても記録する者諸共取り込まれるだけだ。


「しかし――」


 デュナミスの使用は禁止されている。

 自我を失う程度のことをクリストイ派の使徒は恐れなどしないが、アフェシス派に阻止され、デュナミスを無意味に消費してしまっては最終目的の遅延に繋がる。

 失敗の過程で生贄として取り込まれる一般人にも、アノミアでタナトスに殺され、デュナミスと化す、という重要な役割がある。無駄に浪費すべきではない。

 慎重に、そして、確実にデュナミスを集めるのが現在のクリストイ派の方針なのだ。

 だが、今回ばかりはそうも言っていられない。公彦はそう思っていた。

 ユダは楽観視しているが、かの存在は目的を果たす上で最大の障害になりかねない。

 ならば、今の内に自己を犠牲にしてでもその芽を摘むべきだ。

 それは確かに目的の礎となるだろうし、この欠片でそれをなせれば、宗則の死にも意味が生まれる。

 そう考え、公彦は手の中の欠片をしばらくの間見詰めた。

 そして、未だに僅かばかり残っていたらしい死への恐怖を振り払うように息を吐き……。

 彼はそれを勢いよく胸に突き刺したのだった。

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