第7話

 朔耶の家は住宅団地内にあるマンションの一室だった。

 この団地には聖アフェシス学院中高の生徒が数多く住んでいて、千影も別のマンションではあるが、この団地内に住んでいる。

 学校にはそこそこ近いため、ほとんど遅刻する心配もない。

 はずなのだが、そのことが油断を誘い、逆に遅刻の原因になっている生徒も一部には存在するようだ。

 和也と陽菜はと言うと、ここから歩いて一〇分程離れたところにある一軒家に住んでいる。

 そこは一戸建てが立ち並んでおり、いかにも閑静な高級住宅街という様相を呈しているが、都心ではないため、そこまで値段は張っていないそうだ。


「ただいま、母さん」

「お帰り、朔耶。……あら、今日はお友達が沢山ね」


 玄関を開けて皆で中に入ると、賑やかな雰囲気でも察知したのか態々母親が奥の部屋から出てきた。

 その表情はどことなく嬉しそうだ。

 どうも息子の友達をもてなすのが趣味のようになっているらしい。

 しかし、余り浮かれてお菓子やジュースを大量に出されても正直困るのだが。


「あ、千影ちゃん、いらっしゃい」

「は、はい。お邪魔します。おば様」

「やあねえ、そんな他人行儀な呼び方。あたしのことは、お母さん、って呼んでもいいって、いつも言ってるじゃない」

「い、いえ、そんな……」


 顔を赤らめて小さくなる千影に、母親はからからと笑った。

 今日は千影もいるため、必要以上に機嫌がいいようだ。

 この母親は妙に千影を気に入っているようで、何やら朔耶の彼女にしてしまおうと画策しているような素振りを見せている。

 夕飯をご馳走したりするのも、あるいはその一環なのかもしれない。

 とりあえず今は和也や陽菜もいて、ややこしくなりかねない。

 なので、朔耶は妙にテンションの高い母親を適当にあしらって、皆を自分の部屋に招き入れた。

 最低限片づけているつもりだが、漫画や小説、特撮のBDなどの量が半端ではなく、散らかっている印象を与えてしまいかねない。が、皆勝手知ったるという感じなので今更のことだ。


「朔耶君。パソコン、起動させていい?」


 和也と陽菜のために液晶テレビ内のハードディスクに録画してある例の番組を再生し始めるとほぼ同時に、千影が声を潜めて尋ねてきた。

 映像に集中している和也達に気を使っているようだ。


「ああ、いいよ。と言うか、先につけとけばよかったな」

「ううん、大丈夫」


 千影はそう言うとパソコンの電源を入れた。


「そう言えば、どの話を見るんだ?」

「あ、えっと……三八話、かな」

「ん、分かった」


 朔耶はBDボックスから三八話が収録されたディスクを取り出した。

 旧作版時界天士ジン・ヴェルトは全五二話で、三八話は主人公が戦死した仲間の力を受け継ぎ、新たな力を得る話だ。数多くある名シーンの中でも演技の点で非常に評価が高いところだ。


「パスワードって変わってないよね?」


 千影の問いに頷いて答えると、彼女は滑らかなタイピングでそれを入力して、OSを完全に起動させた。

 パスワードは止揚転身アウフヘーベン

 それは主人公達がジンへと変身する際に発する言葉だ。

 こういうものは本来決して他人に教えるべきではないが、それもある意味千影への好意と信頼の証のようなもの。やはり彼女は特別な存在なのだ。

 パソコンが完全に立ち上がったところで、朔耶は手に持っていたBDをドライブに挿入した。

 そして、そのディスクのメニュー画面が出たところで、千影がパソコン正面の椅子から立とうとしたのを制し、朔耶は彼女の右隣に勉強用の机から椅子を持ってきて座った。


「ごめんね、朔耶君」

「いや、俺はもう何度も見てるから。大体覚えてるし。っと、ほら、イヤホン」


 そう言いつつ、パソコンに常時接続しているイヤホンを渡す。


「ありがとう。……はい、朔耶君も」

 それを受け取った千影は右耳にだけイヤホンをつけ、残った方を差し出してきた。意図は分かるが、さすがに少し戸惑う。戸惑うが、拒絶は選択肢にない。


「あ、ああ、うん」


 朔耶がそれを左耳に入れると、イヤホンのコードの長さには限界があるので必然的に彼女との距離がさらに近くなる。

 思わぬ形で感じることになった気恥ずかしさを表に出さないように気をつけながら、朔耶は横目で彼女の幼げながらも端整な顔を見た。

 その柔らかそうな頬は、仄かに血色がよくなり、温かみのある色に変わっているように感じられる。

 千影はその視線に気づいたのか、顔を朔耶に向け、にこっと笑いかけてきた。

 他人を気にしていない時にしか見せてくれない彼女の無防備な笑顔。それはとても純粋で綺麗な笑みで、いつもドキッとさせられる。

 そんな心の内での動揺を隠すように朔耶もまた彼女に軽く微笑みを返し、それから二人同時にモニターへと顔を向け、映像をスタートさせた。

 その瞬間、暗転した画面に映った互いの表情は非常に照れくさそうなものだった。

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