第26話

 果たして彼は、その姿を現した。

 風を操る力を持つスキンヘッドの偉丈夫、佐川宗則。

 彼の力が晶の火球をあらぬ方向へ吹き飛ばしたのだ。

 あの日とは異なり、彼は黒衣を身にまとっておらず、グレーのスーツ姿だった。

 が、筋骨隆々とした体格のせいで恐ろしく不釣合いだった。

 普段なら笑ってしまいそうなアンバランスさだったが、この状況ではそれも脅威の証に他ならない。


「朔耶。お前はタナトスを倒せ。そして、千影のデュナミスを取り戻すのだ。私は、奴を食い止める!」

「は、はい! お願いします。晶先輩!」


 使徒相手では確実に足手まといになる。

 適材適所などという大層なものではなく、それ以外に選択肢はない。

 だから、朔耶は躊躇わずにタナトスへと一直線に走り出した。


「止揚転身!」


 そして、力の限り叫ぶ。力を発現させるキーとなる言葉を。

 瞬間、銀色の衝撃波が周囲に広がり、朔耶は白銀の装甲に覆われた姿となった。


「させん!」


 低く響く声は宗則のもの。

 彼は可視の風を頭上に渦巻かせ、それを朔耶へと解き放とうとしていた。


「お前の相手は私だ! ブレイズガトリング!」


 晶がそう叫ぶと、再び彼女の周囲に舞い上がった炎が無数に分離した。

 そして、弾丸のように急激に細く研ぎ澄まされた炎が宗則を狙う。

 しかし、彼の元に蓄えられた風が向きを持ち、幾重に重ねられた弾幕は全て吹き払われてしまった。

 それでもそのおかげで宗則からの攻撃はなく、朔耶は無事にタナトスに辿り着くことができた。

 だが、晶と宗則の力の激突によって朔耶達に気づいたらしい。

 それはこの場から逃げ去ろうとしていた。

 デュナミスを求める本能を抑えて、逃げを打つということは、それなりの知性を得たということか。


「逃がすか!」


 力を解放したことによって増した速度で回り込んでその逃げ道を塞ぐ。


「千影の魂。返して貰うぞ」


 近くで見ると三メートル程もあろうかという巨大なタナトスの前に立ちはだかり、力と意思を込めた声で告げて構えを取る。何度も繰り返し見たジン・ヴェルトの主人公と同じ構えを。

 タナトスは苛立ったように奇怪な叫び声を上げると、その巨躯からは想像できない速さで間合いを詰めてくる。そして、その人間程の大きさもある歪な腕を勢いよく振り下ろしてきた。

 まだ戦闘に慣れていない朔耶は、それを必要以上に大きく距離を取って避けた。はずだったが、むしろ適切な回避だったらしかった。

 地面を襲ったその一撃はアスファルトが容易く抉り、想像以上の大穴を開けている。最小限の動きで避けていたなら、足を取られていただろう。


「くっ、この、馬鹿力め」


 だが、この程度であれば晶の言う通り大丈夫だ。

 そう思った次の瞬間、嫌な感覚が背筋を貫き、朔耶はタナトスとの間合いをさらに取った。

 すると、正に一瞬前まで朔耶がいた位置を可視の風が通過し、刃の如く地面を切り裂いていく。


「くそっ!」


 晶の吐き捨てるような言葉にその方向に目を向ける。

 さらに風の刃が襲いかかってくるのを視認し、朔耶は装甲の一部を削られながらも何とか避けた。

 どうやら宗則には、晶を抑えながら朔耶に攻撃できる程の余裕があるらしい。

 朔耶から見れば相当の実力者に思えた晶。

 そんな彼女があしらわれている事実に驚愕し、朔耶は一瞬気を取られてしまった。

 その隙を狙ったのか、タナトスの腕が横薙ぎに振るわれる。


「ぐ、く」


 今度は回避が間に合わず、朔耶は両腕で体を庇うようにしてそれを受け、しかし、受け止め切れずに勢いそのままに地面を転がった。


「朔耶っ!?」


 悲鳴のような晶の声が耳に届く中、全身に痛みが、特に両腕には砕かれたかのような激痛が走るが、何とか体に鞭打って立ち上がる。

 この程度で痛いなどと言っていたら、それ以上の痛みを受けたはずの千影に申し訳が立たない。


「この、どけ! ヘキサ・ボルケーノブラスト!」


 晶は自分の体程もある巨大な火球を六つ生み出し、それを宗則に投げつけると同時に朔耶へと駆け寄ってきた。彼女は走りながら更に小さな炎の矢を生み出し、牽制するようにタナトスを狙い撃った。


「大丈夫か!? 朔耶!」


 宗則の姿を覆う程の爆炎とそれが引き起こした爆裂音の中、タナトスが振るった腕と炎の弾丸が交錯した衝撃音が共鳴するように鳴り響く。

 そんな中では晶の声は耳に届かなかったが、心配そうに顔を覗き込んできた彼女の口の動きからそう言ったことは理解できた。


「は、はい。何とか」

「すまない。私が不甲斐ないばかりに」

「そ、そんなこと、ありません。風と火では相性が悪そうですし」


 宗則を一瞥すると、彼は炎も爆風も風の壁で防いでいたらしく全くの無傷だった。

 それでも、音を完全に防ぐことはできなかったようで僅かにふらついている。


「それは氷と火でも言えることだから、どちらにせよ文句を言ってはいられん。結局、私の精神力が弱いせいなのだからな」


 彼等が学校を襲撃した際、晶は街の巡回を任されていたのは、やはり相性が最も悪かったからなのだろう。とは言え、微々たる差だろうが。


「とにかく、このままではまずい。作戦変更だ。いいか、朔耶。私が全力の全力でタナトス諸共奴を攻撃する。お前は私が攻撃すると同時にタナトスに向かい、仕留め切れていなければ止めを刺して、デュナミスを取り戻せ」

「分かりました。……俺に当てないで下さいね」

「分かっているさ。信用しろ」


 朔耶の虚勢混じりの冗談に、にやりと不適に笑う晶。

 こんな状況でも普段と変わらない彼女の姿に朔耶もまた自然と口元を緩め、しかし、真剣に頷いた。

 そんな朔耶に晶は頷き返し、その作戦の合図とするように右手を高く掲げた。


「受けてみろ、私の全力! イコサ・プロミネンスバースト!」


 晶の渾身の叫びが耳に届くと同時に駆け出す。後方から先程よりもさらに巨大で強大な炎が数にして二十飛来し、朔耶を追い抜いていった。

 それは、新たな風を生み出そうとしていた宗則と体勢を立て直そうとしていたタナトスへと、四対一の割合で降り注いだ。

 数にして十六もの大火球を強力な風の流れで順に防いでいく宗則。

 だが、彼は完全に行動を封じられていた。

 その間にタナトスは四つの炎の直撃を受け、全身を焼かれながらその場に崩れ落ちる。


「これで――」


 朔耶は真っ直ぐにタナトスを見据え、彼我の距離を一気に詰めた。

 もはや朔耶を阻む者は存在しない。

 タナトスはまだ僅かながら力を残しているのか、奇怪な呻き声を上げながら何とか立ち上がろうとしているが、既に虫の息だ。


「終わりだっ!」


 全ての力とあの日から今日までの想いを込め、右の拳を放つ。

 その一撃がタナトスに突き刺さった瞬間、その内側から強烈な光が溢れ出た。

 虹色の輝き。デュナミスの光が。

 タナトスはその光によって内部から徐々に破壊され、歪み切った悲鳴を上げた。

 耳をつんざくような断末魔が弱まっていくと共に、その体は存在を否定されたかのように急激に消え去っていった。

 やがてタナトスは、その場から完全に消滅する。

 それと同時に魂の欠片が虹色に輝く粒子となって舞い上がり、朔耶の手に吸い込まれていく。


「これ、は……」


 そして感じたのは焦燥感や苛立ちを全て浄化してくれるような温もり。

 愛しい彼女の確かな気配。何より――。


『朔耶、君』


 耳に彼女の声が届く。

 たった三日の間、聞いていなかっただけなのに、酷く懐かしく感じる。

 その響きに導かれて顔を上げると、そこには半透明な千影の姿があった。

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