3-17 余計な心配

 エクセレントグループ本社のある「エクセリアスホテル浜松町」から戻った。

 祥次郎は、仕事場であるバー「メロス」に戻った。店の中ではいつものように、秋音が果物の皮を剥き、開店の準備を進めていた。

 祥次郎は、秋音にとっては恩人である野口三喜雄の逮捕の件を、そして彼が犯したすべてのことを、どう伝えて行こうか頭を痛めていた。

 彼女には何も言わず、伏せておくこともできるかもしれない。けど、いつかは本当のことを言わないといけない。

 彼女の気持ちを傷つけてしまうのは正直気が進まないけど、祥次郎は勇気を振り絞り、秋音の前に立つと、口を開いた。


「秋音ちゃん、戻ったよ」

「あ、おかえりなさい。どこ行ってたの?もう開店時間過ぎてるわよ」


 秋音は、果物の皮を剥く手を止め、少しだけ顔を上げて祥次郎の方を見遣った。


「ごめんな、遅れて。それでさ、秋音ちゃん……」

「何?」

「野口三喜雄のことなんだけど……俺の兄貴の」

「うん」

「それが……逮捕されたんだ。詐欺罪でね」

「そうなんだ……」

「それだけじゃない。野口は、若菜ちゃんを使って、自分の邪魔をする人間を殺害し、さらに殺害しようとしていたんだ。この店も、その絡みで危うく潰されてしまう所だった。そして、若菜ちゃんを問い詰めた時、君を殴って気絶させたのはほかならぬ野口だった。きみは、野口に色々助けてもらったと思う。だから、この俺の言うことは、たぶん信じられないし、信じたくないと思う」


 秋音は、黙々と果物の皮を剥いていた。しかし、その横顔には心なしか悲しさが滲んでいるように感じた。

 祥次郎は、秋音の肩に軽く手を当てると、申し無さそうな表情で語り掛けた。


「ごめん、悲しませるようなことは言いたくなかった。でも、いつかはちゃんと言わないといけないと思ってね」


 しばらく秋音は無口のままだったが、やがて少しだけ振り向いて祥次郎を見つめ、口を開いた。


「信じられないと言われたら、そうだけど……でも、どうしようもないですよね」


 そういうと、皮剥きに使っていたピーラーをそっとまな板の上に置いた。


「私があの日野口さんに助けられたことは事実だし、出会わなければ、ウエストサイドホテルの話はあのまま終わってしまったかもしれない。ここまで色々あったけど、野口さんと出会ったことには、感謝しているし」


 祥次郎は、やっぱり、そうだよな……とつぶやきながら、自分がしてきた行為を悔やんだ。

 その時、秋音は顔を上げ、目を大きく開いて話をつづけた。


「でも、野口さんのしたことは、許されることじゃない!そのことは……きちんと処罰されて欲しい」


 祥次郎は、秋音の言葉を聞き、思わず両手で顔を押さえた。

 自分でも何故だか分からないが、涙が突然あふれ出てきた。

 秋音は、ぽかんとした表情で祥次郎の方を見つめ、その後、クスっと笑った。


「え?何でマスターが泣いてるのよ?私は泣いてないのにさ。もう終わったことなんだし、事件はこれで解決なんでしょ?よかったじゃん」


 そう言うと、秋音は親指を立て、笑いながら祥次郎の背中を何度も叩いた。


「ま、まあ、一応解決だけどさあ……秋音ちゃんの気持ちを踏みにじる結果になっちゃったからさあ。ごめんね、許してちょんまげ」

「アハハハ、許してちょんまげ!そうこなくちゃ!いつものマスターに戻ったね!さ、そろそろお客さんが来る時間帯だし、準備しなくちゃ。マスターも早く着替えてきてよ。マスターが入院中、私一人じゃ捌ききれなくて大変だったんだからね」


 そういうと、秋音は祥次郎の背中を思い切り叩いて突き飛ばした。

 祥次郎はよろめきながら、苦笑いし、奥の部屋に入っていった。

 秋音の背中を見ながら、祥次郎は、自分だけが勝手に心配し、余計なことを言ってしまったと後悔しつつ、涙でくしゃくしゃになった顔をハンカチで拭い、シャツを腕まくりし、探偵からバーテンダーへと気持ちを入れ替え、秋音のとなりに戻っていった。


「あ、そうそう、秋音ちゃん。野口が逮捕された時『秋音ちゃんによろしく』って言ってたよ」

「へえ、そうなんだ……一応、気にかけてくれてたんだね」


 祥次郎は、野口からの伝言を秋音に伝えたが、秋音はさらっと受け流すように答え、一心不乱に開店の準備を続けていた。

 秋音の本当の気持ちはどうなんだろうか……?祥次郎にはなかなか推測できなかった。

 ひょっとしたら、内心は悲しみに暮れているかもしれないし、ずっと信じていたのに裏切られたと思っているかもしれない。

 とりあえず、秋音としてはこれで納得しているのかな?と思い、祥次郎はそれ以上、野口について何も語らなかった。


 野口の逮捕後、江坂裕恒の死をめぐる案件は大きく動いた。

 祥次郎が宇都宮に手渡した「アードベッグ」の原酒は、警察の調査の結果、裕恒の死因に関わっていたことが判明し、若菜は裕恒の殺人容疑で、そして野口は裕恒の殺人教唆容疑で再逮捕された。

 事件解決への御礼として、エクセレントグループ社長の江坂裕也は、秋音が野口を通して依頼していたウエストサイドホテルとの合併を、当初の約束通り白紙撤回した。

 エクセレントグループは、ウエストサイドホテルから経営陣を全て引き揚げ、社長には、かつて新宿の系列ホテルで支配人をしていた重田が就くことになった。

 重田は、自ら先頭に立って立て直しに取り掛かり、合併を機に退職していったかつての社員達をと連絡を取り、連れ戻していった。

 一度、ウエストサイドホテルを離れた池沢理香も、重田の説得を受け入れ、再び古巣に帰ることを決意した。

 合併により失われた社員の士気は、重田の強いリーダーシップにより徐々に回復してきたものの、まだまだ経営的に独り立ちは厳しいため、系列のゴルフ場や地方にあるホテルを売却し、赤字の補填を図ることになった。


 こうして、エクセレントグループの事件も、ウエストサイドホテルの合併問題も徐々に解決に向かっていたが、祥次郎の中ではいまひとつ、納得がいかないと感じていたことがあった。

 それは、逮捕された若菜のことであった。

 若菜は自傷行為で入院していたが、無事退院し、今は拘置所にいる。

 若菜はこの事件の犯人であると同時に、大人たちの都合に振り回された立場でもあった。

 そして、彼女をとりまく境遇や家族の問題、彼女の希望する大学の受験も中途半端なままであった。

 彼女を何とかして助けてあげたい、という強い思いがあった。

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