3-12 あやつり人形

 祥次郎と宇都宮は警察病院へと向かった。

 病院では、先日、自殺未遂を図った若菜への懸命の治療が施されている最中であった。

 祥次郎は本来であればまだ入院が必要であるが、どうしても若菜を助けたい一心で、車いすに乗りながら何とか病院に駆け付けた。


 病院側では治療中であるという理由で、最初は面会を断ってきたが、宇都宮が捜査上の理由も含めて強く面会を求めた結果、何とか病室に案内してもらえることになった。

 病室に入ると、若菜はベッドの上で、顔を横向きにして寝続けていた。


「若菜ちゃん。俺だよ、祥次郎だよ!どうしたんだ、俺たちの前から行方をくらました上に、自白して、自殺未遂まで……」


 しかし、若菜は一言も話さず、祥次郎にも目線を合わせてくれなかった。


「若菜ちゃん、話してくれないと、俺たちもどうしていいか、分からないよ」

「やめろよショウちゃん。被疑者は体力回復もまだこれからなんだ。下手に焦らせたら、また自傷行為に走る可能性もあるんだし」

「宇都宮刑事、それは分かります、だけど……」


 若菜は、ずっと言葉を発さず、顔を横に向けたままだった。

 祥次郎は、どうしていいのか分からず、頭を抱えこんだ。

 その時、宇都宮はうわ言のように話を始めた。


「そういえば、こないだ検挙されたケインズの証言では、若菜さんと共謀して強度のアルコールを含めた酒を飲ませていたのは認めたけど、殺すつもりはなかった、と言ってるんだよな。とすると、若菜さんだけに殺意があったということになってしまう。それと、ショウちゃんの店で連続アルコール中毒が起きた件でも、若菜さんが応対した客が被害を受けている。問題は、若菜さんが本心から、これらの事件を起こす動機があったかどうか、だ」


 すると、若菜は少しずつ顔をこちらに向け始めた。

 無造作に下ろされた髪の毛で覆われた顔は、どことなく悲しみに満ちていた。


「まあ、突然どうなんだ?って聞かれても、あまり話したい気持ちにはなれんだろう。ショウちゃん、これで帰ろうか。とりあえず、若菜さんは無事に回復しているのが分かったんだから」


 宇都宮に背中をポンと押された祥次郎であったが、祥次郎は目を見開き、ずっと若菜の顔を見ていた。


「若菜ちゃん、俺はずっと若菜ちゃんを信じて、一緒に仕事してきた。だから、今回のことは、すごく残念だ。これからしばらく、警察にお世話になるかもしれないけど、それが終わったら、また俺の店に来たらいい。その時まで、俺も秋音ちゃんも、待ってるからさ」


 そう言うと、宇都宮に促されるように、車いすに乗り、病室を出ようとした。

 その時、後ろから、かすかに、そして掠れたような声が、祥次郎の耳に伝わってきた。


「私だって、こんなこと、したくなかった。でも……でも、しかたなかったんだ」


 祥次郎は、車いす越しに後ろを振り返ったが、その声は、間違いなく若菜のものだった。


「お父さんやお母さんを楽にしたい一心だったの。我が儘言って、予備校通わせてもらったんだもん。だから、両親に負担をかけず、自分でお金を稼ぎたかったの」

「若菜ちゃん……だからと言って、何で殺そうとしたんだ」


 祥次郎の目からは、涙が溢れ出ていた。


「だって、仕方なかったんだもん。こうするしかなかったんだもん」

「仕方がなかった?人を殺すことが仕方がなかったのかい?」

「私は指示を受けながらやっただけよ。じゃないと、お金がもらえないから」

「お金?お金がほしければ、小野田君の店にしろ、うちの店にしろ、バーテンダーの仕事を手伝っていれば、そのうち貯まったんじゃないのか?」

「それだけじゃ足りないのよ……予備校行くのに、1年で百万必要なの。それだけじゃない。お父さんの借金を返すのに、一千万は最低必要だったの」

「借金?」

「そうよ、お父さん、事業に失敗して借金抱えちゃったの」

「そうか、だからお家を売ってお金にしたんだね」

「え?マスター、何で知ってるの?」

「君が行方不明になったから、自宅まで会いに行ったんだ。でも、行ったら『売家』の看板が立ってたんだ」

「そうなの、不動産屋に家を売ったのよ。それでも全然足りなくて」


 祥次郎は、声を枯らしながら話を続ける若菜の姿が、いたたまれなかった。

 少しでも楽にしてあげたいが、話を聞いてあげて、楽にしてあげること位しか今は出来ない。


「さっき、誰かに指示を受けながらやったと話したね?おそらく、君は小野田君の店も、俺の店も、自分の意思じゃなく、誰かに言われて、雇ってもらえるよう談判したんだと思う。君はたまたま秋音ちゃんの勤める予備校の生徒だったけど、秋音ちゃんが俺と一緒に探偵やってることを誰かに言われて、俺たちの店にも入り込んだ。そうなんだろ?」

「そうだよ。小野田マスターのお店は、エクセレントグループの関係者がよく飲みに来るから、店の中にターゲットがいずれやってくるはず、って言われて。関口先生とマスターについては、これ以上、店の営業ができないようにしてやれって」

「やっぱり、そうだったのか……」


 祥次郎は、思わず歯を食いしばった。

 若菜に指示を出していた人物は、大体想像がついていた。

 けど、その人物がここまで卑劣なやり方で、多くの人達を巻き込み、若く未来のある少女に罪を負わせるということに、腹が立って仕方がなかった。


「マスター、私、今、人を殺した自分がみじめで仕方なくって。お金のためといえ、どうしてこんなことをしちゃったのかなって。だから、警察で、自分の知ってることを洗いざらい話したんだ。それでも気持ちが晴れなくて……ごめんね、心配かけて」


 若菜は、か細い声で祥次郎への謝罪の言葉を口にした。

 祥次郎には、もうこれ以上、若菜の言葉を聞き続けるのが辛かった。


「もういいです、刑事。帰りましょう。若菜ちゃん、色々教えてくれてありがとう。ゆっくり休みたまえ。俺たちはずっと君の復帰を待ってるから」

「え?ショウちゃん、もういいのかい?」

「ええ。いいんです、もうこれ以上は……」


 祥次郎は、車いすの上でうなだれた。

 宇都宮は、若菜に向かって左手で敬礼ポーズをとると、病室のドアを閉めた。


 病室を出ると、宇都宮は、元気なく下を向いたままの祥次郎が気にかかり、横顔を覗き込んだ。


「おい、どうしたんだよ?いつものショウちゃんなら、あそこから畳みかけるように容疑者に質問するだろ?何であそこで止めたんだよ?」


 すると、祥次郎はしばらく何かを考えた後、少しずつ口を開いた。


「若菜ちゃんに指示を出した男の正体を、知っているからです」

「え?被疑者はそれについては言及しなかっただろ?というか、なぜそのことを聞かなかったんだい?」

「それを彼女に聞いて、答えられるのが、私にとっては何より辛いことだからです」

「はあ?」

「すみません、ちょっと一服したいんで。その後にお話しますね」

「あ、ああ」


 祥次郎と宇都宮は、病院の外にある喫煙ブースに向かった。

 祥次郎はたばこに火を付け、一息に吸うと、ようやく張り詰めた気持ちが落ち着いたようであった。


「刑事、若菜ちゃんを操っていた人物……裏業界では有名な人物ですよ。たぶん、どこかで聞いたことあるかも」

「え?裏業界?」

「企業の合併や買収の仲介をやっている、野口三喜雄という人物です」

「へ?野口って、確か……手段を選ばずあの手この手で企業買収を推し進めてきた、財界の影武者と言われた男だったような?」

「そう、その野口です。財界の影武者であり、この俺の実兄なんです」

「何!?」


 目を丸くして驚く宇都宮を横目に、祥次郎は目を瞑り、ゆっくりとたばこの煙を吐きだした。

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